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2章 井伊家
62話~摠見寺~
しおりを挟む明智光秀による宴は3日3晩続き、織田信長は明智光秀の接待の内容にかなりご満悦な様子でありました。
1582年5月17日
中国攻め真っ只中の秀吉から、信長へ一通の文が届きました。内容は、
もう一息で平定叶いそうゆえ、是非救援をお願いしたい。
信長はそれを受けて早速、光秀を坂本に帰し援軍で出す事にしました。そして、20日に予定していた、家康と梅雪への舞と能の接待を1日早めると、その後共に自らも京へと上る日程に、早速切り替えのでした。
天主閣で、家康が信長と談笑していると光秀が挨拶にやってきました。
「これにて坂本城に戻り、中国攻めに向かう事に相成りました。家康様、穴山様におかれましては、もてなしの途中でありますが、席を外す事どうぞお許し下さいませ」
「いやいや豪華絢爛な食材の数々、大変美味でありましたぞ」
家康は笑顔で声をかけると、光秀は信長の顔を数秒見つめた後、皆に向かって「では失礼致します」そう深々と一礼をし、坂本へと戻っていったのでした。
1582年5月19日
舞と能は、安土城の中にある摠見寺で行われる事になり、家康、梅雪は元より、万千代や小助も招かれ、土間には信長の家臣達、その中には六郎の姿もありました。
厳かな笛や小鼓の音が流れる中、摠見寺では能が早速始まりました。この日、明智光秀の手配で呼ばれたのは、丹波猿楽の梅若家の梅若広長でした。
「何と麗しい……小助、あの顔につけている面は何と言うのだろうか」
万千代は初めて見る能の世界に目と心を奪われながら、傍らに座る小助に疑問を投げ掛けました。
「あれは確か、翁面だったかと」
小助は、自らの知識の引き出しを開きながらそう答えると、土間の六郎に向かって視線を静かに投げました。
六郎は家臣達の間に埋もれる様に座っていて、万千代には見えていない、大丈夫だと言わんばかりに、小助に小さく頷いてみせると、自分も能を鑑賞し始めました。
最初の演目が終わると、梅若広長が信長達の前へ挨拶にやってきました。
「この様な場にお招き頂き、有り難うございます。梅若家の能を引き続きお楽しみ下さいませ」
「さすが丹波の猿楽ぞ。して、次は一体?」
上機嫌の信長は、酒を片手に頬を紅潮させながら広長に問いかけました。
「はい、次は私の孫、梅若直久の舞をひとつご覧頂こうかと」
「ほほぅ………孫?幼き者が能を舞うのを見るは初めてじゃ、早速始めるがいい」
すると、信長の言葉が終わるや否や、待ってましたと言わんばかりに笛を奏者が吹き始めました。そしてゆっくりと、女面をつけた十歳くらいの幼子が現れると、能を舞い始めたのでした。
「家康殿、楽しまれておりますかな?」
信長は舞を眺めながらご満悦な様子で、隣に座る家康に酒を振る舞うと、自分も一気に飲み干しました。
すると家康が、深い溜め息をつきました。
「申し訳ないが信長殿。幼子の舞等、舞にあらず。少し、興醒めでございますな……」
「と、殿………」
万千代が家康を制する様に声をかけた瞬間、信長は持っていた酒の器を、舞っている梅若直久に投げつけ、突進する様に向かって行くと、今度は足で何回も何回も蹴り倒し始めました。
「お主の舞で、家康殿が気分を害されたではないか!どうしてくれよう!」
「お許し下さいませ!お許し下さいませ!」
許しを乞う梅若直久の顔からは女面がいつの間にか取れ、その顕になった顔は恐怖で怯え、切れた口からは血が流れていました。
(あれは……道ではないか……)
小助は目の前で信長から折檻されている者が、幼き頃から共に修行を重ねてきた忍び仲間の"道"だと気づくと、自然と信長に向かって自分の刀を抜くべく、震える手が向かい始めていました。
「あっはっはっはっ!」
突然場の空気を切る様に、家康が手を叩きながら立ち上がると、信長と倒れる直久(道)に向かって、笑いながら近づいていきました。
「信長殿のお気持ち、この家康感服致しました。私めの言葉にそこまで向き合って頂けるとは……さらに織田との間柄は強固にせねばと思わせて頂きましたぞ」
その言葉にほっとした様に信長が怒りを鎮めると、小姓である仙千代(千代丸)と万千代がふたりを座に誘い、再び酒を継ぎ始めました。
「大変申し訳ございませんでした。次は、私の能を是非……」
梅若広長が慌てながら、道には眼もくれず身支度を始めると、見かねた小助が立ち上がり、倒れたままの道を抱きかかえました。
「このままでは広長様の演目の邪魔、それに目汚しとなろう、誰かこの者を今すぐ、寺の外へ連れ出して欲しい」
信長に気をかけながら、土間に居る信長家臣衆に向かってそう声をかけるも、信長の折檻を目の当たりにしたばかりの恐怖心からか、家臣達は目を反らすばかり、誰ひとり名乗りを上げるものはいませんでした。
「では、わたくしがお引き受け致しましょう……」
万千代が家康と信長の方を向いて、此方を見ていない事を確認して、六郎がその場から立ち上がると、小助からぐったりとした道を受けとり、寺の外へと出ていったのでした。
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