嘘は溺愛のはじまり

海棠桔梗

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“そう言う女”

1.

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 私は、きっと、“そう言う女”、なんだ――。


 ――それは、高校二年生の夏休みのことだった。

 私の家は、両親に一人っ子の私の、三人家族。
 父はいつも夜遅くならなければ帰宅しないし、母もフルタイムで働いていて留守がちと言う、共働きの家庭に私は育った。

 そんな夏休みのある日、母の知人の古田という男性が尋ねてきた。
 母から何度か聞いたことがある名前だった。

「結麻ちゃんのお母さんと約束があって。今日は早退して帰ってくるらしいから、家に上がって待っていたいんだけど、いいかな?」

 母が私に連絡事項を言い忘れて出掛けてしまうことは日常茶飯事だったので、この日もあまり気に留めていなかった。
 きっと、言い忘れただけなんだろう、と。

 リビングのソファでくつろぐ古田さんに冷たいお茶を出すと、お礼よりも先に「結麻ちゃん、可愛いね」と言われ……。
 私は当たり障りなく「ありがとうございます」と答えて、お盆を仕舞うためにキッチンへと踵を返しかけた、その時――。

「……結麻ちゃん、もっとこっちにおいでよ」

 声と共に、腕を掴まれて、強く引っ張られた。
 私は体勢を崩し、ドサリとその人の上に倒れ込む。
 自分が仕掛けたくせにその人は「随分積極的だねぇ?」といやらしい顔でニヤニヤと笑いながら、私の身体を撫で回した。

 私は何度も「やめて下さい!」と言って抵抗したけれど、大人の男性の力に抗えるはずも無く、体勢を入れ替えるようにして私の上に覆い被さったその人に身体じゅうをまさぐられ、無理矢理唇を奪われ、着ていたTシャツをまくり上げられ……。

 高校生ともなれば、このあと自分がどんなことをされるのかはさすがに容易に想像がついた。
 私は恐怖でガタガタと震え、「やめてください」と、震えて掠れる声で懇願するのが精一杯だった。
 こんな男に好きなようにされるぐらいなら、いっそ、いまここで死んだ方がましだ……。

 この状態で自分で自分を傷付けて殺せる方法は、ひとつしかない。
 舌を、噛み切ってしまえば……。
 それをしたら、どれぐらい痛いんだろう……?
 どれぐらい、血が流れるんだろう……?

 分からない、怖い、死ぬのも、……この男に犯されるのも……。


 その時――

「結麻ぁ、ただいまぁ」

 だるそうな声でそう言いながら、母がリビングの扉を開けた。
 すぐにソファでもみ合う私たちに気付き、吃驚の声を上げた。

「あっ、あなたたち、何を……っ!!!」
「こ、これは、ち、違うんだっ! 結麻ちゃんが僕を誘惑してきて……!!」

 私の上に跨がるようにのしかかっていた古田は、慌てて私の上から飛び退きながら、こう叫んだ――


「その淫乱な女が誘ってきたんだ、俺は何も悪くない! 子供のくせに、このあばずれめ!!」


 私は何度も「違う、私はそんなことしてない!!」と言ったけど母は聞く耳を持たず、私の髪を掴んでソファから引きずり下ろした。
 母は「なんて子なの!?」と言って私を何度も叩き、「私のものを盗るなんて! 泥棒猫!!」と錯乱したように叫ぶ。

「ちがう、私は、そんなこと、してない!!」

 母に叩かれながら、何度もそう叫んだ気がする。
 それももう、よく分からない。

 叩かれすぎて、顔中と言わず身体中が腫れて赤くなり、掴まれて振り回された髪は何本も、何十本も抜けて床に散らばり、着ていた服はヨレヨレに伸びきっていた。


 そこへ、更なる不幸が重なる――。
 父が、大切な書類を家に忘れたとかで、帰宅したのだ。

 リビングで起きている惨状を目にして、「……なんだ、これは……?」と呟く声を、私は床に転がったまま聞いた気がする。
 般若のような形相で私を叩く母、今にも立ち去ろうとする母の知人の古田、床に転がり母に叩かれ続け朦朧とする私、それを見て茫然と立ちつくす父……。

 地獄絵巻きとは、まさにこの状況のことなのかも知れない――。

 その後、父にことの経緯を問い詰められた母が、古田という男性と不倫関係にあることを渋々認めた。

 母は、その日は出社後に急に微熱が出て体調が悪くなり、早退して来たらしい。
 体調不良で早退したのは本当にたまたまで、古田とは何も約束をしていなかったのだと言う。
 古田が私を襲うために訪ねてきたところに、偶然母が早退して帰ってきて、またしても偶然に父が忘れ物を取りに帰ってきた――。

 全てが、偶然の産物だった。
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