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3章 真田家
74話~同じ顔~
しおりを挟むそれから六郎は源二郎付きとなり、いつも傍で仕える事になりました。
源二郎は、とても穏やかな性格で口数も少なく学問を好む人だった為、六郎は太郎坊宮で天狗から学んだ様々な事、そして鳳来寺で万千代(井伊直政)と千代丸と学んだ経験を生かし、色々な教授をしました。
源二郎は今までそんな学に長けた家臣が周囲に居なかった為、それをとても喜びました。
そんなある日、庭先で剣術の稽古を六郎が源二郎としていると、源二郎は早々にそれを止めてしまいました。
「源二郎様、戦の世では剣の腕こそが身を、そして家を守る事になるのです。学問も大切ですが、もう少し剣術も励んで頂かなくては……」
「わかっておる。でも、人を殺める剣をどうしても好きにはなれぬのだ」
源二郎は笑顔でそう言うと、部屋へと引っ込んでしまいました。
六郎は困った顔でひとつため息をつくと、自分はあと少しと、剣の稽古を始めました。
「よい筋をしておる」
いきなり背後から声をかけられ、六郎が慌てて振り向くと、そこには主君である、真田昌幸が立っていました。
「有り難きお言葉にございます」
六郎は慌ててひれ伏すと、昌幸はにこにこと六郎の傍へとやってきました。
そしていきなり六郎の顎を、右手の親指と人差し指で掴むと上へと持ち上げたのでした。
「やはり、源二郎によく似ておる。六郎、これから源二郎の所作全てを、自分の身体に覚え込ませてほしい、言葉の言い回し何から何までも」
「源二郎様の……所作をでございますか?」
「源二郎はあの通りの性分じゃ、六郎、お前にはいざという時の影武者になってほしい、頼んだぞ」
「み、身に余る光栄にございます。私にお任せ下さいませ」
六郎は昌幸が顎から手を離すと同時に、慌ててその場でひれ伏しました。
昌幸はその姿に満足気に頷くと、その場を去ったのでした。
昌幸がその場から居なくなっても、六郎はひれ伏す姿勢を解かずに、太陽が照りつけて暖まった土の温度を両手で感じ、そして土の匂いを鼻で間近に感じながら、身動きせずにいました。
「もう誰もいないわ、いつまでその姿勢でいるつもり?まさか笑顔が止まらなくて、それを隠す為だとか言うんじゃないでしょうね」
六郎はその声に気づくと、その声の主が身を潜めている草陰へと、ゆっくりと身体を起こし近づいて行きました。
そこには、忍び装束の姿で身を隠している道がいて、六郎を見上げていました。
「道じゃあるまいし、俺はそんなに性悪じゃないからね」
六郎は道と目を合わせた後、自分の背中で道を隠す様に立つと、周囲に目を配らせ始めました。
「ひどい言い方!まぁいいわ、で?首尾はどうなの?」
道は六郎の背中に文句を言いつつ、そう尋ねました。
「じじ様の計画通りに進んでる、そう伝えておいて欲しい」
「わかったわ、じゃあね」
そう言った瞬間、風がひとつ吹くと、もう道の姿は何処にもありませんでした。
六郎は、その風で巻き上げられ、空から降り落ちた木の葉を掌で受け止めると、静かに空を見上げたのでした
*
それから六郎は、源二郎の口調、動作のひとつひとつを盗む様に観察しながら、日々の生活を共に過ごしました。
日にちが経過するにつれ、その他の家臣達が見間違える程に、ふたりはとても似ていったのです。
「父上には困ったものだ。六郎にこんな役割を押し付けるとは……」
源二郎は、とても暖かな日差しが差し込む室内で、書物を読みながら、そう六郎に向かって呟きました。
「有り難き幸せにございます。こんな大任、なかなか受けたくとも受けれるものではございませぬゆえ」
六郎は恐縮しながら、微笑みました。
源二郎はその姿に自分も微笑みながら、書物のひとつを手に取ると、六郎に向かって差し出しました。
「これは……一体?」
六郎はそれを両手で受け取ると、ゆっくりその書物を開きました。
「それは、平家の書物、軍記だ」
「平家の?」
「琵琶法師の語りを写したもの。源平合戦の事が書かれてあるのだ。平家と清和源氏の戦はなかなかに奥が深い。祇園精舎の鐘の声~諸行無常の響きあり~、まぁ六郎も一度、読んでみるといい」
「かしこまりました。源二郎様が読まれたならば、読まないわけにはいきますまい」
六郎はそう言うと、早速真剣に読み始めました。
心地よい空間の中で、ふたりの間には静かで穏やかな時が流れたのでした。
*
「小助、いるか??」
夜、行灯の灯りがゆらゆらと照らす中、井伊直政がそう呟くと、天井からひとつの影が、物音ひとつ立てず舞い降りました。
「お呼びでございますか直政様……」
直政の前に現れた小助は、そこに跪きました。
その頃小助は長の命で、井伊直政付きの忍びとして仕えていました。
六郎が弁丸として、その昔鳳来寺で直政と共に過ごした事は、勿論長から聞いていましたが
その事は決して直政には伝えてはいけないと言われていた為、
小助から直政にそれを伝える事はありませんでした。
「小助、呼んだのは他でもない。千代丸が賤ヶ岳で亡くなって少し経つ。龍潭寺の南渓和尚様に、その弔いをお願いしたいのだ」
直政は、先の賤ヶ岳の戦いで亡くなった、弟の様に想っていた千代丸の死を、とてもとても憂いていました。
「かしこまりました。私目にお任せ下さい」
小助が頭を垂れたままそう言うと、直政は小助に近づき、その両手を握りしめました。
「小助有り難う。あと、母上の弔いもお願いしたい」
直政はそう言うと、小助の手を更に強く握りしめました。
直政の養母であった、次郎法師(井伊直虎)は家老だった小野道好が処刑された直後、病に倒れ実は死去していましたが、直政が元服する日まで、死は伏せられており死が公表されたのは、最近の事でありました。
「その様に、必ず伝えて参ります」
小助は力強く頷くと、早速出立しようとしました。
「小助!!」
直政は、それを引き止めると小助の両目をじっと見つめました。
「直政様、どうなさいましたか?」
小助は直政の瞳の奥にある、不安な想いに気づくとそう、問いかけました。
「いや……私は納得いかぬのだ。千代丸の死は実は謀られたものではなかったのだろうかと……」
「そんな事はありますまい、千代丸様は、家康様の為、間者となり本能寺に火をつける大業を成し遂げた方。賤ヶ岳の戦でもし生き延びておられたら、今頃は直政様と肩を並べた武将となられていた事でありましょう」
「そうか………いや、今の言葉は忘れてくれ。恩のある家康様を少しでも裏切る発言であった……」
直政はそう言うと、申し訳なさそうに俯きました。
「家康様を信じましょう。小助は直政様と井伊家を守り抜きます。裏切ったり、決して致しませぬ」
「それは心強い、戯言を申した……許せ」
「では」
小助はそう短く返事をした瞬間、もう姿はその場所の何処にもありませんでした。
直政はひとり、部屋の片隅に置かれた小さな十一面観音像の前に座ると、手を合わせはじめました。
「母上、どうか徳川を、井伊を、何卒お守り下さいませ」
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