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第32話 地獄の訓練
しおりを挟むはじめての休日をもらった翌日。いつも通りに屋敷での仕事を終えて屋敷の裏庭にいる。普段ならこの時間からアルゼさんと訓練のはずなのだが、なぜか今日はアルゼさんの他にもリールさんとシェアル師匠がいた。
「あれ、なんで今日はリール様とシェアル師匠がいるんですか?」
「うむ、サリアとマイルもだいぶ屋敷での仕事を任せられるようになってきた。そのおかげでこの2人の仕事にもだいぶ余裕ができてきたので、今日から訓練をするときには2人にも手を貸してもらうことにした」
サリアもマイルも屋敷での仕事をだいぶ覚え、夜の勉強会の成果もあってか今ではアルゼさんの書類仕事の手伝いまでできるようになっていた。俺の負担がかなり減っているのは前からだったが、俺以外の負担もだいぶ減っていたらしい。
「そうですか!もう2人ともそんなに仕事を手伝えるようになってましたか。リール様もシェアル師匠もわざわざ俺のために時間を取ってくれてありがとうございます!」
「ははっ、僕も少しは体を動かしたいからちょうどいいさ。マイルくんはかなり飲み込みが早いね。もう僕の仕事のほとんどは彼もこなせるさ」
「弟子の訓練をみるのも師匠の仕事のうちですよう~サリアちゃんだってもう立派な私の右腕ですよう!もう私の仕事のスピードを追い越しちゃっているかもしれません」
そりゃあれだけドジをしていたら普通に仕事ができる人のほうが仕事は早いよな……とはシェアル師匠の名誉のためにも口が裂けても言えない。
「ユウキ、お前がこの屋敷に来てからよく頑張ってくれているな。日々の仕事をこなしながらも新たなことに挑戦して結果も出している。そしてそんな多忙な中、鍛錬を一日たりとも怠ることなく自らを高めている。属性魔法の才能などなくとも、この街の騎士団にも負けぬほどの力を有している」
「アルゼ様……」
こんな風にアルゼさんに褒められたのは初めてかもしれない。今までの努力を認められたようでなんだか嬉しくなるな。
「そんなお前ならばこれから行う鍛錬にも耐えられるはずだ!お前ならできると我々は信じている!」
「はい、俺頑張ります!どんな鍛錬にも耐えてみせます」
「いい返事だ!いいか、心を強く持て、常に希望を持ち続けろ。どんなに絶望的な今があっても必ず終わりが来ると信じ続けるのだぞ。そして鍛錬の結果どんなことになろうとも決して我々を恨まぬように」
……ん?ちょっと待て、なんだか話がおかしな方向に進んでいないか?
「えっと、鍛錬の話ですよね?いやだなあ、そんなに大袈裟に言って。別に命に関わるとかないですよね?」
「……さて、早速だが鍛錬を始めよう!」
「返事は~!?」
「さて、鍛錬の内容だがやることは単純だ。いつも通り私と実践を行ってもらう。いつもと異なるのは武器を真剣で行うことと、シェアルの魔法の援護とリールの奇襲が加わることだ」
「控えめに言って死にます!」
アルゼさんの実戦形式ですらすでにいっぱいいっぱいなのに、そこにシェアル師匠とリールさんが加わるとかオーバーキルの三乗くらいあるわ!
