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乙太郎

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chrysalis

その後 〜after the tale〜

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カチッ。

金属器が音を立てて開く。
女は屋上で景色を眺めている。
紙筒を咥えて、透き通った空気を吸い込みながら
銀色のフリントホイールを回す。

ジュボッ

商業区にて提供される純度99.9%の大気を
タールの白煙に染め上げる。

「すうぅ…」

口内に含んだそれで肺を充満させ、
血液中にニコチンを送る。

「はぁぁ…」

今ではという文化は多様化し、
紙や水タバコ、加熱式ですら廃れきっている。
アクセサリーのように悪びれたい、
安全に雰囲気を感じたい者は
香料を焚いたフレーバースティックを嗜好。
ニコチン依存症患者には、報酬系神経回路に作用する
ドーパミンの分泌を促進するレコードでの
対症療法が提案されている。

「…やっぱメンソールは甘えだな…」

やはりコイツに限る、デイライト。
手すりに腕を回してAUVを起動。
およそ100年ぶりと言われる大事件の
プロファイリングを、ーー

「カリーナちゃ~ん!」

初老の少し肥満気味の男性が声をかける。

「はぁはぁ…これから、僕が捜査会議開くから
タバコ休憩中悪いけどウチの本部まで降りてきて!」

「…、でしょチョーさん。
うちの連中が普段やってない様な猿真似したって
ハナシなんて聞かないじゃないっすか。」

「ヤマがヤマだからしっかりやらんと
いけないんだよぉ~。頼む、な?」

デイライトの底を潰してタバコの本数を確認する。

「…あと一本なんで。コレ吸ったら行きます。」

「あと一本って…それにそのタバコ、
タールきっつい奴だろ?今どきそんなの
何処で売ってるのさ…」

無言で手すりの方を向く。

「はぁ…僕一課長なんだぞ…なんでこんな使いっ走り
管理職が自分でやってるんだよ…」

頭を掻きながら呟いて、長さんは屋上を立ち去った。

「…正体不明の大火災、か。」

わたしたちの管轄じゃねぇだろとため息。
だ。捜査一課の仕事じゃあない。


事実、メトロフォリアにおいてなどという
肩書きは飾りに過ぎなかった。
保安警察の大半は実動部隊とオペレーター。
それもそのはず。住民の手となり足となる
ORTICAが、事件の全容など他愛もなく
すべて明らかにしてしまうからだ。

業務内容の実情は雑用。
人間が形式上立ち会う必要のある場での
事態収集という名のが専らだ。
機動部隊がいらっしゃらないような
みみっちい酔っ払いドランカーの沈静化。
気の触れた自殺志願者に対するあの手この手の説得。

配属されてかれこれ7年。
カリーナ・ヴォルコフは始末書の3000字を
30分で埋めるのがすっかり得意になっていた。

「でも、あろうことかあのORTICAが
この事件じゃお手上げときた。」

人類の判断で事態を終息させるべき。
そう判断して本格的な事件が捜査一課に
回ってくることは過去前例がある。
しかし、それは沿
ORTICAが求めているだけで
完璧にまとめ上げられた報告書に
判を押すようなものだ。

じゃねえか、これ。」

昨日一度目を通した内容を再確認。
吐き気を覚えるほどの凄惨なガイシャと
火災と衝突事故で乱れたミエーレストラーダ。
クリアな現場材料と簡潔でいて必要最低限な証言。
だが言ってしまえば、

