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家族編 第一章 第二の始まり

血の池

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 場に静寂が訪れる。

 最前列で少年に襲いかかった男たちは、踊る様に痙攣しながら血と臓物を吐き散らす。そして、自ら作った血溜まりに音を立てて沈んだ。

「ハァッ……、ハァッ……、ハァッ……、ハァッ……」

 少年の荒い呼吸だけが、静寂の中に響いている。

 男たちは冷水を浴びせられたように青ざめ、どうしたらいいか分からないと、“頭”へすがる様な目を向ける。

 手下の一人が、震えた声を絞り出す様に叫んだ。

「な、なんだよあれ……魔法、か? 引きずり出すなんて魔法聞いたことねえよ……頭ぁ! あ、あのガキ魔法師だなんて聞いてねえ……!」
「……ま、魔導具だ! どんな効果かは分からねえが、あのガキが魔法師なんざあり得ねえ! こんな魔法が使えんなら、教会がほっとくわけがねえ!」

 青い顔ですがり付く手下を突き飛ばして、ブレニッドは怒鳴る。そうであって欲しいという祈りを込めて、自分を奮い立たせる様に。
 
「それに見ろテメェら! アイツらを殺してから明らかに弱ってやがるだろォが! こんなムチャクチャしやがる魔導具だ、相当な代償があるに決まってらァ! そいつはもう、打ち止めだっ!!」

 祈りの込められたブレニッドの言葉はしかし、今の手下たちがすがるには十分な説得力と希望があった。

 現に、仲間を惨たらしく殺してから、敵は如実に弱っている。呼吸は荒くなり、元々虚ろげだった気配はさらに弱々しいものへと変わっていた。

「死にかけでも完治する魔導具に、ィ引きずり出す魔導具まであるときた。どれか一つでも手に入れりゃあ遊んで暮らせるぞ、テメェら!!」

 その言葉に、男たちは勢いを取り戻す。

「よくもやってくれたなクソガキ……」
「もう一度腹かっさばいて中身ぶちまけてやるぜ」

 なぜか動かない少年に、憎しみと狂気を目に宿した男たちがにじり寄る。少年に、再び殺意が向けられた。


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 気が付いたら、身体は鉛の様に重くなり、地面に膝を付いていた。
 視界の紅は溶け消え、世界は元の正しい色を取り戻している。

 喉が、渇いている。焼けるような渇きとは裏腹に、身体は芯から凍えて、震えが止まらない。

「ここは……オレ、どうして……?」

 最後の記憶は、自分の心臓が動いていないことに気づいた瞬間。そこから先の記憶は、プッツリと途絶えている。

 何とか思い出そうとしているそんな中、不意に足音がして顔を上げた。

「——なッ?!」

 周りを、武装した男たちに囲まれている。
 向けられるいくつもの視線は、どれも血走った殺意と憎しみにギラついていた。

————まずい……!

