嘘は溺愛のはじまり

海棠桔梗

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一緒に微睡む

1.

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「美味しいケーキを買ってきたの。結麻さんと一緒にいただこうと思って」


 ――伊吹さんのいない夜を過ごした翌日の午後、つまり土曜日の午後のこと。
 伊吹さんのお母様が、突然尋ねて来た。

「きっと結麻さんがひとりで退屈してるだろうと思って」

 にっこり微笑むお母様は、小さなケーキの箱を手にしている。
 この界隈でも有名な洋菓子店のものを買ってきてくれたらしい。
 会社の女性陣にも大人気の、噂のケーキだ。実はちょっと食べてみたいと思っていたところだから、とっても嬉しい。

「主人も伊吹と一緒にシンガポールでしょ? 実は私も退屈で……」

 そう言って、お母様はふふっと優しく笑う。
 結婚してもう何十年も一緒にいらっしゃるはずなのに、とても仲が良いご夫婦なんだなぁ、羨ましい。

「どう? お仕事も、伊吹との生活も。もう慣れた?」
「はい、おかげさまで、なんとかやっています」
「伊吹に意地悪されてない? 嫌なことはちゃんと言ってる?」
「あ、の、意地悪はされていませんし、嫌なことも、無いです」
「……そう?」
「はい」

 伊吹さんのことを意地悪だと思うとすれば、私が思わず勘違いしてしまいそうになるぐらい優しいことぐらいだ。
 だけど、優しいことを意地悪だと感じてしまうだなんて、それは贅沢というものだろう。

 ほっとしたように目尻を下げて微笑むお母様に、私も少しほっとする。
 伊吹さんと同じく、とても優しくて暖かい方だ。……当たり前か、伊吹さんを生み育てた方、だものね。

 お母様とのお話はとても楽しくて、時間が過ぎるのがあっという間だった。
 伊吹さんの小さな頃のお話も、少し聞かせてくれて。
 私の小さな頃の話は、かなり控えめにお話しして。

 一番楽しかったのは、お母様の趣味のお話。
 最近になって急に絵を描きたくなったとかで、基本的なことだけを絵の先生に教えて貰い、それ以降は全て自由に描いているのだそうだ。

 私は、絵なんて中学校の授業で描いて以来一度も描いていない。
 小学生が使うような水彩絵の具でしか、色を塗ったことがない。
 アクリル画とか、油絵とか、私には完全に未知の世界で、とても興味深かった。

「結麻さんも、興味があるなら、描いてみれば?」
「でも私、絵心ないですし……」
「絵心なんか必要ないのよ。好きな色で埋め尽くすだけでも十分よ?」
「……それは、ちょっと、やってみたいかも知れません」

 絵を描くなら、そこにあるものをちゃんと写し取らなければいけないと思っていた。
 でも、お母様の言うように、ただ好きな色を使って、好きなように塗りつぶしても良いのなら、それはそれで楽しそうだ。
 そして、それなら、絵心のない私でも出来そうだと思った。


 ――そんな話をしているうちに、あっという間に夕方になってしまった。
 楽しい時間ほど早く過ぎると言うけれど、本当にその通りだ。
 お母様が帰ってしまわれたら、伊吹さんが帰るまでほぼ丸一日、またひとり。

 ……そんな思いが顔に出ていたのだろうか。

「……伊吹がいなくて、寂しい?」

 ストレートに尋ねられて思わず顔を赤くしてしまい、「ふふふ、図星ね?」と言われ、思わず口ごもって俯いた。

「まぁ、気持ちは分かるわね。私も今日は帰ればひとりだもの」
「……あの、じゃあ、もしお母様さえ良ければ、泊まっていかれませんか……?」

 ここにはゲストルームがある。
 服の替えなど必要なものがあれば私が買いに出ればいい。


 ――と、そんな経緯で、お母様には泊まって頂くことになった。
 まだもう少しお母様のお話を聞けると思うと、嬉しくなる。

 一緒に夕飯の支度をするのも楽しくて、ああ、私の母親がこんな人だったら、私はもっとまともな人間だったのかな、なんて思ってしまう。
 およそ、“まとも”からほど遠い自分を思えば、ますます伊吹さんとは釣り合わないと思い知らされる。

 ――身の程知らず。

 だけど、なにひとつまともじゃない私は……いや、まともじゃないからこそ、身の程もわきまえずにここに居座っている。
 湯船にお湯を張りながら、そんな風に考えていた……。
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