26 / 35
26話
しおりを挟む停戦後、カナフは治癒魔術の詳細をまとめ、魔術研究学部の学部長である学院長へと提出した。だが、他の魔術師はカナフの考案した治癒魔術を使うことができなかった。
そうだ、確かあの時、バルテルが——。
「カナフ、この魔術の詠唱なのだが」
常にはない殊勝な態度で声をかけてきた同僚に、自分はなんと言葉を返しただろうか、と記憶を辿るが、思い出せはしなかった。
明白なのは、カナフは人に教えるのが苦手なことである。バルテルの求める答えを返せなかったに違いない。それどころか、面倒だとか、君には無理だとか——思ったまま口に出してしまったことは、大いにあり得る……。
「……僕が悪かった。ここから出してくれたら、すぐに教えるから——」
「何を今さら……もう遅い。私には貴様が邪魔だ。消えてもらう」
取り付く島もない様子のバルテルに、カナフの頭に疑問が浮かぶ。
「……どうしてなんだ? 僕に罪を着せる為に関係ない人まで殺したんだろう? 何も、そこまでせずとも……」
「フン……貴様が学院を去る様仕向けた方が容易だとでも? どうだかな……。貴様は勘違いをしているようだが、私はただ、あの女を殺したかった人間の背中を押してやっただけだ。貴様に罪を着せるのに、大した手間はかかっていない」
カナフは目を眇め、バルテルを睨み返す。
「……こんなこと、学院長が見過ごすはずない」
「だが、貴様はもう二度と彼に会うことはないだろう。証人も牢番も弁護人も買収済みだ。彼らは大金を手に入れる為ならば、貴様の首に喜んで縄をかけるような人間達だ」
バルテルは勝ち誇った笑みを浮かべていた。カナフは眉根を寄せて、言葉を発する。
「卑怯者……っ」
「何とでも。では、私はお暇させていただく。残された僅かな時間を有効に使い給えよ」
最も、牢の中でできること等たかがしれているが、と嘲るバルテルに、カナフは思わず鉄格子を素手で殴り付けた。
「お大事に」
黒髪の魔術師の嘲笑と靴音が、闇の奥へと消えていく。
バルテルの姿が見えなくなってから、カナフは薄汚れた寝台に腰を下ろし、肩を落として頭を抱えた。
「死にたくない……」
バルテルの口にした、首に縄をかける、という言葉が頭から消えない。
ハル——死んでしまったら、二度と君に会えなくなってしまう。
淹れてくれたお茶を飲むことも、遠くから眺めることも、同じ空の下で今、君は何をしているのだろうか、と思い巡らすことすらも。
「誰か、助けて——」
カナフは己の無力を噛みしめ、差し迫った死への恐怖に怯える。
寒々とした牢の中でなすすべなく、身を震わせるのだった。
*
その日、王都には朝から霧雨が降り続いていた。雨の日は客足が遠のく。カフェ・ベルデも例外ではなく、店内は空席が目立っていた。
「ホォッホォッホォッ……美味い茶じゃのう、アロンや」
「そうですねぇ」
ゆったりとした店内で出されたお茶を上機嫌で、楽しんでいるのは魔術学院の長である学院長であった。向かいの席で相槌を打っているのは、同学院の下級魔術師、アロンである。
「カナフが通い詰めるだけのことはあるわい」
「学院長、ゆっくりお茶を飲んでる場合では……」
苛立たしげなアロンを気にかけず、学院長はいつもと変わらずおっとりと振る舞っていた。
「どれ、おかわりを貰おうかの。おーい。そこの店員さんや」
「はい」
女性給仕の返答を受けたが、学院長は首を横に振った。
「すまんのう。あちらの背の高い、眉目秀麗な店員さんを呼んでもらいたいんじゃが」
女性は苦笑を浮かべた後、ハルに声をかけに行く。
「大変お待たせいたしました」
「おお。お前さんがハル君か。噂に違わず男前じゃのう」
「恐れ入ります。私に何か御用でしょうか?」
「悪いんじゃが、お前さんに個人的な頼み事をしたくてのう」
「頼み事? あ、貴方はもしや……」
そこでハルは、小柄な老魔術師が誰なのか、ということに気付き、背筋を伸ばした。
「失礼致しました!」
「ホォッホォッホォッ……そうかしこまらんでも。今日はお忍びなんじゃ」
「とんでもないです! 学院長様が私に個人的な頼み事とは、どういったご用件でしょうか?」
「うむ。それはの、儂の養い子でもある我が学院の上級魔術師が、少々厄介事に巻き込まれての。ひとつ手を貸してほしいのじゃ」
ハルは目を見張り、学院長へ問いかける。
「その魔術師というのは、カナフのことですか?」
「そうじゃ。引き受けてくれるかの?」
「はい、私にできることならば、なんなりと」
学院長は相好を崩し、空いていた椅子をハルに勧めるのだった。
0
お気に入りに追加
55
あなたにおすすめの小説
三限目の国語
理科準備室
BL
