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4話 医師リディオ
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イリアの部屋の窓からは屋敷の正門が見える。
窓辺でぼんやりと外を眺めているとエルネストが馬車に乗っていくのが見えた。
「……なんだ、起きてたのか?」
(リディオ先生。……ええ、先に目が覚めてしまったみたいで)
「身体の方で目覚めてくれればいいんだがなあ」
今日も診察にやってきたリディオが鞄を置くとイリアの隣に並んだ。
「セルラオ卿は今から会議のために登城だそうだ」
(そう)
イリアはそれだけ呟いて近くのソファに腰を下ろした。ちらりとイリアに視線を寄越した後リディオはいつも通りの診察に入る。
「セルラオ卿はあまり部屋に来ないのか?」
(ええ、もともと会話もほとんどないので)
「そうか……」
サラが生きていた頃は違ったのだ。たまに家族で出かけることもあったし、イリアの相手もしてくれた。けれどサラが病で亡くなってからはまるで悲しみから逃げるようにエルネストは仕事にのめり込んだ。イリアにもただ王子の婚約者としての役割だけを求めるようになった。
ただでさえ会話もなかったというのに婚約破棄されて眠り病になった娘などエルネストにとっては何の興味もないのかもしれない。
「俺も親父とはあまり会話なかったなあ。まあ母親も早くに亡くなったしな。男二人の家庭なんてそんなものかもしれないが」
(……そうなのですか?)
淡々と診察をこなしながらリディオが呟く。
その言葉にイリアは顔を上げた。
「俺は親父も医者だった。腕も良くて、貴族達の間でも評判でな。おかげで一代かぎりの男爵の位をもらった。だけど数年前に身体を悪くしてそのまま亡くなってしまったんだ。人のことばっかり治して自分を大事にしなかったんだよ。まあ本来なら奥さんが気遣ってくれるのかもしれないけどなあ」
よし、とすべての診察を終えて立ち上がったリディオが窓辺に立つ。隣のソファに座っていたイリアは彼を見上げた。
(お父様を尊敬してるんですね)
「え、俺が?」
(だって、あなたもお医者様になったのはそういうことじゃないのですか?)
「どうだろうなあ……」
父親と同じ職業を選ぶということは、きっとその背中を追いたいと思ったのだろう。医者になるのは簡単なことではない。会話は無かった、なんてリディオは言うけれどきっと父親のことを尊敬していたのだとイリアは思った。
「なんだ君、学校行ってないのか?」
(ええ、勉強はすべて専属の家庭教師がついていたので)
イリアの言葉に眼鏡の奥の紫色の瞳を丸くしてリディオが驚いた。
眠り病になってから二週間が経とうとしていた。相変わらずイリアは身体にどうやったら戻れるかもわからないしあまり戻る気にもなれず精神体のまま過ごしている。大半の時間は本当に眠っているけれど。
そんな中で毎日のように診察にやってくるリディオとは雑談ばかりしていた。
今日は学校の話だ。
とはいえ、イリアは学校に通ったことがないのだけれど。
(リディオ先生は貴族学校ですか?)
「ああ、そのあと留学したけどな。医学を学ぶならやっぱギレス王国だからな」
(ギレス王国……医学に長けた国ですね。留学なんて憧れます)
「そんな楽なもんじゃなかったぞ。金が無いからな。病院で雑用しながら大学に通ってたし」
リディオの話は何を聞いてもイリアには新鮮なものだった。
考えてみればイリアは本当に限られた人間関係の中で育ってきた。あれではいくら社交の勉強をしたところであまり意味がないのではないかと今は思う。
(外の世界に出てたくさんの人々と出会い勉強する……なんて素敵なのかしら)
リディオはめんどくさいとか大変と言うが、イリアにはとても魅力的に思えた。
うっとりと思いを馳せているとリディオがじっとこちらを見つめてきた。
「君はそんな顔もするんだなあ」
(え? どんな顔ですか)
「いや、最初はずいぶん暗い疲れた顔をしていたが今はなかなか可愛いんじゃないか?」
(か、かわ……)
あっさり告げられた言葉にイリアは目を丸くした。
可愛いなんて言われたことがなかったからだ。
お綺麗だとか美しいとか社交辞令はあるけれど。まあ、もしかしたら今のも社交辞令かもしれないが。
こほん、と一度咳払いして仕切り直す。
(私もやってみたいことがあったんです)
「ほう?」
(学校へ通って同年代のお友達を作ったり、一緒にカフェやテーラーへ行ったり、あとお祭りも行って見たかったです)
流行りの服を着て、話題のカフェに行って美味しいデザートを食べてそこで楽しく色々な話をするのだ。夜のお祭りにも行って見たい。冒険気分でこっそりと家を抜け出して、そこには……。
(…………)
「どうかしたか?」
(いえ、なんでもないです!)
