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第一章その4 ~さあ復活だ~ 懐かしきふるさとの味編

寝ぼけて料理。砂糖と塩をまちがえる

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「おいおっさんよ、あんな化け物がいるなんて聞いてねえよ!」

 研究所に戻った不是は、開口一番、蛭間に食ってかかった。

 蛭間は不是の剣幕にたじろぎながらも言葉を返す。

「い、いや、そもそもお前が行くと言ったんだぞ」

「そりゃそうだがよ……何だありゃ、思い出しただけでやべえよ……!」

 不是は青ざめた顔でソファーに背を預けた。

 屈辱からか、苛立ちを隠せぬ様子で頭を掻き毟っている。

 見かねたように、爪繰つまぐりは不是の傍に歩み寄った。

「まあ落ち着いて下さい、貴方はまだこれからの人。そろそろ逆鱗の再増設をしてもいい頃でしょう。増設すれば、また強くなれますよ」

 不是はしばらく爪繰つまぐりを見上げていたが、やがて大きく息を吐いた。

「……分かった。なるべく手っ取り早く頼むぜ」

「了解しました。笹鐘くん、ご案内を」

 側近に案内され、不是達は別室へと向かった。

 爪繰つまぐりはにこやかに不是の後ろ姿を見送り、蛭間に向き直った。

「すぐに機嫌が直るでしょう。若者は情緒不安定なものですよ」

「そ、そうか。そうだな……」

 蛭間は幾分安心したように頷き、それから尋ねる。

「お前の予測は当たるので重宝しているが、本当に私が隠れなければならんのか? 旗艦にも立ち入るななどと……」

「申し訳ありませんが、それが御身を守る方法ですので。連中に接すれば、あなたも何をされるか分かりません」

 爪繰つまぐりはそこで声をひそめる。

「……よろしければ、私どもで手を打ちます。なに、例の実験体モルモットを使うだけですし、バレる事はありません。私ども以外、誰も知らない技術ですから」

 爪繰つまぐりはにこやかにそう言った。

「死がそこらに転がっている時代です。愚か者には、なるべく早く退場してもらいましょう」

「た、頼んだぞ」

 蛭間は額に汗を浮かべながらも頷いた。




 基地に戻ると、もう空は消炭けしずみ色に染まっていた。

 誠は例の変態ハウスのデスクに座り、溜まっていたデータ整理に取り掛かった。頭は静かに冴えていて、キーボードを叩く手は軽やかだった。

 あの夢のような食事会が終わり、心地よい興奮の余韻に浸りながら、誠達は大切に器具や出店をしまった。

 きっとまたいつか、こんなふうに楽しい宴をやりたい。この恐ろしい災害を乗り越えて、晴れの日を迎えたい。皆そんなふうに思ったはずだ。

「……あの黒鷹、お邪魔していい?」

「ん?」

 振り返ると、部屋の入り口に鶴が立っていた。暗くて顔は見えないものの、セミロングの髪と、着物のシルエットが特徴的だ。

「お勤めの邪魔になったりしない?」

「いや、ならないけど。特に急ぎでもないし」

「良かった。それじゃ、遠慮なくお邪魔するわ」

