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 彼は私を抱き締めるようにしながらそんな優しい言葉を口にするから悪い。彼はなに一つ分かっていない、この状況がますます私の苦しさを悪化させていることを。
 このままの状態でいる限り私はこの胸の苦しさから絶対に抜け出せない。

 二駅分我慢すれば、目的の駅に着く。
 二駅……たったそれだけの時間なのに、まるで途方もなく長く感じる――。


「大丈夫?」と、電車の中でもさんざん聞かれたけど、電車を降りて改札を出てやっと普通の呼吸を取り戻すことが出来て、私はようやく「大丈夫」と答えることが出来るようになった。

 死ぬかと思った……、ドキドキしすぎて……。
 思春期でもあるまいし、異性と密着したぐらいでドキドキするとか、バカみたいだ。けれどそんなバカみたいな事が自分の身に起こっている、認めたくはないけれど。

「少し座って休憩する?」
「ううん、大丈夫……」

 そもそもキミと密着さえしなければ、大丈夫だったんだ。心の中でそうつぶやいて、先に歩き出す。
 ……と、一歩足を踏み出したところで彼に手を引っ張られて歩みを止められた。

「亜矢さんっ、そっちじゃないよ~」
「……あ」

 どうやら向かう方向が違ったらしい。あれ? そうだったかな?

 また彼に右手を絡め取られてしまい、「手、放して」と言っても「迷子になるから絶対ダメ~」と却下され、結局手を繋いだまま彼の家へ……。なぜこうなるのか……。
 もちろん私が方向音痴だから悪いんだけど……。

 彼の家に着くと、すでに美味しそうな和風出汁の匂いがしていて私の現金なお腹がグーと鳴る。何度か同じ事を繰り返しているからさすがに彼も慣れたもので、私のお腹の音を聞いても何も言わなくなったどころか嬉しそうに「ご飯出来てるよ~」と言うようになった。
 なんだか完全に餌付けされてる……。

 彼がお味噌汁やおかずを温め直してくれている間に、私はスマホを取り出して着信をチェックする。やっぱりたくさんのメッセージと通話の着信があり、思わず身震いした。
 なかなか諦めてくれなくて、本気でうんざりする。

「……大丈夫?」
「……え? ああ、うん、大丈夫」
「何かあった?」
「ううん……何もないよ」
「ほんとに?」
「うん、ほんとほんと」

 いつの間にか大きなため息をついていたらしく、また彼に心配されてしまった。
 だめだな私。もっとしっかりしなくては。
 スマホがマナーモードになっていることを確認してポイとバッグの中に放り込む。

「今日も美味しそうだね」
「ふふ。分からないよ? 今日はまずいかもだよ?」

 まずいわけがない、見た目から既に美味しそうだ。すごいな、料理男子。
 私なんてどれだけ努力してもこんなに綺麗な見た目に調理できないし、味だって酷いものしか作れないのに。

 私のために並べてくれた料理を前に、しっかりと手を合わせて「いただきます」とつぶやく。
 目の前にはにこにこ笑ってるメープルくんの顔があって、なんだかこれが“しあわせの縮図”なんじゃないかと思ったりしてしまう。

 どうかしてる……。


 ――そしてやっぱり今日の料理もとても美味しかった。

 デザートもあるよ、と言われて、思わず目が輝いてしまう。
 冷え冷えのプレートに抹茶のケーキ、抹茶とバニラのアイスが乗せられている。口に運べば抹茶の苦さと砂糖の甘さがベストマッチ。

「ね、これも作ったの?」
「うん。……口に合わない?」

 恐る恐ると言う感じで尋ねられ、違う違う、と私は首を横に振った。

「めっっっちゃくちゃ美味しい……!」

 私がそう答えると、彼は「ふふ、良かった~」と頬を緩ませた。
 相変わらず可愛い。
 いや、成人男性だし、単に可愛いって言うのとは違う。なんだろう、どう説明すれば良いんだろう。男らしいところもあるのは十分に分かっていて、だからこそ戸惑ってしまう。
 こうやって笑ってたら可愛いらしいのには違いがないのだけど。

「私、食べたら帰るね」
「……ええ!? やだ」
「やだ、って……。私、明日も仕事だし」
「今朝みたいにここから行けばいいじゃん。その方が近いし、ラクでしょ?」
「ラクだけど……ダメ」
「えーっ」

 ぷう、と頬を膨らませるのも子供みたいで可愛い。
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