タバコの火を手すりに押しつけて消す。

「…ヤッパ刑事デカってのはこうでなくっちゃなぁ…!」

ベンチに掛けていたジャケットを掴んで羽織り、
早足で会議室へと向かった。


「オラ、準備出来てっか?」
「あなた待ちですよ、カリーナさん。」
眼鏡をかけている男、カマルがコーヒーを
片手に答える。

デスクについていたショートカットの女性の肩越しからモニターを覗く。

「李、状況は?」
「ええ、相変わらず静かです。みたいに。」

「コッチも同じく~」
トップで纏めた金髪に目元にピアス、
黒いマスクをつけたゲルダが返す。

「おっはよ!カリ~~ナっ!」

邪な手が紺のパンツに伸びる。
それを、気配で捉えて左の手のひらで合わし、

「あっ…!」

親指、正しくはその付け根のふくらみを掴む。
途端、痴漢魔の右手が捻り上げられる。

「ちょ…!まっ!」

それを手刀で崩して、

「ガッ…」

十文字固め。

「…ダニエル、気安く呼ぶな。」
「クアァァア…!ギブギブギブ!」
「ホラ。たんまだってよ、たんまって。」

長さんが止めに入る。
いや、正しくは取りなすテイで
何も出来ず眺めている。

消え入りそうな声で申し開きをするダニエル。

「ぁ朝のルーティンじゃんか!コミュニケーション!
第一カリーナ、一度だって俺に触らせて…」

強めに…〆る。

「カッ…!」

「かんかんかーん、ダニエル選手TKO!
勝者、女狼 カリーナァヴォルコフゥ!」

私を強引に立ち上がらせて右腕を掲げる
長さん。

「茶番はもう辞めて下さい!
ホラ、会議やるんでしょう?会議。」

待ちかねたカマルの掛け声で捜査会議が始まった。

「事前に送付された資料は見ましたね、皆さん?」

オペレーターである李が進行する。

「あぁ、廃棄区画とはいえ、
過去類を見ない規模の大火災。
死者200名余り、負傷者1名。
過去のテロリストだってここまでのスコアを
メトロフォリアで叩き出した奴はいないだろうね。」

「不謹慎に過ぎるぞ、ゲルダ。集中しろ。」

長さんが強く咎める。

「…確認のため被害者のフィードバックを再生します。
気持ちの準備はよろしいですね?」

気がついたダニエルが体を起こす。

「…っなんだぁ?カマル、
これからみんなで映画でも見るってのか?」
「…ダニエルさん、資料に目を通してないんですね。
ほら、ゴミ箱。使うでしょ?」
「…?」

再生。


ふらふらと歩く。
くたびれたワイシャツにしなびれたネクタイ。
何処にでもいる、一般サラリーマンだ。
片手に安い缶ビールを持って人混みを掻き分ける。

呷る。
キャッチの呼びかけを振り切る。
呷る。
ガタイのいいタトゥー男をかわす。
呷る。
走り抜ける人影、正面から当たる。

「ってえ…」

缶ビールが路面に転がりアルコールを垂れ流す。

「おいっ、どほみへんだこのやろおっ!」

呂律の回らない舌で叫ぶが、もう居ない。
立ち上がって、また歩く。

何処にでもある風俗店の前で立ち止まる。
コース表を見ながら財布と相談。
が、

「へっ?…ねぇっ!無ぇっ!オレのサイフ!」

全身のポケット、自分のパンツの中まで覗き込む始末。


「あぁあ、盗られちまったんだな。
カマル、お前も繁華街の風俗めぐるときは
気をつけた方がいいぜ。」

半笑いで茶化すダニエル。
だが、誰一人として彼に反応を返さない。


「何処っ、何処行ったんだよぉサイフちゃぁん!」

人目を憚らず地に這いつくばって探し始める。
幸いにも足元はいつもより明るく、
視界が通っていた。

アァッ、アッアアァ…
ひゅー、ひゅー。
いぃいいいぃっ

「うるへぇ!みへものじゃねえぞ!」

男が真後ろで音を立てるそれに振り返る。

だが、そこにイタのハ、
すぼんだ場所をおさえて奇っ怪な
空気音をタテるナニかだっタ。

すぼんだ?チガウ。
あレは文化共通のチョークポーズ。
ヒとが苦しイ時に、くビをおさえル…

…ル?

