23 / 94
1章 浅井家
23話~夢見~
しおりを挟む1573年
市はその日、大きなお腹を抱えながら、小谷城の麓の徳昌寺に降りて、咲きほこる花々を娘達と摘んでいました。
小谷城の山の谷間にあった色々は、織田勢によって焼きはらわれ、建物といえばこの残った徳昌寺と、刀や槍先を作る為に再興された鍛冶の棟くらい、もはや昔の面影はありませんでした。
「茶々、初、この花の何と美しい事てありましょう。灰となった土地から芽吹いたとは思えない、この凛とした佇まい。そなた達も、これから何があったとしても凛とした生き方を忘れてはいけませぬ」
「はい!ははうえ!」
茶々と初は元気に返事をすると、その花々の甘い香りを、目を閉じながら思い切り吸い込んだのでした。
「市!」
市が慌てて声のする方に目をやると、尼僧姿の直虎が徳昌寺の中から、此方を伺っていました。
市は驚きのあまり、大きな声で名前を呼びそうになるのをぐっとこらえると、周囲を見渡しながら、茶々と初の手をひき徳昌寺の中へと入っていきました。
「母様……どうされたのです………小谷にやってくるなど、無鉄砲にもほどがあります」
市は戸を全て閉めて、四方八方を警戒した後、茶々と初を、直虎の前へと座らせました。
「茶々にございます!そしてこちらが、初にございます!」
「ございます!」
茶々は元気よく挨拶をすると、綺麗な所作でお辞儀をし、初もその姿を幼いながらに真似てみせました。
「秀子か、大きくなったのう……初も、元気そうな子じゃ……ゴホッゴホッ……」
直虎は急に咳き込むと、着物の袂を口に当てて顔を横にそむけました。
「母様……具合がよろしくないのですか?それなのに、此方までお越しになるとは、余程大事な用事があるとしか……」
市は、直虎の傍に駆け寄り、背中を手で擦りながらも、不安な想いに包まれ始めていました、
「実は、もう私は長くはないのだ………」
「そんな……そうだ薬を、小谷の山にはとても万能な薬草があるのです。それを煎じて飲めばきっと」
「市、そなたならわかるはず。長くはないとお告げがあったのじゃ、御仏がこちらへ一度帰って来いと、そう申されておるのだ」
市はその言葉に返す言葉を失い、次の瞬間、瞳からは大粒の涙を溢し始めました。
「これが人の寿命。それは仕方がないもの。ただ、亡くなったその後、願わくばすぐに生まれ変わりたいと想うておる」
「生まれ……代わり………?」
「そうじゃ、そしてそなたに必ず会いに行く。これは約束じゃ、そなたと私の絆は永遠に変わらぬ」
「では、今お腹をにいるこのややで生まれ変わって下さいませ。市は母様が宿った子を生みとうございます」
直虎は、静かに首を横に振って微笑むと黙って市のお腹に優しく触れたのでした。
「あと市、そなたのお腹の子は女の子」
「そうなのですね!実はわたくしもそんな夢を見た所なのです」
市は、自分の夢見通りの言葉に嬉しそうに目を細めました。
「あと市、このややが無事生まれた後、決して炎に近づいてはならぬ」
「炎に??」
「そなたが、炎に包まれる夢ばかりみるのだ。だから何としても伝えねばと思った。逆に進めば、この道を必ず変える事が出来るはず」
市はその言葉に胸を詰まらせました。
それを伝える為だけに、母様はここまでやってきてくれたのか。
井伊家も大変な中でありながら、身体の具合も悪い中でありながら、危険を顧みず、自分の為に、ただそれだけの為に………
実の母の愛情を知らずに育った市にとって、直虎の想いは心を揺さぶり、温かい想いで包み込みました。
「母様の夢見のお言葉、決して忘れは致しませぬ。そして、母様が生まれ変わりし折りは、必ずや見つけてみせまする」
市は泣きながら微笑むと、直虎の両手を固く固く、握りしめ続けたのでした。
*
翌月、小谷城で市は直虎のお告げ通り、女児を産み落としました。
後の浅井三姉妹の三女・江(ごう)。
そして江が生まれてすぐ、直虎は流行り病で亡くなり、その事は虎松が元服するまでは隠されたのでした。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
戯作者になりたい ――物書き若様辻蔵之介覚え書――
加賀美優
歴史・時代
小普請の辻蔵之介は戯作者を目指しているが、どうもうまくいかない。持ち込んでも、書肆に断られてしまう。役目もなく苦しい立場に置かれた蔵之介は、友人の紹介で、町の騒動を解決していくのであるが、それが意外な大事件につながっていく。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
竜頭
神光寺かをり
歴史・時代
幕末の信州上田藩。
藤井松平家の下級藩士・芦田家に、柔太郎と清次郎の兄弟が居た。
兄・柔太郎は儒学を学ぶため昌平黌へ、弟・清次郎は数学を学ぶため瑪得瑪弟加塾へ、それぞれ江戸遊学をした。
嘉永6年(1853年)、兄弟は十日の休暇をとって、浦賀まで「黒船の大きさを測定する」ための旅に出る。
品川宿で待ち合わせをした兄弟であったが、弟・清次郎は約束の時間までにはやってこなかった。
時は経ち――。
兄・柔太郎は学問を終えて帰郷し、藩校で教鞭を執るようになった。
遅れて一時帰郷した清次郎だったが、藩命による出仕を拒み、遊学の延長を望んでいた。
----------
神童、数学者、翻訳家、兵学者、政治思想家、そして『人斬り半次郎』の犠牲者、赤松小三郎。
彼の懐にはある物が残されていた。
幕末期の兵学者・赤松小三郎先生と、その実兄で儒者の芦田柔太郎のお話。
※この作品は史実を元にしたフィクションです。
※時系列・人物の性格などは、史実と違う部分があります。
【ゆっくりのんびり更新中】
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる