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家族編 第ニ章 異国のサムライ

吸血鬼の持つ耐久力

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「……………………」

 あたたかな陽を浴びながら、草原が風になびくに耳をすませる。音はだんだん近づいてきて、気持ちのいい風が吹き抜けて、音は遠ざかっていった。
 それが優しく繰り返される。

「ルカぁ……」
「んー?」

 2人して弛緩し切った声が出る。微睡にも似た感覚に身を委ね、顔も動かさずに声をかけた。

「平和だなぁ……」
「うん。のどかだねぇ~……」

 ふへぇと力の抜けた声は、隣に寝転ぶルカのものだ。
 もちろん、オレもルカも吸血鬼である以上は睡眠の必要はない。
 それでもこうした時間は、なんというか心の健康に良い気がした。

 ルミィナの家に迎えられて(歓迎はされていないが)、はや10日ばかりだろうか。眠らずに過ごしていたことで、日にちの感覚が鈍くなっているが、恐らくはそのくらいだと思う。
 その間一体なにがあったかと言うと、実のところなにもなかった。

 いっさい、まったく、みじんも、なんらの特筆すべき出来事もなく、拍子抜けするほどいたって平和に過ごしていた。

 日がな1日を自室での読書に費やし、それに飽きれば日向ぼっこ。たまにこうしてルカがやってきて、そのまま2人でごろごろと過ごす。吸血鬼らしい血濡れの日々もなければ、聖騎士に殺されかけることもない。
 とても、吸血鬼だとバレたら国中から狙われる身とは思えないほどの平和な日々だった。

 けれど、それも当然だ。オレたちのことは世間にはバレていないし、ここには敵もいない。
 平和でけっこう。ずっとこうであってほしい。

「だから、目下のところルミィナさんとの関係が問題か……」

 ここに外の脅威は、今のところない。
 あるのは内の脅威だけだ。

 小鳥のさえずりを聞きながら、風の運んでくる草花の香りを目一杯に吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。時間がゆっくり、ゆったりと流れていく。

 まあ考えるのは後でいいだろう。
 幸いにもルカという味方がいることだし、差し当たって差し迫った危機はないんだから。これからもきっと平和な日々があるのだ。

 目をつぶってそんな考えを浮かべると、音もなく顔に影が差す。

「ん?」

 ルカかと思って目を開けたオレの視線は、こっちを見下ろすルミィナの冷めた視線と交差する。
 穏やかな時間が崩れ去る音を、オレは確かに聞いた。


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 


「耐久、試験……?」

 ルミィナが口にした言葉には、どこかあからさまに不穏な響きが感じられた。

「ええ。坊やも自分の身体の限界は知っておきたいでしょう? どの程度の脅威になら耐えられるのかは理解しておかないと、いざと言うとき不利になるわ」
「それは、まあ……」

 たしかに、この身体がどういった攻撃にどの程度まで耐えられるかは知っておくべきだ。
 自分にとっての“危険”と、一般人とのそれ。その隔たりを理解しておかなければ、すぐにボロがでる。“魔法”とか“魔道具”のおかげだと誤魔化せないこともないだろうが、それでもいつでも使える手じゃない。

 身を守る場合にも自分の限界は必須情報であるし、これはなかなか自分では確かめられないものでもある。
 つまり、ルミィナの提言は部類としては有難く、有益なものになるはず……。

 それに乗り気に慣れないのは、どうにもそれをルミィナから言い出されただけで、総身を不吉な予感が走り抜けたからというだけだ。

「で、どうやってその耐久試験てのをやるんですか?」
「物理的耐久力はルカちゃんに確かめてもらいましょう。魔法は私が担当してあげる」

 おお、最高位魔法師である【魔女】じきじきの魔法攻撃だ。死ぬのか、オレは。
 『私が担当してあげる』と言ったときの表情。ルミィナの嗜虐心を隠す気のない笑顔が、もう全てを物語っている……。

「…………じゃあ……いつにします? その試験」

 自分の余命を聞く気分だ。
 死刑を待つ罪人の気持ちなんて、一生知りたくなかった。

「ルカちゃんがやる気になったとき、ね」

 ルミィナの視線がオレから外れ、慈愛の色を浮かべる。視線を追えば、寝転がりながらノビをするルカの姿。

 この10日間で学んだことだが、ルカはとても気分屋な少女だ。気分が乗れば唐突に行動し、興味がなければどこまでも動かない。
 感情の浮き沈みは激しく無いものの、気分の浮き沈みは殊更に激しい。

