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第一章その4 ~さあ復活だ~ 懐かしきふるさとの味編

私の弟子に何をしている?

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「さあ岩凪姫様、そろそろ頃合ですぜ」

「うむ。ちょっと待て、今飲み終わるから」

 岩凪姫は杯を傾けて酒を飲み干すと、設けられた壇上へと昇った。

「皆、かしこまらないでいいから、そのままで聞いて欲しい。10年ぶりの宴はどうだっただろうか」

 一同は、突然現れた見慣れぬ女神に戸惑ったが、恐らく偉い人だと思ったのだろう。大人しく話を聞いてくれた。

「いつもこうとはいかないが、今日は特別だ。皆が生まれ育ったこの国の幸は、これから先を戦い抜くための勇気をくれるはずだ」

 女神は更に言葉を続ける。

「この10年、皆には辛い思いをさせてしまった。泣きたい事もあったろう。投げ出したい事も多々あっただろう。それでも人の心を捨てず、よくぞここまで耐えてくれた。お前達は私の誇りだし、私はここに宣言しよう。お前達が積み重ねた時間は、決して無駄では無かったと。今こそ反撃の時なのだし、本当にもう少しなのだ」

 人々の中には、俯いて涙を流す人もいた。きっと長い苦難の時を思い出しているのだろう。

「私はお前達を見捨てぬし、この身が消えるその時まで、お前達と共に戦う。だから最後の勇気を振り絞って、この未曾有の大災害に決着をつけようではないか。明けない夜はないのだし、日はまたいつか昇るのだから」

 人々は知らず知らずに拍手を送っていた。

 手に容器を持っているので、少し遠慮気味の拍手だったが、無数の鳩が羽ばたくようなその音は、目に見えぬ幸運が一斉に舞い込んで来るような……そんな吉兆のように誠には思えた。

