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1章 浅井家
30話~展開~
しおりを挟む「きっと、耳に入ったのであろう。八王子山の結界を解いた事、そろそろと想うておった」
小野殿は、そう言うと無言で秀吉を見つめました。秀吉は、操られる様に小刀で小野殿が縛られている紐を切ると、そのままその小刀を手渡しました。
「阿古様、お止めなさい」
光秀は顔を強ばらせ、小刀を渡す様に手を差し出しました。
「さしずめ、比叡山の生き残りの僧兵に、私の指を八王子山に埋めると、結界が再度出来るとでも聞いたのであろう。あんな酷い焼き討ちをしておきながら、祟りは恐れるとはあまりに滑稽!」
小野殿はそう叫ぶと、指に刃を当て一気に力をこめたのでした。
切り落とされた指は踊る様に宙を舞うと、切り口からは血渋きが吹き出し、みるみるそこに血溜まりを構築しました。
「今すぐ酒と布を持って参れ……」
光秀は、顔をしかめながら家臣にそう言うと背を向け、一方の秀吉は慌てて駆け寄り、自分の着物の袂で、小野殿の左手を包み込みました。
「お館様の命とはいえ、私は女がこんな目に合遭うのはやはり見てられない……」
小野殿は秀吉の意外な言葉に驚きながらも、襲いかかる指の痛みに必死で耐え忍びました。
すると、右手に酒、左手に布を持った、先程の家臣とは別の、小姓が現れました。
「お館様の命で参りました、仙千代にございます。これはこれは……秀吉様のお召しかえも早速用意致しましょう。あとは、この仙千代にお任せ下さいませ」
仙千代は手際よく小野殿の傷口を酒で洗い、止血するべく、指を強く縛り始めました。
「この指1本を、お館様はご所望なのか……」
光秀は、戦場以外での血の匂いが余程嫌いらしく、小野殿の方は見ずに仙千代に尋ねました。
「僧侶の元に、良いと言われるまで1本ずつ運べとの由にございます。お館様らしいといいますか何といいますか」
仙千代は笑顔で楽しげにそう語ると、落ちていた指を拾って布に包み、懐に忍ばせたのでした。
「今日、最期に立ち会う気で参ったが………これでは先延ばしになりそうですな。阿古様から預りし毛髪は、この十兵衛が万福丸様の毛髪と共に、茶々姫様に届けますゆえ、ではこれにて」
「最期の情け、感謝致します」
光秀はその返事を聞くと、深々と頭を下げる小野殿の事は見る事なく、そのまま立ち去っていったのでした。
*
「ところで仙千代殿。その僧侶とやらは何処にいらっしゃるのです?」
仙千代から用意された召し物に着替えながら、秀吉は気になっていた事を尋ねました。
「西明寺にございます。そこから比叡山まで参り結界をどうとか?小姓が交代で早馬でこちらに参りはしますが、時間はかなりかかりそうですね、では………」
仙千代は一礼すると、指を大事そうにしながら西明寺へ向かい旅立っていきました。
*
「阿古様は忍びに通じておられるのですよね?私は何せ百姓の出、そんな繋がりは皆無なのです」
誰も居なくなった中、秀吉は小野殿に向かって語り始めました。
「尼子の忍びの繋がりはもう途絶えております、六角での甲賀の繋がりは少しはあれど、それも心から信用が出来る代物かと言うと、何とも………」
「それでも!!」
秀吉は熱を込めて、小野殿の前に立ちはだかりました。
「そ、それでも………それは宝としか言い様がありませぬ。。阿古様、そのおちからを、この秀吉にお貸し頂けませぬか!?百姓あがりゆえ、光秀に、つい口車に、まんまと乗せられてしまったのです。
お市様の亡骸も秘密裏に弔いましょう、万福丸様は気の毒な事でございましたが……姫様達は、命をかけて守る事を誓いましょう」
小野殿は思いがけない言葉に、驚きながら色々を思い巡らせました。
「私の言う事を全て聞き届けると、そう誓ってくれるのなら、そして……」
「浅井の血を後世に残すと約束するなら?ですかね?この秀吉の後ろ楯になってくださるならば、茶々姫様を室に迎え、必ず大事にすると約束致しましょう」
「室に………」
小野殿は指の痛みも忘れ、次々と溢れ出る策を脳内で整えながら、三姉妹の顔を思い浮かべていました。
「あの姉妹を守る為ならば、生きて、生きて、生き延びてみせよう。
そして、一度は死んだこの命。
浅井の血を残す事に、それだけの為に、この命を生かしてみせよう」
小野殿は静かに目を閉じ、そこで手を合わせ始めました。
「秀吉殿が天下統一が出来る様、全てちからを注ぐと約束を致しましょう、神仏に味方になって頂ける様、お願いをする事に致しましょう」
「なんと有り難き幸せ!!早速、西明寺に参り僧侶をたらしこみ、指を落とさせない様に道を整えて参ります。あぁ阿古様が処刑されたと虚偽の報告の為の死体も用意せねば……忙しくなって参りましたなぁ!!」
秀吉は嬉しそうに満面の笑顔で、微笑むと猿らしく俊敏に、気づくと西明寺へ向かって走り出しておりました。
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