 ただ言わせて貰えば、この性格の半分はルミィナという過保護な後見人に責任がある。

 オレに対する小言や、たまに向けられる殺気。
 冷淡な対応と、およそ生物に向けるものではない視線。

 魔女と呼ばれるに相応しいオレへの手厳しい扱いに比べて、ルカに対しては魔女から聖母へ転身する。
 聖母といっても、やや親バカ気味の。
 そうしてさんざん甘やかしてきた結果、ルカという気まぐれさんが醸造されたのだろう。

 だが、今日のルカはやる気のある方のルカだった。
 オレたちの話を聞いていたらしいルカは、パッと起き上がるなり腕を振り、肩をまわして“やる気”をアピールしている。

 ストレッチなんて必要としないルカにとって、これはただの感情表現でしかないが、ともかくいつでもいけるらしい。“ムン!”と気炎を吐いているが、見た目のせいで愛らしさしか漂わない。

「あら、やる気充分ね。
 それじゃあルカちゃん。遠慮なくやってあげて」
「うん! 見ててねルミィナ。
 アトラはルミィナが言うよりずっと強いんだよ!」

 ね!という信頼の眼差し。
 そうも自信を持たれては、こちらとしても応えないわけにもいかない。

 オレも伝説の存在たる真祖の眷属に収まっている身だ。
 その性能が低いはずがない。

 主の信頼を受けて、身体が勝手に奮い立つのが分かる。突拍子のない昂揚感は、これもまた眷属故のことだろうか?

「ああ! なんでも来い!」

 気づけば胸を張って応えていた。
 我ながら、戦績にして1戦1敗の全敗者とは思えない、堂々たる態度だった。

 その後、取り敢えず切断はまたの今度にして、今回は純粋に殴打にしようというルミィナの言葉で、何も持たないルカと向かい合う。

 『切断』なんて言葉が出てきたことに、流石にひと言言いたい気持ちもあった。が、この後控えている魔法への耐久試験のことを考えて飲み込んだ。
 ここでルミィナを怒らせた場合、今は良くとも後が怖い。

「じゃあ、いくよー!」
「オウッ——って、待った。どこを殴るんだ?」

 自然な流れで、淀みなく拳を振り上げたルカへ、待ったをかける。
 狙いを定める視線は、当然のようにオレの怪訝な視線と正面で合わさる。ルカにとっては当然でも、オレにとっては実に不思議なことだ。

「? どこって、顔だよ?」
「いやいやいやいやいや」

 『だよ?』じゃないんだ。
 いくらなんでもいきなり顔面殴打は勘弁して欲しいし、なぜこうも躊躇がないのか。
 別に臆している訳じゃない。ただ納得いかないだけだ。断じて怖いとかではない。

 その後ルカと侃侃諤諤かんかんがくがくと議論という名の懇願をした結果、胸を殴るという結論に落ち着いた。

 オレとしては肩辺りにしておいて欲しかったが、これ以上華奢な少女という外見を持ったルカにあれこれ注文しては、必要以上に怯えているように見える気がして我慢することにした。
 
 大丈夫。胸くらいなんともない。
 なんなら場所こそ違うが、一回くらい穴すら開けてるんだ。殴られるくらいがなんだというんだ。

「さて、それじゃあルカちゃん。徐々に力を強めるやり方でお願いね。いきなり全力だと坊や、死ぬわ」

 ルミィナの大げさな言葉を、ルカと2人で笑って聞き流す。さすがにそれは無い。ルミィナはあれで心配症なのか、はたまた遠回しにバカにしているのか。

 前者はあり得ないから、消去法で後者だろう。
 ここで消去法になる辺り、今のオレとルミィナの関係性をよく表しているのではないだろうか。
 泣けてきて困る。

「じゃあいくね! ルミィナもちゃんと見てて!」
「ええ、始めてちょうだい」

 ルミィナはひらひらと手を振って、何処からか出現した木製の腰掛けに体重を預ける。

 そうして今度こそ、オレの『耐久試験』が始まった。


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 


「えい」
「ッ——と」

 気の抜けた声に遅れて、細い指を折り畳んだ拳が胸に打ち付けられた。
 
 たしかな衝撃。
 一瞬浮いた体は、すぐに緑の絨毯へと着地する。

「うん、ぜんぜんへーきだね!」
「あ、ああ。一瞬浮いたけどな」

 見たところ、今の衝撃でオレの体は何歩かの距離を後ろへと運ばれていた。あの華奢な体から繰り出された突きが、オレをここまで飛ばすとは……やっぱりこうして見ても信じられない気分だ。
 信じられないついでに言うと、こんな衝撃を「うっ」くらいで耐えてしまう体にも感覚がついていかない。

