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1章 浅井家
2話~誕生~
しおりを挟む翌年、まずは千代鶴が男の子を出産しました。
母子共に健康で、名は猿夜叉と名付けられました。
「姉上、よろしいですか?」
今にも産まれそうな、大きなお腹をかかえながら、蔵屋はまだ産後で床の上の、千代鶴の元を訪れました。
「次の満月に産まれそうですね」
笑顔で千代鶴は、入ってきた蔵屋にまずはそう、声をかけました。
「次の?見立てではもう少し、後だと聞いているのですが……」
「恐らく満月の日の夜に……」
千代鶴は、乳母から猿夜叉を受け取り抱くと、「さぁ、抱いてやって下さい」と、蔵屋の両手へ委ねました。
「まぁこれが赤子の匂ひ……なんて可愛いのでしょう」
蔵屋は母の顔で猿夜叉を抱きながら、柔らかな頬の弾力を確かめる様に、指で優しく数回押しました。
「きっと、姉上の亡くなったお子が、生まれ変わってきたのですね……」
蔵屋がそう言うと、千代鶴は少し悲しそうな表情をしながら、首を横に振りました。
「いえ、その子は亡くなった娘が生まれ変わったわけではないのですよ……」
「あ、申し訳ございませぬ……悲しい事を思い出させてしまいました……お許しください」
「違うのです、その子の魂は生まれ変わりではない。それが私にはわかるのです」
蔵屋は突然に語りだした千代鶴の言葉を、全く理解が出来ないまま、猿夜叉を乳母へと受け渡し、その場に座り直しました。
「姉上、少し横になった方がよろしいかと……」
産後で姉上は疲れているのだ、少しおかしな言葉も休めばきっと戻るはず。。
蔵屋は千代鶴を寝かせると、布団をかけ直しました。
「あと蔵屋、そなたのお腹の子は女の子」
「姉上、さすがにそれは産まれてからしかわからぬ事にございます……さぁ少しお眠り下さいませ」
「いいでしょう、あとでわかる事ですから」
千代鶴はそう言うと、促されるままに目を閉じました。
蔵屋はそれを見届けると、安心しその場を後にしたのでした。
*
次の満月の夜―
「お湯を!早くもっと持ってくるのです!!」
浅井家は、産気づいた蔵屋のお産で大騒ぎでありました。
「もう頭が見えてますよ!!さぁ!あなたは母となるのです!しっかり力んで!!」
真っ白の着物に身を包み、顔を歪めながら耐え続ける蔵屋の傍で、同じく白い着物に身を包んだ千代鶴が励まし続けました。
おぎゃああああ
屋敷中に響き渡る産声に、皆の心が踊りました。
「姫君様にございます!」
肩で大きく息をしながら、蔵屋は元気に産声をあげ続ける我が子を見つめました。
「姉上の……全て言った通り……」
千代鶴はかいがいしく蔵屋の汗を拭いたり、着物の乱れを直しながら、ただにこやかに微笑むだけでした。
「姉上は何故わかったんですか?こんなのおかしい………」
蔵屋は、頭が朦朧としながらも、千代鶴が言い当てた事に対して、納得がいかない気持ちでいっぱいでした。
「当てずっぽうではありませぬ。夢をみたのです。そして、その夢のお告げをくださっているのはきっと、竹生島の神々」
「竹生島の?」
蔵屋は、予想外な姉の言葉に、ただただ戸惑いの表情を浮かべるしかありませんでした。
「それは、いつから?そんなお話、小さき頃には一度も、話しておられなかったではありませぬか」
蔵屋は納得がいかない様子で詰め寄りました。千代鶴は、茶碗の水を蔵屋の口許に運びながら、くすくすと笑い始めました。
「喉が乾いたでしょう?さぁ、まずはこれを飲むのです」
蔵屋はされるがままに、水を口に含むとごくりとそれを飲み込みました。乾いた喉が満たされ、改めて壮絶なお産という、大仕事を終えた実感が沸いてきたのでした。
「小さき頃からあったのはあったのですけれど、気のせいにしてしまっていたのです。そんな意味でちゃんとわかったのは、六角家に嫁いでから……」
「嫁いでから?それは一体……」
「六角には甲賀忍者がいましたから。なので色々わたくしも、教わる機会が多かったのです。つまりは、術というか……そのような様々を」
「甲賀忍者………?」
蔵屋は小さくそう呟くと、色々を思い巡らせました。
甲賀には忍者の里があり、かなりな数の忍びがいて、色々な術を使う集団である事、それは蔵屋でも聞き及んでいました。
けれど、それは道具を使った術であって、姉上の言う術とは、かなりかけはなれている様に感じました。
「言いたい事はわかります。されど、術の根っこというのは、実は同じものなのですよ」
千代鶴は優しく微笑みながら、蔵屋を横たわらせると、布団をかけました。
「お話しはこれくらいにして、さぁゆっくり今はもう母となった事を喜び、見守って頂いた竹生島の神々に、お礼を申し上げましょう」
「はい………」
蔵屋は横になったまま目を閉じると、両手を静かに合わせました。
そして千代鶴もまた、蔵屋の傍らで手を合わせると、竹生島へ祈りを捧げたのでした。
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