イリアは慌てて首を横に振った。
どうしてだろう。全て想像でしかないのだけれど、お祭りの待ち合わせ場所に立っていたのはリディオだった。
(まあ、知っている若い男性といえばカルロ殿下とリディオ先生くらいしかいないし……)
うん、きっとそうだろうとなぜか恥ずかしくなりながらもイリアは自分を納得させた。
「そうか? 何か気になることがあるなら話してくれよ。君が眠りから覚める手掛かりになるかもしれないんだからな」
(……はい)
真面目な顔でそう言われてしまいイリアは頷いた。
リディオがここに毎日来ているのはイリアの眠り病を治すためだ。毎日雑談ばかりしているから忘れそうになるけれど、彼は仕事としてイリアに付き合ってくれているのだ。
そう考えるとなんだか急に申し訳ない気持ちになって来た。
正直目を覚ましたくはないが人に迷惑をかけ続けるのも気が引ける。とはいえ、どうやって目覚めたらいいのかイリアにもわからないのだけれど。何度か身体に戻ろうとしてみたけれどうまくいかないのだった。
もうイリアが眠り病にかかってから二週間だ。
(リディオ先生は、こんな患者は面倒じゃありません?)
「……あのなあ、俺はこれでも医者だぞ? どんな患者でも頼って来たなら手を尽くして助けるのが仕事なんだ。面倒とかそうじゃないとかあるか。大体仕事ってのはすべて面倒なもんだしな」
手帳にあれこれ書き込んでいたリディオが呆れたように座った目でため息をつく。
(リディオ先生は真面目なんですね)
「君は俺をなんだと思ってるんだ」
予想外に生真面目な答えが返ってきて思わずイリアは呟いていた。貴族令嬢に対しても下手をすれば不敬だと思われかねない態度や適当に結んだぼさぼさの黒髪にやぼったい黒縁眼鏡という姿から、なんとなく不真面目な人なのかと思っていたことを内心反省する。考えてみればセルラオ家に紹介されて来たくらいなのだから優秀でちゃんとした人なのだろう。
心外だと言わんばかりの顔でリディオが睨む。
「まあ、君の症例は珍しいから今後の研究に役に立つかもしれないしな。……というか君はいまだに眠ったままでいたいって思っているのか?」
そう問われてイリアは考えてみた。
目が覚めて、元の身体に戻ったとして自分はどうなるのだろう。父から役立たずと蔑まれ、周囲からは王子に捨てられた元婚約者と哀れまれ嘲笑されることだろう。ずっと妃教育だけを続けて来て、それ以外に何をしていいかもわからない。
そう考えるととても気が重くなった。
(多少……。怒ります?)
