上 下
4 / 117
第一章その1 ~始めよう日本奪還~ 少年たちの苦難編

聖者様はストライキ中 1

しおりを挟む


(まずい。今日という今日は本当にまずいぞ……!)

 灼熱の岩場にお座りをしたまま、狛犬のコマは焦っていた。場所はかの有名な血の池地獄である。

 今は子犬ぐらいの大きさであるコマは、大量の冷や汗を流しながら、目の前の2人を交互に眺めた。

 1人目の女性は、日本神話の女神である。

 人間に当てはめれば、20代後半ぐらいの印象だろう。やや切れ長で鋭い目元。長く伸ばした真っ直ぐな黒髪。長身ですらりとした体つきだったが、全身から尋常ならざる霊気が立ち昇っている。

 今は不機嫌そうなこの女神、本来は磐長姫いわながひめというのだが、最近ではなぜか岩凪姫いわなぎひめと名を変えていた。

 対して女神の視線の先には、歳の頃16、7ぐらいの少女がいる。

 空色の着物に、時代錯誤な鎧姿。肩に届かぬセミロングの黒髪と、きりりと締めた白いハチマキ。

 名を大祝おおほうり鶴姫つるひめというこの少女、かつては水軍を率いて故郷を救った英傑えいけつなのだが……500年もの長きにわたり、地獄の血の池に引きこもっているのだ。

 なお血の池とは言うものの、実際は血ではなく赤いお湯であり、地獄の開設当初は地味な温浴施設であった。拷問する鬼も、茹でられる罪人達もやる気が無く、場末の銭湯でたわむれる程度の迫力しか無かったのだ。

 それが第12期の刑務官である鬼才・鬼山鬼三郎おにやまきさぶろうの発案で大規模な岩風呂に改修され、非常に有名な地獄となった。

 岩場に巻き上がる水しぶき、身振り手振りでアピールする罪人。そして赤いライトアップで見得を切る、鬼達の迫真の表情。

 鬼も罪人も溌剌はつらつと日々を過ごし、その様は毎月発行される地獄ジャーナルの表紙を、たびたび飾る程であった。

 にも拘わらず、周囲に佇む鬼達が妙に大人しいのは、鶴がここに来た際にボコボコにされたからだ。

 以来500年間、血の池は静かでマナーの良い湯治場とうじばと化していた。

 もちろん霊界としてもこの事態は好ましくなく、生前に鶴の相棒だったコマが説得を続けてきたのだが…………本日とうとう、コマの上司である岩凪姫が地獄に出向き、鶴と対峙しているのだった。

