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貴方のいない部屋で
3.
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「そう言えば高校の時さぁ。若月の進路がK大学って聞いた奴ら、みんなK大目指してたの、知ってる?」
「え? そう、なの?」
「身の程知らずだよな」
「そんなことはないと思うけど……」
「で、必死になってなんとか合格を勝ち取れた奴らも、いざ入ってみたら、当の若月はいなかった、ってオチ」
「……ごめん」
「俺もびっくりした。後になって橋本たちから、密かに女子大に変更してたんだって聞いた」
奥瀬くんは、そこで口を噤んだ。
きっと、あの頃の私の噂話を思い出していて、さすがにそれを言葉にするははばかられたのだろう。
「あの、それは、女子大の方が、学びたい学部があったから……」
ほとんど嘘に近い言葉をたどたどしく返すと奥瀬くんの表情が曇って、私の心はまたざわつき始める。
私のいま言った言葉は、きっと信じられていないのだろうと思う。
それでも、何度も嘘を上塗りすることでしか、私は自分自身を保てない。
少しはマシになったかと思ったけど、まだまだ私は弱いままだと心の中で落胆する。
「まぁ、K大に行かなくて正解だったかもな。女子大への選択をしたから、今の若月があるんだし」
「……そうだと良いけど」
奥瀬くんはジョッキに残っていたビールを飲み干して、通りかかった店員に「ビールもう一杯お願いします」と声を掛けた。
私は久しぶりのアルコールで、やっぱりちょっと酔い始めている。
「もうひとつ話があって」
「うん、なに……?」
「専務のこと」
「……え、っと、」
「ホントに一緒に住んでるんだ?」
「…………うん」
「付き合ってないって言ってたよな? それなのに専務の家に住んでるって、無理があると思うんだけど?」
「……」
でも、それが真実で。
伊吹さんは、困っていた私を保護してくれただけに過ぎない――そう考えて、胸がチクリと痛む。
「バレたらきっと面倒なことになる」
「うん、分かってる……」
「特に総務部は気を付けた方が良い」
「え、総務部……?」
「秘書課とは仕事上の関係性も深いし、若月の仕事のポジションを狙ってるヤツもいる。用心するに越したことはないって事」
「……うん、分かった。ありがとう」
「何かあったら相談して。力になる。あと……」
そこで一度言葉を切った奥瀬くんは、私の目をじっと見つめていた。
彼の焦げ茶色の瞳が、私を射貫くように……。
「専務のことも。泣かされたら、俺んとこ来い」
「……泣かされたり、しないよ。篠宮専務はそんなこと、しない」
「どうだか」
しないよ。
だって、伊吹さんの心は、はなから私には無いから。
だから、もし私が泣くとしたら、それは伊吹さんに何かされたからじゃなくて、私が勝手に悲しくなってるだけだ。
そんな私と伊吹さんのちょっと特殊な関係を知らない奥瀬くんは、「そもそもあの歳であのポジションにいるのに独身とか、怪しさしかないだろ」と呟いている。
はたから見れば、あんなに格好良くて、御曹司で、会社役員で、32歳なのに結婚してないとか、不思議に思えるのかも知れない。
でも実際は、伊吹さんにお相手がいないわけじゃないから……。
何か理由があって、あの花屋の女性とはすぐには結婚できないんだと思う。
だから、伊吹さんは別に怪しくなんかない。
むしろ、完璧すぎるぐらいだ。
注文したメニューは、こんな微妙な話をしながらも私と奥瀬くんの胃袋の中にほとんど収まった。
と言っても私はもともと食が細い方なので、食べていたのはほとんど奥瀬くんだったけど。
久しぶりに飲んだビールはまだ半分ぐらい残っていて、でもこれ以上飲んだら歩いて帰れなくなりそうだから途中から飲むのをやめた。
「そろそろ出るか」
奥瀬くんの言葉に頷いて、奥瀬くんに続くように席を立つ。
奥瀬くんが会計を終えて店を出た後、お財布からさっき店員が告げた金額の半分を差し出した。
「は?」
「私の分。計算、間違ってないといいんだけど」
「いらない」
「でも、」
「そもそも若月、ほとんど食べてなかったじゃん。それに、話があって誘ったのは俺の方だから」
「え、でもっ、」
「いいから。それより、家まで送る」
「大丈夫、ひとりで帰れるから」
「若月に何かあったら、専務に殺される気がする」
「専務はそんなこと、しないってば」
