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3章 真田家
82話~大政所~
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大坂に入った浅井三姉妹に対して、秀吉は早速それぞれに縁談の話を持ちかけました。
三女の江姫には、自分の甥にあたる豊臣秀勝。次女の初には長政の姉である於慶(京極マリア)の息子である、京極高次。
そして、長女の茶々は自らの側室のひとりとする旨を伝えたのです。
茶々は、大坂城で失意の中にいました。
思い通りにならないであろう未来は、勿論予想はしていましたが、いわば浅井を滅ぼした秀吉の、それも正室ではなく側室という立場での婚姻話に、胸が張り裂けそうになっていました。
「姉上、私が変わりましょう」
その日、茶々の元へ訪れていた初が心配そうに、茶々に声をかけました。
「それはならぬ。京極高次様の母様は、叔母の於慶様じゃ。浅井の血縁の元へ嫁ぐ程、安心な事はない」
「けれど……姉上様は、治長様の事が……」
初の言葉に茶々は寂しそうに微笑むと、それ以上は口にしてはいけないと言うかの様に、首を小さく横に振りました。
「初、我々が男であったならば、豊臣など瞬時に滅ぼせたかも」
「姉上……」
「浅井を取り戻す事、今は出来ぬ。されど、浅井の血を残せばいつの日か叶うやもしれぬ」
「浅井の血……つまり、子を産めと?」
「初も江も正室になれるのだ。つまり、男子を産めば嫡男となろう。浅井の血を受け継いでいける」
「わかりました。初は高次様の子を産んでみせます。姉上の代わりに」
秀吉には長年連れ添った正室のねねにも、その他沢山の側室の間にも子が生まれておらず、秀吉の元へ嫁いでも子が生まれる事は無いというのが、暗黙の常識となっていました。
「逆に私が男子を産めば、この世はどうなるであろうな」
茶々の顔にはひとつの決意が満ち溢れ、佇まいから美しさが放ち始めると、初は思わず身震いをしました。
「関白様の子を産めば、それは勿論凄い事ではありますけれど。それは、姉上にとって幸せな事とは到底思えませぬ」
初は、茶々の治長への秘めた想いに複雑な心持ちになりながら、姉の顔を見つめました。
「安心せよ、危ない橋を渡りはせぬ」
その言葉に少し安堵した初がほっとした表情を浮かべると、残り少ない姉妹の時間を惜しむ様に、ふたりは暫く語り合ったのでした。
*
「母上との約束通り、茶々姫様を側室に迎える事となりました。関白となれたのも、竹生島のあの日から、全て母上の言う通りに歩んできたからこそにございます」
秀吉は、大坂城で最近まで徳川の人質となっていた大政所に向かって深々と頭を下げました。
大政所は1585年7月11日、秀吉が関白になった際、破格の従一位に叙され、大政所の号を与えられた後はその号の名で周囲からは呼ばれていました。
「もはや、この世は豊臣のもの。浅井の姫である茶々を、これからは何よりも大事になされませ」
「勿論でございます、あれだけ上洛をしぶっていた家康が、母上が岡崎に行った途端上洛したのです。一体どの様な仕掛けを施されたのか……いやはや、阿古様には頭が下がります」
「その名は捨てた名……二度と口にするでない」
「は、母上!申し訳ございませぬ」
秀吉は慌てて訂正すると、畳がめり込むかの様に頭をつけてひれ伏しました。
「まぁまぁ、あなた様は本当に母上様が神仏なのですから」
すると、秀吉の正室である”ねね”が部屋に朗らかに入ってくると、夫である秀吉のその姿を見て大政所と顔を見合せて吹き出しました。
「ところで母上様、茶々姫様とはいつお会いに?」
ねねは、秀吉は眼中にない素振りで大政所に問いかけると、秀吉は女同士の睦まじさに膨れっ面をしました。
思えば、既に亡くなっていた秀吉の母「仲」の身代わりとして阿古を迎え、共に暮らしてきたねねと阿古は、もはや本当の親子以上の関係で、その仲の良さは秀吉が嫉妬する程でありました。
「会いたい今すぐにでも。でも……」
「でも?」
秀吉とねねが夫婦らしい阿吽の呼吸で同時に尋ねると、大政所は見えない何かの声を聞く様に、宙を凝視しました。
「聚楽第の完成を待てと」
「聚楽第の……」
聚楽第は平安京大内裏跡に建設中の城郭で、完成後は秀吉はそこに、大政所も連れて移り住む事を既に伝えていました。
「こうしちゃいられない!それでは更に完成を急がせましょう!」
秀吉は両目を輝かせると、歳を重ねても猿の様な身軽さは健在とばかりに立ち上がると、跳ねる様に飛び出して行ってしまいました。
大政所とねねは、そんな秀吉の姿にお互い顔を見合わせると、微笑んだのでした。
*
「本日より馬廻り衆に加えさせて頂く事になった、大野治長にございます。以後、お見知り置きを」
大坂城に桜が咲き誇る頃、真田源二郎の元へ治長が挨拶に訪れました。
源二郎は少し前に、人質としてこの大坂城に来たものの、上杉家時代同様、秀吉に家臣として召し抱えられ、それも現代ではエリート集団である、馬廻衆に名を連ねていたのでした。
そして勿論六郎も、源二郎の傍から片時も離れる事は無く、この大坂に共に赴き、共に時を過ごしていたのでした。
「真田源二郎でございます。しかし、立派な体格にございますなぁ、まるで不動様の様だ」
背の高い治長に圧倒されながら、源二郎はにこやかに微笑むと治長は少し照れくさそうに頭を掻いた後「これにて」と、会釈をして立ち去っていきました。
「今のお方は?」
少し離れた所で見ていた六郎は、治長が立ち去った後に源二郎の所にやってきて、早速尋ねました。
「大野治長殿だ。今度、秀吉公の側室となる茶々姫様。その乳母である、大蔵卿様の息子殿らしい」
「茶々姫。あの、浅井の」
「あぁ……大蔵卿殿が茶々姫の為に呼び寄せたのであろう。乳母は案外、力を持っているものだからな」
「なるほど。他に姫様に就いている者は?」
「あぁ、確かもうひとり側近の侍女がいるとか。名を確か饗庭と言ったはず。なんだ六郎、やけに聞くではないか」
源二郎は可笑しそうに、六郎の顔を覗きこみました。
「源二郎様に関わる事は、全て知っておきたいまで。そうでなければ、お守りする事が出来ませぬゆえ」
「六郎らしい」
源二郎はそう一言だけ話すと、少し書物を読みたいからと自分の部屋に籠ってしまいました。
「殿の書物好きには困ったものだ」
そうため息をつきながら、六郎はこの大阪城の何処かにいる道との再会が近い事を、何処かで感じ始めていたのでした。
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