「今のはどれくらいの強さだったんだ? 結構強かっただろ? 普通の人間なら、結構痛かったんじゃないか?」
「う~ん……どうなのかな……ルミィナー」

 ルカは数秒だけ視線を中空へ漂わせてから、見物人へと意見を求める。
 答えはすぐに返された。

「良くて胸骨粉砕。悪くて即死ね」
「ハ————」

 つい、笑みが溢れた。
 別に楽しいわけじゃ無い。ただ、おかしかった。
 そんな力を「えい」で出せるルカも、そんな衝撃を胸をはたく程度で済ませる自分も、冗談としか思えない。

 だが、これで少しだけ安心できた。
 これはつまり、『聖具』さえ使われなければオレもルカも実質無敵ということだ。
 そこだけは喜ぶべきだろう。

「つまり、オレの耐久力は十分なわけですね。じゃあ、次はルミィナさんですか?」

 少し自信を持ってルミィナの前へ立つ。
 こうなると、魔法ならどうなのかが俄然気になってくるし、何より【魔女】の魔法を見てもみたい。

 この10日間で、目の前の魔女がどういった存在なのかは本で読んでいた。というより、世の常識を身につけようとすれば、イヤでも分かる。

 読んだときは我が目を疑った。まさかこんな性格でシグファレムの『魔法師組合』の長で、『司教会』の特別顧問なんて言うんだから信じられない。

 そんなルミィナはオレに一瞬視線を向けてから、呆れたようにため息を吐いた。

「この試験の趣旨をもう忘却できるだなんて、もはや才能ね」
「はい?」

 ルミィナの指し示す先を見る。
 そこには“次”に備えてやる気満々のルカが、「いつでもいけるよ」という視線をよこしていた。

「『限界を知る』————それが試験の趣旨よ。坊やが血を吐いて、もうやめてと泣いて懇願するまでやらないでどうするの?」
「————」

 視線を戻す。暗い悦びを宿した視線と対面した。

(ああ、やっぱりこうなるのか)

 どこか納得した。
 なんとなく機嫌の良い魔女の様子は、そういうことだったのかと。

「泣きもしないし、もうやめてなんて懇願もあり得ませんよ」

 不愉快な視線を視界から切る。
 苦痛への覚悟を決めて、ルカの前に立った。

「ッシャア! 来い、ルカ! ルミィナさんにおまえの眷属の強さを見せてやれ!」
「っ! ————うん‼︎」

 要するにヤケだった。
 オレのやる気を見て、ルカが目を輝かせると同時に、オレは最近聞いていなかった音を聞いた。
 本能の報せ。警鐘の音だ。

「あ、いや、とはいえいきなり全力は————」
「ヤアッ!」
「ゴぇあッ⁉︎」

 さらに3度。それがオレの身体の限界だった。


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -


「ハァ……ハァ……ハァ、……ハァ……!」
「ここまでね。ルカちゃんが“血”を使わなかったことを加味しても、よく耐えた方よ」

 紅が滲みはじめた視界の中で、ニンゲンの女はそう口にした。こっちはカラカラで、とても返事ができない。
 寒くて、苦しくて……暴れたくなる。
 呼吸音がうるさいから、のどを潰したらすこし静かになってくれた。
 ああ、これでマシになった。

「ああ、ダメ! そんなことしたらもっと苦しくなっちゃうよ?」
「まるで獣ね。坊やには相応しい姿とも言えるけど、少し落ち着きなさい」

 ルカがオレの腕を捕まえて、のどから離してしまう。おかげで、潰れたのどがすぐに形を取り戻し、またうるさい音を鳴らし始めた。
 ただ、視界からニンゲンの女…………違う、ルミィナだ。ルミィナが見えなくなったおかげで、少し落ち着いた。視線を自分じゃ切れなかったから、正直ルカの行動は助かった。