そんなこと、しない――。
自分で言っておいて、胸が潰れる。
偽の関係と言うその事実に、簡単に押しつぶされそうになる。
「え? そう、なの?」
「身の程知らずだよな」
「そんなことはないと思うけど……」
「で、必死になってなんとか合格を勝ち取れた奴らも、いざ入ってみたら、当の若月はいなかった、ってオチ」
「……ごめん」
「俺もびっくりした。後になって橋本たちから、密かに女子大に変更してたんだって聞いた」
奥瀬くんは、そこで口を噤んだ。
きっと、あの頃の私の噂話を思い出していて、さすがにそれを言葉にするははばかられたのだろう。
「あの、それは、女子大の方が、学びたい学部があったから……」
ほとんど嘘に近い言葉をたどたどしく返すと奥瀬くんの表情が曇って、私の心はまたざわつき始める。
私のいま言った言葉は、きっと信じられていないのだろうと思う。
それでも、何度も嘘を上塗りすることでしか、私は自分自身を保てない。
少しはマシになったかと思ったけど、まだまだ私は弱いままだと心の中で落胆する。
「まぁ、K大に行かなくて正解だったかもな。女子大への選択をしたから、今の若月があるんだし」
「……そうだと良いけど」
奥瀬くんはジョッキに残っていたビールを飲み干して、通りかかった店員に「ビールもう一杯お願いします」と声を掛けた。
私は久しぶりのアルコールで、やっぱりちょっと酔い始めている。
「もうひとつ話があって」
「うん、なに……?」
「専務のこと」
「……え、っと、」
「ホントに一緒に住んでるんだ?」
「…………うん」
「付き合ってないって言ってたよな? それなのに専務の家に住んでるって、無理があると思うんだけど?」
「……」
でも、それが真実で。
伊吹さんは、困っていた私を保護してくれただけに過ぎない――そう考えて、胸がチクリと痛む。
「バレたらきっと面倒なことになる」
「うん、分かってる……」
「特に総務部は気を付けた方が良い」
「え、総務部……?」
「秘書課とは仕事上の関係性も深いし、若月の仕事のポジションを狙ってるヤツもいる。用心するに越したことはないって事」
「……うん、分かった。ありがとう」
「何かあったら相談して。力になる。あと……」
そこで一度言葉を切った奥瀬くんは、私の目をじっと見つめていた。
彼の焦げ茶色の瞳が、私を射貫くように……。
「専務のことも。泣かされたら、俺んとこ来い」
「……泣かされたり、しないよ。篠宮専務はそんなこと、しない」
「どうだか」
しないよ。
だって、伊吹さんの心は、はなから私には無いから。
だから、もし私が泣くとしたら、それは伊吹さんに何かされたからじゃなくて、私が勝手に悲しくなってるだけだ。
そんな私と伊吹さんのちょっと特殊な関係を知らない奥瀬くんは、「そもそもあの歳であのポジションにいるのに独身とか、怪しさしかないだろ」と呟いている。
はたから見れば、あんなに格好良くて、御曹司で、会社役員で、32歳なのに結婚してないとか、不思議に思えるのかも知れない。
でも実際は、伊吹さんにお相手がいないわけじゃないから……。
何か理由があって、あの花屋の女性とはすぐには結婚できないんだと思う。
だから、伊吹さんは別に怪しくなんかない。
むしろ、完璧すぎるぐらいだ。
注文したメニューは、こんな微妙な話をしながらも私と奥瀬くんの胃袋の中にほとんど収まった。
と言っても私はもともと食が細い方なので、食べていたのはほとんど奥瀬くんだったけど。
久しぶりに飲んだビールはまだ半分ぐらい残っていて、でもこれ以上飲んだら歩いて帰れなくなりそうだから途中から飲むのをやめた。
「そろそろ出るか」
奥瀬くんの言葉に頷いて、奥瀬くんに続くように席を立つ。
奥瀬くんが会計を終えて店を出た後、お財布からさっき店員が告げた金額の半分を差し出した。
「は?」
「私の分。計算、間違ってないといいんだけど」
「いらない」
「でも、」
「そもそも若月、ほとんど食べてなかったじゃん。それに、話があって誘ったのは俺の方だから」
「え、でもっ、」
「いいから。それより、家まで送る」
「大丈夫、ひとりで帰れるから」
「若月に何かあったら、専務に殺される気がする」
「専務はそんなこと、しないってば」
そんなこと、しない――。
自分で言っておいて、胸が潰れる。
偽の関係と言うその事実に、簡単に押しつぶされそうになる。
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