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1章 浅井家
22話~八王子~
しおりを挟む少し時を戻して
姉川の戦いの後、浅井朝倉軍は、延暦寺の僧兵と手を組み信長軍に抵抗していました。
さすがの信長もこれには困り果てていました。天下統一をする為には、ここで退く事は出来ない。
されど、神仏の聖域を汚す行為は、さすがに憚られる。
「市からの返事はないか、猿」
信長は、何度も長政と市に降伏を促す文を送り続けていました。しかし、返事はいつも織田にはくだらないその一文のみでありました。
「まぁいい、文は送り続けよ。市は必ず織田に、この信長の元へ戻らせる」
「お館様、お市様には、ふたりの姫様がおられるとか?さぞかし、美しい姫君なのでしょうな」
猿と呼ばれた木下秀吉が、顔をにやつかせなかがらそう言うと、傍に居た明智光秀が呆れ顔でため息をつきました。
「お市様は美しい方ゆえ、勿論姫君も美しい事でございましょう。されど、もう少しお市様はこちらの味方かと想うてましたが……こう和睦叶わぬようでは、もはや強行突破しかございますまい」
「うむ………」
信長は顎に手をやりながら、考えこみました。延暦寺を抑える事、それが天下統一の最大の布石であり、避けては通れない道。
その姿を見ていた光秀は、信長に向かって自分の策を語り始めました。
「延暦寺の僧侶の中には、禁忌である肉を食らい、女と過ごす者もおりまする。これは、天に変わっての仕置き、躊躇う事はございませぬ」
「確かに…だが、聖域を血で汚すのはさすがに気が進まぬ」
「では、期日を設けましょう。仏や宝物を待避させる時間を与え、直接の戦は避け、合戦ではなく焼き討ちをするのです」
「焼き討ち………」
「全てを焼き払うのではなく、延暦寺は本堂のみを。後は坂本の城下町に火を放ち、住まう場所を無くせば、延暦寺の力は自ずと弱まる……」
光秀の策に暫く聞き入っていた信長は、深く頷くと「そなたに全てを任せよう」と、立ち上がり、その場から立ち去ったのでした。
「それで?どうするのです?光秀殿」
木下秀吉は、さっきとは違って真面目な顔つきになると、小声で光秀に尋ねました。
「策は今申した通りだ。恐らく延暦寺の色々な宝物や仏像は、兵主大社あたりに運ばれ、事なきを得るだろう。延暦寺の麓にひろがる坂本の町を焼きはらえば、民はこぞって八王子山の奥へと逃げるはず」
「なるほど……そこを潰すと」
「あの辺りは、朝倉の城がある。それに、僧兵達は命知らずな強者揃い、ここを制する事が肝心」
「光秀様の言う通り、では、その様にこちらも動く事に致しましょう。して、女子供がそこにいた場合は?恐らく麓を焼き討ちされたら、皆、こぞって山の中へと逃げると思いますが」
「無論、女子供は逃がせばよい。血で汚すは最小限に留めなければならぬ」
「最小限になら?叩き潰すが織田の為だと?」
「無論、御仏も必ずおわかり頂けようぞ」
光秀の瞳の奥の本心を、暫し見つめていた秀吉は「では早速」と言い残すと、すばやい動きでその場から立ち去ったのでした。
「さすが、顔つきもさることながら、身のこなしも猿そのもの」
光秀は同じ家臣同士であれど、牽制しあうこの距離感を楽しみながら、自分も早速延暦寺攻略に望んだのでした。
*
延暦寺の東にある、八王子山。
その山頂に祀られている、金大巌の巨石の前で、忍び装束に身を包んだ小野殿は、つたう涙を拭う事もなく、ひたすらに手を合わせていました。
「この様な事が、許されてなるものか」
姉川の戦いの後、信長軍による焼き討ちで延暦寺は壊滅。坂本の町は焼き付くされ、延暦寺事態の被害は少なかったものの、日吉大社奥の八王子山に逃げ込んだ、多くの僧兵や坂本に住む民は、女子供見境なく、虐殺されたのでした。
小野殿は誰もいないこの頂で、ここで命を落とした民を弔う為、念仏を唱え始めました。
気づけば、小野殿の傍らには烏天狗が立っていました。
「長か………」
「この世とは無情なもの」
小野殿はその言葉に反応せず、すくっと立ち上がると、背中から鎌を取り出しました。
烏天狗は、小野殿の前に立ちはだかりました。
「呪詛は自らの身を滅ぼす事になる……」
「甲賀の長にはきっとわからぬ。これはもはや、尼子の忍びである、私の意地なのだ」
そう言葉を放つ小野殿の顔は、もはや浅井の室ではなく、尼子忍者の阿古の顔でありました。
「この延暦寺に、しいては竹生島に牙を向いた事断じて許すまじ。この呪い、誰にも解けはせぬ、末代まで後悔するがいい」
そう言い放つと、阿古は金大巌にかかるしめ縄を、鎌で断ち切ったのでした。
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