 ルカはオレをいる。
 それで思い出した。最後の一撃で、オレの胸は気持ち悪い音を立てて陥没し、オレの脊椎は反対に気前のいい音を立てて崩壊した。

 結果、オレはこうして動けないまま横たわっている。だが、普通悲鳴を上げてもおかしくない状態のオレを見ても、ルミィナはおろかルカすら慌てていない。
 多分、これでも死ぬことがないことが分かるんだろう。実際、やはり痛みすらなかった。

「ハァ…………はぁ………………ふぅ」

 視界から紅が引いて、ようやく冷静になってくる。それでまた気がついたが、オレを落ち着かせようとしているのか、ルカはしきりに頭を撫でていた。
 気持ちはいいが、恥ずかしいからやめてほしい。

「もう大丈夫だ。……ルカ、もう大丈夫。…………ルカ? もう撫でなくていいって。ルカ……?」

 オレの静止に関わらず、ルカは手を動かし続けている。

「アトラは、これはイヤかな? 気持ち良くない?」
「……別に、どうとも」

 本当は気持ちいい。が、それをそのまま伝えるのは躊躇われて、変な意地を張ってしまった。

「私は気持ちいいから」
「…………なる……ほど」

 オレはどうとも思わなくとも、自分は気持ちがいいから続ける。それは、ルカという少女の性格を良く表した、とても返答だった。

「それよりルカ。これ、背中が壊れたみたいで立てないんだ。どれくらいで立てるようになるか、分かるか?」
「んー? 立つだけなら、今でも立てるよ?」
「いや、背中がバッキリいっててさ。多分筋肉に力を入れたらグニャッといく」
「うん。だから筋肉じゃなくてね? 血で立つの」
「ふむ、なるほどなぁ————おまえは何を言ってんだ?」

 突拍子もないルカの言葉に、つい反射的に返してしまった。だが、ルカはにこやかな表情のまま、目の前に手をかざすと握っては開いてを繰り返す。
 相変わらず楽しそうによう分からないことをする。気まぐれさの塊みたいな子だ。

「じゃんけんか? ホイ、オレの勝ち」
「ざんねんハズレー! そうじゃなくて、今この手を動かしてるのは血なの。私は力を入れていないんだよ?」
「いやいやいやいや。人間はそんなのでき————」

 否定しかけて、ルカがこんなウソをつくだろうかと考え直す。そもそも、オレは人間じゃないんだった。理解が難しいことであるとはいえ、一応試してもいいんじゃないか?

「…………ちょっとやってみる。どうやって動かすんだ? 自分の血だよな?」
「うん。えっと……じゃあね、まずは自分の血を意識してみて」
「……………………どうやって?」
「目を閉じてね……んーと、心臓に力を入れる感じ」
「分かるかァ!」

 意識して心臓を動かしたり止めたりした経験なんてない。心臓の力み方なんて、どこにどう力を入れたらいいのかさっぱりだ。
 立ち方を知らない人間に「まず歩いてみろ。そしたら立ってる」みたいなアドバイスはやめてほしい。

 などと愚痴を飲み込みつつ、苦戦しながらもルカの説明に従った結果…………驚くことに、ルカの説明は本当だった。これ以上ないくらい実に正確だったし、実際ルカのような説明以外に伝えようがないだろう。

「ぐっ! ぐぅおおおおお‼︎」
 
 ぐらりと、背中が緑の絨毯から浮かび上がる。
 脊椎からの不快な違和感を隠すように、血液を破損部に纏わせる。そして、違和感と脊椎の鳴らす低い音が聞こえなくなった途端、上体は安定した。

「……………………」

 自分自身に喝采を送りたい衝動を抑えて、集中を乱さないように心がけた。
 
 心臓を力む————。
 最初にして最大の関門であるそこさえ突破すれば、あとは実に簡単だった。力を込めた心臓から、身体中の血管へと新たな神経が伸びてゆくような感覚がして、その感覚が全身を覆うころには——全ての“血”を掌握していた。

 それからはまるで、ワタ人形の自分を、ワタ自体を自在に動かすことで操作するみたいな感覚だった。
 集中を切らせば、この仮想神経とでも呼ぶべき感覚は霧散してしまう。とにかく頭が疲れる作業だった。

 ルカ曰く、“血”を完全に操れるようになれば、体を守ったり、普段ならできないような無茶な挙動で動いたり、自身の膂力を強化したりもできるとのことだった。

 ただ、戦闘で使うのはまだ無理だろう。上体を起こすだけでこうも手こずる始末だ。今背中を押されたら、折れ曲がらない自信がない。
 慎重に膝立ちになり、あとは立ち上がるだけ……だったのだが————

