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第四章その1 ~大ピンチ!?~ 無敵の魔王と堕ちた聖者編

堕ちた聖者は天を呪う

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 かつて善なる神々に仕え、人々を守り続けた稀代きだいの霊能力者・鳳天音おおとりあまねは、地上から10メートル程の高さに浮かんでいた。

 長い髪は今は白銀に輝き、ころもは対照的に黒く染まっている。

 神職の装束を闇で染め上げたようなその衣裳は、脈動するかのように光を放ち、時折表面に呪詛じゅその文言が浮かび上がっている。

 彼女は誠達の反応を楽しむように、ゆっくりと言葉をつむいだ。

「本当は、すぐにでも引き裂いて差し上げたかったのですが。ディアヌス様の……肥河之大神ひのかわのおおかみ様へのご謁見えっけんが終わるまで待たせていただきました」

「魔王への礼儀? ずいぶん信心深いのね」

 鶴が言うと、天音はいかにも嬉しそうに微笑んだ。

「それはもう……等しく滅びをもたらせる、正しきことわりの主ですから。あの忌々いまいましい女神のように、騙す事はございませぬ」

「女神? 岩凪姫ナギっぺの事かしら」

 鶴は少し不快そうに眉間に皺を寄せた。

「あまり悪く言わないでくれる? ナギっぺは融通はきかないけど、ひどい嘘はつかないわ」

 その言葉が禁句だったのだろう。天音はみるみる恐ろしい顔になった。

「それが騙されているというのだ、愚か者めが……!!!」

 大量の邪気が竜巻のように逆巻き始め、時折強い電流が、彼女の全身を駆け巡っている。

「お前は何も分かっていない。神にとって、聖者などいくらでも替えの効く駒なのだ。お前がどのような目に遭おうと、奴等の知った事ではない……!!」

 恐ろしい程の邪気を身にまとう天音だったが、鶴はきっぱりと言い放つ。

「その時は堂々と文句を言うわ。あなたみたいに、他の人を巻き添えにせずにね」

「500年も地獄で過ごして、何一つ学ばぬのか、海賊崩れの田舎武家がっ!!! なぜこんな簡単な事が分からぬのだっ!!!」

 苛立ちが最高潮に達したのか、天音は右手の指を鉤爪のように曲げた。

 たちまちその手に邪気が集まると、光の太刀が姿を現した。

 緊張し、操作レバーを握り締める誠に、鶴が後ろからささやいてきた。

「……ごめん黒鷹、特に弱みはないみたい。怒っても時間が経っても、崩れる感じは全然無いわ」

 なるほど時間稼ぎをしながら、どこかに隙があるかと観察していたのだ。だが魔道に堕ちたかつての聖者は、ますます力に満ち溢れている。

 鶴の肩に乗る子犬サイズの生き物、つまり狛犬のコマが後を続けた。

「ディアヌスが完全に復活して、その加護を受けた彼女も万全なんだ。もう前みたいに、途中で弱るなんてあり得ないよ」

「そうねコマ。たぶん私と同じだから、こっちの場所は丸分かりよ。どこまで逃げても隠れても、見つけて追いかけてくるわ」

「……魔王がこちらに興味無くても…………あの女は逃がしてくれないってわけか……!!」

 誠は防護手袋ガードグラブがじっとりと汗ばむのを感じた。

 負傷した兵士達はまだ撤退中。運よく即死をまぬがれた者も、激しい火傷や凍傷に見舞われ、動く事もままならないのだ。

 この恐るべき力を持つ闇の神人を引きつけながら、彼らを守りきらねばならない。果たしてそんな事が可能だろうか……?

