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KeiSenyo

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6 価値以前の価値

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「そうではない。」
 ユスフルの前にはきんがありました。教師のごつごつしい手の平に乗せられた粒の揃った金は、きらめき、こちらを誘惑するような輝きに見えました。
「この金がどこから産出されるかということが問題なんだ。勿論これは採掘される。鉱山から採れる。だが、人間の体からも、これは採れるんだ。どうしてだか分かるか?さっき、ユスフルはこの金が人のものだとはどうしても思えないと言ったな。そうではない。これは人のものなんだ。」
 けばけばした色の髪の少年の目の前にいるのは腕まくりした六十代の大男でした。彼は治療師でした。しかし鉱山の発掘をしていた経験があり、今でも、つるはしを使います。
 大男は咳き込みました。二人は今、都の市場に出ていて、そこで魔法学校の二年目の授業をしていました。
「この金は流通をしている。つまり、価値がある。人間はこの価値と生産物を見比べて、どのくらいの金が、人の手によってつくられた物と釣り合い、妥当な値であるのかをうかがう。高いものか安いものか、そうした基準が、この金の介入によってつくられる。ユスフルの言う通り、そういった意味では金は人のものではない。ただの価値基準だし、ただの交換物だ。だが、実際それと交換できるものが多くあれば、つまりものの価値の上位にこの金が鎮座するように見られれば、人間はこれを
 所有物と見做す。」
 ユスフルは息を呑みました。金本位制の経済は彼の故郷でも成り立っています。どうしても人はこれを集めたくて仕方がなくなるというのも知っています。しかし、彼は目の前の作物と金の粒を、なぜかどうしても等価だとは思えませんでした。故郷でもそんな気持ちになることはなかった彼は、自分のそうした感覚に密かに驚いてもいました。学校で魔法に関するいろんな授業を受けてきたからこそ育ってきた感覚なのかもしれませんが、何か、同じ価値とされる作物と金の粒を見比べて、そこに人間の邪まな意識が差し挟まれているような気がしたのです。
「金は、ものの交換物として古くからある。だが、人はそのような交換物を、昔から他にもいくつかつくり出してきた。古代ではそれは石でできた巨大な輪だったし、それが紙幣だった頃もある。紙幣とはつまり、紋章を刻印した紙あるいは薄い皮膜で、これが価値の代わりであると国が定めたものだ。いいかい?この金は、どんなに小さくても価値がある。小さくても集めて目方を量って、これより一回り大柄なやつと同じ重さになれば、砂糖十箱とも交換ができる。そうここの市場では定められているからね。
 しかしそのような制度があって、たくさんの人間がこれに価値があると認めることによって、金と物との交換が成り立つ。つまり、その制度を考えたこと自体、あるいは金の価値を多くの人間が認めたということ自体、そのどちらも、人間が介入してということが肝心だ。
 人は金に、操られやすい。これがために身を破滅した者は大分いる。俺の鉱山仲間にもいたからな。採ったやつを着服して、つまりは採掘した金をそのまんま雇い主に預けるのではなく、ごまかして持って、給料以上に大分溜め込んで、そいつは遊興につぎ込んだ。そして遊ぶために、もっともっとその金が欲しくなった。生活をするためじゃない、遊ぶためだ。そいつはより採った金の量をごまかすようになった。それがバレて雇い主に袋叩きに遭った。もうそいつは鉱山に入れなくなった。
 周りから信用を失い、奴はそこから出ていった。
 奴は魔法に操られていない。だが、自分から生み出したに掛かったとは言える。人が、高い価値に感じるものと遭遇した時、人は自分自身にそうした力を働き掛けることがある。欲しくて欲しくて仕方がなくなる。欲しい感情を、繰り返す。繰り返すと
 それは実現する。ただし、犠牲を伴ってだ。
 もしユスフルがさっき言った通り、金は人のものではない、などと言えるのだとすれば、。さっきは俺も『それは違う。』と言ったが、もしかしたら、そう言えるものかもしれないな。」

