嘘は溺愛のはじまり

海棠桔梗

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嘘の恋人

2.

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 部屋のチャイムが鳴る。
 伊吹さんのお母様が部屋の前に到着したのだろう。

 まだ若干混乱したままの私に向かって微笑んだ伊吹さんは、スッと手を差し出した。
 その仕草の意味が理解できずに首を傾げる私に「手を」と言いながら、もう一度私へと差し出す。
 私がおずおずと手を差し出すと、私から重ねる前に伊吹さんの大きな手が私の手を下からキュッと捕まえた。

「……っ」
「行きましょう」

 私の手を取ったまま、玄関へと歩みを進める伊吹さん。
 私は突然のことに、どうしていいのか完全に分からなくなってる。

 ど、どうしよう、伊吹さんと、手を、繋いで………………

 私の動揺を余所に、伊吹さんは玄関扉を解錠して客人――お母様を招き入れた。

「突然来てしまってごめんなさいね?」

 伊吹さんのお母様はとても上品で綺麗で、優しい雰囲気の方だった。
 手を繋いで顔を強ばらせている私を見て「あなたが伊吹の大切な方ね?」と微笑んだ。
 私はどぎまぎしながら伊吹さんをちらりと仰ぎ見ると、伊吹さんは私の目を見つめながら頬を緩め、大丈夫だよ、と言うように小さく頷た。

 手は、離してくれないらしい……。

「は、はじめまして、若月結麻と言います。あの、伊吹さんとは……」

 いくら“フリ”とは言え、自分から恋人ですとは言いづらくて思わず言い淀んでしまう。

「結麻さんとは結婚を前提にお付き合いをしていて、少し前から同居……いや、同棲かな、し始めたんです」

 伊吹さんこともなげに答えたので、私は思わず気絶しそうになった……。

 結婚を前提……!?
 ど、同棲……っ!?

 私には無縁と思ってきたパワーワードが伊吹さんの口から私と関連づけて発せられ、私の思考は完全に停止。
 びっくりしたのと、ドキドキしすぎているのと、嘘の罪悪感と……。
 色んな感情が混ざりすぎて、もうどうすれば良いのか……。

 助けを求めようと再び伊吹さんを仰ぎ見ると、嬉しそうな表情で私を見下ろし、にっこりと微笑んでいる。

 ……ああ、今日も伊吹さんは美しくて格好良い。

「うふふ、とっても仲が良さそうで安心したわ」
「ええ、それはもう。さあ母さん、中へどうぞ」
「お邪魔しますね」

 お母様をリビングにお通しして、ソファへと座っていただく。
 コーヒーをお出しして、伊吹さんと私はお母様の正面に隣り合って座った。

「もう、伊吹ったら、こんな素敵なお嬢さんと一緒に住んでること、内緒にしてるんですもの」
「すみません。でも、本当に最近のことなので」
「一体どこで知り合ったの?」
「会社です。いま、秘書課で事務を手伝ってくれています」
「まぁ。あの人ったら社長だからって会社のことは何も言ってくれなくて。ほんと困るわ。でも……。そう、そうなのね」

 にこにこと嬉しそうに微笑む伊吹さんのお母様を目の前にして、私の心はチクリと痛んだ。

 騙してる。
 こんなに優しそうな人を……。

「伊吹は、結麻さんのどんなところが好きなの?」

 お母様の唐突な問いに、私は思わず慌てた。
 伊吹さんをチラリと見ると、困ったような顔をして笑っている。

「……それは本人の前で聞くことですか?」
「あら。本人の前だからでしょ?」

 お母様にそう返された伊吹さんは、小さく息を吐いた。

 そう、だよね、困るよね……。
 だって伊吹さんは、私のことを本当に好きなわけじゃないから……。
 聞かれたって上手く答えられないだろう。
 この関係が嘘だってばれてしまうんじゃないかな……。

 伊吹さんがどう答えるのか少し心配で伊吹さんをそっと窺い見ると、伊吹さんはそんな私を見て優しく微笑み、握っていた手に少しだけ力を込めた。
 そして、彼の形の良い唇が、信じられないような言葉を紡ぎ出す……。

「結麻さんは、何に対しても真剣で丁寧で、ひたむきで。芯のしっかりしたところもあるのに、時々少し頼りなげになるから守ってあげたくなる。家事が得意で料理がとても上手だし、会社の仕事もしっかりこなしてくれますし、何よりも、」
「い、伊吹さんっ! も、もうその辺で……っ!!」

 私はスラスラと続ける伊吹さんの言葉を慌てて遮った。

 待って待って!
 演技って分かってても、そんな風に言われると、ちょっと……いやすごく恥ずかしい!
 本当に思ってることじゃないって分かってても……、分かってても、無理!!
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