64 / 75
【番外編】伊吹 side
5.
しおりを挟むいままで同棲には1ミリも興味がなかったけれど……好きな女性と一緒に住むのは、とてもしあわせで、とても楽しいと言うことを知った。
彼女が欲しいと言うものは何だって買ってあげたくなる。それなのに、彼女は物欲がない。
そんな奥ゆかしいところも、好感が持てる。
とりあえず、料理に使いそうな道具を全て買いそろえてみた。
断ったはずの調理器具が一気に届き、目を白黒させながらも「頑張って美味しいお料理、つくらなきゃ」とひとりごとをつぶやく彼女は、あまりにも可愛かった……。
彼女は大学生のときからひとり暮らしをしていて、大学も女子大の家政科を出ていると聞いたので、料理はある程度出来るのだろうとは思っていたけど……ここまで上手だとは思わなかった。
作ってくれる料理すべてが美味い。
彼女の初出勤には適当に理由をつけて、一緒に出勤することになっていた。本来なら人事部が全てを手配してくれるから、俺の出番などない。
しかし、一緒に行くことにして心底良かったと思えるような出来事に出会う。
――人事部人事課、奥瀬。
歳は確か結麻さんと同い年のはずだ。
常務から、とても優秀だと聞いている。
確かに、隙はない。
奥瀬は流れるように必要な説明をして、結麻さんに書類を手渡した。
一瞬、意味ありげな視線を結麻さんに向けたが、彼女は全く気づいていない。
嫌なことに気づいてしまった――。
彼女と共に、フロアを後にする。
振り返ると、扉を閉めようとした彼女が、ふと視線を人事部へと向けた。
奥瀬からはもう俺の姿は見えていないのだろうか、視線を上げた結麻さんに向かって、小さく手を振っている。
それを見た彼女が、慌てて頭を下げた。
――なんだ、いまのやりとりは……?
冷静そうな奥瀬が、初対面の女子社員にあんな砕けた態度を取るようには見えない。
もしかすると、奥瀬と結麻さんは、面識があるのかも知れない。
この予感が本当に的中するとは、この時はまだ知るよしもなかった――。
役員フロアへ移動し、今まで秘書補助の事務仕事を一手に担ってくれていた野村さんに結麻さんを託して、執務室へと向かう。
執務室の前にいる専属秘書の笹原がいつもと同じように俺に頭を下げて挨拶をするのを見届けて、奥の執務室のドアノブに手をかけた。
「……笹原」
「はい、なんでしょう」
挨拶を終えて頭を上げた笹原の表情が、いつもと違って口端がわずかに上がっていたことに対してひとこと言ってやろうかと思ったが、どうせからかわれるだけだ、と思い直す。
「……いや、なんでもない」
俺がそう言うと、笹原は特に何も返事を返すことなく、小さく会釈をして、俺が執務室へ入るのを見送った。
――笹原は入社が同じ、つまり同期だ。
俺が社長の息子だと知っても、普通に接してくれた唯一の人物だ。
入社してすぐ俺は営業部に、笹原は総務部に配属された。
営業で一通り仕事を覚え、成績を上げ、30歳になるのを機に専務へと就いたときに、俺が「笹原を秘書にしたい」と希望した。
同期、かつ、腹心の部下。俺の仕事も、プライベートも、全てを知っている男だ。
だからきっと、俺の考えていることなど全てお見通しだろう。
案の定、結麻さんが野村さんに連れられて挨拶に来た後、笹原は俺に意味ありげな顔を向けた。
「……笹原。なにか言いたいことがありそうだな」
「……いや、なにも?」
「ではなぜ笑ってる?」
「さあ? お前もついに結婚かな、って喜んだからじゃねえの?」
「……本音は?」
俺が問うと、笹原は「公平公正が、聞いて呆れる」と言って、言葉とは裏腹に、楽しそうに笑った。
笹原の言葉に、反論の余地もない。
「まあでも。社長も喜ばれるだろうよ、やっと息子が身を固める気になった、って」
「別に、結婚したくなかったわけでは……」
「はいはい。良かったな、運命の人に出会えて」
俺が少し睨むと、笹原はさっさと「専務、本日のスケジュール確認をお願いします」と秘書モードに切り替えた。
3
お気に入りに追加
155
あなたにおすすめの小説
隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
あなたと恋に落ちるまで~御曹司は、一途に私に恋をする~
けいこ
恋愛
カフェも併設されたオシャレなパン屋で働く私は、大好きなパンに囲まれて幸せな日々を送っていた。
ただ…
トラウマを抱え、恋愛が上手く出来ない私。
誰かを好きになりたいのに傷つくのが怖いって言う恋愛こじらせ女子。
いや…もう女子と言える年齢ではない。
キラキラドキドキした恋愛はしたい…
結婚もしなきゃいけないと…思ってはいる25歳。
最近、パン屋に来てくれるようになったスーツ姿のイケメン過ぎる男性。
彼が百貨店などを幅広く経営する榊グループの社長で御曹司とわかり、店のみんなが騒ぎ出して…
そんな人が、
『「杏」のパンを、時々会社に配達してもらいたい』
だなんて、私を指名してくれて…
そして…
スーパーで買ったイチゴを落としてしまったバカな私を、必死に走って追いかけ、届けてくれた20歳の可愛い系イケメン君には、
『今度、一緒にテーマパーク行って下さい。この…メロンパンと塩パンとカフェオレのお礼したいから』
って、誘われた…
いったい私に何が起こっているの?