「農夫以外の職人は自信がないのさ。だって食物を作ること以上に人のためになることをしていないからね。」
 静かにこう話すのは、季節にかかわらず衣服を着込む教師でした。
「だからかえって自分の仕事に打ち込むということはある。彼らは特殊な技能の持ち主だから、その技を極めんと色々努力する。農夫たちはそんなことはしない。適切な土壌に、種を撒けば作物はできるし、あとは適量の水を撒き、雑草を抜くなど手入れすればいいからね。その中にも例外はあるけど。」
 その教師は温和な顔をしていますが、時折底冷えのする表情にその顔は変わりました。
「彼らは大勢の人間が是非にと欲しがる物を製作するしかない。そうしないと売れないからね。売る、ということは、彼らがつくった物の代替物として金をもらう、ということだ。その金で彼らはまた様々な物と交換する。しかし物だけだ。その金と交換できるものは。だがこれが人間となったことがある。人も売り物となることがある。つまり、奴隷だ。
 実に様々なものが売り物となる。性的な行為すらそうなる。それは、誰もが是非にも欲しいと思うものだから。ある程度器量のいい人間なら、男でも女でも皆ある程度の金と交換物になるさ。そうした行為と
 俺たちの行為は何が違うのか。職人たちはそう思ったこともある。彼らは本質的には人を慰める物を作っているからね。
 彼らは物語を求めた。どこかの立派な王様が、自分たちのこしらえた物を好んで、きらびやかな王宮を飾った、といったような。彼らは権威に頼るしかなかった。彼らは護られなければ自分たちの仕事を全うできなかった。それは野盗なんかに奪われたり、壊されたりしたからね。
 そして、今、ここには職人たちの楽園と言われる場所が出来上がっている。彼らは皆自信を持っていて、自分自身を誇りに思っている。どうしてだか分かるかい?」
 ユスフルはこの教師の言っていることにはうんざりする感じを覚えました。その教師の言葉の出所といったものが読めないからでした。
「彼らは自分がいい物を作っていることを知っている。いい物とは、単純にきらびやかであるとか、高級に見えるとかいうものじゃない。高価なもの、でもない。そこに人の魂が眠るかどうか、己の技術の粋をどこまで打ち込むことができたか、ということだ。彼らは売るためにそれを製作していない。彼らはこの都市で職人として働くためにその技を披露している。その技術が時折変な方向に行ったり、間違ったりすることはある。だが、それをこの都の人々は面白がる。
 それこそ新しい物語。花のある歌になる。
 人々は笑い話が好きなのだ。勇気ある戦争の歌なんかもよく聴くがね、戦争は、基本的に田畑を荒廃し人の命を奪う、生活を損なう愚かな行為だ。勝つことは負けることに等しい。犠牲を伴う新しい魔法が誕生するからだ。
 それでも人はその魔法に煽られ、幾度となくその感触を楽しもうとすることすらある。私にはまったく分からない。
 農夫たちは惜しみなくティヌヴァルの職人には金を払う。彼らは自分たちの畑でできたものの価値を知っている。それが、どれだけ人間の命に潤いを与えるかを。空腹もままならない人間は容易に盗みを働く。盗んだとて
 盗まれた相手が彼と同じように貧困でなお空腹で倒れるかもしれないことを、気にしていられない。
 人に必要なのは充足した食料と居場所、そして人なのだ。食物がある所に人は集まってくる。ここだって豊かな土壌がなければ職人たちも集まってはこなかった。職人たちの技術の努力が
 彼らの作り出した作物によって可能となっていることを、農夫たちはよく分かっているのだ。」

 ユスフルは価値というものを勉強していました。それは魔法によって繰り返されうるからです。魔法は人が価値を認めたものに対して発動しやすく、そのためにそれは我が身を破滅しかねない恐ろしい力だったのだと
 当時の人々はよく知るに足る歴史がありました。
 価値の授業は複数の教師たちによって教鞭が取られました。いいえ正しくは教師役を受け持った都の治療師たちがそれを担当していました。治療師たちにはそれぞれに様々な出自がありました。ミスタチのように人生の半ばからこれを志した、全く別の職業から移ってきた者もざらにいました。ミスタチが受け持ったことのある教え子の中にも、四十代、五十代の者たちがいました。そのどの生徒たちも各々の仕事でそれなりの経験を積んでいましたが、なおも仕事を変えて、治療師になるだけの魅力がこの職業にはありました。こうして以前まったく別の仕事をしていた者たちが、価値の授業の教師役になるのです。
 元商売人の治療師の場合は話が明快でした。売り買いを生業とする彼らにとって価値は、人がつくるもの。人は自らつくり出した価値にならって、行動するということに商売人は従う。だが明確に決まった価値などない。それはわずかにも大きくも、常に動くものだから、絶対的に当てにはできない。交渉次第で物の値は吊り上る。また、貶められてしまうものだから。動かぬ価値などはない。
 価値とは交換物である。例えば、母親などを交換物に差し出すだろうか?我が子を、あるいは恋人を。自分自身を。たまにそういう例もあってしまうが、価値は、。交換できないものは値が付かない。
 商人はそういうものしか相手にできない。つまり、流動的な価値をつくり出す、人がいなければこの職業は成り立たない。儲けるということは、その常に動き回る価値を溜め込むことだ。……魔法というものを勉強すると、いかに価値が流動的か分かってくる。価値は、人間がつくりしものだが、それは逆に人を囚え出す。そして、骸にする。人間はその価値のために自分が生きたと思い込みたいようだ。交換物であるにもかかわらず。
 ユスフルはこの元商人の言葉にも抵抗を覚えましたが、納得するところもありました。価値は、人間がつくったものだが、それに逆に囚われるというところです。