テもとニめヲヤル。
ソコニハ、メラメラ。
メラメラメラメラメラメラメラメラメラメラ
メラメラメラメラメラメラメラメラメラメラ

「ガッ…!アツイ、アツイッ?
アツイィィイイイヤァァァァ!!!」


「…うっぷ。」
ゴミ箱を抱え込むダニエル。
その後全身が炎に撒かれ、
救いを求めて彷徨う映像が20

李は目を閉じたまま、強く耳を塞いで震えており、
ゲルダとカマルは青ざめた顔で目を背けている。

「…もう、そこらへんでいいだろう…
李ちゃん、停止を。」
「…はいっ、はいっ…!」

モニターが暗転した。

「ゲルダちゃん、代わりに続けてくれるかい。」
「…そしてこれが今朝の通り。」

全く同じ構図が映し出される。
遺体は回収されている様だ。
屋台が崩れ、黒焦げた跡。
だが、これは…

「レコードの様子よりだな…」

サラリーマンを取り囲む異常なまでの火力。
その出所も不明だが、通りにはボヤ程度の局所的な焦げしか見受けられない…

「ヲタク、お前の所感を聞かせろ。」

「分かりました。仮説の域を出ませんが…
恐らく、ガイシャはのだと
ボクは推測します。」

ユメ…?
夢で死人が出るってのか?

「この事件、不明瞭な点は多々ありますが
1番の根拠はその死因です。
ゲルダさん、回収された遺体の資料を。」

画面に黒ずんだソレが映し出される。

あれが、本当に、モノ思う人間だった?
ーーー信じられない。
表面の体組織がすっかり炭化してしまって
説明されなければ、ヒトだと気づくことさえ難しい。

「そして次が、その隣で見つかった遺体です。」

画面を見て、愕然とする。

「これが…同じ夜のガイシャだと…?」

皮膚が爛れ、苦悶に満ちた断末魔の表情。
しかしながら、先程の遺体の火傷のステージを鑑みて

良い保存状態で見てとれる。

「オイ…第一コイツ
この事件と無関係なホトケだろ。」

口元を拭ってダニエルが意見を述べる。

「…それは無いと言い切れます。」
「李ちゃん、気分が優れないなら外で休憩しても…」
弱音吐いてちゃいられませんから。と
長さんの申し出を断る彼女。

「昨夜すぐに機動隊の方々の協力のもと、
被害者全64名のレコードを確認しています。
彼らは互いに、全身を炎に撒かれ苦しむ姿を
視界に映しているんです。」

「それだけじゃありませんよ。
遺族の協力を得られた遺体の解剖の結果、
死因が多い順で

あれほどの大火力で焼かれながら、
あの現場にはんです。」

「炭化してるのに…燃えてない?」

馬鹿な…あれだけの地獄、
執拗なまでの煉獄が、
だと?

「おそらくは、広域に対する認識ジャック。
ボヤは暴れ回ったガイシャのもの。
テロリストは現場偽造のためにその後、
白リン弾を打ち上げたというのが、
機動隊の方々との共通認識です。」
「認識ジャックなんてオレぁ聞いたこともねぇぜ…
ORTICAサマにそんなもん仕掛けられるもんかよ。」

いづれにせよ、とんでもない組織が相手ですよ。
とモニターを見つめながら語るカマル。

「そう、兎に角この事件は100年前の大規模抗争、
いやそれ以上の、未だかつてない大きなヤマだ。
今では我々捜査一課は縮小させられ、
たったの6名のみのグループだがな。
だが今回は機動隊員を指揮する権限が
個々人に与えられ、彼らも渋々だが全面的に
協力する意を示している。
ORTICAから出た令状は、
廃棄区画に位置する事業、及び関連団体の洗い出しだ。
皆、明日の平和のため粉骨砕身の働きを期待する。
以上、解散!」

何年かかるでしょうね。とカマル。
アイツらを鼻で使ってやれるだけマシだな。
と返すダニエル。

カリーナは立ち止まって俯いたまま、
些細な疑問をぶつけた。

「長さん。」
「なんだい、カリーナちゃん?」
なんスか?
じゃなくて。」
「…そうだ。」

背伸びをし、立ち去ろうとするカリーナ。
だがそこで、李が気になることを口走った。

「カリーナさん、の事なんですが。」
「…続けて。」
、18歳の女子高校生。
彼女、妙な記録を残してたんです。」
「レコードか。」
「いいえ、レコード自体は視界が霞んでいて、
確認できる状態ではありませんでした。ですが…」

