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第五章その10 ~何としても私が!~ 岩凪姫の死闘編
これが私の正体だから
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「…………っ!」
彼方で響く爆発音に、岩凪姫は顔を上げた。
闇の中、青い火花が飛び交っている。
車両が炎上しているのか、赤い光が雲の下端を染め上げていた。
きっと人々が逃げ惑っている。子供だって泣いている。
そして彼らを助けられるのは、恐らく自分だけなのだ。
(そうだ……私が行かなければ……!)
急激に現実に引き戻される感覚だった。
もう迷う事は許されない。己が何者なのかを思い出したからだ。
「……すまぬ。私はもう行く」
歩き出す岩凪姫に、夏木は駆け寄る。
「岩凪さん!」
再び手を握ろうとしてくるが、彼の手はすり抜けていた。
「えっ……?」
驚く夏木の声が聞こえた。振り返らなくても、どんな顔をしているかは分かる。
「……この身は霊気を固めたもの。そもそも肉の体ではない」
岩凪姫は立ち止まり、全身を光で包み込んだ。
やがて身につけた衣装は変化した。
うっすらと光を帯びる白い衣。首から下げた勾玉や管飾り。
神代の姿に戻った自分は、この現世にさぞかし場違いな事だろう。
「……どうしても、お前の好意には応えられぬ。これが私の正体だから」
岩凪姫はゆっくりと振り返った。
青年の目を真っ直ぐに見つめ、別れの言葉を紡ぎ出す。
「……こんな情けない私でも、この日の本を守る女神が1人。甘えて逃げるわけにはいかんのだ」
「……………………」
夏木はしばらく黙っていたが、やがて静かに答えた。
「…………なんとなく、そんな気がしてました。あなたはまるで、神様みたいだって……そんな気がしてたんです」
青年の思念の光は、今は穏やかなものに変わっていた。
熱い恋慕の情熱から、一歩引いた諦めのような思いになっていたのだ。
その事に安堵し、けれど正直寂しくもあった。
生まれて初めて他者に愛された時間は、瞬きほどの一瞬で終わったのだ。
「……長い間存在してきて、己が好かれるなど考えた事も無かった。自分でも良く分からないが……きっと嬉しかったのだと思う。でも私には、人々を守る使命があるのだ」
岩凪姫はそこで左の手を差し出す。
手首に結んだ勾玉が浮き上がり、強く激しく輝いた。
やがて光が薄れると、勾玉は守り袋に変わっていたのだ。
よく神社で目にするような、ごくありふれた肌守りである。
ただそこに込められた霊力は、お守りにしてはかなり強い。ほとんど分霊に近いぐらいだ。
やっぱり自分は未熟者だ…………改めてそう思った。初めて愛を告げられ、少なからず動揺していたのだろう。
「せめてもの礼だ。少し……気を込めすぎたかもしれんが、今までよく働いてくれた。これがあれば、邪気の中でも身を守れるだろう」
「…………………………」
青年は震える手でお守りを受け取る。
岩凪姫はそれから彼に身を寄せた。
少しぎこちなく顔を傾け、そっと頬に口付けする。
頬というには場所がおかしく、唇には届いていない。そんな中途半端な口付けだった。
再び身を起こしたが、全身がじんじんと熱い。
頬が、額が、自分のそれではないように熱を持つが、何とか強がって言葉を紡いだ。
「……せっ、接吻などした事も無いから、勝手が分からぬ。許せ……!」
彼から身を離すと、勢い良く踵を返す。
長い髪が閃いて、闇の中に光の波動を振りまいた。
きらきらと舞い散るその様は、内心の高ぶりを表しているのだが、人である彼にはバレないはずだ。いや、どうかバレてくれるな……!
最後ぐらい、神としてちゃんと格好つけたいのだ。
やがて大地を蹴り、岩凪姫は浮き上がった。
もうどんなに手を伸ばされても、彼の手が届く事はない。
彼の前で飛んだのは、その思いを断ち切るため。自分が神で、手が届かないと見せるためだ。
(きっと……これでよかったのだ)
そう自分に言い聞かせて、夜空を一気に加速する。
よく分からない感覚だった。
勇ましく戦いに赴こうとしているのに、何かから逃げているような気さえした。
(ええいっ、揺れるな……揺れるな私よっ……!)