 ものの値、価値という問題は、考えれば考えるほど分かってこなくなるものがありました。その意味の概念は、実は広く、各々の教師はその意味を狭めて生徒たちに例題を出していました。魔法によって繰り返されうる最も気を付けなければならない人間の心理を、彼らは提示していたのです。しかし実のところ「価値」なるものの意味は、定義されていませんでした。「無上の価値」あるいは「永遠の価値」などという表現もあるのです。もうそれは流動的なものではなく、固定化された価値として認識されます。人間はどれだけそのような「動かぬ価値」に、流動的ではない本物の価値に、本当は囲まれているのか。それが、実はこの授業を受けて生徒たちが最初に気づくべき感覚でした。
 日常の中で、包丁や俎板、ほうきや玄翁など、繰り返し使用される道具。人間が生まれた時から目にしていた、家の中の部屋の間取り。小さな頃からよく口に運んだ、ごろごろとした芋やシャキシャキの菜っ葉などの野菜。そうしたものは、交換しうるもの、つまりは購入されたものであるにもかかわらず、その価値、値段とは別の、まったく異なる価値を付随されるのです。物は、あくまで人の傍にありました。それは、取り交わされたり、捨てられたりするものであっても
 ちゃんとそこに人が関わったという証拠が残るのです。ミスタチは以前この授業を担当した時、生徒たちにこのように教えています。魔法以前の魔法、つまりは感情の囚われがあるように、価値にはそれ以前の価値というものがあって、それは人間がものに、身の回りにある存在に、働きかけているということだと。ものにいろんな価値を認める前に、人は、ものにそれぞれの関わり方でもって、関係している。
 この物たちに人が所有した記憶を認め、その記憶を見よう(サイコメトリー)という魔法を探求している集団があります。彼らは都の所属ではありませんが、都から、治療師たちがわざわざ彼らの知見を知りに教えを請いに出向くことがあります。物に取り憑いた記憶というものが、患者の魔法を解く鍵になることがよくあったからです。
 価値とは流動的である……それはその通りで、人間の体に不可侵の領域を
 それは設けます。
 価値とは流動的である……それはその通りで
 人の中にそれは或る流れのない流れをつくります。
 囚われるということに人は慣れていません。周りの人間のほとんどが或るものに価値があると思えばそれは価値があり
 それに価値がないと思えばそれには価値はなく
 人はそれ以上の事をあまり考えたがりません。どれだけの悲劇がそこにもうけられても
 振り返りはしません。魔法以前の魔法が
 そこでは掛けられたのです。そして人は愚かだと
 誰もが考えるものでしたが、いつか、
 それは笑いになるものでした。



