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3章 真田家
77話~家臣~
しおりを挟む小助が龍潭寺へ旅立ち数日が経った頃、道は早速、家康に呼び出されていました。
ゴロゴロと騒々しい音を鳴らせながら、薬研で薬草をいつもの様にすりつぶしていた家康は、道の気配に気づくと、その手を静かに止めました。
「お呼びでございますか?家康様」
道は家康の傍にやってくると、その指示を静かに待ちました。
「道にしか出来ぬ事を頼みたい」
「私にしか?出来ぬ事にございますか?」
「左様」
張り詰めた空気感に道は少し動揺したものの、それを顔には一切出さず、ひたすらに次の言葉を待ちました。
「実は、お前に間者として潜り込んで欲しいのだ」
「間者?つまり表で活動せよと?」
「うむ……」
家康はそう言うと、また薬研を両手で持ちゴロゴロと、軽快な音を鳴らせ始めました。
「かしこまりました。で、どちらに?」
道の両目には、みるみる使命感という静かな炎が宿り始めておりました。
「安土城よ………」
「安土………城…………?」
さすがの家康の言葉に一瞬怯んだ道は、頭巾から唯一顕になっている両目を隠す様に俯くと、暫く考えこみました。
安土城は本能寺の変の後、道の手によって天主閣や本丸は火災で消失したものの、二の丸は今も尚機能しておりました。
「安土城といえば、今は確か、浅井長政様とお市の方様の間に生まれた姫君達がいらっしゃるとか?」
「秀吉の弱点は、浅井だからのう」
家康は呆れ顔で不適な笑みを浮かべると、出来立ての薬を一掴みし、豪快に口の中へと放り込みました。
「うぅ……苦いっ……」
苦味を顔全体で表した、家康の表情を見守りながら、道は更に色々を整理しました。
本能寺の変で信長が暗殺されてから起きた賤ヶ岳の戦い。
柴田勝家は秀吉に滅ぼされ勝家は自害。
残された浅井三姉妹は、秀吉の庇護を受け、安土城に呼び寄せられているとは聞き及んでおりました。
「家康様の意図がわかりかねます。安土城には現在、浅井の三姉妹の姫君様がおられるだけ。一体、道は何をしたらよいのでありましょうか」
「道は、"おんな"であるからして」
「"おんな"…………?」
「姫達は今は、信長の妹である【お犬の方】が面倒を見ていると聞く」
「なるほど、姫君の傍には"おんな"しか近寄れない。つまり、侍女として潜り込めと?」
「徳川が天下を取るには、この策が一番だと。そう、長が言うものでのう」
「じじ様が………」
家康の口から発せられた長の言葉に、みるみると道のこころは、温かな想いでいっぱいになりました。
孤児だった自分を育ててくれた、親同然である長の為ならば、私はどんな事も成し遂げてみせる。
それが、自分のこころに反する事であろうとも……
道が改めて【覚悟】の想いを秘めていると、家康は立ち上がり、道の前にどっしりと座り込みました。
「道、お前は浅井長政の一番上の姫君の茶々に近づいて欲しい。母を失った茶々は、妹達を守る為に虚勢を張って生きておる。この意味がわかるか?」
「つまりは、茶々姫様の心の拠り所になれと?」
「さすが長の育てた忍達は、話が早い。天下取り、徳川の最後の相手は秀吉となろう」
「はい………」
「秀吉の弱点は、死しても尚、お市の方よ。だから、その切り札を、徳川が取っておきたいのだ」
「なるほど……つまりは茶々様に、お市の方様になって頂く様、指南させて頂いたらよろしいのですね」
「さすがは道。とどのつまり、最後は色よ」
「色?」
道は困惑しながら、家康の顔を見つめ続けたのでした。
*
龍潭寺に着いた小助は、額の汗を手の甲で拭いながら、辿り着いた門を安堵した顔で見上げていました。
「おぉ……そろそろと思っておった。小助、息災であったか」
門の向こう側から声が聞こえたかと思うと、南渓和尚が、笑顔で此方へ向かって来るのが見えました。
小助はその場に跪くと、頭を垂れました。
「はい、この通りにございます。本日は、直政様の命で馳せ参じました」
「うむ、まぁ中へ入りなさい。和尚が美味しい茶でもたててやろう」
南渓和尚はそう笑顔で言うと、くるりと向きを変えて中へと歩いて行ってしまいました。
小助は慌ててその場に立ち上がると、膝についた土埃を両手で数回はたき、和尚の背中を追いかけたのでした。
*
源二郎と六郎はその日、兼続に誘われて、景勝の鷹狩りのお供に連れ出されていました。
雲ひとつない青空と、照りつける太陽。
馬と、弓一式を与えられた源二郎と六郎は、もはや誰が見ても、人質ではなく家臣でありました。
「お見事!!」
兼続は手を叩きながら、獲物を矢で射止めた景勝に向かって、笑顔で称賛の言葉をかけると、馬から軽やかに降り、今度はその場にごろりと寝そべってしまいました。
そのちぐはぐな態度に、たじろぎながら、景勝も馬から降りて、兼続の傍らに腰をおろしました。
それを見た源二郎と六郎も、慌てて馬から降りると2人に駆け寄り、その場に跪きました。
「そのようにかしこまらなくとも。殿は寛容なお方ゆえ、そなた達もさぁ寝そべりなさい。そしてこの大地とおてんとう様の恵みを、身体全体に存分に受けてみてはいかがでしょう」
兼続は、着物の汚れ等我関せずな様子で、大きく伸びをすると、更に大の字になり、笑顔で大きく深呼吸し始めました。
それを見た景勝も、仕方ないといった表情をひとつして、同じく大の字に豪快に寝そべってしまいました。
「源二郎様……わ、我々も……」
「そ、そうだな……」
源二郎と六郎は、恐縮しながら兼続の横に腰を下ろすと、ゆっくりと寝転がりました。
鼻先に触れる雑草の緑色の匂いと、背中から伝わるあたたかな温度は、この乱世の世を忘れさせる様な、安らぎと癒しを与えてくれました。
「何だか、このまま寝てしまいそうですね……あまりにも心地よくて……」
源二郎は、眩しい陽の光を細目で慈しみながらそう言うと、本当にそのまま眠ってしまったのか、静かな寝息を立て始めました。
「げ、源二郎様!?」
六郎が、慌てて飛び起きて、源二郎を起こそうとすると、兼続がすかさず起き上がり、左手でそれを制止をしました。
「今この時くらい、自然に身を任せるがよろしいかと」
「で、でも!!」
「声を荒げるでない、殿が起きてしまうではないか」
六郎は、すぐさま景勝の方に視線を向けると、源二郎と同じく寝息を立てはじめた、景勝の姿が眼に飛び込んできたのでした。
「こ、これは申し訳ございませんでした……」
六郎が声を潜めそう詫びると、兼続はそんな事すら気にしない素振りで豪快に笑いはじめました。
「六郎、我々の主君には本当に困ったものよのう」
「いえ、そんな事は決して」
「我々を心底信用していると、言葉ではなく態度で示されておるのだ」
六郎はその言葉にハッとすると、源二郎の寝顔を見つめました。
「勿論、今どんな敵に襲われようとも、命に変えてこの六郎、景勝様、兼続様、そして源二郎様をお守り致します」
「それは我も同じく。お互い、善き主君を持ったのう?六郎」
「ははぁっ」
色々な駆け引きや、策略の渦巻くこの戦乱の世の中で、六郎は初めて憧れの感情を抱ける、そう思える人物に出会えた気がしたのでした。
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