昭和の4年生の男の子の「ぼく」は学校で授業中にうんこしたくなります。学校の授業中にこれまで入学以来これまで無事に家までガマンできたのですが、今回ばかりはまだ4限目の国語の授業で、給食もあるのでもう家までガマンできそうもなく、「ぼく」は授業をこっそり抜け出して初めての学校のトイレでうんこすることを決意します。でも初めての学校でのうんこは不安がいっぱい・・・それを一つ一つ乗り越えていてうんこするまでの姿を描いていきます。「けしごむ」さんからいただいたイラスト入り。
黄色い水仙を君に贈る
えんがわ
BL
──────────
「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」
「ああ、そうだな」
「っ……ばいばい……」
俺は……ただっ……
「うわああああああああ!」
君に愛して欲しかっただけなのに……
【完結】生贄赤ずきんは森の中で狼に溺愛される
おのまとぺ
BL
生まれつき身体が弱く二十歳までは生きられないと宣告されていたヒューイ。そんなヒューイを村人たちは邪魔者とみなして、森に棲まう獰猛な狼の生贄「赤ずきん」として送り込むことにした。
しかし、暗い森の中で道に迷ったヒューイを助けた狼は端正な見た目をした男で、なぜかヒューイに「ここで一緒に生活してほしい」と言ってきて……
◆溺愛獣人攻め×メソメソ貧弱受け
◆R18は※
◆地雷要素:受けの女装/陵辱あり(少し)
ホントの気持ち
神娘
BL
父親から虐待を受けている夕紀 空、
そこに現れる大人たち、今まで誰にも「助けて」が言えなかった空は心を開くことができるのか、空の心の変化とともにお届けする恋愛ストーリー。
夕紀 空(ゆうき そら)
年齢:13歳(中2)
身長:154cm
好きな言葉:ありがとう
嫌いな言葉:お前なんて…いいのに
幼少期から父親から虐待を受けている。
神山 蒼介(かみやま そうすけ)
年齢:24歳
身長:176cm
職業:塾の講師(数学担当)
好きな言葉:努力は報われる
嫌いな言葉:諦め
城崎(きのさき)先生
年齢:25歳
身長:181cm
職業:中学の体育教師
名取 陽平(なとり ようへい)
年齢:26歳
身長:177cm
職業:医者
夕紀空の叔父
細谷 駿(ほそたに しゅん)
年齢:13歳(中2)
身長:162cm
空とは小学校からの友達
山名氏 颯(やまなし かける)
年齢:24歳
身長:178cm
職業:塾の講師 (国語担当)
【R18】奴隷に堕ちた騎士
蒼い月
BL
気持ちはR25くらい。妖精族の騎士の美青年が①野盗に捕らえられて調教され②闇オークションにかけられて輪姦され③落札したご主人様に毎日めちゃくちゃに犯され④奴隷品評会で他の奴隷たちの特殊プレイを尻目に乱交し⑤縁あって一緒に自由の身になった両性具有の奴隷少年とよしよし百合セックスをしながらそっと暮らす話。9割は愛のないスケベですが、1割は救済用ラブ。サブヒロインは主人公とくっ付くまで大分可哀想な感じなので、地雷の気配を感じた方は読み飛ばしてください。
※主人公は9割突っ込まれてアンアン言わされる側ですが、終盤1割は突っ込む側なので、攻守逆転が苦手な方はご注意ください。
誤字報告は近況ボードにお願いします。無理やり何となくハピエンですが、不幸な方が抜けたり萌えたりする方は3章くらいまでをおススメします。
※無事に完結しました!
Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜
天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。
彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。
しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。
幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。
運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。
美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました
SEKISUI
BL
ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた
見た目は勝ち組
中身は社畜
斜めな思考の持ち主
なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う
そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる