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1章 浅井家
20話~混沌~
しおりを挟む鳳来寺の本堂で、直虎と市はお互いの顔を見合わせると、過去の記憶に身を委ねながら、穏やかな時間を過ごしました。
「あれから、そなたが織田に戻り"市"と名乗り、信長殿の娘ではなく妹君として、歳もいくつかごまかして公にされた事は、阿古様より聞いておる」
「そうでございましたか。母上には本当に敵いませぬ。母上が双子で生まれた秀子を、ここに隠してくださったのです」
「そうであったか……阿古様から内密に突然文が来て、目の前に現れた時は驚いたものだ。何せ私の事をいきなり、浅井千代鶴様の生まれ変わりだと。そしてそれはそれは見事に、色々を言い当てて参られて……」
「母様もわたくしも、そんな癖の持ち主でありますが、母上は本当に色々とわかる方、たまに怖くなる程に、色々を見通せる方なのです」
「本当にその通りじゃ。それに元々が尼子の中でも忍びの血筋、あと六角に居た頃に於いては、甲賀の忍びにも精通しておられたからのう、まぁそれは浅井千代鶴であった自分こそだが」
「えぇそうでした………その時のわたくしは、母様である浅井千代鶴様の娘として生まれたものの、幼くして亡くなってしまいましたから、でも、その辺りの記憶は未だにたまに蘇るのですよ?ほらあの時の事、母様は思い出していらっしゃるかしら」
ふたりは、人には到底理解し難い、お互いの癖による話で花を咲かせました。
それはいつもなら封印し、窮屈さを感じるしかない心達の解放でもありました。
「ところで市、そなたの名こそ秀子でありながら、何故我が娘に同じ名を?まぁ自分の幼名をつけるは、男子にはよくあるものではあるが」
直虎に改めて今の名を呼ばれた市は、少し照れくさそうにしながらも、腕の中で眠り続ける秀子に気をかけながら、満面の笑顔で返答しました。
「だからこそ同じ名をつけたのです。いずれ、浅井に戻った暁には、姫には茶々という名を新たにつけようと思っています。ならば、せめて鳳来寺で過ごす間はわたくしの名を、母の名を、いつも母が傍にいる事を伝えたかったのでございます」
「なるほど親心………良き名を頂いたのう、秀子」
直虎は目を細め、慈しむ様に秀子の寝顔を見つめ、次に市の顔を見つめ、柔らかな笑顔をこぼしました。
静寂の中、御仏に見守られながら、和やかで幸せな再会の空気が流れ続けたのでした。
*
それから数日、鳳来寺で時を過ごした市と直虎は、各々の家へと其々に帰っていきました。
そして暫くの後、鳳来寺から秀子が消える様に居なくなったのでした。
「居なくなると寂しいものだな」
虎松は外で薪割りをしながら、千代丸に声をかけました。
「今頃は、母上様と仲良く暮らしているはず」
そう言った後、余計に自分こそ寂しさに飲み込まれた千代丸は、両手に抱えた薪を強く抱きしめたのでした。
*
その頃、世はまさに下克上。
誰が敵で誰が味方かすらわからない、そんな波乱万丈な時の荒波に、日ノ本は飲み込まれていました。
特に織田信長の勢いは凄まじく、夜叉が取り憑いていると、巷で囁かれる程でした。
1570年
あろう事か信長は、浅井との約束であった、朝倉との不戦の条件を覆し、朝倉を攻め始めたのでした。
前年には鳳来寺から秀子を呼び戻し、姫が誕生したと、名は"茶々"であると、家臣達に伝えたばかりの浅井家に激震が走りました。
家臣達は、今すぐ市と離縁し織田に返すべきだと長政に詰め寄りました。そして、当時の世に於いては、それが至極普通の事でもありました。
それは敵の血縁者が居る事で、内情を漏らされては困る為であり、家を守る為には必要な事でした。
しかし、その頃市のお腹には、産み月を迎えたややが居ました。
この身重の身体で織田に戻されるのだろうか……
茶々とやっと共に暮らせる様になったのに、そして何よりも長政様と離れる等、考えられない……
市は色々と伝え聞く話に心を痛めながら、ただひたすらに、竹生島に祈りを捧げ続けました。
竹生島の神々は、浅井を
そしてこの市を守って下さる
きっと………きっと…………
「うっ…………」
急にお腹に痛みを感じた市は、顔を歪めました。
「ははうえ!!」
茶々は小さな手のひらでお腹を擦りながら、陣痛の始まった母の顔を心配そうに覗きこみました。
「大丈夫です………これは幸せの痛み。茶々、そなたが姉上様になるのです」
「あねうえ………?」
事態を飲み込めない茶々は、両手でお腹を擦り続け、そして市はその姿に苦痛で顔を歪ませながらも、微笑んだのでした。
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