「なに、始めのうちは手加減する。それに多少の怪我ならシェアルがすぐに治せるから安心しろ」
「そうですよう、ユウキくん。四肢がちぎれたり真っ黒焦げにならない限りは私が治してあげますからねえ」
むしろあなたに四肢をちぎられたり、真っ黒焦げにされる可能性が一番高いんですよ、とは流石に言えない……
今でも魔法の訓練中に結構な割合で威力調整を間違えた魔法が飛んでくるからな。
「いやさすがに無理ですよ!せめて始めは二人で少し慣れてきたら三人にしませんか?」
「よし、時間も惜しい。早速始めよう」
「話を聞いて~!!」
だめだ。交渉の余地すらない。考えてみればあまり人の話を聞いてくれない人達だからな。
アルゼさんはすでに武器を手にしている。アルゼさんの武器は細身のレイピアのような剣で、切るというより突き刺すことを主体としている。以前に街中で黒の殺戮者とやり合っていた時もこの剣だった。
普段の鍛錬ではいわゆる西洋の剣のような両面が刃で両手で持つような剣を想定した木剣で行なっている。つまり、ある程度は本気でかかってくるというわけだ。
「さっさと剣を取れ。そろそろ行くぞ!」
ああもう、こうなったら覚悟を決めるしかないか!俺の方に用意されているのはこの世界では標準となっているロングソード。鍛錬で使うと言って渡されたがまさか真剣で斬り合うことになるとはな。
剣を鞘から引き抜く。一応配慮はしてくれたのか両面の刃は刃が潰されているようだ。これなら物凄く痛いだろうけど頭さえ当てなければ少なくとも死ぬことはないだろう。そもそもこちらの攻撃が当たるかすら怪しいんだけどな……
「うわああぁ!?」
こちらの武器を改めて確認していたところ急激に悪寒が身体全体に走った。見ると首筋に小型のナイフの刃がぴったりと触れていた。驚き過ぎたお陰で少し切れたようだ。微かな痛みと共に血液が頬を伝う。
「やっぱりユウキくんには危機察知がまだまだなっていないね。だからこうして簡単に後ろが取れるよ」
「リール様……」
先ほどまでアルゼさんの隣にいたはずのリールさんがいつの間にか俺の背後に立っている。
「確かにユウキくんはすごく強くなった。真正面から戦えばもう僕では勝つことはできないだろう。
でも今の君を殺せないかと言えば、簡単に殺すことができるよ。奇襲したり、罠を張ったり、毒を盛ったりね」
やっぱ怖えよ、この人。ステータスウィンドが見れたら確実にジョブは庭師じゃなくて暗殺者だよ!
「というわけでユウキくんには危機察知能力を鍛えてもらうよ。僕はこの訓練中は死角を取るように攻撃を仕掛けていくから。それに訓練中だけじゃなくても攻撃を仕掛けていくから、いついかなる時も気を抜かないでね。
最終的には殺気を隠した攻撃も回避できるようにしてくれれば嬉しいかな」
無理無理無理!
訓練だけでなく常時奇襲に気をつけないといけない職場とか無理だろ、ブラック過ぎるだろ!あと殺気を隠した攻撃ってなんだよ、殺気ないんだから気付けらるわけないでしょ!
「あの、せめて訓練時間外はやめておきません?ほら、他の仕事に影響が出るかもしれませんし」
てか先に首元のナイフをどうにかしてください!あの、まじで怖いんで!
「ははっ、首元にナイフがある状態で度胸があるじゃないか。大丈夫、君のおかげでサリアくんやマイルくん、工場のみんなの人手が増えたからユウキくんが多少休んでも支障はでないよ」
完全に墓穴を掘ったようだ……この場合リアルな墓穴につながりそうで笑えない。何この頑張った分だけやることが増えていくスパイラルは?デフレスパイラルも真っ青だぜ。
「それじゃあ始めようかな」
今の今まで後ろにいたはずのリールさんがいつのまにかさっきまでいた場所のアルゼさんの隣に戻っている。暗殺者じゃなくて忍者かよ、もう何でもありだな……
「……それでは最後になるが、ユウキ」
「……何でしょうか?」
まだこれ以上あるのかよ。さすがにもうキャパオーバーしてるんだけどな。
「死ぬな!」
「神さま、助けてくださいいい~!」
……生きているのか、俺は。
ああ、すでに見慣れてしまった天井がそこにはあった。どうやらギリギリのところで俺は生き延びたらしい。
どれくらい気を失っていたのかわからないが夕方くらいか。マイルが部屋にいないところを見るとそれほど遅い時間ではないようだ。
ベットから起き上がって身体の調子を見てみるが傷などはない。鍛錬中に何度も受けた大きな傷は全てシェアル師匠が回復魔法で治療してくれた。
この世界の回復魔法は俺が思っていたよりも優秀で、腹を貫かれようが大火傷を負おうが、シェアル師匠のような優秀な回復魔法の使い手がいれば瞬時に回復が可能となる。
失った血液すらもどこかから補充されているようだ。質量保存の法則はどこに行った!まあ魔法がある時点でそんなものないに等しいんだけどな。