「過去が笑う?」
 イアリオはそう呟きました。



 魔法の治療に当たる時、治療師は嫌でもその歪な力の現実を目の当たりにします。そして、そこに本人ばかりではなく、周りの者たちも癒せないものを見つけ出します。それこそ実はこの仕事の充実で
 人間の不可思議を目に留めることでした。
 ユスフルは一年を、その後さらに二年を通して魔法学校の授業を受けました。学生たちの出自は様々でしたが、彼らの大抵は治療師たちの魔法を癒す技をじかに見て、いくらか衝撃を覚え、新しくその仕事を志すようになって入学してくる者たちでした。ユスフルもまたそのうちの一人に数えられました。彼は都への道中に何度も
 ミスタチの治療の技をじっくりと見る機会に恵まれ、その技の真髄は、人に寄り添い患者自身が(そして治療者自身が)自分を知っていく過程だということを感じていました。
 ティヌヴァルにおける魔法学の基礎授業は、三年を経て終わります。その後、生徒たちには数々の実践の場が用意され、実際に魔法を掛けること、そして魔法を癒す(解除する)ことを経たのちに、一人前の使と認定されます。ですが彼らが治療師として方々で活躍できるのはもう少し先のことになります。ティヌヴァルで言わば使とは、魔法の扱いとその知恵とに長けた者を指す苗字に留まるものでした。ですから魔法を使えるようになるということが、その目標ではないのです。魔法なら誰でも使えるのですから、その使用を意図的にできるようになること、あるいは他人からそれを仕掛けられても反撃ができる、無効にできる存在が、使と称される人々でした。戦になれば彼らの協力なくして勝利はできず、また魔法によって社会機構が支えられている国ならば、彼らの存在は必須でした。ティヌヴァル出身の魔法使い(治療師も含む)たちも、他の国から呼びかけを受けたり、都で追求されているものとは別の魔法学を探求している者から、同門に誘われたりすることがあります。ですが自らそういった勧誘に乗る者はごく少数でした。
 さて、三年に及ぶ魔法の基礎学を終えた者たちは、都外へ行くことを促されます。まずはじめに彼らはひとつの課題を課されます。それは、魔法を使うことなく魔法を使うことでした。その意味を噛み砕けば、都にも掛かる魔法無効化の場を、都の外で、自分ひとりの力で作り、その中で、(彼ら自身がいつか何かに掛けたことがある)魔法を掛けてみる、ということでした。基礎学を終えた者なら(そして魔法を掛けたことがあり、また掛けられたことのある者なら)誰もができるようになるはずの課題でしたが、人によっては成功するまでに数年かかる場合もある、なかなかの難題でした。生徒たちは都外ならどこへでも行ってよく、中には実家に戻りそこでチャレンジする者もいましたが、そのほとんどが、ティヌヴァルから北に行き、南大陸の広大な内湾に浮かぶ諸島でこの課題と向き合いました。そこには大陸中によく知られた魔法基地がありました。言葉による魔法学を大成している所で、都では発動されない魔法を、現実に発動させて調べる、探求の徒たちの本拠地でした。
 ユスフルはここに向かうことをわくわくしていました。というのも、基礎学の授業において自分が発動させてしまった魔法と、自分に向けて掛けられた魔法の、二つの性質をよくよく教えられていたからです。ラヌケの授業にて行われた、「明日」「昨日」という言葉で刺激されたような体の内側の巡りを辿ることで、それは思い出され、かつて実現した魔法ならばある程度の再現が可能でした。そして思い出すうちは、ティヌヴァルの内側であれば安全にそれを振り返ることができました。都の中では思い出すだけが可能でした。その記憶が、ぐるぐると渦を巻きどこかで繰り返されることで、魔法が掛けられうる手前の状態が再構成されるのです。
 しかし彼らは安全に思い出すことができたといっても、その魔法が強力であったならそうあるほど、思い出すこと自体がつらくなりました。教師たちはいかにそのつらさを向き合いながら、それを直視するか、生徒たちに教えます。この学び舎で育まれたその姿勢は、そのまま治療師としての仕事にもつながるものでした。
 ユスフルはミスタチとの旅の途上、両腕を火に焼け焦げた男性と出会ったことがありました。その家族が、どうしても彼の自分に掛けた魔法を解いてもらいたいと依頼してきたのでした。つまり、彼は幾度も自分の腕を火にくべてしまうという、痛ましい魔法に掛かっていたのです。話を聞いてみると、その男は自分に魔法が掛かったという意識がありながらも、その魔法の掛かった最初から火傷を負うことになったのではなく、まず両腕の感覚を失くしたといいます。何をしても手に感覚が戻らないので、何とかして、そこに痛みでもいいから蘇らせようとして火傷を負ったというのです。彼は大変なことをしているという意識はありませんでした。ただ感覚を取り戻したい、それだけだったと、彼は話しました。
 家族からしたら異常な自傷行為にしかそれは見えませんでしたが、身体の一部の感覚がなくなるということは、魔法に拠らずとも普通の(とは言っても特殊な)病によって起こりうることがあります。何らかの原因で神経が行き届かなくなり、その部分の痛覚が働かなくなるという。ですが、彼の場合は魔法が原因でした。彼は
 腕に温かみを感じなくなった雛鳥を乗せたのです。死にゆく者の体をそこで味わったのです。だんだんと低下していく体温。今にも力尽きようとする小さな体躯。そして
 それを見ながら何もできない自分。彼は
 腕に妹を乗せたことがありました。その妹もまた同じような運命を辿りました。重い病に臥せって
 彼の腕の中で事切れたのです。
 妹の死までは彼は自分に魔法を掛けたことがありませんでした。しかし、雛鳥を介して同じ体験をした時彼は自分にそれを掛けたのです。その意味を。その悲壮を。その気持ちを。彼は再度味わい
 戻れなくなったのです。
 ミスタチはその家に三泊をし、彼の再生に働きかけました。繰り返し腕を水に浸けさせ、水の中でマッサージをしました。大丈夫、と言いながら。君の哀しみは君のものだ、と言いながら。
 彼は戻りませんでした。戻りませんでしたが、火で焦がすことはやめました。
 自分自身に魔法を掛けてしまう土地では、魔法を掛ける者と、掛けられる者は等しい人間でした。魔法学校の授業において、ユスフルは、自分が北の大陸で犯した魔法ではなくて、ミスタチが診た患者の内部で起きただろう変化を、探り、辿りました。彼にはそれがよく分かりました。なぜなら、ミスタチが患者の患部に触れる時、まるでその手から、光が押し出され患者の体を探るように温かく巡っていったのを観察していたからです。ミスタチがその時確実に、患者の何かを治したのを彼は目撃しました。
 彼はそれを思い出しました。その有様を自分の体の内部に辿りました。つまり、ミスタチが診た患者の身になったのです。そうして体の中を伝わっていった光の軌道を、再現してみたのです。最初のうちはそれで何かが分かると思っていました。診た患者の問題、そしてミスタチが実際何を治そうとしていたのかを。
 彼はこれを繰り返して
 突然自分の体に刻印された、まったく予期していなかった苦しみにぶつかりました。
 ミスタチが何を治そうとしたか分かったのです。それは、彼が概論の授業でも説明していた、魔法の根源たるものでした。繰り返されるもの。何度も再現されるもの。ユスフルは自分の体の中に、彼が受けたそれを発見したのです。彼は分かっているつもりでした。自分が生まれた時から誰かに生を再現されていたのを。彼はその原因が、その魔法がまさに今も髪に宿り、自分の毛の色を様々に変えていることに気がつきました。いいえ、その時までも、自分の髪が様々に変色しているのは、魔法に掛かってしまったことで起きていることは分かっていましたが
 彼の顔の形もそれは変えていました。そして、声の形もそれは変えていました。彼は
 彼に魔法を掛けた相手が死んだことを知っています。彼が頼んで、その相手を殺してもらったのです。ですが魔法は尽きていませんでした。現在も進行し続ける魔法を、。いいえこの力があるから
 彼は魔法の掛かる故郷の土地を出て行こうとしたのです。これがあるから
 色々な魔法の実現された彼の故里の有様を見て、その景色を愛でたいと感じたのです。これがあるから
 彼は、そこから出て行こうと一旦はしなかった。これがあるから彼は自分の魔法を使おうとして
 ミスタチの所にやって来ていた。今更見つけるまでもなくそれはずっと彼を後ろから追いかけ続け、彼を苛み、彼を導いていたのです。その力。

 ユスフルは猛然とした顔つきになりました。その時の授業は感覚法を習うラヌケの教室でした。ラヌケはこの青年の顕著な変化に気づきました。彼女はさっとその手を握りました。