 もしこの期に及んで女神の言う事を聞かなければ、どんなお仕置きがあるか分からない。

 だからコマは焦っていた。女神の沸点を超える前に、なんとかこの主人を説得せねばならないのだ。

「あの、あのさ鶴。ずっと言ってきたけど、そろそろ地獄から出ようよ」

「……」

 鶴は項垂れたまま動かない。

 コマは内心焦ったが、気を取り直して鶴の傍まで近寄り、辛抱強く語りかけた。

「いやね鶴、君の気持ちはよく分かるよ。あんなに頑張って戦った挙げ句、1人ぼっちになったんだもの。分かる、ほんとに分かるよ」

 しきりに説得を試みるコマだったが、その時ふと女神が言った。

「………………もうよい、コマ。もう分かった。そろそろ私がけじめをつけよう」

「っっっ!!?」

 コマは思わずぎくりとした。

 振り返ると、女神は静かに鶴を見据えている。

 コマは震える声で尋ねた。

「い、いいい、岩凪姫様? けじめとは、一体」

「けじめはけじめだ。お前はそこでじっとしていろ」

 コマは仕方なく鶴の無事を天に祈った。

 女神は鶴に近寄り、屈みこむと、おもむろに口を開いた。

「……最後にもう一度聞くぞ。どうしても現世を守りに行かないのか」

「…………」

 鶴はやはり答えない。

「大勢困っているのだぞ。皆がお前を待っているのに、どうして出向いてやらないのだ」

「……もう嫌。もう疲れたから」

 鶴は蚊の鳴くような声で答えた。

「……戦ったり守ったり、もう疲れたの。私の魂を消すならそうして。お願い」

「…………そうか。ならば仕方ない」

 女神はそう言うと、人差し指を鶴のこめかみに当てる。

「い、岩凪姫様!」

 コマが思わず声を上げるが、鶴は全く動じなかった。

 女神はしばし、無言で鶴を見つめていたのだが。

「………………まったく、このいじけ虫め。誰に似たんだろう」

 呆れたようにそう言うと、女神はふいに表情を緩めた。こめかみに当てた指を離し、出来るだけ優しい声で言った。

「……黒鷹に、会えるんだよ?」

「!!!」

 その瞬間、鶴はびくっとなって顔を上げた。今しがた耳にした言葉が信じられないようで、不思議そうに女神を見つめる。

 女神は頷いて言葉を続けた。

「本来聖者……つまり神人しんじんは、私的な理由で出撃出来ぬのだが……今回だけは教えてやる。黒鷹の魂は現世にあるのだ」

「ほ、ほんとっ!?」

 女神の言葉に、鶴はいきなり立ち上がった。竜を象った注ぎ口が頭突きでへし折られ、凄まじい勢いでかっ飛んで行く。

 風呂番の鬼が、「また修理費が!」と叫んでいるが、鶴は全く気に留めない。

「どうして!? 天国も地獄も、どこにも見かけなかったのに!」

「知りたいか?」

「知りたい知りたい、超知りたい!」
 
 鶴はたちどころに元気になっていく。顔にはみるみる血の気が戻って、周囲には物凄い霊力が渦巻き始めた。

「ほう、だとしたら、それが物を頼む態度なのか? んん?」

 女神がにやにやしながら言うので、鶴はうう、とうなっていたが、やがてぺこりと頭を下げた。

「……あの、ナギっぺ、今までごめんなさい。後生ごしょうだから教えて下さい」

「よし、それではこれを見るがいい」

 女神が指を鳴らすと、傍らに霊界テレビモニターが現れた。画面には、1人の少年の姿が映っている。

 歳は鶴と同じくらいだろうか。やや細身で、真剣な表情は若武者のように凛々しかった。服装は未来のもので、戦闘用の防護服パイロットスーツだ。

「はわわ、まっこと、まごう事なき黒鷹だわ。今生こんじょうはあまり日に焼けてないけど、それはそれで鶴ちゃん好みの感じなんだわ!」

 鶴は画面を食い入るように見つめ、頬を両手で押さえてぴょんぴょん跳ねた。目を潤ませ、懸命に女神に問いかけている。

「お願い、教えて! 黒鷹はどこにいるの?」

「中四国を統括する、第5船団という組織にいる。今生こんじょうの名は鳴瀬誠なるせまこと。生真面目な性格だから、ろくに霊界におらず、Uターンで転生していたのだろう」

「むむむ、だから見つからなかったのね! さすがは黒鷹、日の本一の芸達者げいたっしゃだわ!」

 鶴は慌てて湯船から飛び上がると、いそいそと身支度を始めた。

 風呂敷に詰め込むのは、鬼がご機嫌取りにくれた地獄まんじゅうや、虎柄の小物類。そして霊界入浴剤・『血の池地獄のもと』などなど。

 もちろん納得出来ないのはコマである。今までの苦労も相まって、コマはつい意地悪な事を言ってしまう。

「ちょっと鶴、僕があれだけ説得してたのに、いきなりそれはないんじゃないの。それに君は死んだから、もう体は無いじゃないか」

「か、体……? そうだわ!」

 コマの言葉に鶴は固まり、再び泣きそうな顔になった。頭をポカポカ叩きながら後悔を始めたが、勿論叩かれるのはコマである。

「どうしよう、こんな事ならあの時体を取っとけばよかった! あたしのバカ、連帯責任でコマもバカ! むしろ6―4ろくよんでコマの方が大バカあっ!」

「いてて、なんでそんな時だけ僕の責任に!?」

 だがそこで、もめる2人に女神が言った。

「心配するな、お前の体は滅びてない。私が保管して、時忘れの術をかけてあるのだ」

「ほんと!? さすがナギっぺ、美人、怪力、大酒飲みっ! いつか何かしでかすとは思ってたのよ!」

 コマと取っ組み合う手を止め、鶴は目を輝かせた。どこから取り出したのか太鼓を打ち鳴らし、紙吹雪を盛大に撒き散らす。

 女神は肩をすくめ、釘を刺すように話を続けた。

「一つ言っておくが、ただで体をやるのではないぞ。えい、ほら貝を吹くな、やかましい。今までコマが説明してきたと思うが、日の本の国が、かなりの危機に陥っているのだ…………ほら貝。2度言わすなよ? 天界としては聖者を差し向けたいが、赤子から育てる時間がない。体を保存してあるお前なら、10年程でパワーアップが可能だったから、行って何とかして来いというわけだ」

 女神は右手を一振りすると、先程の画面をさらに巨大化させた。黒板ぐらいの大きさになった画面には、『修正第15版 聖者出撃の手引き』と表示された。

 かなり安っぽいテロップだが、これは神々が聖者を差し向ける際、必ず見せる映像教材なのだ。
しおりを挟む

処理中です...