「怒らないよ。それだけ君は今まで色んなものに耐えてきたってことだろう。まあ早く目を覚ましてほしいとは思うがな。せいぜいそれは医者の俺ががんばることだ」
リディオの言葉にきゅっとイリアは口を引き結んだ。そうしないとなんだか弱音を吐いたり泣いたりしてしまいそうだったからだ。
こんな風に誰かに辛さをわかってもらえたことが今までなかったから。
(リディオ先生は……口調は雑だしいつも面倒くさそうだけど、でも優しい人なのかもしれない)
窓辺でぼんやりと外を眺めているとエルネストが馬車に乗っていくのが見えた。
「……なんだ、起きてたのか?」
(リディオ先生。……ええ、先に目が覚めてしまったみたいで)
「身体の方で目覚めてくれればいいんだがなあ」
今日も診察にやってきたリディオが鞄を置くとイリアの隣に並んだ。
「セルラオ卿は今から会議のために登城だそうだ」
(そう)
イリアはそれだけ呟いて近くのソファに腰を下ろした。ちらりとイリアに視線を寄越した後リディオはいつも通りの診察に入る。
「セルラオ卿はあまり部屋に来ないのか?」
(ええ、もともと会話もほとんどないので)
「そうか……」
サラが生きていた頃は違ったのだ。たまに家族で出かけることもあったし、イリアの相手もしてくれた。けれどサラが病で亡くなってからはまるで悲しみから逃げるようにエルネストは仕事にのめり込んだ。イリアにもただ王子の婚約者としての役割だけを求めるようになった。
ただでさえ会話もなかったというのに婚約破棄されて眠り病になった娘などエルネストにとっては何の興味もないのかもしれない。
「俺も親父とはあまり会話なかったなあ。まあ母親も早くに亡くなったしな。男二人の家庭なんてそんなものかもしれないが」
(……そうなのですか?)
淡々と診察をこなしながらリディオが呟く。
その言葉にイリアは顔を上げた。
「俺は親父も医者だった。腕も良くて、貴族達の間でも評判でな。おかげで一代かぎりの男爵の位をもらった。だけど数年前に身体を悪くしてそのまま亡くなってしまったんだ。人のことばっかり治して自分を大事にしなかったんだよ。まあ本来なら奥さんが気遣ってくれるのかもしれないけどなあ」
よし、とすべての診察を終えて立ち上がったリディオが窓辺に立つ。隣のソファに座っていたイリアは彼を見上げた。
(お父様を尊敬してるんですね)
「え、俺が?」
(だって、あなたもお医者様になったのはそういうことじゃないのですか?)
「どうだろうなあ……」
父親と同じ職業を選ぶということは、きっとその背中を追いたいと思ったのだろう。医者になるのは簡単なことではない。会話は無かった、なんてリディオは言うけれどきっと父親のことを尊敬していたのだとイリアは思った。
「なんだ君、学校行ってないのか?」
(ええ、勉強はすべて専属の家庭教師がついていたので)
イリアの言葉に眼鏡の奥の紫色の瞳を丸くしてリディオが驚いた。
眠り病になってから二週間が経とうとしていた。相変わらずイリアは身体にどうやったら戻れるかもわからないしあまり戻る気にもなれず精神体のまま過ごしている。大半の時間は本当に眠っているけれど。
そんな中で毎日のように診察にやってくるリディオとは雑談ばかりしていた。
今日は学校の話だ。
とはいえ、イリアは学校に通ったことがないのだけれど。
(リディオ先生は貴族学校ですか?)
「ああ、そのあと留学したけどな。医学を学ぶならやっぱギレス王国だからな」
(ギレス王国……医学に長けた国ですね。留学なんて憧れます)
「そんな楽なもんじゃなかったぞ。金が無いからな。病院で雑用しながら大学に通ってたし」
リディオの話は何を聞いてもイリアには新鮮なものだった。
考えてみればイリアは本当に限られた人間関係の中で育ってきた。あれではいくら社交の勉強をしたところであまり意味がないのではないかと今は思う。
(外の世界に出てたくさんの人々と出会い勉強する……なんて素敵なのかしら)
リディオはめんどくさいとか大変と言うが、イリアにはとても魅力的に思えた。
うっとりと思いを馳せているとリディオがじっとこちらを見つめてきた。
「君はそんな顔もするんだなあ」
(え? どんな顔ですか)
「いや、最初はずいぶん暗い疲れた顔をしていたが今はなかなか可愛いんじゃないか?」
(か、かわ……)
あっさり告げられた言葉にイリアは目を丸くした。
可愛いなんて言われたことがなかったからだ。
お綺麗だとか美しいとか社交辞令はあるけれど。まあ、もしかしたら今のも社交辞令かもしれないが。
こほん、と一度咳払いして仕切り直す。
(私もやってみたいことがあったんです)
「ほう?」
(学校へ通って同年代のお友達を作ったり、一緒にカフェやテーラーへ行ったり、あとお祭りも行って見たかったです)
流行りの服を着て、話題のカフェに行って美味しいデザートを食べてそこで楽しく色々な話をするのだ。夜のお祭りにも行って見たい。冒険気分でこっそりと家を抜け出して、そこには……。
(…………)
「どうかしたか?」
(いえ、なんでもないです!)