 鶴は身軽に誠の傍に辿り着くと、手にしたお盆を机に置いた。どうやら差し入れを持ってきてくれたようだ。

「せっかくお米があるんだから、お夜食を持って行こうって話が出たのよ」

「誰から?」

「もっちゃん」

「誰!?」

 誠は鶴の置いたお盆を確認する。

 お盆の上のお皿には、おにぎりが3つ乗っている。おにぎりの傍にはメモ紙があって、『少しは休みなさい/衛生兵より』と書いてあった。

「なるほどカノン……望月だからもっちゃんか。嬉しいけど、ヒメ子も食べるだろ?」

「私のぶんも持って来たわ」

 鶴はどこからか、竹の皮に包んでいたおにぎりを取り出す。

 暗くて見えなかったが、鶴の足元にはコマもいたらしく、鶴の肩に飛び乗って、自分の分のおにぎりを掲げた。

 どうでもいいが、お盆よりも竹の皮にくるんだ方がおいしそうじゃないか、と誠は内心思ってしまった。

 誠は椅子を譲り、自身は空箱の上に座る。

 口に運ぶと、適度に柔らかく握られたお米が、口の中でほろりとほどける。不安視していた味の方も、荒塩のまろやかなしょっぱさでかなりおいしい。

「黒鷹、ど、どうかしら……?」

 鶴が鬼気迫る顔で尋ねてくるので、誠は若干引き気味に答えた。

「……う、うん、そりゃおいしいよ。これいい塩使ってるよな。海の味が滅茶苦茶する」

「そうなのそうなの。わあ嬉しい、安心したわ」

 鶴は嬉しそうに微笑んで、自分もおにぎりを口に運んだ。

 それから興味深そうにパソコンの画面を覗き込んだ。

「これは何をしているの?」

「戦いのデータ整理。ヒメ子はここに来るの初めてだっけ」

 誠は過去の戦闘データを表示して説明した。

 鶴は時折首を傾げ、理解できない単語もあるようだったが、頑張って最後まで聞いてくれた。

「ふーむ、それが戦の役に立つわけね。黒鷹は本当に真面目なのねえ」

「そりゃ君と違ってね。いてっ」

 コマは鶴にチョップを落とされ、頭を押さえて悶絶している。

「……俺にはそれしか出来ないからな。ヒメ子みたく特別な力もないし」

 誠が自嘲気味に言うと、鶴は首を振った。

 髪から漂う優しい香りが、涼やかな風となって誠に届いた。

「どんな事でも、頑張るのは尊いわ。よ~し、私も頑張るわよ! みんなが幸せじゃないと、私も安心して遊べないもの」

「割とそういう所は立派なんだよな」

 誠が感心すると、鶴は得意げに胸を張った。

「そうでしょう。なにせ姫だし、同じ姫でも、私は特に素晴らしいから」

 コマがジト目でツッコミを入れる。

「まあ冗談はともかく、この子も武家の娘だからね。いい加減なまつりごとをすれば、いずれ反乱が起きて、自分も今の地位を追われる。だから大抵の武家は、小さい時からそういう事を教わるんだよ。君主たるものこうあるべきってね」

まつりごとを教わる、か……」

 誠は素直に感心した。

「考えてみたら、今の時代って変かも知れない。そういう事、誰も教わってないのに、ただ権力争いで勝っただけのヤツが上にいる……それって昔なら、悪い殿様とか悪代官がいるのと同じなんだよな。普通に考えて、世の中滅茶苦茶になると思う」

