エントランスホール

KeiSenyo

文字の大きさ
3 / 7
3

3 魔法学概論

しおりを挟む
 はじめ、その力は人とは違うものからもたらされたといいます。魔法とは、最初は人間の隣にいる植物や動物が自分たちの言葉を持ち始めたように、人が見做し出した後に誕生したのです。しかし、ミスタチの言を借りれば、それは魔法と呼ぶようになった某かの仕組みで、人間にはその正体はおよそ分からないものでした。
 植物や動物は、人とは全く別の機構で働きます。圧倒的に速く、あるいは圧倒的に時間をかけて、それらは動き、また人間の目や耳では感じ取ることのできない同種同士の呼び掛けを持ち、そのことは集団生活を送る人でさえも恐れを抱くものでした。人は、独特の知恵を持ち、栽培することを学びます。つまり農業は、再現が約束された行程をなぞります。こうして人は定期的な収穫を得、次第にその農地を広げ出すことに精を出し、他種族の縄張りを荒らしていくのです。木は切り倒され、土は掘り起こされ、彼らの住家に適さない環境は道具を使い無理矢理にでも切り拓かれてしまうのです。ある時、人は互いを呼び合うような声の出し方を、つなげてみました。すると、そこには充足感があり、彼らの平和を祝うように、あるいは彼らの子孫の繁栄を慶ぶように、史上の詩のはじまりは響きました。
 ところがその「声」を周りに聞き及ぶ時、つまりは人以外の者たちがあたかも人の使う声色を真似ているよう思う時、人間はそれまで気にしていなかったような力が周りには存在するのだと感じるようになりました。それはこちらを侵略しようとしているように思い、
 ますます言葉を使うようになったのです。それは、互いの呼び掛けが彼らの間にもっと必要と感じたためでした。

「しかしこれはあくまで仮定の話だ。本当にそうだったかどうかは分からない。」
 ミスタチが机の上に左右に開いた巻物の、絵で説明された箇所を指差しながら言いました。正面には、ユスフルが座り、彼一人のために用意された授業は六人程が入ればいっぱいになる小部屋で行われましたが、そこに半分坊主のスチルがいて、杖つきのゲンと、その介添人も同席していました。
 スチルはにこにことしながら、自分の席の前の机に頬杖をついています。ユスフルは近い席にいる彼女の何とも言えない鼻息を、ちょっとうざったく思いました。
「で、物語は産声を上げる。これから僕たちの使う言語が発達し、色々と便利な世の中になっていくんだ。」
 ミスタチは巻物をめくりながら話しました。

「人は知識を伝え合うようになった。その知識は次第に膨大になっていった。今では職業なんてものが生まれるくらいだ。昔は家族単位で暮らしていた。土の中に穴を掘り、焚き火を焚いて、生活をしていたんだ。現在でもそのような暮らしを引き続きしている民族がいる。この大陸にはさすがにいないが、海を隔てた孤島などではな。知識が増えると、養う人数も増える。収穫量が増して、子供が減らなくなるんだ。長生きをする人々が増える。そして民族ができ上がる。つまり、異民族が、誕生した。
 彼らは彼らのコミュニティで使う言語を用いている。それは、他の民族には通じないものもある。彼らは話し合いができなかった。獣のように、縄張り争いを主張した。
 戦争が始まる。彼らは奴隷になる者があった。人を食べられる民族は敗れた者たちを口に入れた。ここに民族の強弱がつけられる。とにかく、人は人間同士戦うようになってしまった。」
 日和のよい天気で、小鳥がピイピイ囀りながらつがいになって飛んでいきました。
「そのうち戦を得意とする集団が現れてくる。彼らは戦いの戦法を知恵として身につけた。人間の世界はだんだんこの戦いのうまい人間たちに支配されていくようになってしまう。死ぬことは何より恐ろしいものだからね。でも、」
 と、彼は机の上に広げていた巻書をぱたんと伏せると、窓の外を指差しました。
「このティヌヴァルという都は、兵士たちの要求を呑まず、ある時から武器の製作、食料の提供、建物の建築といった、戦いのうまい者たちは苦手なものを、その兵力と交換するよう自ら要求するようになった。これがうまいこといって都の今がある。まあ、そんなこともあるのは、我々が共通の言語を持つようになったから、話が通じるようになったからなんだ。分かるか?」
 ミスタチはユスフルの様子を窺いました。ユスフルは真剣に彼の授業を聞いていました。
「よし。人間は戦い合ううちに、互いの話し言葉も理解し合っていったんだ。互いの言っていることが分かってくると、相手と自分たちがどんなことを思っているか、どんな作戦を練っているかが分かるようになってくる。ここが肝心だ。いいかユスフル、初めて他者を、他者と認めてくるのはこの流れによるんだ。喧嘩したことはあるかい?どうして殴り合うんだろう、それは、相手を認められないからだ。どうしても相手のことが理解できない、自分の思い通りにやりたい、そんな時だ。
 でもそこで分かるだろう。自分には理解しえない相手がいると。それまで周りはほとんど自分を理解してくれている人間ばかりだったかもしれないがな、むなしさも、どうにも行き場のない思いも、その時に抱くだろう。