「忘れないで。」
 彼女は言いました。
「それが自業。人から掛けられたものではない。自分で掛けた、自分のわざだから。」

 なぜ?と彼は言いました。彼には分かりませんでした。それは他人に付けられた傷跡で、他人から寄越されたどうしようもない呪術なのです。

「それは自業。あなたが気もなく受け入れた刻印だから。あなたでなければ受けなかった災いだから。あなたはそれと共に生きることになったの。今までも、これからも。その自分を
 絶対に否定してはならない。」

 治療師たちは判っていました。患者の、魔法への向き合いが、そのまま患者自身の幸せになると。それを認めて初めて治療は終わるのだと。
 彼らは判っています。そしてそのような治療は難しいのだとも判っています。そして
 その生涯の内に治りうることもないことも知っています。

 彼らのそうした治療をあざ笑う者たちがいました。魔法によって治療するとはその上塗りであることを、認め、活用する者たちです。そうした者たちは積極的に魔法を使い、その犠牲と付き合いながら、快く現実を生きていこうとしました。そうした者たちの治療にあやかる患者もまた多く、むしろ昔からの伝統的な治療の技術は、この姿勢に貫かれていました。まだティヌヴァル発の治療法は新しく、この方針を受けつけぬ地方もあったのです。しかし、魔法が厄介な現実しかもたらさないという経験をそれまでの時代に人々は繰り返ししていました。魔法を扱う医者もどこか敬遠される風潮もまた、兆してきたのです。