「ブベッ」

 押されるまでもなく、うつ伏せに倒れ伏す。
 癒しの色を持つはずの草の絨毯は、もうすっかり紅に塗りつぶされていた。どうやら血を操ると、オレはこうなるらしい。これじゃあ人前で使えない。
 けど、意外にも意識はハッキリしている。感情や渇きが暴走することもなく、オレはオレを保てていた。視界が紅くなるからといって、必ずしもああなるという訳ではないのか。

 そんな新たな発見はあったものの、状況は変わらない。

「ぐ、くく……難しすぎる……」

 そもそも、本来液体である血液に形を保たせ続け、さらに壊れた背中の代わりに体を支えさせるなんてのは難易度が高すぎるんだ。
 そんなことをするくらいなら、とっとと凹んだ胸と折れた背中を治してくれ。

「そろそろ血が底をつくわね。ルカちゃん、すこし貯蔵を分けてあげたらどう? あんまり惨めだと、いっそ殺してあげたくなっちゃうわ。どうにもこの子、苦しむ姿が似合い過ぎるのよね」
「私は分けたいけど、アトラが……」

 何か苛立たしげな声で、とても物騒な言葉が聞こえた。貯蔵とはこの状況から考えて、十中八九ルカの備蓄食料……即ち人間の血液を指すはずだ。
 なら、オレの答えは決まっている。

「オレは遠慮する。血はいらない」
「でも————」
「いいって。時間が経てばこれも治るんだろ? ならそれまで待つ。わざわざルカの分の血を分けてもらわなくていい」

 ピシャリと言い放つ。これ以上何を言っても説得されないという意思を込めて。

「そっか……」

 それが伝わったのか、ルカは静かに言うと、それ以上は何も言わなかった。オレが血を取り込むことに苦手意識を持っているのを、ルカは知っている。オレがハッキリと嫌だと言えば、無理強いはしない。

 ルミィナ邸にやっかいになってから、オレは散発的なルミィナの不意打ちを除いては、自分から血を取り込むことはしてこなかった。どうしても、理性ではまだ自分を人間だと思いたがっている。
 人間の血は、オレには同種の血なのだ。慣れるつもりはない。

 ルカもそこはなんとなく理解してくれているのか、自分からオレに吸血の話をすることはしない。配慮してくれているのだ。

 だが、ここにはもう1人、オレへの配慮なんて毛ほども考えない……というより、そんな発想がないのがいる。

「…………」

 ルミィナの視線が向けられる。次の瞬間、閃光と同時に眼前には拳大の穴が空いていた。
 黒いその穴からは、もくもくと煙が上がってくる。それが面白いくらい冷や汗を誘うのだ。

「坊や。まさかそれまで私を待たせるつもりじゃないでしょう? それとも、灰に還りたくなってしまったのかしら。なら良かったわね。今の坊やなら一瞬よ?」

 言葉の端々から、殺気めいたものを感じる。
 間違いなく本気だった。
 
「…………頂きます」

 オレの意思は、それはもうあっけなく折れたのだった。


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 


 ルカの大立ち回りのおかげで地肌を晒した草原は、魔法のおかげなのかすっかり元通りになっている。そんな草原で、オレはルミィナと向き合っていた。

「ルカちゃんの血をふんだんに受け入れただけあって、本当に大した回復力ね。その一点では歴代の真祖に迫るんじゃないかしらね」
「歴代の真祖とか言われても、よく分からないです」
「あら? あれだけ本の虫になってて、調べなかったの?」
「ルミィナさん曰く、ルカは特別とのことだったんで。じゃあ、別に今までの真祖についてあれこれ調べるよりは、ルカと直接話して知っていきたいって思ったんですよ」
「そう……。その考えは嫌いじゃないわ。偶には正解を引けるのね」

 オレの回答は、ルミィナの気にいるものだったらしく、空気が気持ち軽くなる。……いや、いつもと同じ程度の重圧に戻ったというべきか。機嫌が『とても悪い』から『悪い』へと戻ったというのが正しい認識だろうか。……悲しいことに。

