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9話
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それから二日後の夕暮れ時——家の呼び鈴が鳴る音を聞くなり、マシューは玄関へと駆け寄った。扉を開けると、セシルの姿があった。
「いらっしゃい」
「お邪魔します……これ」
セシルが紙袋を差し出したので、マシューは受け取る。一昨日話していた軟膏のようだ。
「兄貴、セシルから腰痛に効く軟膏貰ったぜ。よかったな」
兄のケヴィンより早く、マシューの声に言葉を返したのは、愛嬌のある笑顔を浮かべた母マーサだった。
「マシュー! ユニスちゃんの前で、ケヴィンは腰痛持ちだとか言うんじゃないよ! まったく……ああ、セシル、よく来たねえ」
マーサの背丈は女性にしては大柄で、セシルとほとんど変わらない。頬は健康そうに赤く色づいている。
肉付きのよい樽のような身体を揺らして小走りでこちらへと近づく様にセシルは、猪に突進されかけたときのことを思い出した。力強い抱擁に、華奢な魔術師は身体をみしりと軋ませた。
「ちょっとぉ、また痩せたんじゃないのかい!? これじゃ餓死しちまうよ。マシュー、あんた、セシルが……どうなってるんだい!?」
「落ち着けよ、かあさん。そいつはいくら食わせても太らねえし、前からそんなもんだろ」
「そうだったかねぇ? おやおや、腕回りなんてあたしの半分もないよ。心配だよぉ。風が吹けば折れちまうんじゃないかい!?」
セシルはマーサに圧倒されながら、何とか口を挟み込む。
「ご心配痛み入ります。今日は夕食にお招きいただき、ありが——」
マーサはセシルの挨拶をみなまで言わせず、あたたかな家の中へと招き入れ、早口に言葉を続けた。
「そんな、他人行儀にしなくていいよぉ。あんたはうちの家族みたいなもんじゃないか。さあ、入った入った。腕によりをかけて夕飯を作ったからねえ。今日は、たーんと食べていっておくれよ」
セシルはマシューと家族の暮らす家に足を踏み入れた。夕食時の香ばしい、よい匂いが鼻腔をくすぐる。
「いらっしゃい、セシル。軟膏をありがとう」
マシューの兄、ケヴィンが人のよさそうな柔和な笑顔でセシルを出迎えた。
その傍らには、セシルよりも小柄な女性が控えている。初めて見る顔だった。清潔そうな衣服に身を包んだ彼女は、日向に咲く可憐な鈴蘭のような人だった。
「セシル、こちらはユニス。僕の婚約者なんだ」
「はじめまして、ユニスです。隣村で両親の小間物屋を手伝いをしています」
「セシルです。よろしく……」
「かあさん、腹減ったー! もう食っていい?」
「俺も、もう限界なんだけど」
マシューの弟たちの不満の声に、マーサはすかさず声を張り上げる。
「静かにおしー! まったく、うちの腹減り虫たちときたら……摘み食いしないよう、見張っといいておくれよ、アンヌ!」
「任せて、かあさん」
今年で10歳になる末の妹アンヌは胸の前で腕を組み、ふたりの兄たちに睨みをきかせている。ビリーとファビオは互いの顔を見合わせ、同時に肩を竦めた。そんな兄弟たちをあたたかな目顔で見守っているのがマシューたちの父、ヨセフである。
「騒がしくてすまないねえ、セシル。狭苦しいとこだけど、自分の家だと思って寛いどくれよ」
ヨセフは背が高く強面で、白髪混じりの灰色の髪を短髪に整え、口元には豊かな髭を蓄えている。落ち着いた声と口調でゆっくり話す様からは、人の良さがにじみ出ていた。
「はい、ありがとうございます」
円形の食卓には、心づくしの料理が並べられており、食欲をそそる香りを放っていた。焼きたてのパンに肉のパイや蕪のスープ、新鮮な野菜のサラダはマーサの曽祖母秘伝のソースとよく絡み、あっという間になくなった。
今日の話題の中心は本日25歳の誕生日を迎えるケヴィンと、その婚約者ユニスである。
「ケヴィンも水臭いんだから。こんな可愛い子、あたしにだけでも、もっと早く紹介してほしかったよ」
照れくさそうにするケヴィンや困ったような笑みを浮かべるユニスに代わって、マシューが口を開く。
「かあさんに話したら家族みんな……いや、次の日には村中全員に知れ渡るだろうな」
食卓は朗らかな笑い声で満ちた。
「村一番のおしゃべりだからな。かあさんは」
「ビリー! まったくもう、この子たちったら!」
マーサの一際大きな笑い声が部屋に響く。
「セシル! ちゃんと食べてるかい?」
「はい、いただいてます」
「もっと食べて、体力つけなきゃ。どれ、あたしがよそってあげようねえ」
「いえ——」
セシルが丁重に断ろうとするよりもより速く、マーサは取り皿へと料理を、とりわけ肉を盛っていく。
「かあさんっ! セシルは小食なんだ。無理させんなよ」
「……そうなのかい?」
「ええっと……その……どちらかと言えば……」
口ごもるセシルの背をマーサは軽めにはたいた。
「かあさん!」
「いっぱい食べてりゃ、その内もっと食べられるようになるさね。さあ、お食べお食べ。まだまだ、おかわりあるよ! アンヌ、手伝ってくれるかい?」
「はーい!」
