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第60話 旅の終わりに

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 「雪晴《ゆきば》れ」という季語がある。
そんな日だった。
大地は白銀に輝き、空はどこまでも蒼い。
眼を開けていられないほど眩しくてたまらない。
そんなどうしようもなく美しい朝に俺はチェイサーの墓を掘った。
凍てついた大地が堅くて、掘るのに苦労したけど仲間たちが何も言わずに手伝ってくれた。

チェイサーを埋めた草原の緩い丘陵の上で俺は仲間たちに向き直った。
「あらためて、ありがとうみんな。俺を探してくれて。それから、チェイサーの墓を掘るのを手伝ってもらって助かったよ」
 みな、声もなく首を振るばかりだ。
パティーがそっと俺の腕に手をあてた。
「イッペイ、ネピアに帰りましょう」
それがいいかもしれない。
俺の旅はここで終わってしまったから。
生きている限り前には進まないといけないけど、少し休養が必要だ。
だけど、最後にやらなきゃいけないことがある。
「そうだね。でもネピアに帰る前に寄らなきゃならないところがあるんだ。チップハムという小さな町だよ。だから…」
声が詰まる。
アルマさんとケイシーに会うことを考えただけで手が震えてくる。
俺はどれだけ弱いのか。
パティーの手が強く俺の腕を握った。
「行きましょう、チップハムへ」
ありがとうパティー。
でも俺はどうしようもなく怖いんだ。
迷宮の奥を探索するよりも、あの親子に会うことに足がすくむんだよ。
でもその時、天から声が聞こえた気がした。
「チェイサーの物語を終わらせてやれ」って。
その声は厳しかったり、優しかったりいろいろだったけど、俺は思ったんだ、逃げちゃいけないなって。


 チップハムの家でアルマさんは笑顔で俺を迎えてくれた。
「こんにちは神官様。今日はお一人なんですか?」
「ええ。ケイシーは?」
「今日は学校に行っていますよ」
その言葉に少しだけ安心してしまう。
アルマさんは俺の表情をみて何かの不安を感じたらしい。
彼女の笑顔が曇った。
「なにかあったんですね」
「はい。…チェイサーは死にました」
「…そうですか」
アルマさんの双眸から涙が零れ落ちた。
「貴方が一人でいらした時に、なんとなく予感がしたんです。口には出さなかったけど、あの人はずっと死にたがってましたから」
「そんな気はしました。あいつは破滅を望んでいたように思います。でもそれが何故かはわからなくて…」
「あの人がなぜ騎士を辞めたか知っていますか?」
「徴税先、チェイサーは略奪と言っていましたが、その村の人を上官に逆らって逃がして首になったと聞いています」
「そうね。それも事実の一つだわ。でも本当の理由はそこじゃないの。彼は騎士を首になったのではなく、自分から辞めたんです」
「じゃあ、あいつに何があったんですか」
「チェイサーは村人を逃がそうとした。でも全ての村人が逃げたわけじゃないのよ。彼らだって必死だった。税として作物やお金を渡したら飢饉の冬なんてとても越せないわ。当然、抵抗があったわ」
「つまり、それは…」
「ええ。チェイサーは助けようと思った村人を、結局は何人も殺すことになってしまった…。女子供は逃がせても、その父や兄を殺してしまったのよ。ううん、狂乱の中で女や子供を馬蹄が傷つけてしまってもおかしくないでしょう? あの人は私にほとんど何も語らなかったの。これは後からいろんな人に話を聞いてつなぎ合わせた私の憶測でしかないわ」
正当防衛であったかもしれない。
徴税に正当性さえあったのかもしれない。
だがそんなことはチェイサーには関係なかっただろう。
組織において個人の倫理は黙殺される。
より上の地位の者、もしくは組織そのものの利益が常に優先されるからだ。
特に問題は後者だ。
たとえ上位の者が道徳的な価値観を持っていても、組織のために倫理を投げ打つケースは多々あるのだ。
国家は国家のために個人や少数を犠牲にする。
よくある話だ。
良いか悪いかじゃない。
チェイサーには耐えられなかった、ただそれだけだ…。
「あの人は騎士であることに誇りを持って生きてきました。だから余計に辛かったんでしょうね」
もし、俺ならどうする? 
上官の命令を無視して村人を助けられるか? 
できるわけないだろう。
たとえ侵略戦争を仕掛ける側の兵士であっても、自軍を裏切ることは難しい。
じゃあ、黙って敵に殺されるのか? 
それもごめんだ。
そして俺は気が付いた。
権力のそばにいるのはものすごく恐ろしいことだと。
貴族になる? 
そんなの嫌だ。
かつて俺は貴族になろうとしていた。
自分の生産系能力を駆使すれば可能だと思っていた。
特に貴族に憧れたわけじゃないけどパティーと付き合うために必要だと思っていた。
だけど今は貴族になるのがものすごく厭だ。
パティーのことは変わらずに愛している。
でも貴族となって、国家という権力機構の一部になることはとても耐えられそうにない。
パティーには悪いが、この感情を殺すことはできそうもなかった。
チェイサーが騎士でいられなかったように、俺は貴族でいられないだろう。
「アルマさん、チェイサーの槍を」
「…神官様、それは神官様が持っていてくれませんか。私にはこの槍は重すぎるんです。この槍を携えて生きていけるほど私は強く…ありません」
そうだろうと思う。
彼女に槍を預けるのは酷というものだ。
「わかりました。ケイシーには…」
「それは私の務めです。母親ですから」
「そうですか…。では、彼の最期がどうであったか今からお話しします」
俺は感情を交えずに、チェイサーの最期を語る。
奴がどう行動し、何を言ったかを淡々と説明した。
後はこの事実からアルマさんとケイシーがチェイサーという男を判断すればいい、そう思った。


 馬に揺られながら俺はパティーと話した。
旅の始まりからチェイサーの死まで、細大漏らさずパティーに聞かせた。
そして謝った。
「パティー。俺は君のことを愛している。でも貴族にはなりたくないんだ」
「うん…」
「ごめん」
「わかってるよ。多分イッペイに貴族は無理ね。私にだって無理ですもの。だから子爵家の娘が冒険者をやっているのよ。放蕩娘は伊達じゃないの」
パティーの笑顔が心に突き刺さる。
「国を相手に二人で戦ってみる?」
パティーが言うと本気に聞こえて怖い。
「それはちょっとね。情熱はあっても非現実的なことは望まないし、その先に幸せが見えない」
「そうね。…わかったわ。私が貴族を辞めるわ」
「可能なの?!」
「ええ。その代わりチェリコーク家の降爵は間違いないでしょうけど」
「それじゃあ…」
「だから私たちで昇爵させるのよ。プラマイゼロならお父様にもそれほど迷惑はかからないでしょう」
「わかった。その方向で考えてみよう」
「イッペイ、私たちは冒険者でいましょう。私も自由でいたいわ」
「そうだな…」
自由なんてどこにもないさとは言えなかった。
「いつか魔導列車に乗って南へ行こう。あたたかい海が見える南の町へ」
そこに自由があるとは言えないけど、提案自体は素敵だと思った。
「ハネムーン?」
「なんだっていいさ。俺たちは自由なんだろう?」
枯木立を真っ赤に染めて冬の太陽が沈んでいく。
俺たちは馬上で手を伸ばし、しっかりと握りあった。
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