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第四章その2 ~大活躍!~ 関東からの助っ人編

遠いあの日の浜辺の記憶

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 大型の輸送機とは言え、やはり航空機の設備である。

 こじんまりした洗面台は、太い鉄骨の合間に無理やりおさまっていたし、人1人立つので精一杯だった。

 下部にあるトラップ菅、つまり排水が逆流しないよう曲がりくねった配管も、省スペースのために変な角度でうねっていた。

 LEDの電灯だけが白く明るく、カノンの痴態ちたい潤沢じゅんたくな光度で暴き出している。

「……こ、これって……もう……」

 カノンは呆然と呟いた。

 驚きに目を見開いた自らの顔は、普段よりかなり大人びてきているが、変化はそれだけではない。

 髪の色は、以前より格段に赤く濃くなっている。

 更に首元には、うっすらと浮かび上がった呪詛の文字が、青い光を帯びて輝いていた。

「ど、どうしよう……!」

 何から対処していいか分からず、カノンは子供のようにうろたえた。

(元に戻る、あの人のそばにいられなくなっちゃう!)

(嫌だ、嫌だ!)

(こんな急に……それもよりによって、彼が一番ピンチの時に!)

 これでは何のためにずっと生きてきたのか分からない。

 焦りが鼓動を乱し、熱い何かが、じわりじわりと身の内に溢れ始めていた。

 必死に自らを落ち着かせるべく、カノンは荒い呼吸で鏡を睨んだ。

(落ち着け……頼むから落ち着いて……! まだ大丈夫、まだもう少し……!)

 無理に息を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 かせを破って溢れそうになる力を少しずつ冷まし、段々寝かし付けていく……

 しばし後、首元の青い光の文字は、その輝きを弱めていった。

 少しだけ安堵し、カノンは洗面台に手をついた。

 記憶が混乱しているのか、脳裏にかつての思い出がよぎった。



 遠い遠い、気が遠くなるぐらいの昔……けれど今でも鮮明に思い出すあの日の記憶だ。

 口の中によみがえる、しおとちぎれの混じった生臭い味わい。

 波打ち際の砂を掴んで身を起こし、カノンは必死に海から這い上がった。そのままひたすら逃げ惑う。

 曲がりくねった海辺の道だが、疲れ果てた両足は、そもそも真っ直ぐ走れなかった。

 ただただ人気のない方へ走って、走って。

 喉は渇ききって引きつり、血の味が口中に広がる程に懸命に駆けたが、背後から追いかけてくる気配に、今にも襟首を掴まれそうに思えてしまう。

 着の身着のままで里を抜け、同族の刺客をまいたはいいが、今度は運悪く『天敵』どもに見つかったのだ。

 備前びぜんの浜から身を投げ出し、体力任せに海を泳いだ。

 追っ手を騙すべく、着物を途中の島の木にかけ……乾かしているように見せかけた。

 下衣したごろもふんどしまで干したのは、その島に潜んでいると思わせるためだったし、島に入る時は足跡をつけ、盛大に周囲の枝をへし折った。

 逆に島から出る時は高台に登り、足跡がつかないよう一気に海に飛び込んだ。

 ……だがそれでも連中は、執念深く追跡してくる。

 後で考えれば、大気に邪気のない状態だから、カノンの気は容易く見つけられたはずだ。

 この穢れた血が、そして気配が、奴らをどこまでも引き寄せるのである。



 いくつかの島を逃げ惑い、背に矢を受けて夜の海に飛び込んだ。

 ともすれば遠退きそうになる意識で一晩中泳ぎ続け、この大三島おおみしまに辿り着いたが、もう精も根も尽き果てていた。

 浜辺の古い小さな社……その傍の浜まで辿り着いた時、カノンはうつ伏せに倒れ込んだ。

 道中拾った寸足らずの帆布はんぷを巻きつけ、縛っただけの惨めな姿は、肌もろくに隠せていない。

 足も髪も白い砂に塗れていたし、肩や背には、魔法力が込められた破邪の矢が深々と刺さり、自らの荒い呼吸と共に上下している。

 その矢が青く輝く度、体中の力が吸い取られるようだったが、最早それを抜く体力も残っていないのだった。

(……ここで終わりか……)

 カノンがそんなふうに考えた時、ふと視界の隅に、歳若い男の姿が見えた。

「っ!」

 びくりと身が震え、懸命に半身を起こす。

 同族の追っ手ではない、まして神に仕える者でもない。ただの若者ではあったのだが……

 よく日に焼け、直垂ひたたれ姿の若者は、黙ってカノンを見据えていた。

 浜辺の社を手入れしに来たのだろうか。

 手にはさかきと手桶を持っているが、腰には見事な太刀が下げられていた。

 一目で分かる。強い、手慣てだれだ……!

 おまけに油断するような面構つらがまえではない。

 頭もやたら切れそうだし、口八丁くちはっちょうも通じないだろう。

 じゃあどうする…………まさか、音に聞く色仕掛けか?

 いやいや、もっと無理である。

 人ではない我が身で、更には異常に長い命を持つ一族なのだ。

 色恋沙汰いろこいざたそのものを目にする事が無く、誰かが子を為す事さえ数百年に一度。男女の逢瀬おうせとやらに何の見識けんしきも無かった。

 どうにもこうにもならないし、ここで首を落とされるだろう。

 普段なら薄皮も傷つかないはずの刀も、弱った体で弾けるはずがない。

 ……でも、それも仕方ない事なのかも知れない。

 元々自分は異物であり、人の世にいてはならない存在なのだ。

 一族にも馴染めず、人界では忌み嫌われる……そして誰とも知らぬこの武者に、切り殺されて果てるのだ。
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