元気な返事を返したアンヌを伴い、台所へ向かった母の姿が見えなくなるとすぐに、マシューはセシルの皿に盛られた肉を、自分の皿へと移し替えていく。
「いらっしゃい」
「お邪魔します……これ」
セシルが紙袋を差し出したので、マシューは受け取る。一昨日話していた軟膏のようだ。
「兄貴、セシルから腰痛に効く軟膏貰ったぜ。よかったな」
兄のケヴィンより早く、マシューの声に言葉を返したのは、愛嬌のある笑顔を浮かべた母マーサだった。
「マシュー! ユニスちゃんの前で、ケヴィンは腰痛持ちだとか言うんじゃないよ! まったく……ああ、セシル、よく来たねえ」
マーサの背丈は女性にしては大柄で、セシルとほとんど変わらない。頬は健康そうに赤く色づいている。
肉付きのよい樽のような身体を揺らして小走りでこちらへと近づく様にセシルは、猪に突進されかけたときのことを思い出した。力強い抱擁に、華奢な魔術師は身体をみしりと軋ませた。
「ちょっとぉ、また痩せたんじゃないのかい!? これじゃ餓死しちまうよ。マシュー、あんた、セシルが……どうなってるんだい!?」
「落ち着けよ、かあさん。そいつはいくら食わせても太らねえし、前からそんなもんだろ」
「そうだったかねぇ? おやおや、腕回りなんてあたしの半分もないよ。心配だよぉ。風が吹けば折れちまうんじゃないかい!?」
セシルはマーサに圧倒されながら、何とか口を挟み込む。
「ご心配痛み入ります。今日は夕食にお招きいただき、ありが——」
マーサはセシルの挨拶をみなまで言わせず、あたたかな家の中へと招き入れ、早口に言葉を続けた。
「そんな、他人行儀にしなくていいよぉ。あんたはうちの家族みたいなもんじゃないか。さあ、入った入った。腕によりをかけて夕飯を作ったからねえ。今日は、たーんと食べていっておくれよ」
セシルはマシューと家族の暮らす家に足を踏み入れた。夕食時の香ばしい、よい匂いが鼻腔をくすぐる。
「いらっしゃい、セシル。軟膏をありがとう」
マシューの兄、ケヴィンが人のよさそうな柔和な笑顔でセシルを出迎えた。
その傍らには、セシルよりも小柄な女性が控えている。初めて見る顔だった。清潔そうな衣服に身を包んだ彼女は、日向に咲く可憐な鈴蘭のような人だった。
「セシル、こちらはユニス。僕の婚約者なんだ」
「はじめまして、ユニスです。隣村で両親の小間物屋を手伝いをしています」
「セシルです。よろしく……」
「かあさん、腹減ったー! もう食っていい?」
「俺も、もう限界なんだけど」
マシューの弟たちの不満の声に、マーサはすかさず声を張り上げる。
「静かにおしー! まったく、うちの腹減り虫たちときたら……摘み食いしないよう、見張っといいておくれよ、アンヌ!」
「任せて、かあさん」
今年で10歳になる末の妹アンヌは胸の前で腕を組み、ふたりの兄たちに睨みをきかせている。ビリーとファビオは互いの顔を見合わせ、同時に肩を竦めた。そんな兄弟たちをあたたかな目顔で見守っているのがマシューたちの父、ヨセフである。
「騒がしくてすまないねえ、セシル。狭苦しいとこだけど、自分の家だと思って寛いどくれよ」
ヨセフは背が高く強面で、白髪混じりの灰色の髪を短髪に整え、口元には豊かな髭を蓄えている。落ち着いた声と口調でゆっくり話す様からは、人の良さがにじみ出ていた。
「はい、ありがとうございます」
円形の食卓には、心づくしの料理が並べられており、食欲をそそる香りを放っていた。焼きたてのパンに肉のパイや蕪のスープ、新鮮な野菜のサラダはマーサの曽祖母秘伝のソースとよく絡み、あっという間になくなった。
今日の話題の中心は本日25歳の誕生日を迎えるケヴィンと、その婚約者ユニスである。
「ケヴィンも水臭いんだから。こんな可愛い子、あたしにだけでも、もっと早く紹介してほしかったよ」
照れくさそうにするケヴィンや困ったような笑みを浮かべるユニスに代わって、マシューが口を開く。
「かあさんに話したら家族みんな……いや、次の日には村中全員に知れ渡るだろうな」
食卓は朗らかな笑い声で満ちた。
「村一番のおしゃべりだからな。かあさんは」
「ビリー! まったくもう、この子たちったら!」
マーサの一際大きな笑い声が部屋に響く。
「セシル! ちゃんと食べてるかい?」
「はい、いただいてます」
「もっと食べて、体力つけなきゃ。どれ、あたしがよそってあげようねえ」
「いえ——」
セシルが丁重に断ろうとするよりもより速く、マーサは取り皿へと料理を、とりわけ肉を盛っていく。
「かあさんっ! セシルは小食なんだ。無理させんなよ」
「……そうなのかい?」
「ええっと……その……どちらかと言えば……」
口ごもるセシルの背をマーサは軽めにはたいた。
「かあさん!」
「いっぱい食べてりゃ、その内もっと食べられるようになるさね。さあ、お食べお食べ。まだまだ、おかわりあるよ! アンヌ、手伝ってくれるかい?」
「はーい!」
元気な返事を返したアンヌを伴い、台所へ向かった母の姿が見えなくなるとすぐに、マシューはセシルの皿に盛られた肉を、自分の皿へと移し替えていく。
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