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2章 井伊家
56話~二代目仙千代~
しおりを挟む「万見仙千代が亡くなったとか」
長の言葉に、家康の傍で控えていた万千代は不可思議な顔をしながら、ふたりの密談を静かに見守っていました。
「仙千代とは、信長殿のお気に入りの小姓であったな」
家康は記憶を辿りつつ、それが一体?と言わんばかりの顔をしながら長の顔を見つめました。
「病死と伝わってますが、恐らく毒を盛られたかと」
「毒にございますか!」
万千代は思わず声をあげると、慌てて手で口を押さえました。
「構いませぬ、逆に万千代様にも聞いておいて頂きたい」
長はそう言うと、更に説明を続けました。
長の話では、お気に入りである万見仙千代が突然亡くなってからというもの、信長の気落ちがそれはそれは激しく、近しい家臣達がかなり心配をしているという話でした。
「つまり、そこを突いて信長を討てと?」
家康がそう言うと、長は首を横に振りました。
「急いては事を仕損じます。逆に懐に飛び込むのです」
「なるほど、少し前に話をしていた……千代丸か」
家康の口から千代丸の名が出た事に驚いた万千代は、「千代丸!?」と思わず叫ぶと、また慌てて口を押さえました。
「ははは、万千代様は血気盛んな方、ゆえに将来は猛将になられる事でありましょう。」
長が笑いながらそう言った後
「この仙千代の顔、と言いますか……纏う空気。千代丸様にとても似ておられるのです。ゆえに、とてもお気に入りの小姓のひとりとなられるはず」
「つまり千代丸を、信長の間者にすると申すか……」
家康は、真剣な顔つきで暫く黙り込みました。確かに、双子の片割れである於義伊は、母である侍女の元で育てられていて、その存在も最近になって生まれたと公にし、正室である築山殿に気を使って、全く対面もしないという事を装っていました。
つまり於義伊の顔も、誰にも知られていないのです。
「殿……ずっと不思議であったのですが、千代丸は双子。その片割れである於義伊様の名には、何故に"千代"がないのでありますか?」
千代丸には、家康の幼名である「竹千代」の「千代」があり、自らの「万千代」の名にも「千代」がありながら、徳川家の公にされし次男の名が「於義伊」である事を、万千代は不思議でなりませんでした。
「それは、先代の長が名付けたのだ。ギイギイと鳴く魚に顔が似てるから名付けたと冷遇すれば、名が勝手に対面を避ける事を、周囲に納得させる事が出来るからと」
「魚………」
万千代は、千代丸は魚に顔は似てるおらず。何ならとても美しい顔立ちであるのにと思いながら、策という物の奥深さを肌で感じていました。
「ははは、先代の長は面白さを操る達人でありましたからな。そうそう、三方原で武田に徳川が敗北し家康様が撤退した際も、織田に怪しまれない様、家康様は恐怖のあまり脱糞したと流布されておられましたぞ」
「脱糞!?その様な話、き、聞いてはおらぬぞ!」
家康が真っ赤にしながらそう訴える姿に、長は全く怯む様子もなく、更に笑いながら語りました。
「本人の耳に届かない方が真実味を育てるのです。あと、困惑した家臣達に向かって"これは、味噌だ!"と訴えたと。織田ではかなり有名な話で、かなり流布されております」
顔をしかめる家康とは裏腹に、万千代の瞳は好奇心で輝き始めました。
「つまり!目反らしには、これくらい大袈裟な事を引き起こした方が上手くいく、そういう理屈でございますか!」
万千代の言葉に光る物を見いだした長は、とても感心しながらゆっくりと深く頷きました。
「全くもってその通り。"面白さ"が一番、人の心を奪う事が出来る術なのです。つまりこれも戦」
「戦………」
家康と万千代は同時に同じ言葉を発すると、思わずお互いの顔を見つめあったのでした。
*
それからすぐの事
信長に家康は「うちの小姓に仙千代に面影がとても似ている稚児がいる。一度会われてみますか?」と、提案をしました。
それは是非会ってみたいと言う信長の元に、呼び寄せた千代丸が送られると、早速対面する運びとなりました。
広間の中央に座る千代丸
そこに信長が現れると、家康からの指示通り千代丸は背筋を伸ばすと、大きな声で「仙千代でございまする!」と、そう言いました。
「おぉ……本当によく似ておる…もっと近う……」
信長は、千代丸に仙千代の面影を重ねながら喜びに打ち震えると、近くに来る様に促しました。
そうして千代丸は、二代目仙千代として、徳川の間者として、織田信長の寵愛を一身に受ける、小姓としての人生を歩む事になったのでありました。
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