嘘は溺愛のはじまり

海棠桔梗

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貴方のいない部屋で

2.

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「……あの、」
「若月。今日この後、何か用事ある?」
「えっ。いえ、ないです、けど、」
「ちょっと話したいことがある」
「え? あ、はい、えっと……」
「専務は、今日は……?」
「あ、明後日までシンガポールに出張で……」
「じゃあ食事に行こう。下で待ってる」
「え、ええっ?」

 突然の食事の誘いを受けて私がオロオロしている間に、奥瀬くんはエレベーターの扉奥へと消えて行ってしまった。

「ええ……っ?」

 今日は伊吹さんもお留守だし、確かにひとりなんだけど……。
 奥瀬くんは返事を聞かずに降りて行ってしまった。
 ……どうしよう。話があるって言ってたし、仕方ない、かな……。

 私は手元の書類を片付けてパソコンの電源を落とし、帰り支度をした。

 エレベーターを降りてゲートをくぐると、さっきの言葉通り、奥瀬くんが待っていた。
 私を見つけた奥瀬くんの口元に緩い笑みが浮かぶ。

「あの、」
「行こう、ここだと目立つ」

 私が何かを言う前に、奥瀬くんはサッと身を翻してエントランスの外へと向かい始めた。
 ノー残業デーだからか、夕方6時前の会社のエントランスは退社する社員が次々とゲートからはき出されるように流れ出てくる。

 確かにこんなところに立っていると、通る社員全員にもれなくじろじろと見られそうだった。
 奥瀬くんの背中を追って、私もエントランスをくぐって外へ足を向けた。

 会社を出ても私は奥瀬くんの隣に並ぶことはせず、私は少し斜め後ろから彼を追いかけるように歩いて行く。
 奥瀬くんは時々私がいるかどうかを確認するように視線を向けるけれど、隣に並ぼうとしない私を気に留める様子は無い。
 高校時代の私を知っているからなんだろうな、と思うと、少し胸の奥がざわつく。

 高校を卒業して、全てを断ち切るようにして地元を離れ、大学へ進学して、就職して……。

 ここでは誰も、私を知らない。
 私がどんな人間なのか。
 どんな人間だったのか。

 それなのに、今またこうして、あの頃の私を知っている人が目の前にいる――。

 私たちは駅近くにある小綺麗な居酒屋に入り、まずはビールで乾杯をした。

「お疲れ様」
「お疲れ様、です」

 ビールジョッキを控えめにカチリと合わせ、ゴクゴクとビールを喉に流し込む奥瀬くんを見ながら、私も少しだけ黄金色の飲み物を飲み込む。
 ビールを飲むのは久しぶりで……と言うか、アルコール自体とても久しぶりで、ほんの少しだけでも酔いそうな気がしてしまう。

「敬語」
「……え?」
「会社ではともかく、外では敬語いらないだろ」
「あ、うん……」

 同級生に敬語を使うのは、確かに変だ。
 でも会社での奥瀬くんは先輩だし、それに……。

「社外で俺に敬語で話したら、罰ゲームにしようかな」
「ええ?」
「嫌なら普通に話せばいいんじゃない?」
「う、ん……分かった」

 不敵に微笑む奥瀬くんが憎らしい。
 ……うっかり敬語で話してしまったら、どんな罰ゲームをさせられるんだろう。

「仕事は順調?」
「あ、うん、なんとか。細かい仕事が多くて、野村さんの仕事っぷりに驚かされてばっかり」
「あの人は超人だよ。営業部も狙ってるって話もあるぐらいだから」
「営業部……。野村さんならすぐにトップに上り詰めそう、だね」
「……いま、敬語出そうになった?」

 私の語尾に違和感を抱いた奥瀬くんが、笑いながら意地悪そうな顔で私を見ている。

「……出なかったもん」
「あはは、出なかったな。残念」
「……意地悪」
「敬語にならなきゃいいだけだろ?」
「そうだけど……」

 どこまで私のことを知っていて、こんなことを言い出したのか……。
 心の奥がざわめいて、落ち着かない気分になる。

「あの……、話があるって言ってたよね……?」
「ああ、うん」
「なに……?」
「この時期いつも高校の同窓会みたいなのをやってるんだけどさ。若月も参加しないかなーって」
「同窓会……?」
「……橋本とか遠藤たちが一緒だったら若月も同窓会に来たり、しない?」

 橋本香織と遠藤由里奈は、私が高校三年生の時に特に仲が良かった友達だ。
 あの頃の私は、常に彼女たちと一緒にいた。
 とても、とてもお世話になった大切な友達だ。

 大学の頃は時々会ってたけど、お互い社会人になって、忙しくなって……連絡だけは時々してるけど、しばらく会えていなかった。
 会いたいけど、でも……。

「ごめん、同窓会とかそう言うのは、私はちょっと……」
「うん、だよな。そう言うと思った」
「……ごめん」
「いや、全然謝る必要ないから」

 本当に気にしていなさそうにカラッと笑って、ビールを喉に流し込む奥瀬くん。

 私の中では奥瀬くんはまだ高校三年生のままで止まっていて、そんな彼がビールなんて言う大人の飲み物を普通に美味しそうに飲んでいることが、なんだか違和感でしかない。
 私もそんな風に見えていたり、するんだろうか。
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