眠り姫は目覚めたくない~王子様のキスなんていりません!

葉月くらら

文字の大きさ
上 下
6 / 12

6話 初恋と失恋

しおりを挟む
(精神体のまま物に触れる? そんなことできるんですか?)
「できるかどうかは君次第だが、ちょっと興味深いしやってみないか?」

 診察にやって来たリディオが突拍子もないことを言い出した。
 目を覚ましたイリアに見せてきたのは妖精の本だった。

(どうしてこんなことを?)
「もし精神体のままこの世界に影響力を持たせることができるなら、何かあった時も自分で対処できるかもしれないだろう?」
(何かとは?)

 いまいち言っている趣旨がわからなくて首を傾げたイリアにリディオは頭を掻いた。

「あーとにかく、なんでも試してみようってことだ。君が身体に戻るための方法が何かわかるかもしれないし」
(はあ……わかりました。それでどうすればいいんですか?)
「そんな難しいことはないさ。えーっとまずは精神を集中して……」

 精神を集中し、触れるものを意識する。そのものから浮かぶオーラを見るつもりで触れる。
 よくわからないまま、とりあえずイリアはそばにあったランプに触れようとしてみた。けれどすかすかと手が素通りするだけだ。

「もっと集中するんだ。君の手は物に触れられる。そのランプの感触を思い出すんだ」
(触れませんけど)
「もっと、もっと集中するんだ! がんばれ! ほら!」
(なんでいきなり熱血先生みたいになってるんですか!? もう!!)

 イリアはぎゅっと目を閉じて精神を集中させた。

(触れる……触れる……妖精達よ、私に力を貸してください!)

 そう思ってぴとりと触れたランプは冷たかった。

(あ……)
「押してみろ」
(えいっ)

 ぐぐっと力を入れて押すと普段より何倍も力が必要だったがわずかにランプが動いた。はっとイリアはリディオを見つめた。

(う、動きました)

 おそらくイリアの姿が見えない者が見れば、ランプが勝手に動いているように見えたことだろう。

「こんなすぐにできるようになるなんてさすがイリアだ」
(そ……う、ですか?)
「ああ」

 物に触れられたことよりも、褒められたことよりも初めて名前を自然に呼ばれたことに一瞬イリアは驚いてしまった。今まではずっと『君』と呼ばれていたから。
 イリアの態度に不思議そうにリディオが首を傾げた。

「どうした?」
(……あ、他の物も触ってみますね!)

 誤魔化すようにイリアはベッドから降りてカーテンへと触れてみた。集中すればなんとか触れられる。ソファに箪笥の引き出しもなんとか引っ張り出せる。

(なんだか不思議ですね。触れられるのが当たり前だったのに、今はそれがとても嬉しいんです)
「それって、元の身体に戻りたいってことじゃないのか?」
(そうでしょうか)

 ふとカーテンに触れながら窓の外を眺めてイリアは呟いた。自分は元に戻りたいのだろうか。戻ったとして今後はどうなるだろう。
 隣に並んだリディオの眠そうな横顔を見上げてそっと触れてみた。びくっと肩を跳ねさせて驚いた顔でこちらを見つめるリディオにイリアはいたずらが成功した子供のような気持ちになった。

(リディオ先生も触れましたね)
「君なあ」

 ただ今はこうやって穏やかに過ごしていたいと思った。



「別に貸すのはいいけどそんなもの読んで楽しいか?」
(ええ、とても勉強になるので)

 いつも通り診察にやってきたリディオから借りたのは医学書だった。それを集中してなんとか自分で開く。誰もいないときにこっそりと読んでいるのだ。物に触れられるようになったため読書が可能になったのはイリアにとってとても嬉しいことだった。最初こそ何もせずのんびりできることに喜んだイリアだったがそれも数日続くと退屈になってきていたのだ。

(この部屋にある本は全部読んだことがあるし、それに医療に興味があるんです)
「医者になりたかったのか?」
(お医者様でも看護師でも……とにかく医学に携わりたいと思ったことがあったんです。母が病気がちだったので)

 イリアの母はずっと病弱だった。そしてイリアが5歳の頃、流行り病で亡くなってしまったのだ。よく寝込んでいた彼女を助けたくて医療の道に進みたかった。もちろんそんなことイリアが言えるはずもなかったのだけれど。

「……だったら今から目指せばいいんじゃないか?」
(え?)