 鶴は壇上を見上げ、しきりに感心している。

「流石はナギっぺね。締めるところは締めるものだわ」

「…………ああ」

 誠も素直に頷いた。

 あの女神の元で、そしてこの鶴と一緒なら、本当に日本を取り戻せるかもしれない。遠い幻かと思っていた微かな希望が、今は目の前にあるように感じられた。

 ……だがその時だった。

 会場の端で、不意に悲鳴が上がったのだ。悲鳴は次々に繋がり、人々は恐れるように広場の左右に分かれていく。

「ヒメ子はここにいてくれ。この後、壇上に上がる段取りだろ」

「でも黒鷹」

「頼む」

 誠がそう言って人々の前に出ると、そこには特務隊のパイロットの一団がいたのだ。

 先頭はやはりあの不是である。相変わらず粗暴な態度で人々を押し退け、広場の中心に進んで来る。

 行く手を塞ぐ出店が蹴飛ばされ、調理器具が音を立てて地面に落ちた。

 誠が不是の前に立ち塞がると、不是も気付いて足を止めた。忌々しそうに眉をしかめ、尖った言葉を投げかけてくる。

「……おい出来損ない。何だこりゃ、一体何のバカ騒ぎなんだよ」

「単なる宴会だ。上の許可はちゃんと取ってる」

「ああ? 俺らは聞いてないってんだよ」

 不是は足早に近寄ると、鋭い膝蹴りを見舞ってきた。

 周囲に悲鳴が上がり、誠はよろめいた。

 本当を言うと、避けられないわけではない。避けると後で面倒になるから、敢えて受けてきただけだ。

 ただ今回は、誠も虫の居所が悪かった。皆の楽しい時間を邪魔された怒りで、瞬間的に攻撃を見切り、威力のほとんどを受け流したのだ。

 手ごたえの浅さを感じ取ったのか、不是は余計に怒り狂った。

「こいつ、手向かいしやがって! そもそも船団長は蛭間のおっさんだろ、何シカトしてくれてんだ?」

「ちょっと、いい加減にしなさいよ!」

 見かねたカノンが駆け寄るが、そこで再び例の3人組が立ちはだかった。

 長髪をオールバックにした先頭の少女は、申し訳なさそうにカノンにささやく。

「……悪く思わないでね、こっちも生活かかってんの。すぐ終わるからさ」

 不是はなおも誠に歩み寄る。

「弱い連中ばっか集めて、お山の大将やってんじゃねえぞ! いつまでもままごとやってる腰抜けがよ!」

 不是はそこで右の拳で殴り付けた。

 誠は今度は避けず、まともに受けた。再び人々から悲鳴が上がる。

 倒れ込んだ誠の髪を掴み、不是は力任せに引き起こした。

「分かったらさっさと撤収しろ。バカ騒ぎはこれで終わり……」

 不是はそこまで言って、弾けるように振り返った。

「うおっ!?」

 いつの間にか女神が近寄り、彼を見下ろしていたのだ。

「…………小僧。貴様一体何をしている?」

 不是は本能的な恐怖を感じて誠を放し、後ずさった。

「答えろ。私の弟子に何をしていると聞いておるのだ」

「……っ」

「どうした、その頭に付いているのは口ではないのか。返事が出来ぬ無用な口は、天宇受賣あめのうずめ殿に切り落とされたと聞くぞ? 3秒以内に答えろ、1、」

「……こ、これは教育だぜ」

 不是はたじろぎながらも答えたのだが。

「言うに事欠いて教育だと!? 馬鹿も休み休み言え!!」

「ぐっ……!」

 女神の怒声にひるむ不是だったが、それでも何とか言葉を返す。

「……な、何が悪いってんだよ。生きるなら蹴落とすんだ、弱い連中集めてお遊戯してる方がおかしいんだろうが……!」

「では聞くぞ。皆があらゆる手を使って殺し合った時、お前は今と同じ地位を得られるのだな? お前より強い者が、全ての善意を捨てて襲って来ても、お前は後悔しないのだな?」

 女神は右手を前に突き出し、不是は思わず飛び退すさった。先ほどまでの余裕は微塵も無く、冷や汗が額のあちこちに滲んでいる。

「それ見たことか。やったもの勝ちというが、それはお前を倒せる者が、そうしないからほざける事。貴様は自分より強い者に守られ、見逃されているだけなのだ」

「う、うるせえよ……! 強ぇからって見下しやがって……」

「……見下す? よく言う、自ら地べたに寝ておいて」

 女神は少し嘲笑うように言った。

「虚勢で誤魔化せるのは人だけだ、私はお前のこころを見ている。怖い怖いと泣き叫び、歩こうともせぬ駄々っ子め」

「しっ、知らねえよっ、うるせえよ!! 俺らはガキの時からそうだったんだ、今更あの地獄が嘘でしたなんて、」

「いい加減にしろ、この愚物がっ!!!」

 女神の怒声は城郭全体を揺らし、その場にいた者の全身を叩いた。

「ちょ、ちょっと……ヤバイよこいつ、もうやめようよ……!」

 恋人らしき女が不是の腕を引っ張るが、鳳が刀を手に歩み寄った。

「無理ですよ、術で足を縛りました。引き千切りでもせぬ限り動けませんが……何ならお斬りしましょうか?」

「な、何なのよ、こいつら……」

 女は震えて不是にしがみついた。



 女神は怒りを込めたげんを続ける。

「はっきり言う。貴様の知る薄ら甘い地獄など、本当の闇は軽々と超えて来る。地の底で封じられているあ奴らが、この世に這い出たら何をするか。それを知ったら、お前は尻尾を巻いて逃げ帰るだろう」

 女神はそこでついと手を振った。

 光が虚空に輝いて、不是の足元の地面に宿る。不是は足が動くようになったのか、ふらふらと後ずさった。

「貴様らの悪事はいずれ裁かれる。分かったら早々に立ち去れ!」

 しばし呆然としていた特務隊の一同だったが、やがて1人、2人ときびすをかえし、我先に逃げ帰っていった。

 人々はせきを切ったように歓声をあげるが、女神はその場に取り残された特務隊の3人に目を向ける。

「お前達の性根は違うようだな。悪い事は言わぬ。早く縁を切るがいい」

「……そ、そうも……いきませんので」

 後ろに立つ2人を庇うように前に出ると、長髪をオールバックにした少女が引きつった顔で答えた。

「あたしらだけの生活じゃないし、それなりに恩義もあるので」

 女神はしばらく少女を見つめていたが、やがてこう告げた。

「そうか、だが覚えておけ。いかな恩義も、不義で打ち消される日は必ず来る。その時、舵取りを誤らぬようにな」

 3人はしばし戸惑っていたが、やがてその場を後にしたのだ。
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