 人間はこれを、繰り返した。

 はたして、自分の隣人は、自分を愛するが、それも他者だと、判るようになった。

 しかし、それは共通の言語を持っているから理解できたことなんだと、あまり人間は知らない状態だな。特別な恋人であっても、その人を知らない、知らないから惹かれるということも、よく知らない。好きだから、側にいたいからと思って側にいるが、本当は、どうしても知りたいという欲求から人は結ばれる。まあ、実際、人同士が結びつくのは色んな理由があって、これだけではないが。でも、知らないとは、どういうことなんだろう?恋人を知りたくなる。それは、知らないからだとすれば。知らない、ということが分かっているとすれば。」
 ぴしゃんっといきなりミスタチは手を打ちました。ユスフルはびっくりしたように顔を上げ、スチルもゲンも、跳び上がりました。
「今こうしたことは、なぜだか分かるかい?なんにも意味はないよ。まあ、なんにも意味ないことを、今した。しかし人間は惑わされる生き物だ。何にも意味ないことを、本当は意味あるんじゃないか?とか、理由づけしたくなる。その場合、満足するまで色々と理由を考えればいいが、それは、はたして知っていくという行いではない。自分の知的好奇心が満たされるまで、繰り返すただの行為だ。
 人は、いつから物事の理屈を考えるようになったか。それは、おおよそ自分にとって分からない存在が誕生してからだと言える。分からないとは、知らないということ。知らないということは……知ることが可能だということだ。
 それを可能にしたのが人間の言葉だ。人間は、言葉でものを考えられるようになった。」
 窓から、穏やかな風が教室に吹き抜けていきました。その風の中には、様々な音が、混じっているようにユスフルの耳は聴きました。
「人間は、この言葉で色々と考えた。自分の周りにあるものを。そして自分自身も。いわゆる魔法はここに生まれた。なぜだか分かるかい?」
 ミスタチはじっとユスフルの目を見ました。彼は、ユスフルがここに来るまでいくつかの魔法を使っていたことを知っています。
「魔法は思い通りに物事を動かそうとする。それは言葉がなければ成立しないんだ。言葉がなければ明確に望むことが描けない。あれがほしい、これがほしい、そう望むね?それは、考える力があってはじめてできるようになることだ。だがここで注意しなければならない。なぜ、望んだ通りに物事は動くのか?あるいは、望んだ通りに動くときがあるか?僕たちはそれが起きた時、『世界に干渉した』という言い方をする。このティヌヴァルで、魔法について考察する時、どうして我々は『世界に干渉できる』のだろうという話をする。決して、万物が望むまま思い通りに動くのではないだろう?しかし、ある時、それは実現する。なぜか?
 魔法を研究する者は、それを明らかにしていくことをしているんだ。」

 ここには魔法を使ったことのある者たちがいました。北の大陸から来たユスフルもそうでした。ミスタチを先生という、あの者たちは、皆がそうでした。
 また、彼らは魔法を掛けられてもいました。つまり、彼らは、魔法の行使者であり、魔法の被害者なのです。
 ミスタチは午前中の教壇から降り、昼食をとり紅茶を飲みました。ずっとその間、半髪のスチルと杖つきのゲンと、彼の付添の者と一緒にいました。スチルはミスタチと別れてからのおよそ二年半、自分がどこでどうしていたかを、ひたすらしゃべりました。ゲンは何も言わずじっとしていましたが、片時もミスタチから離れようとしないのはスチルと同じでした。ミスタチはスチルの話から、彼が面倒を見たことがある十余人の者たちが、どんな暮らしをしてきたかが大体分かりました。
「安心したよ。」
 彼はスチルに言いました。
「みんな、ほんとよくやってるみたいだね。ここで、魔法を使う訓練を大分したんだろうね。」
「うんと頑張ってるよ~!だって先生と約束したもん!ちゃんとした力を身につけてえ、ちゃんと誰かを助けられる精神を持って、ここを卒業するって!」
 食事処を立ったミスタチを廊下で待ち構えていたのは紫髪のヨダチでした。ヨダチはガラスのような透明な目を彼に向けていました。ミスタチは、ヨダチに近づき、握手しました。そして、その肩を抱き、抱擁しました。
「今度はヨダチの話を聞かせてくれないか?ユスフル、僕と同じ名前を、昨日ここに連れて来たあの子も持っていたが、同じユスフル同士でね。」
 ユスフル・ヨダチは喜びました。

 北の大陸からやって来たユスフルは、目をしばたたきました。白い顔をした少女が彼の真正面に立ち、通せんぼしていたからです。
 彼は見ず知らずの人間に対しても緊張せず話すことができました。彼はあまり緊張という感覚をしたことがなく、誰かに拒まれるという恐怖を持つことがなかったのです。
 通せんぼした少女は以前ミスタチに世話になったことのある者でした。彼女は魔法を使えました。
「ふうん。三回。あと五回。君は魔法を使ってるんだ。」
 彼女が言いました。
「どんな魔法かは、そうだな、難しいね。自覚があるものも、ないものも、混ざっているみたいで、なんだか君自身はそれに関心がなさそう。」
 彼女は手を後ろに組みました。
「最初の授業はそれから始まるわ。私はラヌケ、次の先生よ。おいで!」
 昼食も終えたユスフルは次なる授業へそうして向かいました。

「ラヌケはもう卒業して、僕らの先生をしているんだ。」
 ヨダチが静かな口調でミスタチに話しました。
「まあ、先生をしながら、といったところかな。主にここに連れて来られる病気の人たちを診ている。」
「へえ。ラヌケは人間の体の中にある魔法の力を見抜くのに才能があったからな。でも、まだ生徒みたいだった気がするけど。」
「そうなんだ。あいつ宿舎も変えていないし、僕らといることが多いし。卒業したのは本当だよ?」
「ふうん。その他にももう卒業した人はいるの?」
 ミスタチが周りを見回しました。彼はヨダチと宿舎の広い居間にやって来ましたが、そこには昨日ティヌヴィエルに到着したばかりの彼とユスフルを歓迎した、十余人のほとんどがいました。
 幾人かが手を上げました。ミスタチは彼らの名を読み上げました。
「みんなここで働いているってことなの?どこかの治療師に弟子入りはしてないみたいだね。」
「そうなんだ。僕もそろそろ卒業間近なんだけど、どこにも行けないみたいで。スチルから聞いた?南側で、大規模な魔法が使われたこと。あそこは自然に介入ができて、いくつもの破壊の跡があちこちにあって、ほとんど人も住んでいないはずなのに……」
「どういう魔法?」
「分からない。」
 ミスタチは昨日、十余人の歓迎者たちと共に、魔法研究所のある平屋の建物に向かいました。そこでユスフルを預かってもらい、彼に魔法学を教える算段をつけていたのです。……気をつけねばならないのは、ユスフルには、三人の年寄りが一律の預言を持って現れたということです。はるか南の大陸に、魔法を極めた者がいる。その者を訪ねよ。と、年寄りはばらばらに現れ、まだ魔法を使ったばかりのユスフルに、それぞれに自らに預けられた言葉を託したのです。南の大陸に魔法を学べる場所は大体三つありました。大体というのは、学問を立ててこれを調べている集団が三つあるということで、個人のレベルでもこれを教えている者がいたということです。
 一方ミスタチはユスフルが故郷の大陸で所属していた魔法被害の会のグループから、ティヌヴァルの学会に届いた委託文に基づいて行動しています。そんな彼が、ユスフルに色々と教えながら八ヶ月の道のりを辿り、目的地に着いたというのに、そこにはティヌヴァルの学会の者はほとんどいませんでした。いるべき教師が不在でしたので、しかたなく今日の午前、彼は教鞭を取っていたのです。
 彼はあまり詳しく学会員の不在のいきさつを訊きませんでした。何より体は疲れていたし、それに、思わぬ歓迎が嬉しく、同時に戸惑わせていたからです。
「それで、先生たちが出払っているんだ。彼らが戻ってくれば、きっと卒業者はみんなほかへ移動できるんだろうけど、今のところ、先生の代わりを務めるしかなくってさ。」
 ミスタチはなるほどと頷きました。そういえば、自分の所に遥か北の大陸から来るだろう魔法使いの少年をよろしく頼むだの、そうした便りが届くのが変なことだったと今さら思いました。
「でも、これだけ卒業者が溜まっているってことは、わりと長い間、その調査が行われているということ?」
「そうだね。もう半年になるかな。」
 ヨダチは紫色の長髪を横に揺らし、窓の外を見ました。
「みんなすぐに終わると言っていたけど、なかなか終わんないままだった。」
「リセベルも出払っているの?」
「あの姉さんはここにいるよ。でも、なんだかいつもいらいらしてそうで、話しかけらんないや。」
 ミスタチがヨダチらとひとしきり話をすると、授業の始まりを知らせる鐘が鳴らされました。ヨダチらが大部屋を出ていって、ミスタチだけ一人残ると、彼の頭の中で今しがた聞いたことがパズルのピースのようにずんずんつながり、強い違和感が働きました。
「難しい課題だな。」
 彼は呟きました。
「でも、解けなくはない。」