 身体が警鐘を鳴らし、本能がここから離れろと訴える。けど、こんなの唐突すぎる。

「まっ、なん……、オレ、ちがぅ——」

 あまりに突然の出来事に、うまく言葉が出てこない。ただ必死に、「違う」と伝えようとした。

 何が違うのかも分からない。
 でも、そんな目を向けられる覚えはない。
 そんな殺意を向けられるような人間じゃない。

 言わなきゃならない言葉が多すぎて————

「ぅ、……ぁく」

 呻きだけが、枯れた喉から漏れ出た。

「よくもやってくれたなクソガキ……」

 殺される。訳もわからず殺される。

 全身の毛穴が開いた様な不快感。背中を伝う冷たい汗に、吐き気の波が押し寄せては引いて行く。

 迫る死の予感に、腹の両わきがヒクヒクと痙攣して、上手く力が入らない。まるで自分の体じゃないみたいだ。

「ぁ、あぁ……」

 喉からこぼれた震えた声は、男の足に踏み潰された。
 もう目の前。逃げられない。間に合わない。

「もう一度腹ぁかっさばいて、中身ぶちまけてやる」

 その『もう一度』という言葉が、妙に引っかかった。いつかの夢の内容を思い出しかけているような、ほんの些細な引っかかり。

『中身』という言葉が、引っかかっていたものを頭の中から引きずりだす。忘れていた、忘れていたかった記憶を。

「あ……」

 ある光景を思い出した。
 
 貫かれる身体、激痛、恐怖。
 
 何度も何度も何度も何度も何度も。

 刺された。切られた。踏まれて。潰されて。

 潰れたぼくを見下ろす顔は……そう、まさにこんな顔で…………。

「あぁアあ——」

————ぼくは、皆んなと一緒に、殺サレタンダ。

「アァあぁアアぁあァあああぁアああッッッッ!!!!」
「うお——ギャッ!」

 身体は弾かれた様に動いた。
 
 叫んで、叫んで、がむしゃらに腕を振り回す。目の前にいた男の頭蓋が潰れた感触なんて、まるで気にも留めなかった。

「速——カッ?!」
「あぎぃいィい! うでえぇえ、おれのうでがあぁァあァア!!!!」
「剣を弾きやがった?!」
「こ、これも魔導具だってのかよ……!?」
「頭ぁムリだぁ! こ、こいつ、強えぇ! グハッ!」

 いつの間にか指先からは黒い爪が伸び、爪ではあり得ない硬質な音を立てて剣を弾き、男たちを切り裂いて行く。

 剣が体に当たっても、まるで痛くない。

 男たちはただ腕を振り回すだけで、その数を減らして行く。ひとり、またひとりと減っていく。

「チィッ! これも魔導具か? 一体いくつ持ってやがる……。——短剣は下がれェ! 盾ェ持ってるヤツは前出ろ! 間から槍で刺し殺せェ!!」

 予想外の展開を前に、“頭”と呼ばれた大柄の男が青筋を浮かべながら叫ぶ。
 すると、男たちの動きが統率のとれたものへと変わった。

「オレたちの後ろに下がれ!」
「グゥウッ! 盾ごと持ってかれ……!」
「おい、槍持ってないなら手伝え! 後ろから支えるぞ!」
「なんだこいつ! 槍が刺さんねえ!?」

 爪が盾と衝突して、深い爪痕を刻む。木と皮でできた軽い盾だ。盾の男は爪の斬撃を受け止め切れず、体ごと崩れそうになる。
 だがその度に、槍を持てなかった他の男たちがその背中を支え、両わきから槍が突き出された。

 でも、それも痛くない。刺さらない。

 槍の刃は皮膚をわずかに傷つけるだけで、体を撫でて……それだけだ。突き立つことすらできない。

「おかしいだろォが…………」

 腕を振るい、体を返り血に染める中、誰かの憎々しげな呟きが聞こえてくる。

「槍を防ぐ魔導具があんなら、あん時に使ってるはずだ。それだけじゃねえ、あんだけの効果だ。一つの魔導具で足りるはずがねえ。あのガキはいくつ持ってやがる? あの格好だぁ、隠し持つにも限界が…………まさか……」

 男のある考えが形を持った時、屋敷から数人の男が、手に何か棒状のものを持って出て来る。
 それが視界の端に見えた途端、鳴り止まない警鐘が一際けたたましく何かを伝えてきた。

————アレは、マズイ。

「か、かか、頭ーー!」
「テメェらまだ探してやがったのか!?」
「へい! そんであった、ありやした、お宝ですぜ! 執務室をもっかい調べたら、頭の座ってた椅子の裏に仕掛けがあって——」
「——うるせえっ、テメェの目は腐ってんのか!! 今はお宝だの言ってる場合じゃ——」