「そう、それだよ黒鷹。だからこそ、この時代にこの子がいるわけさ」

 コマは待ってましたとばかりに言った。

「時代が流れても、本当に大事なものは変わってないんだからさ。ねえ鶴?」

「ごめん、聞いてなかったわコマ」

 コマは思わずずっこけて、それから鶴に抗議した。

「なんで君はいつも僕の話を聞かないんだ!」

「知らないわ! 知ってても聞かないけど、知らないから尚更よ!」

「酷すぎるだろ! 大体君は不真面目過ぎるんだよ!」

「まあ、生意気な狛犬ね! お洒落ヘアーにしてくれるわ!」

 もめる2人を眺めながら、誠はコマの言葉を反芻はんすうしていた。

 母も生前、同じような事を言っていたからだ。

『その神様はね、自分が辛い思いをしたのに、病気を治してくれたりする、凄く立派な神様なの。どんなに時代が流れても、そういうのって素敵よね』 

 そう言えば母は、よくこんな和歌わかを口ずさんでいたっけ。

 母の横顔を思い出しながら、誠はつい思い出のままに口にしてしまう。

 まきばしら たてしこころをうごかすな 世には嵐のふきすさむとも

 普通はいきなりこんな和歌わかを口走るとギョッとされると思うが、鶴は戦国時代の人間なので、まったく全然驚きもしない。

 コマの鬣を七三に分けながら、鶴は目を輝かせた。

「まあ素敵、私ほどじゃないけど、黒鷹の和歌うたもなかなかね」

「あ、いや俺のじゃないよ。明治天皇の和歌うただって母さんが言ってた。しんどくても志を曲げるなって意味らしいけど」

「……な、なるほど、みかどのお歌ね。やっぱり私のよりいいわ」

 鶴は誤魔化すように何度も頷いた。

「明治も凄い時代だったんだ。日本が無くなるかどうかの大ピンチでさ。それでも国中が一丸になって乗り越えたんだ」

「一度出来たのなら、きっと出来るわよ」

 鶴はコマの鬣をソフトクリーム状にし、鼻メガネをかけさせながら同意する。コマも段々気に入ってきたのか、鏡を見ながら満足げである。



「昔から、苦難はたくさんあったと思うの。でも何度でも復興してきたでしょ? だからみんなで力を合わせれば、きっとまた素敵な世になるわよ」

「そうなったらいいんだけどな」

 誠は素直に頷いた。

「……正直この10年、死に物狂いで戦っても、何も変わってない気がしてたし」

 鶴はそこでドヤ顔で呟く。

「……砂頭さとうに、しおが満ちるがごとくよ」

「さ、砂糖に塩??」

 誠は若干混乱したが、コマが『砂頭に潮』と書いた紙を差し出したので納得した。

「砂浜を眺めてるとね、波が何度も何度も押し戻されて、物凄くじれったいけど、いつの間にかしおは満ちるでしょう? 生きるのもそれと同じよ。小さな勇気が積み重なって、もがいた分だけ力になって。後戻りしたように見えても、きっと幸せに近付いてるのよ…………まあっ、これ私、すんばらしくいい事言ってるわ。後で鶴姫語録に入れておいてね?」

 鶴は大変満足そうに胸を張っている。

 普段ならツッコミの1つも入れる誠だったが、今は素直に同意したくなった。

「ヒメ子が言うなら、きっとそうなんだろうな」

 誠が頷いたその時。

 鶴にされるがままだったたコマが、不意にその身を起こした。

 ぶるぶると体をふるって鬣をほどくと、鶴の顔を見上げる。

「……ねえ鶴」

「ありがとうコマ。分かってるわ」

 鶴は頷き、コマを肩に乗せて立ち上がった。

「黒鷹、裏から近付いて来てる。悪意がはっきり向いてるから、狙いはここね」

「数は?」

 誠は尋ねながら、机の引き出しを指紋認証で開けてハンドガンを取り出す。弾薬の有無と属性添加機の起動を確認し、腰のベルトに装着した。

「悪意の数は1つだけ。割といきなり現れたから、転移して来たかも」

「機体に被害を出したくない。外で迎え撃つか……いや、避難してる人が危険になるな」

「機体とかは鶴の術で守れるよ。ねえ鶴」

「やってみるわ」

 鶴が胸の前で手を合わせると、室内にあった無数の機材は、青い光に包まれた。

 階段を降りると、機体も同じように青い光に包まれている。

 これなら多少暴れても問題なさそうだ。

 誠は小型の通信端末を取り出し、語りかける。

「カノン、休んでる所悪い。聞こえ……」

「聞こえてるわ。増援? 武装は?」

 カノンは眠れていなかったのか、すぐに応答してくれた。誠の声のトーンで、瞬時に用件を察してくれたらしい。

「早いな、助かる。敵襲の疑い、相手は今のところ1人、裏手から格納庫に近付いてる。携行武器は不明だけど、一般避難者の退避準備もしてもらってくれ」

「了解、無茶しないでよ。ちょっとこのみ、放して。あたしは鳴っちじゃない、寝ぼけてんじゃないのっ!」

 カノンはそう言って通信を切った。
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