僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十四章

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「僕の神社に伝わる刀術は、合戦でも相手の命をなるべく奪わない工夫をしています。その最たるものが、手への攻撃です。命に別状はなくとも血で武器を握れなくなりますから、手を怪我した相手は、後方へ下がることが多かったようですね」
 これは表向きの返答でも、他流試合における籠手打ちを御先祖様達が熱心に研究していたという事実は、罪悪感を大いに減らしてくれた。それでも真の理由を話せない負い目は、澱のように残っていたけどね。
 籠手を狙うのが最も簡単な真の理由は、対魔邸訓練にある。つい先月、精霊猫達の繰り出す鞭の速度が、とうとうマッハ2に到達した。秒速660メートルで襲い来る十一本の鞭を避け、かつ叩き斬る訓練を週に四度している身にとって、籠手は「止まって見える」というのが正直な感想だったのである。
 という真の理由が背後にあるのを、感じ取ったのかもしれない。剣道部員の中で最も付き合いの長い大和さんが、挙手した。
「剣道では、面を打つのが一番難しいと言われているの。でも対戦した感じでは、猫将軍君にとっては違うように思えてならない。どうかな?」
 さすが大和さん、との感嘆を呑み込むのに僕は苦労した。御先祖様達が研究した他流試合における籠手打ちの技術を、藤堂さんの次に習得しそうなのが大和さんだったから感嘆しそうになったのだけど、今それを告げる訳にはいかなかったのである。「長い返答になるのをお許しください」と詫びて、僕は話した。
「新陰流の基となった陰流は江戸時代以前から、ふくろ竹刀と呼ばれる独自の竹刀を使っていたそうです。しかしそれら少数の例外を除くほぼ全ての江戸時代の流派は、木刀を手に、頭に鉢巻を巻いただけで刀術の稽古を行っていました。試合は寸止めが前提でも、木刀が頭に当たって亡くなる人も多かったそうですから、頭部を攻撃されたら必死になって避けることが体に染みついていたと予想されます。それは、子供の頃のチャンバラを介して身に付いた、本能的な動きだったと思うのです。よって江戸時代末期に竹刀と防具が考案され、安全に試合ができるようになっても、相手の竹刀が頭部に向かって来たらその本能が色濃く出たのではないでしょうか。面を打つのが一番難しいという言葉は、そのような時代背景のもとに生まれ、同意され、浸透していったのではないかと僕は考えています」
 ここで藤堂さんが挙手し、太平洋戦争前の剣道の練習風景を映した白黒映像を見たことがあるやつはいないか、と皆へ問うた。手を挙げる者が一人もいない様子に頷いた藤堂さんは、「見れば今の俺達が竹刀をいかに避けないかが解る、見てみろ」と告げ、話を中断したことを僕に詫びた。滅相もございませんと心の底から述べ、僕は立ち上がった。
「竹刀とは比較にならぬほど重い刀は、全身を隈なく使わないと、自由自在に操ることができません。これは裏を返せば、身体操作を冷静に観察すれば、相手のどの箇所にやいばを届かせようとしているかが解りやすいという事でもあります。たとえば」
 僕は二歩前進しつつ刀を振りかぶり、相手の籠手を斬る動作をゆっくりした。そんな僕へ払う注意の量には個人差があり、それはそのまま、現時点における剣道の実力に比例していた。まあ颯太は唯一の例外なのだけどそれは置いて、僕は話を先へ進めた。
「それに対して竹刀は、腕力頼みの軌道操作が格段にしやすいと言えます。極論すれば、面と胴と籠手を打つ軌道は、腕の使いかた次第で変えられるのです。臨機応変が可能なこれは、『切っ先の向かう場所を予測しにくい』という利点を有している半面、弱点もあります。それは、『体全体の動きではないぶん籠手の速度が遅い』です」
 その途端、二年生以上の剣道部員のほぼ全員が、苦虫を噛み潰したような表情になった。自分が籠手を打たれた理由の、少なくとも半分を理解したのである。残り半分を理解している人はまちまちだったので、その説明に移った。
「竹刀は刀より、切っ先が向かう場所を予測しにくいのは事実です。ならばそれを、陽動すればよい。僕が面を打たれやすい状況にいれば、相手は高確率で面を狙って来るでしょう。しかもその際の籠手は、体全体で刀を振って来た僕の目には、遅く映ります。よって相手の竹刀が僕の面を打った時、相手の籠手がどこにあるかも予想しやすい。だから僕はその直前の籠手の場所へ竹刀を放ち、勝ちを得ていたのです」
 剣道部員も学年も関係なく、今回は全員が押し黙った。場の空気を換えるべく、「大和さんの質問にやっと答えられます、長々とすみません」と、僕はちょっぴりおどけた。
「竹刀を体全体で振らず、陽動に乗ってくれやすい対戦相手の場合、打つ箇所の難度に差はありません。竹刀を体全体で振り、かつ陽動の通じない相手なら、竹刀を届けるのが最も困難なのは、やはり面ですね」
 予想に反し、剣道場を覆う沈黙が晴れることはなかった。内心涙目になりつつ、僕の考えている今後の方針を発表した。
「えっと、ただの提案なのですが、僕はなるべく同じ姿勢で皆さんの面と胴を打ちますから、皆さんは僕の籠手を狙ってみてはいかがでしょうか。僕は意識して、踏み込みと籠手の速度を上げて竹刀を振ります。その籠手を打つことを繰り返せば、『後の先』の訓練になってくれるかななんて思ったりして、ははは・・・」
 沈黙に耐えかね、内心の涙目をとうとう堪え切れなくなった僕は、リアル涙目になる寸前に追いやられた。それを救ってくれたのは、ここにいる全員の中で最も付き合いの長い、那須さんだった。
「猫将軍君、ちょっといいかな?」
「はい、何なりとどうぞ!」
 尻尾をブンブン振ってるなあと我ながら思っていた僕の耳に、香取さんの呆れ声が届く。
「あんなに強いのに、この人はどうしてこうも、豆柴になっちゃうのかなあ」
 ようやく沈黙が晴れ、道場に爆笑が立ち昇る。それが嬉しくてならなかった僕は、一層張り切って尻尾を振ったのだった。
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