 ユスフルは、人間には前世というものがある、という授業も受けました。それはクリスナルという教師の担当する暗記法の授業の中ででした。魔法学における基礎学は、いかに魔法が人間によって分析されてきたかを細やかに辿っていく教室でしたが、その重要性こそ都外にて課される難題を解く時に、生徒たちにははじめて理解されることでした。その中で、前世という概念も必要なものになってくるのですが、その概念を正しく認識するには、前提となる魔法学特有の、ものの見方がありました。
「ものの形というものは様々にある。それが動いていて、一定の形態を定めていなかったり、またはまったく動かない状態を保っていたりするのだが、どうして僕たちはそれらを、生きているもの、そうでないものに分けているのだろうか。生きているとは、動いていることだが、自立して動くか、そうでないかにもよる。風車は動き続けるが、自分で動いているわけじゃないだろう?これが重要なことなんだ。
 生き物の体は常に動いている。外部の形もそうだが、内部の形も常に変わっている。心臓が血液を送るし、その血液はずっと流れているからな。そして、生き物の形を認識する時、その全体を完璧にそのままつかむことはできない。一部と一部を、つなげるようにして観察することで、完璧な全体というものは浮かんでくる。よく考えてみよう。自分の手の指の一本一本を見てごらん。それぞれ形が違うだろう。隣の人間とも形状が違う。君は、その手の形が自分のものだとどれだけよく知ってるだろう?実際、ほとんど意識したことはないだろう。それは本当に無意識で使うものだからね。そしてまた、無意識に常に動かしてもいる。
 ものの形を完璧にそのまま把握することは大変なんだ。だから、芸術家は絵を描いたり、彫刻したり、粘土を捏ねたりする。ものの形を捉えようとするんだ。けれど、その絵なり塑像なりも対象をしっかりと描き写せたかというと、どうだろう。どうしてあんなに絵描きによって描いたものが違うのか。
 つまり、人それぞれの見え方によって、対象の形の見え方は違う。また、どれだけ深く見ているかによっても、かなり認識には差がある。」
 クリスナルは何の変哲もないガラスのボールを掲げました。それを皆に見せて、手の中でくるくると回しました。
「このボールは生きていない。常に動き続けるものではない。それでも、人によって見え方が違う。まったく同じボールでも、見る角度が違えば陰影が違う。だが気をつけてほしい。。どうしてそう思うか。ボールから目を逸らしてみよう。君たちは今先生である僕を見ているね。僕は生きているが、ボールのように、君たちの見え方によってそれぞれ異なる形に見えているはずだ。僕を右側から見た場合、左側から見た場合で、陰影も違うし、鼻の向きも、手の向きも違う。けれどと思っている。
 同じものを違った見方で見ている。この認識が重要だ。暗記法は、魔法陣などの複雑な配置をどのように記憶しておくか、その方法論だ。例えば円陣、文字、記号、そのような要素を一つ一つ分切しておくのではなく、分割して記憶した上で、その全体を把握することだ、と教えたな。これは魔法学においてだけ必要な考え方だというのではない。たとえばどんな仕事も、覚える際には、最初は一つ一つ、小さく分切されたものから始めるだろう。だんだんとステップアップしていって、できることを増やしていって、その後にようやく仕事の全体に到達する。何年かかるか分からないことであるが、その時、はじめて分切化された仕事の一つ一つが、なぜその順番でこなされてきたのか、分かるようになる。そうしてその境地に至った時に、はじめて
 その順番を自由に入れ替えれるようになる。教えられる立場から脱して、自在に仕事をこなせるようになるんだ。仕事、と言ってもぴんとこないかもしれない。具体的に、料理の話をしてみよう。料理には順番がある。具材を切る、鍋に入れる、湯を沸かす、ぐつぐつと煮るなど。そこに基本的な順番というものはある。それを間違ったら途端においしくない料理に仕上がるだろう。だがその順番は入れ替えてもいい。まずくてもいいならな……ということではなく、本当に基本的なことが判っているなら、つまり全体がきちんと把握されているならば、段取りを変えたり具材を変えたりして、よりおいしい料理を追及できるということなんだ。
 どうしてこんな話を君たちにしたのか。それは、形とは一種全体であり場だということなんだ。一つ一つに、細かく切り分けることによって、それは覚えられる。思い描けて、頭の中でなら自由に動かしてみることもできる。だが単に切られたものにそれが留まっている場合は、
 形とは何か。。……君たちを混乱させてしまうようなことを僕は言っているが、さらにもっと言わなければいけないことがある。それぞれの要素に切ったものを、覚えて、接合して、全体の把握に至ったとしよう。ひとつの料理を完璧にマスターした、一軒家の建て方を長い時間をかけてものにしたとしよう。だがしかし、そこまで至ったとしても、実は極めて。料理は、ひとつの形であるとともに、いろんな過程を経て完成した全体だ。食卓に並ぶ上では。だがその料理を食べる人間にとっては?
 建物を建てる。床下の基礎工事、立柱、梁通し、壁塗り、あらゆる工程を経た建物は全体だ。でもそこに暮らす者にとっては?
 それらは職人が追っていく一つ一つの過程があり、出来上がりに至り、仕事としての完結がある。だが、その完成品は、出来上がってからのその後がある。完結したとしても、それはそれで終わらない。」
 クリスナルの物言いはどこか回りくどく理解しづらいところがありました。それでも生徒には伝わるべきところは伝わりました。彼の言っているものの形とは、つまりその対象を見た人が把握した形であり、それはそれぞれで見え方が違うものでしたが、違う見え方をしているのに同じものを見ているという、客観を共有していることも、また大事な事実だということでした。ものの形とは、人間の把握の仕方で実は様々に揺れ動く形象をしていました。形というもののこの不完全さに、あまり人は気がつきませんでした。この認識は直接魔法に関わる重大なことでした。なぜなら、魔法は、同じものを見ているはずの感覚を──それが事実だと疑わない在り方を──変えてしまうものだからです。
 この目に見える、形とは何か。それはつまり、自分自身とは何か。あるいは、他人とは何か、という考えまでに広がるのです。それは、先の価値以前の価値について学ぶ授業とも連動する内容でした。人は
 まず、世界に関わりを持って働きかける。すべての印象は、それから生じただということを。
「前世とは人間の、生まれる前の人格のことだ。つまり、今誕生している身体とは別の、過去の身体を持ったのことをいう。同じ人間だが、体は違う。生まれた時代も違う。
 という風に、前世という言葉は定義できるけれど、君たちはこの言葉を今まで聞いたことがあるかい?そうだ。この概念が存在しない地方もある。魔法使いとなるからにはこの前世が結構重要な認識になってくるから、どうしても僕の授業でも教えなくてはならないのだけれど、魔法使いの中にも、それに治療師の中にも、この前世が実際人間にあるかないかは定義できないなどという者たちがいる。
 まあそれは置いておいて。君たちもこの学校を卒業したら、前世があるかないかを君たち自身で決めたらいい。だが授業を続けよう。前世があるという定義で話を進めてみるよ。で、これをどう見るか。つまり、君たちの目に見える僕は僕だが、その形は見る角度によって変わる、と言ったね。見る人によっても結構変わる。しかし僕は僕だ。変わらない僕がいる。その僕をとりあえずゲヘナ(形魂)と呼ぼう。形魂は見え方によって変わらないもの、つまり、変えようがないもののことをいう。
 さて、一方でこのボールは変えようがないか。このボールも見方によって様々に見えてくるが、しかしこれは誰が見ても、今僕の持っているボールだ。。これが大事だ。それはさっき僕が言ったもの、ゲヘナ(形魂)があるということだ。猫も虎も、蛇や魚もその意味では形魂を持っている。生き物もそうでないものも、人間であるかないかの区別なく、どれも変わらない形魂を持っていることになる。
 さて、ぐいっと話を元に戻してみよう。形とは何か。それは、と僕は言った……これは記述法にも言えることだ。文字とは何か?言語とは何か?なぜその決まった棒線の形状が、声にする音を伝え、頭の中に響く意味を伝えるか?形とは、すなわち人間の心の中に形成される、印象のことだ。それ以上でもそれ以下でもない。それは、実際のかたちとは違うことすらままある。なぜならそれは、記憶された形、だからだが、こうして見ると、人間の目に不確かな流動的な形とは、形魂とは違い、ものの形象を一定のものに定めて(実のところ定まっているものではないが)考える、我々の頭の中そのもの、だと言うこともいえる。」
 やっぱり彼の言い方は、一番大事なことを伝えやすくはしませんでした。ただしユスフルの頭の中ではかちかちと音を立てて、まるでパズル仕立てのようにクリスナルの授業は整理されてゆきました。形は、人の頭の中で捉えられる。つまり人の頭脳が形を認識する。だから人によってその形は様々に見えてしまう。たとえ同じものを見ていたとしても。この時のクリスナルの話では、前世の話がちらっと挿し挟まれていましたが、ユスフルはそれを何とも思わず無視していました。ですが、彼にとっては彼の前の世の姿という話は、とても重大なことでした。