「さあ、己の愚かさを思い知れ!!!」

 天音が片手を前に出すと、前方に黒い邪気の塊が発生する。同時に大勢のうめき声が聞こえてくると、邪気はますます巨大に膨れ上がった。

 天音本人の力を、合体した聖者達の魂が増幅しているようだったが、次の瞬間。邪気の塊から多数の黒い球体が発生した。

「くっ……!!!」

 唸りを上げて迫るそれらを機体がかわすと、多数の玉が彼方かなたの山肌に着弾する。

 すると大地から湯気のようなものが立ち昇り、木々は黒く変色して枯れていく。わずか数瞬で、周囲の山野が死の世界に変わったのだ。

 コマが慌てて誠に叫んだ。

「黒鷹、あれは物凄い呪詛じゅその塊だ! 触れたら体が腐っちゃうよ!」

「了解っ!!」

 コマの叫びに答えながら、誠は機体の銃を発射する。

 だが弾丸は女の体に触れる事なく、周囲の光に弾かれていく。

「……児戯じぎ、まっことか弱き力よ。これで日の本一ひのもといちの勇者なのか?」

 女は嘲笑うように口元を歪め、再び手を差し出した。

「そら、こういうのはどう?」

 女がついと手を振ると、女の横に、身の丈ほどの巨大な丸鏡が現れる。そして鏡から、無数の手が噴き出した。

 青紫の肌を持つ多数の腕は、人ならぬ動きでうねりながら、高速で誠の機体へと迫る。

 誠は属性添加機を操作し、慣性制御で咄嗟とっさに機体を緊急横移動スライドさせた。だが鏡からは次々別の手が生まれ、こちらを追いかけてくる。

(術の発動が速すぎる、攻撃を先読みするしかない……!!)

 誠は意識を集中し、闇の神人の姿を見据える。

 環境変異の影響を受け、目の細胞が特殊な変化を遂げた誠は、相手の周囲の電磁場が見えるのだ。

 人や魔族と言えど、思考は脳内の電気信号。何かを考える際には周りの電磁場に変化が生まれ、それを利用して相手の動きが予見出来る……はずだった。

「……!!?」

 誠が意識を集中すると、女の周囲の磁場が浮かび上がった。

 だがその思念の磁場は、まるで規則性を持っていない。

 大量の憎悪が入り乱れながら伝わって来て、まるで幾多の怨霊が、誠の脳内で咆え狂っているかのようだ。

「駄目だ……! 磁場が滅茶苦茶で……考えが読めない……!」

 誠が苦悶くもんの表情で言うと、コマが誠の肩に飛び乗ってきた。

「無理だよ黒鷹、1人や2人の思考じゃない。今まで殺された大勢の聖者が、彼女の体に集まってるんだ」

「どおりでいっぺんにわめいてるわけだ……!」

 つまりこいつは、誠にとって天敵なのだ。

 誠は必死に攻撃をかわし、機体を操作して後方にジャンプする。

 だが次の瞬間、地面から複数の手が伸びてきて、誠の機体の足を掴んだ。

「くそっ、下から!?」

 いつの間にか一部の手が、地下に潜んで狙っていたようだ。

「あははは、鬼ごっこは終わりね!」

 女が叫ぶと同時に、鏡から更に多くの手が飛び出し、機体の両手両足を掴む。

 鶴が霊力で守ってくれているのか、すぐに機体が腐れ落ちる事は無かったが、機体を包む白い光は、蒸気を上げながら次第に輝きを弱めていく。

 後部座席の鶴は、懸命に精神を集中しているが、女の追撃はまだ続く。

 瞬時に距離を詰め、機体の寸前に現れると、顔をこちらに近づけた。

「んん……!? 何だ、お前の魂は……?」

 すぐにトドメをさされるかと思う誠だったが、女はなぜか躊躇ちゅうちょしたのだ。

 顔をしかめ、頭を掻きむしるような動作をした女は、何度か頭を振ってこちらを睨む。

「ええいっ、鬱陶うっとうしい……!! そうだ、お前は殺さない、殺さず永遠に苦しめてやるのだ……!」 

 女がそう言った瞬間、誠の頭に物凄い衝撃が走った。

 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 激しいノイズが、火花が、視界に滅茶苦茶に乱れ飛んだ。

 目の前の世界が青紫に染まり、また白く反転し。

 凶暴な獣の群れのような唸り声が、そして悲鳴が、頭蓋骨の内側から鳴り響いてくる。

(何だこれ……!!? 頭が……割れる……!!!!!)

 遠退く意識の中で、鶴が操縦席の前に身を乗り出すのが見えた。

「コマ、行くわよ!!」

「任せて鶴!!」

 1人と1匹は眩い光に包まれ、操縦席から姿を消した。

(……駄目だ、ヒメ子……逃げろ……っ!!!)

 誠は微かに手を動かし、鶴を引き止めるように動かした。

 いかに鶴とは言え、あの闇の神人に勝てるとは思えない。

 声を限りに叫ぼうとしたが、そこで意識が混濁こんだくした。
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