パン屋に出入りする同年齢の爽やかイケメン、パン屋の明るい美人店長、バイトの可愛い女の子…
たくさんの個性溢れる人々に関わる中で、私の平凡過ぎる毎日が変わっていくのがわかる。
誰かを思いっきり好きになって…
甘えてみても…いいですか?
※after story別作品で公開中(同じタイトル)
幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜
葉月 まい
恋愛
近すぎて遠い存在
一緒にいるのに 言えない言葉
すれ違い、通り過ぎる二人の想いは
いつか重なるのだろうか…
心に秘めた想いを
いつか伝えてもいいのだろうか…
遠回りする幼馴染二人の恋の行方は?
幼い頃からいつも一緒にいた
幼馴染の朱里と瑛。
瑛は自分の辛い境遇に巻き込むまいと、
朱里を遠ざけようとする。
そうとは知らず、朱里は寂しさを抱えて…
・*:.。. ♡ 登場人物 ♡.。.:*・
栗田 朱里(21歳)… 大学生
桐生 瑛(21歳)… 大学生
桐生ホールディングス 御曹司
憧れのあなたとの再会は私の運命を変えました~ハッピーウェディングは御曹司との偽装恋愛から始まる~
けいこ
恋愛
15歳のまだ子どもだった私を励まし続けてくれた家庭教師の「千隼先生」。
私は密かに先生に「憧れ」ていた。
でもこれは、恋心じゃなくただの「憧れ」。
そう思って生きてきたのに、10年の月日が過ぎ去って25歳になった私は、再び「千隼先生」に出会ってしまった。
久しぶりに会った先生は、男性なのにとんでもなく美しい顔立ちで、ありえない程の大人の魅力と色気をまとってた。
まるで人気モデルのような文句のつけようもないスタイルで、その姿は周りを魅了して止まない。
しかも、高級ホテルなどを世界展開する日本有数の大企業「晴月グループ」の御曹司だったなんて…
ウエディングプランナーとして働く私と、一緒に仕事をしている仲間達との関係、そして、家族の絆…
様々な人間関係の中で進んでいく新しい展開は、毎日何が起こってるのかわからないくらい目まぐるしくて。
『僕達の再会は…本当の奇跡だ。里桜ちゃんとの出会いを僕は大切にしたいと思ってる』
「憧れ」のままの存在だったはずの先生との再会。
気づけば「千隼先生」に偽装恋愛の相手を頼まれて…
ねえ、この出会いに何か意味はあるの?
本当に…「奇跡」なの?
それとも…
晴月グループ
LUNA BLUホテル東京ベイ 経営企画部長
晴月 千隼(はづき ちはや) 30歳
×
LUNA BLUホテル東京ベイ
ウエディングプランナー
優木 里桜(ゆうき りお) 25歳
うららかな春の到来と共に、今、2人の止まった時間がキラキラと鮮やかに動き出す。
ご先祖さまの証文のせいで、ホテル王と結婚させられ、ドバイに行きました
菱沼あゆ
恋愛
ご先祖さまの残した証文のせいで、ホテル王 有坂桔平(ありさか きっぺい)と戸籍上だけの婚姻関係を結んでいる花木真珠(はなき まじゅ)。
一度だけ結婚式で会った桔平に、
「これもなにかの縁でしょう。
なにか困ったことがあったら言ってください」
と言ったのだが。
ついにそのときが来たようだった。
「妻が必要になった。
月末までにドバイに来てくれ」
そう言われ、迎えに来てくれた桔平と空港で待ち合わせた真珠だったが。
……私の夫はどの人ですかっ。
コンタクト忘れていった結婚式の日に、一度しか会っていないのでわかりません~っ。
よく知らない夫と結婚以来、初めての再会でいきなり旅に出ることになった真珠のドバイ旅行記。
ちょっぴりモルディブです。
【完結】もう一度やり直したいんです〜すれ違い契約夫婦は異国で再スタートする〜
四片霞彩
恋愛
「貴女の残りの命を私に下さい。貴女の命を有益に使います」
度重なる上司からのパワーハラスメントに耐え切れなくなった日向小春(ひなたこはる)が橋の上から身投げしようとした時、止めてくれたのは弁護士の若佐楓(わかさかえで)だった。
事情を知った楓に会社を訴えるように勧められるが、裁判費用が無い事を理由に小春は裁判を断り、再び身を投げようとする。
しかし追いかけてきた楓に再度止められると、裁判を無償で引き受ける条件として、契約結婚を提案されたのだった。
楓は所属している事務所の所長から、孫娘との結婚を勧められて困っており、 それを断る為にも、一時的に結婚してくれる相手が必要であった。
その代わり、もし小春が相手役を引き受けてくれるなら、裁判に必要な費用を貰わずに、無償で引き受けるとも。
ただ死ぬくらいなら、最後くらい、誰かの役に立ってから死のうと考えた小春は、楓と契約結婚をする事になったのだった。
その後、楓の結婚は回避するが、小春が会社を訴えた裁判は敗訴し、退職を余儀なくされた。
敗訴した事をきっかけに、裁判を引き受けてくれた楓との仲がすれ違うようになり、やがて国際弁護士になる為、楓は一人でニューヨークに旅立ったのだった。
それから、3年が経ったある日。
日本にいた小春の元に、突然楓から離婚届が送られてくる。
「私は若佐先生の事を何も知らない」
このまま離婚していいのか悩んだ小春は、荷物をまとめると、ニューヨーク行きの飛行機に乗る。
目的を果たした後も、契約結婚を解消しなかった楓の真意を知る為にもーー。
❄︎
※他サイトにも掲載しています。
【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜
雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。
【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】
☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆
※ベリーズカフェでも掲載中
※推敲、校正前のものです。ご注意下さい
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる