奈落に落ちた平穏

二見&羊大

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序章「独り」

1話

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妙な匂いだ。
結菜が覚醒間際の頭でまず感じたのはその思いに尽きる。
未だかつてない寝苦しさと、頭の芯から端を発する痺れる程の頭痛。どうにも起き上がる気力の沸かない体調だったが、あまりに異様な状況に彼女は渋々目をこじ開けた。

 「どこ……?」

未だぼんやりとする頭と視界。何度かの瞬きを経た後、結菜は改めて眉を寄せた。
いくら引越し直後で自室に愛着がないとはいえ、ダンボールだらけのはずの1Kとは広さも調度品もまるで違う。彼女はだだっ広い部屋のど真ん中に据えられたキングサイズのベッドの上にぺたんと座り、暫し好奇心のままに部屋の様子を観察してしまう。

部屋の隅には全面ガラス張りの巨大なバスタブが鎮座し、反対側には何人か人が寝転べそうな程広いソファーが置かれている。彼女が座るベッドは座っているだけで沈み込みそうな程ふかふかで、絵画などは飾っていないものの、高級ホテルかのような室内だ。
バイトに追われ常にお金に悩む苦学生である結菜にとって、あまりに場違いな空間。加えて引越し作業中だったために着ている赤いスウェットが更に滑稽さを醸し出す。

 「どうしよう、お金ないとわかったら殺されたりしないよね」

状況的からして誘拐というのが濃厚な線だが、天涯孤独の身である彼女にとって、身代金を払ってくれるような親戚は誰一人いない。なけなしの貯金も引越し代金ですっからかんで、通帳の残額はひょっとするとその辺りの小学生と比べても少ないかもしれない。
部屋の中には見た感じ窓もなく、唯一の出口になりそうなソファ側の端にあるドアに向かうしかないようだった。

「良かった、気がついたんですね」

意を決してベッドから降り立った時、眼前にあったドアが不意に開く。
そこからスーツ姿の優男が現れた。思わぬ男の登場に、結菜はびくりと体が反応し思わず一歩後ずさるが、すぐ後ろにはベッドがあり、逃げ道は男が出てきたドア以外見当たらない。
だが男は見るからに非力そうだ。それなりに体力に自信のある結菜は、逃走のタイミングを測りつつじりじと横に移動していく。

「この状況では無理もないかもしれませんが、まずは話を聞いて貰えませんか?」

優男がにこりと笑って指し示したソファに目を移した瞬間、結菜は勢いよく開いたままの出口へスタートダッシュを切った。ドアに辿り着いたらすぐに扉を閉めて、それから玄関へ、と考えながらドアをくぐり抜けようとした瞬間、目の前に突然壁が現れた。
急ブレーキをかけ、後ろに戻ろうとして両腕をがしりと掴まれ、結菜が現状を認識した時には床に勢いよく顔を押し付けられていた。
力加減を調節していのか、酷く顔面を打ち付けたりはしていないが、男に比べてかぼそい彼女の腕がみしりと音を立てそうな痛みが走る。

「改めて言いますね。この状況では無理もないかもしれませんが、まずは話を聞いて貰えませんか?」

床にうつ伏せになった彼女の側に片膝を立て、優男は先ほどと全く変わらぬ笑顔で再度ソファに指を向ける。逃亡が失敗した今、最早彼女に選択肢はなかった。
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