そこでふと、とある娘の姿が思い浮かんだ。
頻繁に社を訪れ、モテないと愚痴を言っていた彼女は、後に黒鷹の母親となった娘だ。
誰にも愛されない事を嘆き、それでも最後に幸せになった彼女を、岩凪姫は懐かしく思い出す。
(…………きっとお前は、弱い私を笑うだろうな)
それでもいい、他に道は無かったんだから。
なぜだか素直にそう思えたのだ。
彼方で響く爆発音に、岩凪姫は顔を上げた。
闇の中、青い火花が飛び交っている。
車両が炎上しているのか、赤い光が雲の下端を染め上げていた。
きっと人々が逃げ惑っている。子供だって泣いている。
そして彼らを助けられるのは、恐らく自分だけなのだ。
(そうだ……私が行かなければ……!)
急激に現実に引き戻される感覚だった。
もう迷う事は許されない。己が何者なのかを思い出したからだ。
「……すまぬ。私はもう行く」
歩き出す岩凪姫に、夏木は駆け寄る。
「岩凪さん!」
再び手を握ろうとしてくるが、彼の手はすり抜けていた。
「えっ……?」
驚く夏木の声が聞こえた。振り返らなくても、どんな顔をしているかは分かる。
「……この身は霊気を固めたもの。そもそも肉の体ではない」
岩凪姫は立ち止まり、全身を光で包み込んだ。
やがて身につけた衣装は変化した。
うっすらと光を帯びる白い衣。首から下げた勾玉や管飾り。
神代の姿に戻った自分は、この現世にさぞかし場違いな事だろう。
「……どうしても、お前の好意には応えられぬ。これが私の正体だから」
岩凪姫はゆっくりと振り返った。
青年の目を真っ直ぐに見つめ、別れの言葉を紡ぎ出す。
「……こんな情けない私でも、この日の本を守る女神が1人。甘えて逃げるわけにはいかんのだ」
「……………………」
夏木はしばらく黙っていたが、やがて静かに答えた。
「…………なんとなく、そんな気がしてました。あなたはまるで、神様みたいだって……そんな気がしてたんです」
青年の思念の光は、今は穏やかなものに変わっていた。
熱い恋慕の情熱から、一歩引いた諦めのような思いになっていたのだ。
その事に安堵し、けれど正直寂しくもあった。
生まれて初めて他者に愛された時間は、瞬きほどの一瞬で終わったのだ。
「……長い間存在してきて、己が好かれるなど考えた事も無かった。自分でも良く分からないが……きっと嬉しかったのだと思う。でも私には、人々を守る使命があるのだ」
岩凪姫はそこで左の手を差し出す。
手首に結んだ勾玉が浮き上がり、強く激しく輝いた。
やがて光が薄れると、勾玉は守り袋に変わっていたのだ。
よく神社で目にするような、ごくありふれた肌守りである。
ただそこに込められた霊力は、お守りにしてはかなり強い。ほとんど分霊に近いぐらいだ。
やっぱり自分は未熟者だ…………改めてそう思った。初めて愛を告げられ、少なからず動揺していたのだろう。
「せめてもの礼だ。少し……気を込めすぎたかもしれんが、今までよく働いてくれた。これがあれば、邪気の中でも身を守れるだろう」
「…………………………」
青年は震える手でお守りを受け取る。
岩凪姫はそれから彼に身を寄せた。
少しぎこちなく顔を傾け、そっと頬に口付けする。
頬というには場所がおかしく、唇には届いていない。そんな中途半端な口付けだった。
再び身を起こしたが、全身がじんじんと熱い。
頬が、額が、自分のそれではないように熱を持つが、何とか強がって言葉を紡いだ。
「……せっ、接吻などした事も無いから、勝手が分からぬ。許せ……!」
彼から身を離すと、勢い良く踵を返す。
長い髪が閃いて、闇の中に光の波動を振りまいた。
きらきらと舞い散るその様は、内心の高ぶりを表しているのだが、人である彼にはバレないはずだ。いや、どうかバレてくれるな……!
最後ぐらい、神としてちゃんと格好つけたいのだ。
やがて大地を蹴り、岩凪姫は浮き上がった。
もうどんなに手を伸ばされても、彼の手が届く事はない。
彼の前で飛んだのは、その思いを断ち切るため。自分が神で、手が届かないと見せるためだ。
(きっと……これでよかったのだ)
そう自分に言い聞かせて、夜空を一気に加速する。
よく分からない感覚だった。
勇ましく戦いに赴こうとしているのに、何かから逃げているような気さえした。
(ええいっ、揺れるな……揺れるな私よっ……!)
そこでふと、とある娘の姿が思い浮かんだ。
頻繁に社を訪れ、モテないと愚痴を言っていた彼女は、後に黒鷹の母親となった娘だ。
誰にも愛されない事を嘆き、それでも最後に幸せになった彼女を、岩凪姫は懐かしく思い出す。
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なぜだか素直にそう思えたのだ。
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