 いつも通りイリアの身体を淡々と診察しながらリディオが言った。
 思わずイリアは顔を上げた。

「だって君、もう王子の婚約者じゃないんだろう? だったら時間だってあるんだから目指せばいい。君は優秀なんだろうから不可能じゃないだろ」
(そうできたらいいですけどね……)

 リディオは当たり前のように突拍子もないことを言う。
 まるで自分のことを認めてくれているようで少しだけ嬉しかった。

(無理ですよ。私はセルラオ公爵家の人間ですから。王子との婚約は破棄になったけれど、きっとまた他の有力な貴族と婚約することになります。それが私の役目なんです)

 貴族の結婚とは家と家との契約だ。
 貴族の子供というのはその道具にすぎないのだ。
 ちらりとこちらを見たリディオは点滴を用意しながらつまらなそうに呟いた。

「そうだろうな」
(わかっているならそんなこと言わないでください)
「いや、そうじゃない。それでも目指したいなら目指せって言ってるんだ。結婚したからって医療の勉強ができないわけじゃないだろう?」

 少々拗ねたような口調になってしまったことを内心反省していたら意外な言葉が返ってきた。

「イリア、君はセルラオ公爵家の一人娘だ。その役割はとても重いんだろう。だけどな、生きていれば道は必ずあるさ。やりたいことがあるなら目指せる方法を考えろ」
(簡単に言いますね……)
「はは、まあな」

 隣に座ったリディオの言葉に今度こそイリアは拗ねて口を尖らせた。
 イリアは今まで親や周囲に用意された道を歩むことしか許されなかったのに。そんな簡単に自分で道を選べたら苦労はしない。
 不貞腐れていたらふっと影がよぎった。

「応援ぐらいはしてやるよ。だから早く目を覚ましてくれ」

 触れた感触はないけれど、リディオがそっとイリアの髪を優しく撫でていた。
 その瞬間、なぜか今はここに無いはずの鼓動が大きく跳ねた気がした。

(応援……)
「君が行きたがっていたカフェだったか? あとテーラーと祭りだったか? どこでも連れて行ってやるから」
(目が覚めたら?)
「ああそうだな」

 以前イリアが話したことを覚えていてくれたのかと思うとなんだか無性に恥ずかしかった。けれど現金なもので、リディオの話を聞いて少しだけ眠りから覚めてもいいかななんて考えてしまう。
 もうずっと眠っていたいと思っていたのに。

(リディオ先生……)
「うん?」

 意識を集中させて妖精達に願う。どうかこの人に触れさせてほしい。
 そうするとわずかだけリディオの手の温かさを感じることができた。
 ああ、私はこの人が好き。
 イリアは自然とそう思った。
 リディオは気づいてないかもしれないが、彼はイリアを認めてくれた。前向きな言葉でイリアの背中を押してくれた。
 いつも飾らない態度で接してくれるリディオとの会話はイリアの心を少しずつ癒してくれていた。
 イリアはいつの間にか彼が来ることが待ち遠しくなっていたのだ。

(もし眠り病が治って目が覚めたら、先生の助手になろうかしら)
「俺の助手?」

 驚いて紫の目を丸くするリディオにイリアは少し恥ずかしがりながらも微笑みかけた。
 イリアの諦めたはずの夢は少しだけ具体的なものになった。
 けれど苦笑したリディオはまるで幼い子供を窘めるように言った。

「なーに言ってるんだ。君は優秀なんだから仕事はちゃんと選べ。俺みたいな平民と変わらない医者じゃなくて、もっときちんとした立場の技術や知識を持ってる医者だっているんだからさ」

(…………)

 それは言外にイリアとリディオは立場が違うのだと言っているように聞こえた。
 確かにそれはその通りだった。イリアは王子の婚約者にもなるほどの公爵家の令嬢で、リディオは男爵家の息子。本来であれば接点すら持つことはなかっただろう相手だ。
 そんなずっと立場が上の家の娘に好かれてもきっと彼は困ってしまうだろう。

(……ええ、わかってます。ちょっと言ってみただけです)