 ミスタチはその午後自分の故郷がここで取り引きをしている仲介業者に会いに行きました。彼の元の領地では絹も扱っていて、服飾の職人にそれを卸したりしていたのです。他にも、農作物や、石などもこの地に送っていて、その販路を切り開いた彼は旧知の仲を温めようと都の職人街に向かったのです。
 彼がやりたいことはそれだけではなく、魔法学がどこまで進んだかも確かめたかったし、彼が生徒として受け持った(彼にはそんな気がなかったのですが)者たちと再会を喜び合い言葉を交わすことは実は望んでいませんでした。そんなつもりはなく、彼自身が治療に当たり得た治験をここに集積すること、魔法学をさらに積み重ねることしか、彼が学会に立ち寄る理由がありませんでした。
 彼は顎を擦りました。薄いひげは伸びているのかいないのか分からないくらい産毛で、十四の歳に戻ったその肉体をいやでも知らしめます。彼は、その身が生涯ティヌヴァルの魔法学のためにあること、ひいては全人類が魔法からの脅威に身を晒さなくなろうとすることに、捧げられているのだと改めて自覚をしました。
「別に自分のために誰かをどうこうするつもりはないんだが。」
 彼は目を瞑りました。
「昔の自分と今の自分が違うのは、体が勝手に動いてしまうことだな。」
 彼は夕方学会の室長であるリセベルという有能な女職員に会いに行きました。そこで、先ほど授業を終えたばかりのユスフルと出くわしました。
「おう。どうだった?初めての僕以外の授業は。」
 ユスフルは恥ずかしそうに目を落とし、ぽりぽりと頬を掻きました。
「俺の言葉がなかなか通じなくて……」
 彼はしばらく黙りました。ミスタチは次の言葉を待ちました。
「自分の考えてることを、洗いざらい、その人に言ってもらいました。まずは、自分の声をどうにかしないといけないと思います。あなたには、そうする必要もなかったんですが。」
「そうか。まあ、僕は、人の話をよく聞くという技能があるからな。誰もがよく聞こえるわけじゃない。お前の声であれ、自分の親の声であれ、な。でも楽しいじゃないか。話術というものは鍛えられるものだ。それに、お前の声は、他の人間より確かに聞き取りづらいかもしれないが、不思議な音色がその中にある……人を安心させる力も、あるんだぞ。」
 ユスフルは礼を言い、廊下を歩いていきました。やや疲労の色があるな、とミスタチは彼を見て思いました。
 それから一週間、彼は様々な訓練を受けました。まずは、ミスタチによる魔法構成の概念から学び、次いでラヌケによる発声法、運動法、感覚法と、クリスナルというのっぽの教師の記述法、及び暗記法が、多くの時間を割かれて教えられました。彼は、また魔法の意志の込められた呪物に触れました。それらは人を呪うことはないのですが、それらがつくられた、魔法の掛かる場所に行くと、効力を発揮するものでした。魔法は、実に広範に掛かるものだとその当時の人々には考えられていました。職人の手による建造物やあるいは服飾なども、実際に何かの犠牲を伴う魔法が掛かるのではなく、家族を養うため、功名を立てるため、もしくは単純に手並みが上手になるため、技術をより追求するためという、強い意志が働く場合にも、その手によってつくられたものは、他とは違った感じを受けるものになるということを、ユスフルは詳細に学びました。というのも、その意志がいかなる方向を向いているかということで、彼らの手による仕事は素早くなったり、あるいは遅くなったり、堅牢になったり、自由になったりしたからです。
 どの授業もユスフルは面白く受けましたが、彼の体はなぜかどんどん重たくなりました。それは、使っていない脳の部位や筋肉などが刺激を受け、それに慣れるために必要な身体の側の反応だったからでしたが、それ以上のことが、彼の体の中では進んでいました。その週末、勉強の必要のない休息のための一日が設けられましたが、その日はとても彼は外出できないほどに、疲れ切っていました。
 ミスタチは一週間待ちましたがまだ学会の者たちは帰ってきませんでした。どうやら、南の町で合宿を取り、ヨダチの話にもあった大規模な魔法跡をずっと調査しているようなのですが、その進展を待っている間も聞きませんでした。これまたヨダチの言うように常時いらいらしていた室長リセベルにミスタチは話を聞き、大まかな調査の状況は窺っていました。
「ヨダチはどう思うんだ?」
 彼は生徒たちが休みのその日に港に出かけました。この数日で何度も足を運び、活発な市の様子に目を細めて、自分の家がもたらした生産物の売り行きや他国からの珍しい果物なり今売れ筋の商品なりを見て回っていたのですが、この日は、彼を慕う若者たちを連れていました。
「あの辺は魔法実験場とまで言われる。魔法使い以外は寄りつかなくなってしまった所だ。あそこに行くと、犠牲にされるからな。つまり、大規模なその実験が行われたということは、何かしら、大規模な移動があったのではないかと思われる。」
「そうなんだ。でも、そうしたことはなかったようだから、調べるのに時間がかかっている、と言われている。」
「お前は、会議にも参加しているんだろう?現場には行っていないけれど。」
「ああ。彼女から聞いたんだね?」
「ついでに、彼女とお前が恋人同士だというのも伺ったよ。そこまでリセベルも話す必要はなかったんだが。」
 ヨダチは頬を膨らませ、ぷうっと息を吐きました。
「まあ、ね。なんだかね、歳の差があるのに、あの人は僕より幼い感じがするね。」
「人より優れた者は大概幼いものだ。人より劣ったと思っている者は、どうしてもすれからくなってしまう。生きる理由はこれだと大上段にふるいたくなる。」
 ミスタチは影のある表情をしました。
「自分からつくり出した魔法に掛かってしまう?」
「そうだ。まあ誰もが自分に掛けてしまっているもんだけどな。」
 彼らに同行していた半髪のスチルが近寄り、ミスタチにくっつきました。
「そして、誰かにも掛けたくなるんだ。ここにこうしている人間たちが、皆そうだな。」
 彼は周りを見渡しました。生徒たちが彼を見つめました。
「この魔法をなくさねばならない、あるいは対処せねばならない、というのが、我が学会の目標だ。
 それはともかく、これ以上調査が長引くと、そうした目標へ邁進するのも滞ってしまうな。ちょっと由々しき事態だと、思ってきたよ。」
 ヨダチははっとしました。彼は、そこまで現状を深く考えていませんでした。
 彼の目つきが変わりました。
「魔法を掛けることができない場をつくりながら調査する。つまりは道具を使いながら、ちょっと当て所ない道づくりをしつつ、安全に配慮しながら、それを調べる。どこに鉱脈があるか、あてずっぽうに掘り進む工夫みたいに。時間がかかるわけだな。その方法だと。」
「どうもそれしかないみたいで。」
「ちょっといい?」
 杖つきのゲンが、二人の正面に回りました。彼らは彼に椅子を回してあげました。
「そこまで調べる必要のあることなの?どういった魔法が発動したかも分からないのに。」
「ここに近い所でその魔法が使われたことがちょっとした脅威なんだよ。」
 色白のラヌケも彼らと一緒に来ていました。
「少しずつ、魔法はそれが使えられる場所を増してきている。それは世界的な事実だけど、意図的にその場を増やすこともできる。私たちのいるこの場は、どんな魔法も掛けられない魔法を掛けているけど、その場を破ろうとする人間が結構最近多くて、その動きの一つなんじゃないかって、疑いをかけているんだよ。」
「へえ!」
 まったく初めてそんなことを聞いたゲンは、素直にびっくりしました。
「でも誰がそんなことをするの?」
「さあねえ。捕まってないのよね、犯人が。」
「いずれにしても。」
 ミスタチが立ち上がりました。立ち上がっても、正面に座るゲンとはほぼ同等の背丈です。
「このまま放っておくのはよくないね。」