 場違いな声を発する手下に、顎を砕かんという勢いで振り下ろされた拳が、止まる。

「——待て。テメェそれは……」
「ヒッ——え? ……あっ、へ、へい! おのぞみの“聖具”でさあ」
「っ! そいつをよこせ!」

 返事を待たずに、男は手下の腕からソレを引ったくると、ムダなのにわざわざ盾の後ろまで駆け寄ってきた。

「うがっ! なっ、盾が!?」

 がむしゃらな斬撃で、すでに盾役は5人に数を減らし、槍を構えているのも3人になっていた。
 
 邪魔だった槍も、もう気にならない。
 痛くない——刺さりもしない槍なんて、まるで気にならない。

————人間ゴトキじゃこのテイドだ。

 そんな考えがチラつくのを、どこか他人事として認識した。我ながらおかしなことを考えるもんだ。
 これじゃまるで、ぼくがニンゲンじゃないみたいじゃないか。

 爪から心地いい感触が伝わる度に、ドス黒くて何か粘性のある感情が湧いてくる。どこか冷静な自分が、ソレに呑まれたら終わりだと告げていた。

 でも、止められない。

 熱を持った思考は、冷静になれという考えすら燃やして捨ててしまう。

 だから、止まらない。

 止めたくない。

「どけぇーーーー!!!!」
「か、頭?! あぶねぇ、さがれ頭ぁ!」

 思考が赤熱し、再び視界は紅く染まり始める。
 
 この渇きが、もうすぐ潤されるという確信。その高揚感に、口角はとっくに吊り上がっていた。

「こんのバケモンがあぁああ!!!!」

 大柄の男が、何か棒状のものを突き出す。
 熱に浮かされた様な頭では、それが何なのか分からない。けどそれを向けられてはならないのは理解していた。

 それでも、躱すには油断が過ぎた。
 下がろうとした足を、紅い思考が止める。
 人間を相手に下がることを、その思考は許さない。飢えた身体は、目の前の芳醇な香りから離れることを許さない。
 ここに至ると、もう自分をコントロールできなくなっていた。

 だから、躱せないのは当然だった。

 次の瞬間、男の突き出したソレは、狙い違わずオレを捉えた。

「グ……?」

 なんだろう、これは……?

 腹部に、銀色の細い棒が……おし当てられている……。

 なぜかちからが入らない……。

「せなか……あつ……」

 あつくて あつくて 手をまわすと 何かにふれた 。

 気になってせなか をみる と

「あ゛…………?」


————背中からは、貫通した白銀の槍先が生えていた。


「グ——ギ……」

 氷水を浴びせられた様に頭の熱が消え去り、同時に、空けられた孔から感覚が死んでいくのを感じる。

 同時に理解した。
 ずっと感じていた悪寒、聞こえていた警鐘は、全てこの槍に対してのものだったんだ。
 けどもう遅すぎる。
 こんな致命的事態に陥って、今さら体の自由が戻ってきても、絶望するしかできることがない。

「ガあぁあああぁあああ……あ……ぁ!?!?」

 槍が捻りを加えられながら、乱暴に引き抜かれた。

 カクンと、膝が抜ける。
 気づけば、視界にはまだらに紅くなった地面が広がって……これが全部自分のかと思うと、くらりとした。

「え゛……ぅ……?」

 倒れた感覚すら、なかった。
 孔を開けられたというのに、そこに痛みはない。それがなおのこと不気味で恐ろしい。

「頭、そいつは?」
「屋敷で見つけたってェ“聖具”だ。見た目通りなら聖槍になるんだろうな、こいつァ……」

 “聖具”たる槍の穂先が掲げられる。
 柄と同じく白銀色のその穂先は、ダレカの血に紅く汚れている。

 そして次の瞬間、それは起こった。

「「「————ッ!!」」」

 その現象に、男たちがざわめく。
 釣られる様に顔を上げて、オレもソレを見た。見てしまった。

「…………ぅ、そだろ……?」

————そこにあったのは、白銀の穂先が仄かな光を放ち、付着した血が煙を上げて消えて行く……そんな光景だった。

 あれは、オレの血だ。

「ぁんな……ので……」

 あんなものが身体を貫いたかと思うと、背筋が凍る。体の中を、肉を掻き分けながら貫いたなんて。
 
「……っが、グゥ……ギィい——!」

 傷を見ようとしてもうまく力が入らない。
 力の入れ方すら思い出せない。

「“聖印”が……反応して…………!」
「なんでだよ……こいつは“あの”ガキだろぉ?! だったら人間じゃねーか!?」

 ざわめきは広がる。
 目の前で何が起きているのか分からないと、ざわめく中には震えた声も混ざっていた。

「んなもん、決まってんだろォが」

 低い声が響く。
 その声は、槍を持った男のものだ。

「元から魔導具はひとつっきり。人間をバケモンにしちまうって効果でもあったんだろ。だから聖印がこんな反応をしたっつゥわけだ」
「で、でもよう……なんだってそんなモンを聖騎士が……自分の息子に……?」
「聖騎士はバケモンをころすやつらって聞きやすぜ?」
「うるせェなっ! んなもん俺が知るか! だがァそれ以外ねェだろうがっ!」