 胸の痛みを隠すように笑って見せる。妃教育で社交のためにと練習した作り笑いがこんなところで役に立つとは皮肉なものだ。
 イリアの恋は自覚したのと同時に終わってしまった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

私の入る余地なんてないことはわかってる。だけど……。

さくしゃ
恋愛
キャロルは知っていた。 許嫁であるリオンと、親友のサンが互いを想い合っていることを。 幼い頃からずっと想ってきたリオン、失いたくない大切な親友であるサン。キャロルは苦悩の末に、リオンへの想いを封じ、身を引くと決めていた——はずだった。 (ああ、もう、) やり過ごせると思ってた。でも、そんなことを言われたら。 (ずるいよ……) リオンはサンのことだけを見ていると思っていた。けれど——違った。 こんな私なんかのことを。 友情と恋情の狭間で揺れ動くキャロル、リオン、サンの想い。 彼らが最後に選ぶ答えとは——? ⚠️好みが非常に分かれる作品となっております。

気高き薔薇は微笑む 〜捨てられ令嬢の華麗なる逆転劇〜

ゆる
恋愛
「君とは釣り合わない。だから、僕は王女殿下を選ぶ」 婚約者アルバート・ロンズデールに冷たく告げられた瞬間、エミリア・ウィンスレットの人生は暗転した。 王都一の名門公爵令嬢として慎ましくも誠実に彼を支えてきたというのに、待っていたのは無慈悲な婚約破棄――しかも相手は王女クラリッサ。 アルバートと王女の華やかな婚約発表の裏で、エミリアは社交界から冷遇され、"捨てられた哀れな令嬢"と嘲笑される日々が始まる。 だが、彼女は決して屈しない。 「ならば、貴方たちが後悔するような未来を作るわ」 そう決意したエミリアは、ある人物から手を差し伸べられる。 ――それは、冷静沈着にして王国の正統な後継者、皇太子アレクシス・フォルベルト。 彼は告げる。「私と共に来い。……君の聡明さと誇りが、この国には必要だ」

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

「白い結婚の終幕:冷たい約束と偽りの愛」

ゆる
恋愛
「白い結婚――それは幸福ではなく、冷たく縛られた契約だった。」 美しい名門貴族リュミエール家の娘アスカは、公爵家の若き当主レイヴンと政略結婚することになる。しかし、それは夫婦の絆など存在しない“白い結婚”だった。 夫のレイヴンは冷たく、長く屋敷を不在にし、アスカは孤独の中で公爵家の実態を知る――それは、先代から続く莫大な負債と、怪しい商会との闇契約によって破綻寸前に追い込まれた家だったのだ。 さらに、公爵家には謎めいた愛人セシリアが入り込み、家中の権力を掌握しようと暗躍している。使用人たちの不安、アーヴィング商会の差し押さえ圧力、そして消えた夫レイヴンの意図……。次々と押し寄せる困難の中、アスカはただの「飾りの夫人」として終わる人生を拒絶し、自ら未来を切り拓こうと動き始める。 政略結婚の檻の中で、彼女は周囲の陰謀に立ち向かい、少しずつ真実を掴んでいく。そして冷たく突き放していた夫レイヴンとの関係も、思わぬ形で変化していき――。 「私はもう誰の人形にもならない。自分の意志で、この家も未来も守り抜いてみせる!」 果たしてアスカは“白い結婚”という名の冷たい鎖を断ち切り、全てをざまあと思わせる大逆転を成し遂げられるのか?

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。

かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。 ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。 二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。

【完結】私の望み通り婚約を解消しようと言うけど、そもそも半年間も嫌だと言い続けたのは貴方でしょう?〜初恋は終わりました。

るんた
恋愛
「君の望み通り、君との婚約解消を受け入れるよ」  色とりどりの春の花が咲き誇る我が伯爵家の庭園で、沈痛な面持ちで目の前に座る男の言葉を、私は内心冷ややかに受け止める。  ……ほんとに屑だわ。 結果はうまくいかないけど、初恋と学園生活をそれなりに真面目にがんばる主人公のお話です。 彼はイケメンだけど、あれ?何か残念だな……。という感じを目指してます。そう思っていただけたら嬉しいです。 彼女視点(side A)と彼視点(side J)を交互にあげていきます。

処理中です...