 魔法使いは望まれる。そうした事情をミスタチはよく知っています。民衆は嫌ういつのまにか発動されてしまう不可知の力は、それまで、数々の利用された跡が見られます。ティヌヴァルの南側に広がったその広大な実験場では、今でこそそれは実験されたものだと言っていますが、人々の欲望が実現した災いの跡なのです。
 その際に掛けられた人間の欲望を囲い、不変のものにしてしまった魔法は、まったく未だに健在で、
 未だにその犠牲者を増やしているのです。
 ゲンは、猛獣に乗るのが得意な子供でした。今でこそ片足が利かないのは、彼が得意とする調教での不慮の事故が原因でした。人々はまだ獣についての知識が未分化で、繰り返し何度も操れそうな動物を人間の言うことを聞くように試していました。ゲンは、自分がどんな動物も操れると思い、実際そうでしたが、操ることは慣れていてもその世話までは配慮が行き届かず、拗ねた獣に蹴られたことも分からずに、彼は坂道を転がり、したたかに足を打ったのでした。
 それでも彼の乗獣の技術は健在でした。彼は、セブルムに乗り南へ合宿に出張っている魔法学会の委員たちとティヌヴァルの連絡役を務めていました。彼が仕事に出ると、介添人は平屋の宿舎からもいなくなり、彼が戻るまで姿を隠しました。
 ですがミスタチが都に到着してから、再び彼に仕事の機会が訪れ、その出立の際に、ミスタチは彼の介助人に声をかけられました。
「ご無沙汰しています。」
 彼は何度もこの二週間でミスタチと顔を合わせていますが、初めて声を出しました。
「ええと、ジスタルさん、でしたっけ?」
「はい。覚えておいでで。」
「ずっと彼の横に控えていらしたのは前と変わらない様子だったので、僕から声をかけなかったのは、やはり失礼でしたか?」
「いいえそんなことは。あの方もあなたに会えて満足そうでしたし。私はこれで十分ですから。」
 ゲンは由緒ある家柄の出でした。調教師は各国の軍を持つ集団にいつも必要とされる存在で、その中でもゲンの家柄は優秀な人材を輩出していました。
「五年前ですか。最初にあの子と会ったのは。」
「そうですね。」
「五年も経つんだなあ。それから大体一年後か。あの子が魔法にやられ、そしてあの子もそれを使ってしまったのは。」
 ミスタチは三十五歳の頃家督を息子に預け、ティヌヴァルの魔法学校の門戸を叩きました。そこで精力的に魔法を学び、治療師の仕事を臨床で習うために様々な先達に教えを請いました。その後ようやく一人立ちして、各地の魔法による病気に罹った患者を診る旅で、ゲンと出会ったのです。その時は彼は大陸の東へ繰り出し、様々な魔法の掛かる土地を見聞しました。
 ゲンの育った土地は動物に念じるとあらゆる無理も通じる魔法が掛かっていました。とはいえ調教師たる彼の家元は、そのような魔法が広がる以前からその地に住みつき、名声を博していたのですが。ある時、ゲンは友達から自分の乗る生き物に魔法を掛けられました。生き物は彼を羽交い絞めにして拘束し、怪我した片足を何度も何度も踏みました。ゲンは絶叫して動物を引き離し、このことを親族に相談しましたが、未だに魔法に疎かった彼らはどうしてそんなことが起きたか知る由もありませんでした。
 彼らは家柄もあり動物に魔法を使うことはありませんでした。仮にそれで動物が言うことを聞いても、その土地から出ればたちまち魔法は解けるからです。彼らにとって役に立たない手段は、しかし意図せずして掛かってしまうというところに悲劇があります。その犠牲にゲンが選ばれたということに、ゲンの家の者たちは気がつきませんでした。
 ゲンは自分に動物をけしかけた相手を知ります。それが彼の家を目的にした犯行だと知って、彼は猛烈に怒りました。彼は相手に同様の魔法を掛けました。つまり、調教師の家柄同士の、競合する家柄の息子に、乗る獣の本性を増加させるよう願い、それが実現し、彼は他家の息子を殺してしまうのです。
 それにより彼は多くのものを失いました。まずは跡取りの権利を剥奪され(調教において信頼を獲得しなければならない動物に対して思い通りにする魔法を使ったため)、決まっていた婚約も解消され、家の品位を落とし、友人からそっぽを向かれたのです。
 ミスタチが彼と出会ったのは旅の医療を施しながらで、最初はこの家の元気な跡取りとして家の者に紹介されていました。それが一年後、再びその家を訪問した時、彼に会えませんでした。別の人間が正式な跡取りとして紹介されたのです。ミスタチは事情を聞き、彼が魔法を使われ、また使ってしまったことを知りました。
 ジスタルはその頃からゲンを介護していました。落ち込むゲンを、甲斐甲斐しく、食事にしろ着替えにしろサポートしたのです。
「懐かしい。そうだ。最初あの子に会った頃あなたは傍にいなかった。」
「そうです。」
「彼は片足ながらまったく元気だった。再会した時は見る影もなかったなあ。」
「その通りです。その時あなたが声をかけて下さった。」
「うん。」
「自分より年下に見える者に話しかけられて、ゲン様は面食らったでしょう。ぽかんとしていましたよ。」
「そうだな。そして、自分の話すことを食い入るように聞いていた。」
 ミスタチは傷心のゲンを自分の治療の相手だと言ったのです。魔法による犠牲者は、魔法を掛けられてしまった者だけではなく、自分から魔法を掛けてしまった者も、含まれる。君はそれを同時に行った。そうしたケースは、滅多にない。
「どうして僕が?今現在、僕は誰からも魔法を掛けられていません。」
 彼は、と呼ばれる者たちが、魔法の継続による呪いを癒す相手だと知っていました。つまり、彼の家の土地では、動物たちがそれに掛かってしまうから、動物たちに掛けられて解除できない魔法を、治療師は解くものだと思っていたのです。
「それもある。だが実際、魔法を使ってしまうのは人間だ。原因は人間にある。使う側に問題があるのだ。君は、自分に魔法を使われたから、使った。そうだな?では、なぜ相手は君にそれを使っただろうか?
 使われる魔法、以前の魔法というものがある。誰かに対する妬み、恨み、つらみ。そうしたことが、たまらなく個人に溜まっていく時、おのずと願いが叶えられることがある。それは破壊的だ。そして連鎖作用を引き起こす。さりげなく魔法が使われるにしろ、それは魔法を使われてしまう元の段階の強烈なによるものだと思う。君は、その大元の段階の魔法を喰らい、そして相手に喰らわせた。」
 ゲンはびっくりしたようにこの話を聞きました。そして、うつうつとミスタチの目の前で泣きました。
「あなたはゲン様の心の扉を開いた。そして今に至ります。」
「あんまりゲンとは話をしなかったな。元気そうでよかったと思ったが。あれから何も言わず、僕の後をついてきて、ここに着いたんだ。何よりここの魔法学校は、魔法を掛けられた者、それを使ってしまった者が、来る所だから。」

