雪はまるで冬の嘘のよう

海棠桔梗

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第一章

親友

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 ――それにしても僕の鍵は、一体どこに行ってしまったんだろう?

 落とした自覚がないのだから思い出せないのは仕方がない、と自らに言い聞かせる。
 とは言え、家に帰ることができないのは本当につらい。お風呂にも入れないし、横になって眠ることも出来ない。

 ファミレスの一角でうとうとして、ガクリと頭が揺れたことでハッと目が覚めて、時計を見る。すごく時間が経っているような気がするのに、さっき時計を見てからほんの十数分しか進んでいないことに心底がっかりする。自分の時計がおかしいのでは、と疑って店の時計と照らし合わせてみるけれど、全く同じ時刻を示していて、がっかりを通り越して絶望した。
 朝になるまで、まだまだ時間がある……。

 眠気覚ましにスマホでゲームでもしようと画面をタップしたのはいいけれど、眠さで目がショボショボするせいでうっかり手元が狂い隣のメッセージアプリのアイコンに触れてしまった。こんな時間にメッセージを送り付けても、きっとみんな夢の中に違いない。
 ……と、そう思ったけれど。ふと友人のマサトの顔が浮かんで、眠気が一気に吹き飛んだ。

 彼は僕と同じ学科でほぼ同じ講義を選択している関係で毎日顔を合わせる仲だ。僕の数少ない〝親しい友人〟と言える。〝親友〟と呼んでいいかどうかは相手の気持ちも尊重したいので一応やめておくけれど、大学生活の中で一番気心が知れている、と僕は思っている。
 彼は暇さえあればいつも何かをプログラミングすることに没頭していて、学校が終わり帰宅するとかなり早い時間に就寝して未明や早朝に起きてプログラミングの続きをする、と聞いたことがある。朝のほうがひらめきやすく、効率がいいらしい。
 一日の中で一番頭が働かないのが朝で、学校からバイト先へと直行してバイト三昧で就寝は深夜から未明、朝はギリギリまで寝ている僕とはあまりにも違いすぎる……。

 そろそろマサトが起きる時間かも知れない。そう思った僕は、やや迷ってから『起きてる?』と、ごく短い文面を打ち込み、思い切って送信ボタンをタップした。
 文章が短かったからと言って相手のスマホが鳴らす着信音が小さくなるわけではないのだけれども、それでも……。

 スマホの画面を暗転させて、コーヒーしか乗っていないファミレスのテーブルへ置く。
 さっき一瞬目が覚めたもののそれはほんの束の間で、再び瞼が重くなり、目の前が暗転し始め……ああまずい、このままだとテーブルに突っ伏して眠ってしまいそうだ……店員さんごめんなさい……。そう心の中でつぶやいた次の瞬間、暗転していたスマホがメッセージの受信音を鳴らす。
 微睡み始めていた僕はまだちゃんと覚醒しきっていなくて、ほぼ条件反射だけでメッセージ画面を開いた。

『少し前に起きたところ』

 そんな返信が届いていた。それを目にして、ようやくしっかり目が覚めて僕は小さくガッツポーズをする。
 続けざまにマサトから『また夜更かし? 明日も一限からだし早く寝たほうが良いんじゃないの?』と送られて来た。普段ならただの夜更かしだけど、今日は違うんだよなぁ、と内心でつぶやきながら画面を操作する。

『アパートの鍵を落として今ファミレス』と、泣いているスタンプと共に送ると、すぐに『マジ? 世界の終わりじゃん』と、天使のスタンプが添えられて返ってきた。
 間違いない。あの小さな部屋のささやかな僕の世界は、いまはもうどこか……そう、まるで遠い異世界にでも行ってしまった気分だ。

『ファミレスって、バイト先の近くの?』
『そう。バイト終わって気づいたから、そこしか行くところ無かった』
『ご愁傷さま』
『マジ眠い』

 テンポよくメッセージのラリーが続いたあと、少し――と言っても数秒から十数秒だけど――間をおいたあと……。

『寝てないなら、講義まで俺んちで寝る?』

 そう返ってきて、僕は、彼こそが本物の〝天使〟ではないかと思った――。


 公共の交通機関はとっくに終わっていて、なんなら、もうすぐ始発電車が出るような時間にさえなっていて、僕は晩秋――東京の気温を基準とするならとっくに冬に分類されるほど冷え冷えとしているこの北の地の未明の空気の中、呼びつけたタクシーに乗り込んで心優しい友人の家へと向かう。
 一人暮らしの大学生の身に深夜料金が加算されたタクシー代は少々ふところが痛む。幸い彼の家はここからそう遠くない。でも歩けば結構な時間がかかる。友人のとても親切で有難い言葉を無下にするわけにもいかないという思いと、ほんの数分でも、いや数秒でもいいから長く眠りたい気持ちが僕に〝時間をお金で買う〟と言う結論に至らせた。
 金銭的損失だけならば、またバイトに励むことで取り返せば良い。今の僕にはとにかく平穏な睡眠が必要だ……。

 タクシーを降りて、友人の住むマンションの呼び鈴を鳴らす。インターホンに出るまでもなく直ぐに扉が開かれ、「災難だったな」と友人が笑いながら出迎えてくれた。

「マジで助かる……、サンキュ!」
「はははっ。とにかく入れよ。風呂も入るだろ?」

 僕の言葉を軽く笑い飛ばした男前すぎる友人の一言に、不覚にも、僕は泣きそうになった。
 マサト、やっぱりきみは〝親友〟だよ。絶対に。きみが僕をそう思わなくても、僕はきみのことを生涯親友だと……誓って、そう思うよ。マジでありがとう!
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