「だが人の中には、前世を記憶している者がいる。」
 先の流動的な形というものと、変わらない形魂というものについての話から大分経って、クリスナルは、前世について直接触れる講義も行いました。ですが長くなるのでかいつまむと、前世とは、その人が現世に生きる前に、昔生きたことのある過去世の存在で、姿形はその前世と、今の現世でまったく違うものの、同じ形魂を持っているために、自分が前の世の存在だった頃の記憶を思い出すことができる、というものでした。魔法学において、前世とは、そのように変わらないものとして見えているものを、言っているのです。それは形魂という言葉に置き換わり、この形魂の変遷が、生まれ変わり、輪廻だという風に話すのです。
 ミスタチは、ユスフルに言ったことはないですが、このような前世と形魂の定義に懐疑的でした。ですが、彼は時折相手の前世が何であるか分かることがあります。それが本当に前世なるものかどうかは、調べることができるものではなく、彼にとってはそのような印象を患者に持ったとしても、ただの印象に留まることが大事だと思われました。というのも、この概念はあまり治療には役立たないからです。人によっては何々が前世だと言われて得心することもあるのですが、患者が参っているのは現世に掛けられた魔法であって、前の世うんぬんではないからです。
 ただし患者の身体を調べていくと、そこに留まっている思いの繰り返しは、現世のものだけが原因でないと直感することがあります。でもそれ以上の事は判らないので、手は付けないようにしていました。……魔法はこの前世とどういった関係があるのか、まだ人々は見極められませんでした。その学問において前世という概念が重きを置かれるのは、魔法が形魂に働き掛けを行うから、つまり、流動的に動くように見える、ものの表面的な形を捉える、その目を具える主体、すなわち人間の形魂にそれは、ざらざらとした砂を流し入れるように、思いの繰り返しを注入し彼らの見ている世界を変えてしまうものだったからです。
 ユスフルはどの講義も面白く受けていましたが、とりわけ分かりづらいクリスナルの授業は関心を惹かれました。というのも彼の場合、復活する前の自分と、復活した後の自分は、本当に同じかどうかという概念を、彼自身初めて持ったことに、驚きと興味深さを示したのです。復活させられた自分を考えれば、間違いなく赤ん坊の自分に魔法を掛けたあの女がいなければ彼はこの世にいないことになるのです。そして他の人間よりはるかに、両親との距離は遠いのです。彼はここに忸怩たる思いや、猛烈な反発をまだ抱いたことはありませんでした。復活する前の自分と、復活した後の自分は何が違うのか。どちらも同じと考えれば、そんな感覚になる必要がないではないですか。どちらも同じと考えれば。
 ユスフルは自分が復活させられた時、麒麟と、その麒麟が連れてきたユスフルとしか言われたことがない生き物が、あの女の魔法を手助けしたことを知りません。しかし彼は、魔法を学んで、自ずとそのことに惹かれ出したのです。

 のっぽのクリスナルは好男子でしたが、あまり人気のない教師でした。言葉遣いこそくだけた調子で親しみやすいのですが、変に研究者ぶるところがあり、見た目と性格があまり一致していないと思われていたのです。彼は、都から北の、南大陸の内湾に連なる諸島で生まれていました。言葉に魔法の掛かるその地方で、彼は身近に魔法を感じていました。諸島でのその災いの力の管理は実に厳しく、制限されていました。そこでは、言葉さえ揃えばいつでも魔法は発動されるのです。
 しかしそのような言葉による魔法を使った医療が、そこでは盛んでした。それは魔法によって傷つけられた病巣を回復する目的ではなく、あくまで肉体の医療を補助するものでした。患者の痛みを止めたり、多少症状を和らげたり、もしくは呼吸を助けたり、といったものでした。さらには血を止めたり、逆に血流を速めたり、意識そのものを低下させたりといったこともできました。そこで魔法は永続的に掛かるものではなく、言い換えれば掛け続けることが必要になりましたが、そのために魔法は他の地方に流布するものと違ってとても限定的な働きを有して、比較的人間が扱えるものになっていたのです。
 言葉の魔法は、灯りを灯すこともできました。壁を変えたり、衣服を変えたりといった、幻の技も披露できました。ここで認識される魔法の用途は幅広く、医療だけでなく建築や服飾など様々な職種からそれは求められました。言語専門の魔法使いたちは引く手数多でした。言葉による魔法はその代償となる損失が少なく、同質の魔法を繰り返すことでそれが多少掛かりやすくなっていくことも知られていますが、犠牲と呼べるほどの逆効果はあまり見られませんでした。ただし、掛ける魔法によりますが。今やユスフルの師となったミスタチは、以前この諸島を訪れた時、ここで魔法の何たるかを知りました。つまり、言葉によって、それは実現しうるということが、いかにその本質的実行のメカニズムなのかというところに触れたのです。
 クリスナルは幼い頃から魔法使いたちに憧れを持ちました。そして彼は、独自の言葉の研究を始めました。どのような組み合わせが、魔法実行の本となるのか。彼はたくさん組み合わせを試し、そのいくつかが実際の効力を持って表に現れ、彼に害を為すこととなりました。彼もまた、魔法を使い(自分に対して使ったことで)使われる経験をしたのです。しかし彼は実験をやめませんでした。懲りずにさらに研究意欲を燃やし、結果その害悪は他人にも及ぶこととなりました。
 そして彼は強制的に、南大陸の都の魔法学校へ入学させられたのです。諸島や、他にも魔法を根本から教える学校はありましたが、ティヌヴァルならば勝手な魔法は発動しないために、彼はそこに連れて行かれました。ただ、彼は独学でここまで魔法を使えるようになったので、その才能は素晴らしいものでした。彼は教師をしながら、いつか生まれ故郷の権威ある魔法基地に足を踏み入れ、自分にできる限りの範囲でですが、また思い切り研究に勤しみたいという目標がありました。

