嘘は溺愛のはじまり

海棠桔梗

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あの時も、いまも

4.

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 書庫の鍵を開け、電気をつける。

 片瀬さんの必要としている資料は少し古いもので、先日野村さんに案内して貰った時の感じでは、多分部屋の真ん中辺りにありそうだと予想して、その棚のあたりへと向かう。

 すると……

 後方で、カチャン、と音がした。
 それと同時に、書庫の照明が一部消える。

「……えっ?」

 停電かと思ったけど、一部しか消えていないから、停電なんかではない。
 ポツン、ポツン、と飛び飛びに灯る明かりが、逆に不気味だった。

 ……な、なに……???

 何となく背後に気配がして、私は恐る恐る、ゆっくりと、振り返ると……。


「……っ!?」


 そこには、総務部の谷川部長が立っていた。

「た、谷川、部長……、」
「資料探しだろう? 僕が手伝ってあげよう」
「いえ、あの、」
「遠慮しなくていい。ほら、メモを見せてごらん?」

 私が手にしているメモへと、谷川部長の手が伸びる。
 私は思わず咄嗟に、手を引っ込めた。
 すると、谷川部長の表情が、さっきまでのニヤニヤした顔から、一気に険しい表情へと変わる。

「僕が親切にしてあげてるんだから、部下のきみは僕に従えば良いんだっ」

 そう声を荒げ、再びメモへと手を伸ばした。

 ……やだ、いらない、この人の“親切”なんて、いらないっ!

 私は思わず後ずさりをする。
 じりじりと後ろへ下がると、谷川部長も一歩ずつこちらに近づいてきた。
 険しい顔が、再びニヤニヤとした気持ち悪い顔つきになる。

 いやっ、こ、怖い……っ!

 私は思わず、書庫の奥へと走り出した。
 すると後ろから「待てっ!!」と声がして、バタバタと追いかけてくる足音が聞こえてきて……。

 それなりの広さがあるこの部屋には、いくつも棚が並んでいる。
 見通しの利く場所もあるけど、段ボールが積まれていたり資料のファイルが並んでいて見通せない場所もある。
 それをうまく利用すれば、ぐるっと回って扉のある場所まで逃げることが出来るかも知れない。

 私はイチかバチか、それに賭けてみることにした。
 もつれる足で、棚の間を縫うように走る。
 上手く、いきますように……!

 なるべく音を立てないように走りたいけど、固い床にパンプスのかかとが当たってカツカツと音が鳴り響く。
 対して、部長の履いている靴は、底がゴムになっていて、ほぼ音がしない。

 ――圧倒的に不利だ。

 なんとか隠れるようにしながらグルリと棚を回り込み、扉のある方向へと進路を取る。
 あと少し、もう数メートル。部長の姿は見えない。
 私は手を伸ばして、ドアノブを回した。

「……あ、れ!?」

 左右に回すけれど、ビクともしない。動かない。
 そう言えばさっき後方で気配がした時、カチャンと音が鳴った。あれは、内側からかけた鍵の音だったのだろう。
 ならば、と内鍵を外そうと捻ったが、それも、動かない。

 ……えっ、なんで……!?

「……残念だったね。ここの鍵はちょっと固くてね。内側からかけると、きみの握力では開けられないんだよ。野村くんに教わらなかったのかい? ククク、バカだねぇ」

 部長の下卑た笑い声が、すぐ真後ろで聞こえた。
 私は咄嗟に、扉の脇にある内線電話へと手を伸ばし、受話器を上げる。

 私が覚えている番号は、数少ない。
 野村さん、秘書の皆さん、総務の片瀬さん、それから……。

 私は迷わず、ある番号をプッシュした。
 呼び出し音が聞こえ、ありがたいことに相手がワンコールですぐに応答してくれた。
 相手の名乗りに被さるように私が「あのっ、」と言った所で、ブツリ、と切れ、同時に私の手から受話器が吹き飛ぶ。
 見ると、谷川部長が内線電話を掴んで、線を引きちぎりながら床へと放り投げていた。


 ――ガシャーン!


 音を立てて電話が床へと転がる。

「悪知恵だけは働くねぇ。悪い子は、お仕置きだよ?」
「……っ!!」

 恐怖を覚えた私は、震える足で再び通路を走り出した。
 当然、谷川部長は私を追いかけて来る。

 はぁっ、はぁっ……、

 足がもつれて、上手く走れない。
 恐怖で、呼吸が上手く出来ない。
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