 半髪のスチルは歳の上では二十四歳でした。しかし彼女はほぼ十代半ばの容姿をしていて、その振舞いも決して大人ではありませんでした。彼女の故里は時間が遅くなる魔法が掛けられていました。そこでは人間の成長の具合が遅く、長命で、普通の寿命のおよそ倍はその土地では生きられました。彼女は実年齢が二十四歳ながら、心の上でも少女相当だったのです。ただし、肉体はそれだけ大きくなっていて、彼女の背丈は彼女の故郷の土地より外側の大人たちを優に頭一つ分越えていました。
 こぞって彼女の国の人々は大柄なのです。これは彼らの土地を離れてもサイズが縮むことはなく、魔法は時間に掛かるのみで、そこで成長した身体は純粋に獲得した肉体なのです。ただし、彼らの土地から離れて、その成長に必要だった魔法が掛からなくなっても、その肉体は長命を維持し、元の成長スピードはそのままのようでした。
 ミスタチはこの領界も訪れていました。そこでスチルと会うのですが、彼はその土地の外で、この界域で生を受けた人間の世話をしていて、その患者の容態に深く関わっていると思われるこの土地の独自性について、仲間を伴って調べに来ていたのでした。
 あらゆる生命がここでは時間を延ばしていました。というのも、ここは気候があまり変わらない湿度の多い土地柄で、見た目にも巨大な樹木が広大な森を形成していたのです。そこに生える草花も、蝶も、毛虫も気味悪いほど成長していて、ここで生きるには毛頭体を膨れ上がらせなければならないといった条件が生き物には課されているようでした。そこにいる種の全ては他の土地でも見たことがあるものなのに、サイズが大きく、また長命なのです。ミスタチと彼の仲間が診た患者はその土地外の人の倍はある身長の持ち主で、堕胎を繰り返していました。その女は彼女の国の土地の外側の者と結婚していました。しかし、腹の中に命は宿るのですが、どうしても四ヶ月以内にはその腹から出てしまうのでした。
 必ずしも、かの土地と別の土地で結婚をした者が、普通の子供を産めないというのではありません。しかし、そうした例はどうやら他にもあるらしく、ミスタチらはこれを調べなければならなかったのです。
「魔法は神秘的な力である。が、どんな力が魔法だと言えるか、それは誰にも定義はされていない。」
 ユスフルへの魔法学概論の中で、ミスタチはそう説明していました。
「ただ一般的にそれが使われる背景にある条件というのは、考えられている。ユスフルもきっと地元で習っただろう。魔法は魔法が使える場でないとそれを使えない。そして、それを使用した際には必ず願い事が叶うのとは対極のことが起きる。つまり、犠牲だ。
 だから、みだりに魔法を使ってはならないというのが、良識ある人間の常識だ。」
 ただし、もう一つの条件がそこでは考えられました。魔法は、場によってそれが使えたり使えなかったりするのであれば、その場そのものが、魔法であるという考え方です。
「お前の故郷では、誰かに魔法が掛かってしまうという場が存在したな。つまり、そういった場全体に掛けられた魔法がある、と考えることができるんだ。自分にだけそれが掛けられてしまう場には、『自分に向けて魔法を掛けることができる』という魔法が掛かっている……この話は難しかったか?」
 スチルの故郷の、生命の時間が遅くなる場には、そうした魔法が全体に掛かっていた、と考えることができたのです。そして、
 その場を離れた後も彼らの生命が巨大化と長命を継続するならば
 彼らの命そのものに、ずっと魔法が掛かっていたと考えられました。
 そうなると願うことが必ずしも魔法発動の条件になりません。まして、そこでは何を犠牲にしていたと言えるのでしょうか。
 魔法とはそれが掛かる全体の場である(あるいは場そのものである)……というのが、魔法学会の最新の知見でした。
 さて、そこに元々生まれ育った者ならいざ知らず、成長して後からその場を訪れた者は、一体そのルールに従うのでしょうか?



