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 小走りでエントランスを抜け、エレベーターに乗り込む。顔見知りの社員が何人もいて、なるべく平静を装って朝の挨拶を交わした。

 私の席は役員フロアにあるので他の部署のフロアよりもずっと上にある。最後の一人が降りるまで気が抜けない。
 服装や顔色を含めて変に思われていないかを気にしながら、乗り合わせた人たちを見送った。

 やっと自分の席へと着き、姿勢を正す。いつも通りスマホをマナーモードに……と思い、そう言えば昨晩マナーモードにしてから一度も触っていないことに気づいた。
 見ない方が良いのかもしれないけど、と思いながら着信履歴を確認すると、案の定、鬼のように孝治からの連絡が入っていた。一気に気分が悪くなって、孝治以外の人からのものが混ざっていないかを確認し、またバッサリと削除した。

 孝治ってこんなに粘着質な人だったんだ、知らなかった。あっさり私を振ったから、もっとサッパリした人間なのかと思ってた。
 げんなりしながらスマホをバッグへと戻そうとした時に、バッグの中に見たことのない包みが入っていることに気づく。それには綺麗な字で書かれたメモが付いていて……。

“お仕事お疲れ様です お昼に食べてね!”

 メープルくんが何かお昼に食べるものを入れておいてくれたらしい。どこまで気が利く子なんだきみは!
 気が利くついでに、最後に署名しておいてくれれば名前が分かったのに……!
 それは私のわがままか。

 孝治からの頻繁な連絡が思ったよりもストレスになっていたらしく、ここ数日食事があまり美味しく感じられなくなっていた。
 料理が出来ないから結局コンビニやスーパーでお弁当や総菜を買って帰るしかないのに、そうするとどうしても私を責める孝治の言葉を思い出してしまい、途端に食欲が失せてしまって……。
 寝る時も嫌な夢を見ることが多くて、結果ほとんど眠ることが出来ずに朝を迎えてしまう。

 そんな日が続いていたからか、昨晩はメープルくんの手料理で満腹になって、彼が片付けをしてくれている間に眠ってしまったらしい。
 ……恥ずかしい。思えば私は彼に恥ずかしいところばかり見られている気がする……。

 そんな風に昨晩のことを思いだしていると、後輩の若月ちゃんが出社してきた。

「野村さん、おはようございます。今日はいつもより早いですね」
「あ、若月ちゃん、おはよー。ちょっと、ね……」
「今日のスーツ、似合ってますね! すっごく素敵です!」
「あ、あはは、ありがと」

 私が選んだものではなく、彼が――メープルくんが用意してくれたものだ。
 デザインが素敵なだけでなく、私の体型にとてもフィットしていて着心地が良い。彼がパリ土産でくれたブローチがとても合いそうだと思う。家に帰ったら合わせてみよう……。

 今日もしっかり働くぞ、と気合いを入れて、仕事モードへと切り替えた――。


 今日も目一杯、しっかりと働いた。
 昨晩は久々によく食べよく眠ったから、仕事に集中できた。今朝は車で送ってもらったおかげで満員電車に揺られることがなかったのも大きいかもしれない、東京の通勤電車は異常なほどの混み具合だから。
 ……別れ際の頬へのキスは、特に効果なかった、多分。

 気が重いけれど、帰る前にスマホの着信履歴を確認する。案の定、孝治からのメッセージや着信履歴がたくさん表示されていた。
 ああ、最悪……。

 ひとつひとつ他の人からの連絡が含まれていないかを確認していると、ひとつだけメープルくんからのメッセージがあった。慌ててそれを選択する。

【仕事が終わる頃に、会社の前で待ってます】

 ……ええっ?
 予想外の内容に驚いて、大慌てでバタバタと帰り支度をする。
 私の隣の席でのんびりと帰り支度をしている若月ちゃんに「ごめんっ、先に出るね! お疲れ様!」と声を掛けて、エレベーターへと飛び乗った。

 多くの社員が退社するこの時間は一階に着くまでにいくつもの階に止まるし、案外時間がかかる。自宅マンションのエレベーターもゆっくりだけど、違う意味でこっちもなかなか一階に到着しない。
 そわそわイライラしながらもやっと一階に到着し急ぎ足でエントランスをくぐり抜けると、エントランスを出てすぐの所で、いつも通り穏やかな笑顔の彼が待っていた。
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