イリアは慌てて首を横に振った。
どうしてだろう。全て想像でしかないのだけれど、お祭りの待ち合わせ場所に立っていたのはリディオだった。
(まあ、知っている若い男性といえばカルロ殿下とリディオ先生くらいしかいないし……)
うん、きっとそうだろうとなぜか恥ずかしくなりながらもイリアは自分を納得させた。
「そうか? 何か気になることがあるなら話してくれよ。君が眠りから覚める手掛かりになるかもしれないんだからな」
(……はい)
真面目な顔でそう言われてしまいイリアは頷いた。
リディオがここに毎日来ているのはイリアの眠り病を治すためだ。毎日雑談ばかりしているから忘れそうになるけれど、彼は仕事としてイリアに付き合ってくれているのだ。
そう考えるとなんだか急に申し訳ない気持ちになって来た。
正直目を覚ましたくはないが人に迷惑をかけ続けるのも気が引ける。とはいえ、どうやって目覚めたらいいのかイリアにもわからないのだけれど。何度か身体に戻ろうとしてみたけれどうまくいかないのだった。
もうイリアが眠り病にかかってから二週間だ。
(リディオ先生は、こんな患者は面倒じゃありません?)
「……あのなあ、俺はこれでも医者だぞ? どんな患者でも頼って来たなら手を尽くして助けるのが仕事なんだ。面倒とかそうじゃないとかあるか。大体仕事ってのはすべて面倒なもんだしな」
手帳にあれこれ書き込んでいたリディオが呆れたように座った目でため息をつく。
(リディオ先生は真面目なんですね)
「君は俺をなんだと思ってるんだ」
予想外に生真面目な答えが返ってきて思わずイリアは呟いていた。貴族令嬢に対しても下手をすれば不敬だと思われかねない態度や適当に結んだぼさぼさの黒髪にやぼったい黒縁眼鏡という姿から、なんとなく不真面目な人なのかと思っていたことを内心反省する。考えてみればセルラオ家に紹介されて来たくらいなのだから優秀でちゃんとした人なのだろう。
心外だと言わんばかりの顔でリディオが睨む。
「まあ、君の症例は珍しいから今後の研究に役に立つかもしれないしな。……というか君はいまだに眠ったままでいたいって思っているのか?」
そう問われてイリアは考えてみた。
目が覚めて、元の身体に戻ったとして自分はどうなるのだろう。父から役立たずと蔑まれ、周囲からは王子に捨てられた元婚約者と哀れまれ嘲笑されることだろう。ずっと妃教育だけを続けて来て、それ以外に何をしていいかもわからない。
そう考えるととても気が重くなった。
(多少……。怒ります?)
「怒らないよ。それだけ君は今まで色んなものに耐えてきたってことだろう。まあ早く目を覚ましてほしいとは思うがな。せいぜいそれは医者の俺ががんばることだ」
リディオの言葉にきゅっとイリアは口を引き結んだ。そうしないとなんだか弱音を吐いたり泣いたりしてしまいそうだったからだ。
こんな風に誰かに辛さをわかってもらえたことが今までなかったから。
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