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乙太郎

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chrysalis

6章

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「んでもって、不本意にも行く当てがなく
結局「ライム」にいるってことかぁ」

伏し目がちに苦笑する長岡。

「 … 」

私は出されたココアを両手で押さえながら
移ろいゆく濃淡の模様をながめていた。

「…それにしても。こうもどうどうと
聞き耳たてられたんじゃあ、心置きなく雑談も出来やしねぇなぁ。」

ギョッと飛び上がる緑のエプロンを着こなした女性。
私は緑さんと呼ばせてもらっている。

「あ…あぁ!そう注文!注文をとりにきたのよ!
タッちゃんはいつものマスターオリジナル
ブレンドブラックでよろしい?」

「ああ、そうさ。分かったらとっとと
仕事に戻らないか、サン?」

となりの4人がけのテーブルに腰掛けていた彼女は、
足速に白髪の老人のいるカウンターへ戻っていった。

「そんじゃあミサキチャン、今回の案件に
ついて話をしようか。」

両肘をテーブルについたまま、手のひらを組み合わせ
話を切り出そうとする村岡。ソレをーー

「話聞いてなかったの?私がここに居るのは
コトの成り行き。あんたの小汚い事務所に行くつもり
だなんてこれっぽっちもないんだけど。」

キッパリと、ネズミ一匹通さない堅牢な城壁のごとき
拒絶であしらった。

パチクリ。と目を丸くして口を開けたまま
停止する村岡。

…どうだ、言ってやった。
今日の私はアンタの知る
今までの緋翅水冴綺とは違うんだぞ。
いッつも付き纏ってきやがって。
自分の都合をいいように押しつけられる
使い勝手のいいバイトじゃアないん、ーー

「…奇しくも同意見だ。ここいら2週間は
あの事務所には来ない方がいい。」

「…へ?」

私らしからぬ間の抜けた返事を
思わず返してしまった。
深呼吸。
冷静沈着かつ、クールでスマートな私。
泰然自若かつ、クレバーでインテリな私ッ…!
手元にある飲み物を思わず呷る。

「ッえあツッ!」

そう、それは先程まで飲み頃を
伺っていた熱々のココア。
突然の火傷とみっともない動揺を
隠せない自分に涙を浮かべながら
今回は落ち着くまでこの男の聞き手に回ることを
渋々受け入れることにした。

一方この野郎、村岡ときたら
生意気にも怪訝そうな顔をして
此方を覗き込んできている。
…終わったか?と気に触る一言を残して
ヤツの話が始まった。

「ミサキチャンもそれなりに鼻が効くんだな。
ほらな、ウチの事務所って廃棄区画の繁華街の
はずれにあるだろ?」

廃棄区画の中でも居住区の一般階級の市民に
開け放たれた、退廃と堕落の桃源郷である
繁華街、「ミエーレ ストラーダ」。
その中でも村岡の事務所は
煌々と熱量を放ち続ける街並みの光が遮られた
裏通りに居を構えている。
なんでも村岡曰く、監視の目に事欠かない
商業区画よりも客の入りがいいんだとか。

「ミサキチャンも丁度、そのだしなぁ。
犯行グループがナリを潜めるまで無闇に出歩かない
ってぇのが堅実な一般市民の有り様だろうさ。」

根無草で明日にも犬のエサにされてそうな
この男から可奈子と同じ意見を聞くとは
余りにも想定外だ。
ハイエナ稼業の嗅覚は伊達ではないということか。

唯一無二の友人に引き止められ、
肩の荷となっていた先約の案件も反故となった。
であれば私には何処までも意味のない話だ。
明日明後日には消え去るネットニュース。
関わる必要のない、不運な隣人の話。

ーーーしかし。

「それはおかしい。
だってあの誘拐事件のハナシは居住区の
コトでしょう?確かに居住区の雰囲気は
この一件で殺伐としてるけど、
事務所へはいつも通りアナタの送迎で
行けば何も問題ないじゃない。」

ーーー何処か、妙な違和感があって。


村岡の方は口をついて出た私の言い分を聞いて
深く溜め息をついた。

「違ェよ。それは居住区内だけの真実だ。
あれは誘拐なんて生っちょろいモンじゃない。
正真正銘の神隠し。足跡1つも残さない
立派な完全犯罪さ。」

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