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10話~再会~
しおりを挟むよく晴れた心地よい青空。
庭園の中に、曲水の宴の為に掘られた細き小川は、太陽の光をきらきらと反射させていました。
そして青空の中を飛び回っていた小鳥達が、乾いた喉を潤しに、その流れに舞い降りていく様はとてものどかで、それでいて時を忘れそうになる程の、癒しの空間を作り出してもいました。
その小川の淵には、招かれた煌びやかな客人達が既に座っていて、会のはじまりを今か今かと待ちわびており、歌を詠む為の準備を整えたり、客人同士で歓談をしたり賑わいを見せていました。
その中に皇子らしい身なりを整えた志貴を見つけた讃良は、早速こちらに来る様に、手招きをしてみせました。
志貴はゆったりと優雅な動きでにこやかに微笑むと、讃良の傍にやってきて一礼をしました。
「志貴、そなたの歌を待ちわびておった。あぁ…なんて楽しみな事であろうか」
讚良はまるで若き娘の様にはしゃぎ、口元に袖を当てながら、うっとりとした目で微笑みかけました。
「ご無沙汰致しておりました。少し大事な預かり物がありましたゆえ……どうにも身動きが取れなかったのでございます」
志貴は久しぶりに顔を合わせた讚良に挨拶をしながらも、後ろに控える史に視線を向けると、小さく数回目配せをしてみせました。
「お、おば上……」
史から静かに声をかけられた讚良は、史に前へ来る様促すと、志貴に紹介を始めました。
「志貴、史とは久しぶりであろう?無理を申して引っ張って参ったのだ」
そういう讚良はどこか誇らしげで、ご機嫌で仕方がない様子でした。
「はい。道代様が神隠しに遭われて以来でしょうか……立派になられた史殿の噂は、色々と耳に届いております。確か、法を学ばれておられるとか?」
志貴は讚良の問いに答えながら史に向かって再度、目配せをしてみせました。
史もそれを受けると、讚良には見えない角度で志貴に目配せをしつつ、言葉を続けました。
「立派など滅相もございません。いずれ刑部省にお世話になりたいと、学びを頂いておる所でございます」
「それは頼もしい!しかしそう忙しくなられては、なかなか歌を愛でる暇もありますまい。今日は是非とも、楽しみましょうぞ!」
「有難うございます。しかし、私は歌が昔から苦手でして…」
史が少し辛そうに目を伏せてみせると、讚良は困った顔だけをして、はやる気持を抑えきれない様子で早速、宴を始める様に女官達に指示を伝えました。
「挨拶はこの辺りにして、志貴も早く自分の場所に参りなさい。早くせねば歌を詠みそこね、盃がどんどん流れついてしまいますよ?」
讚良が楽しそうに宴を始めようとすると、志貴が突然、史の両手を掴むとぶんぶん上下に振り始めました。
「善き案を思いつきました!歌が苦手な史殿に、私が今日は手解きをしてさしあげましょう。なあに、今日1日で歌詠みの名人と言われるまでにしてご覧にいれます!」
それを聞いた讚良は一瞬驚きの表情を見せましたが、次の瞬間には、とても嬉しそうに目を輝かせ始めました。
「それは名案!史、志貴の手解きを受けてくるとよい」
「は、はい……あまり気が進みませんが……では、宜しくお願いいたします」
「さぁさぁ史殿、私の場所に共に!さぁ!」
許可を得て、志貴が史を半ば強引に引っ張る様にして讚良の傍から離れたふたりは、暫くして後ろをゆっくりと振り返ると、讚良には会話が聞こえない程に、距離が離れたかの確認をしました。
「ここまで離れていれば大丈夫であろう。しかし史よ、昔ふたりで作りし目配せの約束事を、よく覚えておったものだ」
「そんな事ばかりしか、そなたとはして来なかったからな。まぁお陰でふたりきりになれた」
10代の頃、ふたりで作った合図の色々を思い返しながら、それが今生かされた事の喜びを、ふたりは感じずにはいられませんでした。
そんなふたりに向かって、遠くから讚良が小さく手を振り始めた姿に気づいた志貴は、今度は満面の笑顔で大きく手を振り返し始めました。
あまりにも志貴の表と裏の姿に驚きながらも、史は讚良に声が届いてない事が再確認出来て、ほっとしてる自分を感じつつ、困惑もしていました。
「まぁそんな顔をするな。さて、聞きたい事が山盛りなのはわかってる。で?何処から聞きたい?」
手を大きくひとしきり振り終えた志貴は、今度は小川の縁にどっしりと腰を下ろすと、史に歌の手解きをしてる身振りを派手にしてみせながら、そう尋ねてきました。
史は困惑しながら、暫く顔を俯いていましたが
意を決したかの様に、力強く顔を上げました。
「道代の子を……そなたが文武王の命の元、密かに養育していた事は、文で理解は既に出来ている」
「あの暗号文を読み解けるのはそなただけ。そして私はずっとこの時を待っていた」
「…………それは一体、どういう事だ?」
史はある程度の事は察していたつもりでしたが、志貴のその言葉の意図が読み解けず、更に困惑せずにはいられませんでした。
志貴は志貴で、次々と順番に詠まれていく宴の歌に耳を傾けつつも、今度はゆっくりと目を閉じると、澄み切った青空を仰ぎ、大きく清らかな空気を吸い込んでみせました。
「軽は道代の子ではあるが……この私が、養育係として育ててきたのだ」
「あぁ……それは本当に有難く思っている」
「つまり、軽への想いは下手をすると、道代の軽への想いすら超えているかもしれんな」
「なるほど………」
史は自分が知りえる事が出来なかった空白の時を思い、深く考え込みました。そして、志貴と目指す未来の一致を見出し始めてもいる、自分の心の変化にも気づき始めていました。
「だから史、軽に力を貸してはくれないだろうか」
突如そう言ってその場に立ち上がった志貴の背中には、照りつける太陽の姿があり、逆光の陽の光を背負った志貴の姿はもはや神にも見え、史の眼を釘付けにしました。
「志貴様~盃が参ります~志貴様~」
その宴の呼びかけと共に、史に笑顔を向けていた志貴の前を、清流の中の盃がゆらゆらと流れてきました。
この盃が流れてしまう前に、歌を詠まなければいけません。
志貴は陽の光を浴びながら、今まで史と会話を交わしてたとは思えぬ程に、見事な歌を高らかに詠みあげて魅せました。
皆の心を一瞬で掴んだ志貴の姿を、史はただただ黙って見つめていました。
そしてその瞬間、志貴が描く未来と自分の描く未来はやはり同じなのだと、この男はこの弱肉強食な世界に於いて、数少ない同志であるのだと、そう再確認出来た瞬間でもあったのです。
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