 ヨダチはもう魔法学校を卒業していました。彼はまったく卒がない勉学をしていましたので、ある程度実践を積めばすぐにでも治療師として一人前に働けるほどの才覚を持っていました。そのためには卒業後の彼は、治療師の先達に付かねばなりませんでしたが、彼はその候補者を選びかねていました。
 彼はミスタチの元に付こうとは思いませんでした。いずれ、協力して患者の治療に当たることができればと思いますが、彼から直接その術法を学ぼうとは考えませんでした。ヨダチは理想の治療師像というものは持ち合わせていませんでした。彼は自分が何でもできると思っていたのです。
 ですが何事も自分はやりこなせるという自信は、単なる魔法使いになるのも、リセベルのように魔法など使わない庶務的な役割に就くのでもなく、やはり治療師、すなわち魔法の治癒を志すことへと向かいました。彼はこれが多分この世界にある仕事のうちで一番難しいものだろうと思い、自分の役目はここにあると感じたのです。それで、かえって師匠としてまず最初に選ぶ相手を選別しかねていたということはありました。
 彼は決めました。年配の男性治療師ですが、その人に付くことにしました。彼は都から出て行きました。早くて二年間、修行を積めば、晴れて一人で治療に当たることができました。ティヌヴァルに残されたリセベルは、彼の帰りを待ちました。二人は婚約していました。ヨダチは都から南の地でたくさん魔法を使ってから、その記憶を様々に失っていましたが、彼は自分がどのような記憶を失っているか、なぜそのような犠牲を享受したかちゃんと理解していて、彼の両親たる人間が誰と誰だったのかも知っていました。彼は
 魔法の病巣を治す師に付き、その患者の治療を共同して行っていく過程で、自分の中に存在するその滞りを、つまりはいまだに自分の体に居残っている自分自身の魔法の病巣を、強く見つめる機会にたくさん出会いました。彼は師の助けを借りながら、患者を癒す身分でありながら、その滞りと戦わねばならなくなりました。まだ、彼は一人でまともにその影と向き合うだけの経験が足りなかったからでしたが、どんな治療師も、結局一人前になるまでにこの修養を経なければいけませんでした。
 ヨダチは幾度もこの影との戦いに苦しみました。そんな時、彼は心の中で何度もミスタチを求めました。師も彼のそばにいてその戦いのサポートをしてあげるのですが、師の手は、学生の頃の彼にミスタチから繰り返し置いてもらったその手と、同じ温かさと包容とを具えていました。直線をおもむろに並べ替えて、不可抗力の魔法を意図せず完成させてしまい、自分の手でそれを崩せなかったあの事件以来、彼はよくミスタチに質問をしに行き、答えをもらっていました。ミスタチは、彼に手を置きながら課外授業をしてくれました。
 ミスタチは彼がどんなことをしようとしているかが分かりました。彼は自分を癒そうとしているように思えました。ミスタチにはヨダチの前世が見えるようでした。それは人でないもの、動物のようでした。ヨダチは人を背に乗せる畜獣だったと思いました。それがセブルムだったかどうかは、またヨダチの出生である騎獣民族ともつながりがあったかは分かりませんが、この頭の良い人間は、実際あまり人に共感しないようなところがあったのです。自分本位で、あまり他者に関心がないところが。
 ミスタチはこのことが彼が記憶を失ったこと、その記憶を取り戻すことに関連があるとは想像しませんでした。彼が抱えなければならなくなった虚ろと空しさは、本当に深いものがあると感じたために、彼と会うたび手を置いて、その体を通して自分の温もりを伝えたのです。こうしなければ、実のところヨダチは自ら傷を負った身体を支えられませんでした。ヨダチはそのことに気付くための修行に出ていたのです。
 ところで、彼が紫髪であるのは、まだ少年である頃、南の地で試みたたくさんの魔法の反動の一部でした。彼はそこで両親の記憶を失くし、自分の髪の色まで変えてしまいましたが、まだ、そこでさらに自分自身を変えてしまっていました。彼は形魂のかけらを一つ失っていました。ゲヘナ(形魂)はいわゆる魂、霊、あるいは物質とは違い、彼らの概念のなかでは変わらぬもの、揺れ動く形象をもって見えないといえるものでした。私が私であること、物が物であること、そのもののことでした。ヨダチは彼が彼自身であることの同一性を、一つ失っていたのです。その根の深さは実は前世に遡り、彼の同一性はそれ以来欠け易くなっていましたが、そのかけらを取り戻すことは、たかが二年の修養の時を経ても適わないことでした。
 しかしその一つのかけらをなくしたのは、彼が魔法を世界に掛けたことが原因でした。魔法は人間の願いを叶えます。ですが、どうしてその願いは叶うのか。そこには自分だけの願いはなく、たくさんの同質の願いが重なって、恐ろしい現象となりました。魔法を使うことは恐ろしいことでした。その実践の場に、魔法学校において基礎学を修了したユスフルは、これから向かおうとしていたのでした。
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