「すごいな。どうしてこんなことが思い出されるんだろう。まったく具体的に。」
 テオルドがほとほと感心してイアリオが書き送ってきた文章を読み上げました。
「はやく続きが読みたくなるよ。でも、僕の寿命ももうわずかだ。次で最期になってしまうかもしれない。」
 それはイアリオも同様でした。さすがに体力がなくなってきたなあと思う頃には、もう物語はすっかり後ろに引けないくらい長大になりつつありました。
「ほんとだわ。」
 彼女は書いた文章をフィマなどに見せていました。フィマはすこぶる興味を示し、面白く読んでくれましたが、彼女が部屋にこもりっきりで書いていることも知っていてその健康を心配しました。
「変な仕事だと、私も思うわ。」
 彼女はインクに汚れた手の縁を見ながら言いました。
「破滅の町だって、誰にも要請されずに書いたんだもの。自分の思いを、整理するためにね。それと同じようだとは言えない。でも、
 同じようなことが、たくさんある。」
 彼女は遠くを見ました。彼女は今も故郷のトラエルの町近くには住んでいません。
「どこにいても、きっと人は同じことをし続けているんだという気持ちがある。あの町に住んでいようが、そうではなくても。同じ苦しみと向き合い、同じつらさを抱え、
 記憶と意志は、北も南も越えて、世界中を、時間を超えて飛び回っているような気がする。」

「そしてその場は世界中を覆っているかもしれない。」
 テオルドが言いました。
「もしかしたら──未来と、過去も。」



 ミスタチたちは、時間の遅くなる魔法の掛かった土地に入って、自分の体を確かめました。つまり、自分たちの肉体がここに生まれ育つ生命と同じ魔法が掛かっているかどうかを調べたのです。結果は、奇妙なものでした。どうやらその魔法は場に掛かるのではなく、直接体に掛かるもののようなのです。平たい地面の上の、その空間のすべてのものに、というのではなく、体という場に、掛かろうとするかのようだったのです。それまで、彼らは生命の肉体を一つの魔法の掛かる場だという風に理解していませんでした。この理解がさらにティヌヴァルの魔法学を深めることになるのですが、どうやら、彼らの診た患者の疾患の原因はここにあると見込みました。それは、生殖に必要となる、夫婦の互いの身体から提供し合ったものが、合体し女性の体の中で発育してくる途上、おそらく母親の肉体に掛けられたままの魔法が原因で、なぜか四ヶ月以内に中から排除してしまおうとした、という見立てでした。
 彼らは母親の体に掛かった魔法を解きました。それで、無事、子供が誕生しました。
 スチルもその体に掛けられた魔法を解いていました。それは、同族に彼女から人を害する魔法を掛けてしまったことが原因でした。
 そこには時間の遅くなる魔法が掛かっているとはいえ、そのことを実感するのはその魔法の掛からない場所と、その場所とを見比べた時です。そうでなければただ巨大な生き物と巨大な人間がたまたまそこに生息する場所です。時間が遅くなった所にその外側から行っても、体の中と外とで違った時間が流れるのではないですから。巨大になった人々と普通のサイズの人々が出会って話をしてもその会話の速度がお互いに違うということもないのです。それは場の問題として解き明かすことができました。生命の中にできた場と、かの土地全体に掛かる場とは、異なるのです。その土地に掛かる魔法が、生命の体に侵食していくようにして、生命の時間を遅くしたのです。スチルはこの生命の中にある場の時間を止めてしまったのです。
 相手は彼女の親友と母親でした。彼女は、ティヌヴァルでもそうであるように、明るくはきはきとしゃべり、良いムードをつくれる元気印でした。彼女はこう願ったのです。ずっと、この時間が続くように。大好きな人間が傍にいる、この瞬間が永遠に続きますようにと。
 その瞬間、彼女の親友と母親は石のように固まりました。彼女たちの時間が瞬間に保存されたのです。この場にミスタチたちは居合わせました。彼らの研究のために、その村を訪れていたのです。

「なぜこの世に魔法が使えるような場が登場してきたか、その生誕の理由は諸説ある。」
 ミスタチはユスフルの授業でこのようなことも話していました。
「人が他者を認識し始めた後だろうというのは推測される。なぜならそうでないと対象に魔法を掛けるということができないからな。言語も大切だ。それがないと願いを掛けられない。声を出して話しかける。これが、最初の魔法だと考えられている。ただ声をかけるだけだ。だがそこに、温かみや、親しみ、愛情、時には冷たさ、苦しさ、悲しさも感じるだろう。人から人に影響を与えるもの、それが声であり、言葉だ。
 恐ろしいことに、人は、同じ効果をそこに求める。まるで彼らが農業を志したように、期待した成果を繰り返すことを、自分の声を発した相手にも求め出すんだ。そしてそれが繰り返される。つまり、相手は、その声に操られるようにして、声の主に期待されたことを繰り返し出した。
 これが何度も、色々な所で、行われた。今でも祭や儀式などで、例年同じ行いをして、豊穣や安寧を祈願するね。その土地の魔法が掛からない範囲で、だが。でもまじないをかけるには違いない。本当のまじないがかかってしまったんだ。僕たちはそれを『魔法による支配を受ける』と言う。魔法が掛かる、ということは、その支配の力を受ける、ということだとね。」