「なんで、オレは基本的にそれ以外を調べてました」
「そう。例えば?」
「教国の歴史とか、組織とか、周辺の国はどんなのがあるかとか…………魔法とか魔術、とか。最後のはよく分からなかったけど……」
「魔法と魔術の違い? あれは気にしなくて良いわ。国によって範囲が変わるものだもの。ひと言で言えば、その奇跡を起こすのに必要な魔力が神に由来するか否かでしかないわ。6神以外に神はなしとするなら、6神から与えられた魔力以外で引き起こされた奇跡は全て魔術よ」

 彼我の距離もあって、オレは気持ち声を張っていたものの、風下にいるはずのルミィナの声は、まるで耳元に口を寄せられたようにハッキリと聞こえた。

「あと……精霊と妖精の違いもよく分からなかったですね。関係性があるのは分かったんですけど」
「精霊は神の残した分身。妖精は精霊のそのまた分身ね。
 関係性としては、1柱の精霊が滅びた場合、世界のどこかで別の精霊が発生する。そうでなければ複数の妖精が誕生することになるわね。
 逆に精霊を発生させたければ、妖精を殺して周るのが手っ取り早いわよ」

 【魔女】は微笑みを浮かべながら、淀みなく答える。内容の物騒さに目を瞑れば、それは誰もが見惚れるものだろう。
 だが、その内面を知っているオレにとっては、恐ろしいものでしかない。

「学習する上で分からないことがあれば質問なさい。そうして得た知識をルカちゃんに説明してあげれば、あの子も少しは『学ぶ』ということに興味を向けるでしょう」
「……………………」

 その言葉は、すこし意外だった。質問なんて受け付けている雰囲気は、この10日間微塵も感じなかったし、ルカはともかく、オレにこんな言葉をかけてくれるとは考えても見なかったことだ。

「なに? 随分間抜けな表情をするじゃない」
「あ、いや……その、意外だったんで」
「——坊や。何度も言わせないで。私がルカちゃんと一緒にいられるのは良くてあと100年程度。その後は2人で生きていかなければならないのよ? そのときになっても坊やが間抜けなままだと、誰があの子を守るというの?
 私が坊やの存在を許している理由は、ただこの一点だけ。それが出来ないと見込めれば、それが坊やの終わりだと理解しておきなさい」
「はい…………」

 言葉と共に、殺気を向けられた。
 だんだん慣れると同時に緊張感も薄れて来ていたが、すこし気を引き締め直した方がいいらしい。

「もう下らない話題しかないようね。それじゃあ始めましょう。加減はしてあげるから、危なくなったら隠さず言いなさい」
「り、了解です」

 腰を落として、受け止めの体勢をつくる。
 魔法を受けたことなんてないから、どんなものが飛び出すのか想像もできない。取り敢えず棒立ちよりはこっちの方が安全な気がした。
 始まりを見てとったルカから、応援の声が届く。

「————」

 魔女の指が動く。ツイと持ち上がったそれは、オレの額へとその先を向けた。
 そして————

「はガッ⁈」

 閃光を見たと思った次の瞬間、オレはうつ伏せに倒れていた。何が起きたのか、全く分からない。
 殴る蹴ると違い、予備動作がほとんどないせいか。

 顔を上げると、また驚かされた。
 さっきまでオレが立っていた場所から、かなりの距離を飛ばされていた。

 あのクレーターのようになっているのが、まさかオレのいた場所なんだろうか。

「冗談じゃないぞ……おい……」

 オレの安否確認もしないで、小さくなったルミィナの指先が、再び閃光を放つ。
 距離のおかげで、今度は放たれたものが見えた。
 
 これは熱線だ。質量を持った破滅。それが、地面を焼き、抉りながら接近してくる。

「ちょ————ぐむぅア⁉︎」

 爆音と共に、オレは再び宙を舞う。浮遊感を楽しむ余裕もなく落下し、無様に転がる。

「ぐく……ちくしょう! 何が危なくなったら言えだ! そんな距離じゃないだろこれ!」

 悪態を吐きながら、何故かオレはこの魔法に既視感を覚えていた。どこかで、オレはあの灼熱を見たことがあったような気がする。

 モヤのような感覚を、慎重に手繰り寄せる。少しずつ、そのときの情景が浮かんでくる。
 大きな……見上げるほどの大木と、その根本にいた誰か。閃光……白い、槍……? それが、アレを遮って…………。

「————ガあッ⁈」

 頭の奥にあるモヤは、衝撃と共に、身体ごと吹き散らされた。
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