 手下からの矢継ぎ早の質問に、槍の男が青筋を浮かべて睨み、黙らせる。
 そして、オレを見下ろした。
 
「チッ! ……おう、ガキ。テメェのおかげで俺の手下どももこんだけだ。もう盗賊を続けることもできねェ」
「そ、そんなぁ?! じ、じゃあ、おれたちぃこれからどうすりゃあ——」
「——うるっせぇってんだろぉがっ!! こん槍ィ売っぱりゃあどうとでもなんだよ! 『王国』も『帝国』も聖具は欲しくて仕方がねえだろォからな。買い手にはこまらねェ。…………てわけだガキ。聖騎士の息子がバケモンになるなんざァ皮肉だがよ、オヤジの槍で殺されるっつんなら悪くねえだろ?」

 槍が構えられる。

 もうすっかり血を消し去った白銀の槍は、先端を下へ向け、倒れた獲物の頭部を貫かんと穂先を輝かせる。

「……………………」

 今度こそ、殺される…………。

 身体の感覚は、とっくに消えていた。あるのはただただ、凍てつく様な寒さと、焼けるような渇きだけだ。
 視界も、端から暗くなりつつある。唯一十全に機能しているのは、聴覚だけ。

 サァ……と腕の先が崩れ、灰となり飛んでいった。
 それが、自分の死に方なんだと理解した。
 灰になり、朽ちて死ぬ。何の形も残さずに…………。


————この身体は、どうしようもなく……バケモノなんだ。
 

「な、なんだァこりゃあ!?!?」

 閉ざしたまぶたは重く、視界は闇に閉ざされている。
 そんな中で、突如驚愕と怯えの混ざった声が上がった。
 その声はだんだんと大きくなって、ついには悲鳴へと変わる。

「わ、わわ!」
「うわっ、な、どこから?!」
「ひぃいっ!?」

 バジャバシャという水音が聞こえる。

 水場なんて、無かったはずだ。なら、この音は……?

 あまりに場違いな音が気になって、オレはまぶたをもう一度開いた。

「————————っ!?」

 声が出せたなら、きっと男たちと同じ声を上げていただろう。それほどに、目の前の光景は異質で、周囲の景色は余りにも地獄じみている。

「ち、血だぁっ!!」

 そう。まぶたを閉じた間に、辺りはどこからか湧き出た血によって、紅い池になっていた。

 なぜかその池は、俺の周りだけは避けている。まるでオレがそうしているように見えるだろうが、オレにこんなマネをした覚えはない。

「まだ広がってやがる!」

 男たちが騒いでいる間にも池は広がり、男たちの足を赤黒く汚して行く。やがて、男たち全てが足を血の色で染めた時——

「チィッ! テメェの仕業かァっ!!」

 うろたえていた大柄の男が、一人だけ汚れていないオレに気が付いた。

 槍が再び振り上げられる。

 今度こそ死を覚悟した、次の瞬間——

「ガプッ————」

————血の池から勢いよく生えた紅い槍が、男たちを一瞬で串刺しにした。

「ォ、ォぉォ…………」

 急速に、男たちの身体が水分を失い萎んでいく。男たちの流した血が全て、紅い槍と血の池に吸収されていく。

 そして、ミイラの様な死体が出来た時——

「————」

 視覚はここで限界を迎えた。
 視界は暗くなり、もはや目蓋が開いているのかすら分からない。体の感覚も消え、自分の形すらも思い出せなくなっていく。

 消えていく……。
 自分の存在が消えていく……。

 そうして意識も暗闇に沈んでいく中、誰かが近づいて来るのを、残った聴覚で感じた。

「アトラしっかりして! アトラっ! ……ひどい……灰化が……こんなに……」
 
 それは少女の声だった。記憶にない声。

 なのに、なぜか聞いてホッとした。
 この声をもう聞けないと思っていたのに、それが聞けて安心した。

「アトラ、口を開けて。お願い、飲んでよぅ……」

 声は震えている。泣いているのかもしれない。

 それは……いやだ……。オレは、この子に泣いて欲しくない……。

 少女の声は、次第に聞き取れない音へと変わる。
 聴覚すらも死に始めたんだと、すぐに理解できた。

 ほとんど音の消えた無音の世界で、感覚は閉ざされ、意識は薄れていく。

「……ッ、…………ッ! ……ぅ……なったら…………」

 閉じきった感覚の中、唇になにか暖かいものが触れた気が……した……………………………………。
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