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3話
しおりを挟む「まったく……まだ痺れてるぜ」
マシューは一旦手を止め、刈り入れ用の鎌を持つ手を持ち替えた。
朝食前にセシルの煎じたあやしげな薬を飲まされたマシューの身体には、まだ痺れが残っていた。セシルは不調を訴えるマシューを医師のように診察すると、
「ふむ——どうやらまだまだ開発の余地があるらしいな」と、こともなげに言い放った。
——覚えてろよ……夜は見返りというか、仕返しになるかもなぁ……。
マシューの顔に物騒な笑みが広がる。
「兄貴、なに一人でニヤついてんだよ。気持ち悪いな……」
マシューの弟、ファビオが呆れた目をマシューへと向けた。
「エロいこと考えてただろ!?」
一番下の弟、ビリーがニヤつきながらマシューを小突いてきた。
ビリーとファビオは16歳と18歳。いわゆるお年頃のせいか、それはそれは楽しそうだ。
「お前らと一緒にすんじゃねーよ。サボってると飯抜きだからな」
「はぁっ!?」
二人は揃って抗議の声を上げた。食べ盛りの少年たちにとっては死活問題である。
「兄貴は鬼だ!」
「可愛い弟が腹を空かせるのが、楽しいってのか!?」
「るっせぇよ。くっちゃべってる暇があったら、さっさと手を動かしな」
口々に不満を言いながら渋々と実った麦を刈り取る作業に戻った二人を目の端に捉え、小さく溜め息を吐くマシュー。
——まったく……。クソガキが二人揃うと手に負えないぜ。
内心で悪態を吐くマシューだが、二人の弟を見る目は優しかった。マシューは五人兄弟の次男坊だった。上に25歳の兄が一人と一番下に10歳の妹がいる。ちなみにマシュー自身は22歳で、幼馴染のセシルよりひとつ上である。
マシューは手際良く麦を刈り取っていく。十数年間幾度も繰り返してきた作業はマシューの身体に染み込んでおり、頭はすぐに単純作業に退屈し始める。
作業の傍ら、マシューは脳裏に幼き日のセシルの面影を描き始めた。
『ましゅー、ましゅー』と、舌足らずに自分を呼ぶ声が耳に入ると、マシューの胸はとくん、と高鳴った。
よく晴れて澄み切った高く青い空の下、見渡す限り広がる一面の紫色のラベンダー畑に、ふたりはいた。
「おはな、きれいだねえ」
「うんっ。とってもいいにおい。ぼく、このおはな、だあいすき!」
「おれもっ! だい、だい、だぁいすき!」
幼いマシューが編んだ拙いラベンダーの花輪を頭にのせたセシルは、村のどの女の子よりも可愛いかった。マシューはたどたどしい言葉で、だが一生懸命にそれを伝え、やわらかなまるい頬に口づける。
「ぼく、おおきくなったら、ましゅーのおよめさんになりたい」
「ほんとっ!?」
「うん……」
「やったぁ!」
そう言ってはにかむように笑ったセシルの笑顔は、幼いマシューの心に刻まれ、一番大事な宝物となった。
「セシルはおれのおよめさん! やくそくだよ」
「うん! やくそく!」
小さな小指同士を絡めたときのやわらかな感触を、マシューは今でも鮮明に思い出せる。
幼き日の誓いはマシューの心に見えない烙印を残した。まるで魔術のように、愛は見えない炎でマシューを焼き続けている。
——アイツ、どうせ覚えてないんだろうなぁ……。
片想いはつらいな——と、内心で呟きながら作業を続けるマシューの背に、「マシューや」と、声をかける人物がいた。
「ホルヘ爺さんじゃねえか、今朝の牛乳も美味かったぜ。いつもありがとうな」
「な~に。いいってことよ」
好々爺然としたホルヘは、小さな牧場を営んでいる。彼の牧場でとれる牛乳は絶品で、村の名産品のひとつだ。遠方から買い付けにくる行商人もいるほどで、その品質は折り紙つきである。
「ひとつ頼まれてほしいんだが、いいかね?」
「おう、アイツの薬かい?」
「ああ……女房がまた腰をやっちまってなあ。あの軟膏を一瓶、いや、二瓶ほど貰えるかね」
今夜会ったときに伝えておく、とマシューが請け負うと、いつもすまねぇなあ……とホルヘは返した。
「爺さんから直接アイツに頼んだ方が早いけどなぁ……」
苦笑混じりのマシューの言葉を受けて、ホルヘは腕を組み、鼻から息を吐き出した。
「年寄りに魔術師様はおっかないや。寿命が縮まっちまったらどうすんだい」
迷信深い老人の言葉に半ば呆れ、マシューは言った。
「セシルは悪魔じゃないぜ、爺さん」
「似たようなもんじゃ。くわばらくわばら……」
ホルヘはマシューに硬貨を渡し、祈るように手をすり合わせた後、来た道を帰っていった。その背を見送っていたマシューは、刈り入れの作業で疲労が溜まりつつある腰を伸ばしながら、小さく溜め息を吐いた。
——セシルが魔術学院から村に帰ってきてから、もうすぐ二年か……。もう少し、村に馴染んでてもいいんだけどな——
と、マシューは気を揉んでいた。
セシルは王都の魔術学院を出た優秀な魔術師で、魔法薬を煎じる腕は確かである。村人たちも彼の作った効き目抜群の薬を重宝している。隣村の商人への卸しは予約待ちだが、村人たちが急な怪我や風邪で薬が入り用な時は、セシルは優先的に煎じてやっていた。
だが、長らく離れていた村に魔術師として帰って来たセシルの、村に馴染もうという努力は、あまり報われてはいないようだ。特に、迷信深い年寄り連中にその傾向は顕著で、マシューを通して薬を依頼する者が多い。
当事者であるセシルがあまり気にしていないようなので、このままでいいのかもしれないが、マシューは薬の言伝てを請け負う度、複雑な思いに駆られるのだった。
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