 かの土地では生物の時間を自由に操作することが可能だったのです。

「そして、同じような魔法を人々は互いに掛けるようになった。相手ではなく、自分にも掛けるようになった。自分にも、繰り返し叶えたくなる願いがあったんだ。」

 はじまりは、スチルのように、大切な人間と共に瞬間に閉じ込められたいと誰かが願ったのかもしれません。

「それが叶うなら、おそらく周りの人間は、願いが成就した有り様を見てそれと同じようなことを願うだろう。それがどんなに恐ろしかったことか、僕は知らない。ただ想像するだけだ。もしかしたら、魔法のはじまりは、そうした景色が繰り広げられていたのではないかと。」

 スチルは知りませんでした。この土地がそのような魔法を掛けられるようにするとは。自分が、そんな魔法が使えるとは。

「だが人間には別の知らない魔法が掛かっていたと言えるな。それは、繰り返し思い通りに誰かを動かせるならば、そのように動かしたいという、欲求だ。もしかしたら、誰かにそれを願ったとしても、繰り返しがなければそれは分からなかったかもしれないから。記憶がなければ。意志がなければ。『同一』ということは認識されない。
 魔法とは時間のことではなかろうか、という研究も進んでいる。だがこれは、忘れてくれ。仮にそうだとしても、いざ魔法が掛けられる時、あるいは解こうとする時、どうしてそれが可能になるのかというところまで、研究は進んでいないんだ。」

 スチルは石のように固まった大切な人たちを見て、一体何が起きたのか把握ができませんでした。その日は彼女らを放っぽいて、自分だけ夕食を摂り、眠ったのです。
 ミスタチとその仲間は、彼女が友人と母親を氷りつかせる瞬間を目撃していました。しかし、彼らにも何が起こったのか分かりませんでした。この土地で、そのような魔法が発動されるとは聞いていませんでしたし、二人は突然動かなくなったので、魔法が掛かったにしろ、その性質は時間と何の関係があるかは分からなかったのです。
 その後この土地には学会から多数の研究者たちが派遣されることになります。時間を操れる魔法は肉体という場にしか存在しないのだと分かって、その事実が魔法学に新しい見方を提供したからです。
 次の日も、その次の日も、スチルの友人とその母親は動きませんでした。和やかな歓談をしていた様子で、まさしくその瞬間が、永遠のものとなったのです。治療師としてそこに居合わせたミスタチたちは、例のその土地外にいる患者の所に戻ってしまいました。そちらの患者の方が緊急を要するほど、あまりに身を儚く思うばかりの心の状態だったのです。しかし、そちらの治療が終わると、彼らはスチルのいる村をもう一度訪れました。治癒の結果を伝えるためと、村に招き入れてくれた感謝を伝えるためでした。魔法は、永続的に掛けられてしまうのもあれば、一時的に効力を発揮するだけのものもあり、時間経過とともに、薄れていくものもありましたが、依然、スチルの友人と母親はその姿のままでした。彼らはその魔法を解くことを依願されました。
 彼らは二人に掛けられた魔法を調べました。そこでもしかしたらと、彼らがこの村に着いて気づいた、身体に掛かる魔法の場を、可視化して調査しました。それは、二人の体を地面に描いた円の内側に入れ、ぐるぐると繰り返されている力の渦をその円の内側と外側で切り離し、二人に働く魔力がどのように円内で活動しているのかを調べるものでした。すると、その女性二人に掛けられたのが、元来この土地に住む住人が肉体という場に受け入れた魔法を、強く操作するもののようであることが分かりました。
「どうやらこの土地は時間の遅くなる魔法が掛かっているということは、本当のようだ。」
 と、ミスタチは言いました。彼や、魔法学会の者たちは、まだ、この土地に掛かる力が本当はどのような性質のものなのか、調べ尽くしてはいませんでした。
「そう判断してみよう。十ヶ月も動かないということは、動くなという思いが掛けられているのではなく、周りの空気を停止させたのでもなく、術手が時間を止めたかった、あるいは猛烈にその流れを遅くしたいという願いを掛けたんだと、してみよう。」
 無事、二人の呪いは解けました。二人は互いに談笑し合ったまま、元の時間の流れに戻りました。だから、彼女たちには周りの変化が、特にスチルが気を落としている様子が分かりませんでした。
 スチルはミスタチたちにいたく感謝しました。そして、どのような魔法を自分が使ったか、村で彼らからその講義を受けました。しかし彼女にはほとんど分かりませんでした。
 彼女は彼らと同じような治療師になることを夢見ました。そこで、彼らについていき、魔法学校の門を叩いたのです。彼女は、他人に魔法を掛けると共に、自分自身もその魔法に掛かっていました。命の時間が遅くなるという魔法が。ミスタチが学校を去ってからも、彼女は勉強を続け、ついに、故郷の土地が自分に掛けたその魔法を独力で解くことができました。

 ミスタチは長らくその時間に魔法が掛かる現象を気にしていました。他の魔法に比べてそれは特殊に思えたのです。時間とは、何か、ということに考えは及びました。それは、様々な定義ができます。彼は、スチルの故郷の魔法が生命体に掛かる以上、肉体の成長をそれは操るのだと思いました。その成長と、衰退と。しかし、どうして人間は肉体の成長を成長だと分かるのか。あるいは衰えを衰えだとどうして知るのか。そこには記憶と、時間という概念がなければ分からないのではないか、と考えたのです。
 つまり時間を対象化しなければ、それは操ることもできない、と分かったのです。彼はこれが恐ろしいことに思いました。どんな魔法も恐ろしいのですが、それがなおいっそう。なぜなら魔法は対象に変化を促す術であり、変化とは、時間だからです。変わる前と変わった後を把握する時間。このことが分からなければ、人は願えないのではないか。
 魔法を解くとはいかなることか。それは、人の時間を、元に戻してあげる作業なのではないか、とミスタチは考え始めています。まるで、時間を戻そうとすることが、魔法を掛けるということではないかと分かってきたからです。願うとは、過去に準拠した事柄しか挙げられないのです。そして、願ったなら、もしそれが叶ったなら
 準拠した過去がそこに現れたことになるのです。
 時を操るという要素が、魔法にあるならそれを解くことは、その魔法にまだ掛かっていないまで戻すということではないか…?ミスタチは、そのような考えを魔法学に提案したのです。そして、時間に関する研究は学会の一部になりました。

 どうして人は過去を繰り返そうとするのか。それこそ
 この世に掛けられた、仕様のない魔法なのではないか?