そして残ったものは筋肉痛と深い心の傷だ。仕組みはよくわからないが、疲労や空腹などは魔法でも回復できないらしい。
今までの鍛錬の成果や身体強化魔法を使っていたにもかかわらず、かなりの疲労が溜まっている。やはり鍛錬と実践では全くの別物のようだ。
そして一番の問題が心の傷だ。今まで平和な日本で暮らしていた高校生にはハード過ぎる……斬り傷レベルならどうでもいい。そんなものは一瞬で慣れた。
自分の腹を貫通するレイピア。身体の中に冷たい金属が侵入してくる感覚、一瞬遅れてやってくる言葉では言い表せない激痛、レイピアを抜いた時にわかる身体を貫かれたという感覚。
自分の肉を焼き焦がす火の魔法。人の肉が焼ける嫌な臭い、今まで経験したことのない大きな火傷の痛み、反対に全く動く感覚のない焦げた指先の恐怖。
意識のない場所から突然現れるナイフ。気付いた時にはすでにどこかの肉が切り裂かれている、生暖かく水道の蛇口をひねったように流れ出ていく自分の血液。
常に死と隣り合わせという異常な状況。命のすべてを握られているという恐怖の感覚。たとえ身体が回復魔法で一瞬で戻るとしても死の淵に立ったという感覚はそのまま残り続ける。
それを数十回だ。
今日だけでああこれは死ぬんだな、という感覚を数十回も味わった。よくそのまま死ぬか、瀕死の状態になり神様に会いに行かなかったもんだ。今考えてみると、三人ともだいぶ手を抜いてくれていたのだろう。
てかもう無理だ。初日からこれでは間違いなく身が持たん。というより心が持たん。一直線に廃人コースだ。
本気で逃げ出そうか考えるレベルだ。今まで部活や受験勉強がどんなに辛くても投げ出したことはなかったけどさすがにこれは無理だ。とはいえ奴隷紋の力で逃げ出すこともできない。かくなるうえはアルゼさん達に本気の土下座で頼み込むしかないか……
コンッ、コンッ
……噂をすればアルゼさんかな。ちょうどいい、俺の華麗なる土下座を見せてやる!
「ユウキ、入ってもいい?大丈夫?」
「エレナお嬢様!?はい、大丈夫です!」
どうしてエレナお嬢様がここに?ドアを開けるとそこにはエレナ様が1人でいた。いつもなら必ずアルゼさんかリールさんと一緒にいるのに。
「ここがユウキとマイルのお部屋かあ。初めて入ったけれど綺麗にしているのね。もっと整理できてないかと思っていたわ」
前の世界で俺の部屋はだいぶ散らかしっぱなしで汚かったが、さすがに年下のマイルと同じ部屋でだらしないところは見せられない。その辺りは気を使って部屋は常に綺麗にしていた。
「部屋をお借りしているのに汚くなんてできませんよ。それよりこんな時間に1人でどうされたんですか?アルゼ様かリール様は一緒じゃないのですか?」
「今は1人よ。よくわからないけどユウキがとても疲れているから様子を見てきてほしいってアルゼが言ってたわ。本当に顔色が悪いけど大丈夫、ユウキ?」
心配そうな顔をして上目遣いで俺の顔を覗き込むエレナ様。ああもう、本当に可愛いらしいなあ、ちくしょう!
「いえいえ、初めての訓練で少し疲れてしまっただけですよ。もうよくなりましたので心配ご無用です」
エレナお嬢様の前で弱音なんか言えるわけがない。男には意地をはらなくては行けない時があるのだよ。
「そうなの?でもお願いだから無理はしないで。ユウキがずっと頑張ってきてるのは知っているからね。あんまり無理をしすぎたら身体を壊してしまうわ」
身体は問題ないんだけど心が持つかどうかだけが心配です、とは言えない。
「無理なんてしてないですよ。エレナお嬢様こそ無理しすぎですからね。もっと休んで下さい」
完全にブーメランである。エレナお嬢様こそまだ幼いのに領主としての仕事や習い事で毎日夜遅くまで起きている。俺やアルゼさんやリールさんが休んでくれと言ってもいつもあと少しだけと休んでくれない。
「うっ…痛いところをつくわね。わかったわ、私も今日はもう休むわね。だからユウキも無理しちゃだめよ」
「俺はまだまだ大丈夫ですよ。でも俺も今日は休みますね」
「うん、今日はもう休みましょう。それじゃあユウキ、お休みなさい」
「はい、お休みなさい、エレナお嬢様」
パタパタと部屋を出て行くエレナお嬢様。はあ~エレナお嬢様にあんなこと言われたらさすがに逃げられん。あんなに小さい主人が頑張っているのに俺が逃げる訳にはいかない。
ちくしょう、アルゼさんめ。それを見込んでエレナお嬢様を部屋に寄越したんだな。
まあいいや、そのおかげでやる気が出てきたしアルゼさんに感謝しよう。さあ気合いを入れて無理をしていこうじゃないか。
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