嘘は溺愛のはじまり

海棠桔梗

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【番外編】伊吹 side

5.

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 いままで同棲には1ミリも興味がなかったけれど……好きな女性と一緒に住むのは、とてもしあわせで、とても楽しいと言うことを知った。

 彼女が欲しいと言うものは何だって買ってあげたくなる。それなのに、彼女は物欲がない。
 そんな奥ゆかしいところも、好感が持てる。

 とりあえず、料理に使いそうな道具を全て買いそろえてみた。
 断ったはずの調理器具が一気に届き、目を白黒させながらも「頑張って美味しいお料理、つくらなきゃ」とひとりごとをつぶやく彼女は、あまりにも可愛かった……。

 彼女は大学生のときからひとり暮らしをしていて、大学も女子大の家政科を出ていると聞いたので、料理はある程度出来るのだろうとは思っていたけど……ここまで上手だとは思わなかった。
 作ってくれる料理すべてが美味い。


 彼女の初出勤には適当に理由をつけて、一緒に出勤することになっていた。本来なら人事部が全てを手配してくれるから、俺の出番などない。
 しかし、一緒に行くことにして心底良かったと思えるような出来事に出会う。

 ――人事部人事課、奥瀬。

 歳は確か結麻さんと同い年のはずだ。
 常務から、とても優秀だと聞いている。

 確かに、隙はない。
 奥瀬は流れるように必要な説明をして、結麻さんに書類を手渡した。
 一瞬、意味ありげな視線を結麻さんに向けたが、彼女は全く気づいていない。

 嫌なことに気づいてしまった――。

 彼女と共に、フロアを後にする。
 振り返ると、扉を閉めようとした彼女が、ふと視線を人事部へと向けた。
 奥瀬からはもう俺の姿は見えていないのだろうか、視線を上げた結麻さんに向かって、小さく手を振っている。
 それを見た彼女が、慌てて頭を下げた。

 ――なんだ、いまのやりとりは……?

 冷静そうな奥瀬が、初対面の女子社員にあんな砕けた態度を取るようには見えない。
 もしかすると、奥瀬と結麻さんは、面識があるのかも知れない。

 この予感が本当に的中するとは、この時はまだ知るよしもなかった――。

 役員フロアへ移動し、今まで秘書補助の事務仕事を一手に担ってくれていた野村さんに結麻さんを託して、執務室へと向かう。
 執務室の前にいる専属秘書の笹原がいつもと同じように俺に頭を下げて挨拶をするのを見届けて、奥の執務室のドアノブに手をかけた。

「……笹原」
「はい、なんでしょう」

 挨拶を終えて頭を上げた笹原の表情が、いつもと違って口端がわずかに上がっていたことに対してひとこと言ってやろうかと思ったが、どうせからかわれるだけだ、と思い直す。

「……いや、なんでもない」

 俺がそう言うと、笹原は特に何も返事を返すことなく、小さく会釈をして、俺が執務室へ入るのを見送った。

 ――笹原は入社が同じ、つまり同期だ。
 俺が社長の息子だと知っても、普通に接してくれた唯一の人物だ。

 入社してすぐ俺は営業部に、笹原は総務部に配属された。
 営業で一通り仕事を覚え、成績を上げ、30歳になるのを機に専務へと就いたときに、俺が「笹原を秘書にしたい」と希望した。

 同期、かつ、腹心の部下。俺の仕事も、プライベートも、全てを知っている男だ。
 だからきっと、俺の考えていることなど全てお見通しだろう。

 案の定、結麻さんが野村さんに連れられて挨拶に来た後、笹原は俺に意味ありげな顔を向けた。

「……笹原。なにか言いたいことがありそうだな」
「……いや、なにも?」
「ではなぜ笑ってる?」
「さあ? お前もついに結婚かな、って喜んだからじゃねえの?」
「……本音は?」

 俺が問うと、笹原は「公平公正が、聞いて呆れる」と言って、言葉とは裏腹に、楽しそうに笑った。
 笹原の言葉に、反論の余地もない。

「まあでも。社長も喜ばれるだろうよ、やっと息子が身を固める気になった、って」
「別に、結婚したくなかったわけでは……」
「はいはい。良かったな、運命の人に出会えて」

 俺が少し睨むと、笹原はさっさと「専務、本日のスケジュール確認をお願いします」と秘書モードに切り替えた。
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