 ヨダチは元々紫髪ではありませんでした。しかしながら長髪の美しい、騎獣民族の出でした。その民族は大小のサイズに限らず複数の獣を乗りこなし、武力でもって版図を広げていきました。
 しかし、近年になってその版図は取り崩され、彼らの領地は縮小していました。というのも、彼らは魔法によって攻撃を受けたのです。騎獣民族に対抗すべく興された勢力を指導したのは、この大陸にあるもう一つの学会で、ティヌヴァルとは異なり彼らは魔法を除くのではなく、使いこなす目的でこの学問を修めようとする集団でした。
 ヨダチの生まれ育った領地はこの攻撃を受け、荒廃しました。たくさんの魔法による被害者が出ました。その被害者を救わんとする者はいませんでした。彼らは侵略者であり、圧政の主だったからです。彼らは平野の奥まった民族の本陣へ、大挙して退きましたが、それもかなわなかった人々は、方々へ散らばりました。
 ヨダチは十の頃この憂き目に遭い、セブルムを駆って地方へ逃げました。家族と共に、辿り着いた先で、ティヌヴァルへのつてを貰いました。彼らは海を渡りました。大小の島々が連なる内湾を経て、大都であるその都市へ辿り着きました。彼の家族は騎乗が得意でしたのでその仕事に就きましたが、ヨダチは内向的な性格で、巻物にしたためられた本を読むことが好きでした。家族も彼は学問が似合うだろうと思い、都の文書職人の養成所などに彼を入れました。
 彼は精力的に学習しました。外国語を覚えるのに苦もなく、秀才ぶりが褒め称えられました。
 彼は魔法学校の門も叩いています。しかし、その時は門前払いでした。なぜなら、彼は人に魔法を掛けたことがなかったからです。ユスフル・ヨダチは大人しい性格でした。容姿も悪くなく、彼は年上の女性から多く声をかけられました。
 しかし彼は深く思うことがありました。魔法というものが存在している以上、例えば海上の風なんかを、自由に操れたりはできないだろうかと。人々は季節風を利用して(利用しなければならない)船を航行させており、凪の時は必然的に停止し、突然の雨には濡れなければならず、船旅でそのような目に遭い良い思い出のなかったために、ヨダチはそんなことを空想したのです。どうして人間は積極的に魔法を使わないのだろう。魔法学校というものがこの都市にあるのに。
 ヨダチは都から南側の地では依然魔法が使えることを知りました。しかも、簡単にそれは確かめられるのだというのです。彼は一人で南の地に向かい、そこで実験をしました。
 魔法は願うことが肝要です。しかも、まったく起きそうにないことを願う、というのが条件です。彼は、手の平に炎が踊らないかと願いました。炎は、その手の平の上に燃え上がりました。しかし、大した熱さで彼の手は危うく火傷しそうになりました。
 ヨダチは目の前の地面に雨よ降れと願いました。すると、夕立ちのような雨がどかどかと降り、円く地面を濡らしました。彼は喜びました。もっともっとと願いました。
 彼は一瞬記憶がなくなりました。あまりに願いすぎて、自分が何をしたのか、失念してしまったのです。彼は食事も出しましたし、それを平らげました。彼は魔法で生んだ水を飲みました。彼は椅子なり寝床なりをそこへ出現させ、いい気持ちでくつろぎました。彼にとって必要なものは全てそこに揃えられ、彼は次第に、願うものがなくなっていきました。彼は願いをつくらなければならなくなり、ありとあらゆるものをそこに登場させましたが、
 いつか、こんなものいらないと思いました。いらない、と思えば、それは次々に消えていきました。彼はすっかり自分の願いの虜になったのです。そして、どこから自分がこの場所に来たのかも、一時忘却してしまったのです。願いは、ぐるぐると繰り返す思いの波動が世界へと呼び掛け、世界のならわしを変えてしまうものでした。それは過去と現在を変えてしまうものだったのです。その間を断ち切り、矛盾を生み、それによって変えてしまったものを元に戻せなくするという…。
 自身の記憶が混乱するまで、願いを掛け続けた彼は泡を吹いて倒れました。その時、彼の生み出したものは全部消えてなくなりました。そこでは術者が意識を有するかぎり、限りなく自然物を生み出せる魔法が使えました。都から南の地での魔法は人間を変えたり、あるいは生き物を思い通りにすることはできなく、天候などの自然現象や、料理、布、縫製物、木製の家具、石製の構築物などを、自在に操ったり出現させたりができたのです。そのために
 戦争は悲惨なものでした。この魔法が掛かる領域が広がると共に、人々は際限ない魔法の掛け合いを試し、あくまで実物の現れる互いの魔法で、力尽きるまで殺し合ったのです。なぜなら、そうしなければ、自分の身が守れなかったからです。
 ティヌヴァルに連れてかれ、ヨダチはこの仕組みを教えられました。彼は、両親の名前が分からなくなっていました。その顔を見ても、その声を聞いても、何も思い出せなかったのです。
 彼のように記憶を失う、という現象は、魔法を使ってしまった者たちの身に襲いかかる恐ろしい犠牲の一つでした。それがなぜなのか、は依然学会で討論される内容でした。ヨダチは魔法学校へ入学しました。しかし、あまりに重いものを、彼は失っていました。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します

namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。 マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。 その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。 「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。 しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。 「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」 公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。 前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。 これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。 前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。 ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。 「この家は、もうすぐ潰れます」 家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。 手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。

処理中です...