今朝のニュースご覧になりましたか?と李の会話がそれる。

18歳、女子高校生…

1ことか。」
「えぇ。実は
。」

…それは妙な言い回しだ。

「まるで人1人居なくなったのを
今更になって気づいたみたいな話だな。」
「その通りなんです。彼女が見つけた形見で
とある女の子が交友関係にあった被害者を
らしくて。
…私、なにかこのニュースについて
モヤモヤするところがあるんです。」

…あまりに特殊すぎる。

唐突に18歳の女生徒が1か月に8人というペースで
消失する常識を逸脱した怪事件。
しかし、このケースだって足取りは掴めなくとも
ぐらいは
把握できていた。

…それとは別に
被害者遺族や全能のORTICAすら掻い潜った
失踪すら認識できない誘拐事件

じゃあなんだ。
この事件が起きるまで水面下で動いてたっていう
とは、
また別件だっていうのか。

「ヲタクゥ!」
「…あのですね。ボクの事そんな愛称で
呼ばないでください!お陰で警察中ヲタクで
イメージ通っちゃってるじゃないですか!」
「万が一、万が一だ。
自分の家族が1人いなくなったとして
それに誰1人として気付けない。なんてこと、
ありえるとおもうか。」

唐突な質問。
余りに突拍子のない仮定。
だがカマルはそれを数秒の間をもって、ーーー

。」

一つの可能性を、提示してみせた。

「なんだって…」
「いえ、これはあくまで可能性の話です。
という奇病はご存知でしょうか?」

なんだそれ?

「今では根絶された症例ですよ。
生まれ持った先天性のものから
老化や脳の萎縮といった後天性のものなど多岐に渡っていた様ですが、その症状に
記憶障害、見当識障害、実行機能障害。」

歩き回りながら講釈をたれるカマル。

「そして最後の、理解判断力障害のうちの一つ。
。」
「あぁ…周囲の人の表情が、視界に入っても分からなくなるって奴だよね?
一課のヲタクことカマル君はなんでも知ってるなぁ。」
「ええ、その通りです、長さん。
まあでも
ORTICA
AUV使ORTICAしてますから、
症状に悩まされる患者はいなくなったんですがね。」

そうか。
それならORTICAがその認識を拒絶しないかぎり
忘れるなんて不安に駆られる必要はないわけだ。

それに、全能を謳うモノが
と定義した概念を
捉える事が出来なくなったところで
いったい何の支障が…

………
………
………



咄嗟にメモを取る。胸ポケットから
ペンを取り出して、ーーー

ピコン。
今日のラッキー占い!
今日のあなたの運勢は★★★☆☆!
ラッキーカラーはスカイブルー!

割って入った通知を削除する。

メモを。
メモ、を、ーー

周囲に目をやる。
照明を反射して光る棒状のそれ。
アレは、万年筆か。

「オイ、これ誰のだ。」
「流石、見る目があるなカリーナ!
それは俺の就職記念にママンが買ってくれた
商業区指折りのブランド…」
「借りるぞ。」

胴軸を掌で握り、力一杯走らせる。
しかし、

「グッ…!」
「ちょ…おいおいおいおいカリーナちゃん?!
いったい何してるんだよぉ?!」

長さんが止めに入る。
止めどない出血。備え付けの救急箱を持ってきて
包帯で緊縛、圧迫。応急で止血する。

見逃すなНе пропустите

「ホラ、ありがとうな。」
「あぁ…ママンのプレゼントが…」

……
………ペロッ。

「李、生存者の名前をもう一度。」
「…え?!あっ、再度確認しますね!
緋翅 水冴綺、緋翅ひばね  水冴綺みさきです!」

左腕の痛みと共に、しっかりと脳裏に焼き付ける。

「よし、カマルとダニエルは中央駅側から、
わたしは外縁側からだ。
オラ、テメェらぁ!気合い入れろっ!」
「ハイッ!」
「がんばってきてなぁ~!」

そうして彼ら捜査一課は足速に、
正真正銘初任務へと向かったのだった。

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