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二十三章
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骨盤のシーソー運動は、片足時における跳躍力を増してくれる。よってそのタイプの跳躍を多用するバスケットボールでは、シーソー運動に長ける選手が有利なのは事実だった。しかしバスケはただ高く飛び上がればいい競技ではなく、空中での姿勢制御やボール操作、及び跳躍以外の身体能力も非常に重要なため、必須より有利が妥当と言えた。テニスやバドミントンのサーブもそれに該当し、はっきり必須と断言できるメジャー競技は、幅跳びと競歩以外ほぼ無かったのである。
ただ「有利に働く動作のある競技」のように条件を広げると、驚くほど多くの競技が当てはまった。然るに骨盤の縦運動は、素質を有する場合は特に、鍛える価値が充分あると僕らは考えている。
その観点のもと友人知人に素質の有無調査を呼びかけたところ、意外な人物が浮上した。運動があまり得意ではない芹沢さんに、豊かな素質が認められたのだ。去年の体育祭の幅跳びで芹沢さんが好結果を出した理由の一つは、この素質にあったのである。芹沢さんは俄然やる気を出し、三年時の選択授業を幅跳びに絞ると息巻いている。
豊かな素質までは行かずとも、骨盤の縦運動をいとも容易くやってのけた友人もいた。それは、美容ファッション部の白鳥さんだった。競技ではなくとも、いわゆるモデル歩きに、骨盤のシーソー運動は必須だったのである。この運動が、腰のくびれから足首にかけてのラインを美しくすることは医学的に証明されており、また実際、モデル歩きを熱心に練習して来た美容ファッション部員全員にその傾向が見られた。これが知れ渡ったのだと思う。「階段の昇降に腰の上下運動を取り入れる女子生徒が急に増えたのよ、あなた達のお陰ね」と、僕と猛は教育AIに褒めてもらった。
運動神経万能の輝夜さんと美鈴も、モデル歩きを容易くした。しかし神社の石段で事実上のモデル歩きを長年続けて来た昴に、完成度において一歩も二歩も及ばないことが調査によって判明した。輝夜さんと美鈴は、それを大層悔しがった。いや悔しがったのは完成度の方ではなく、そしてそれは僕を大いに苦しめた。なぜなら、
「お風呂に入るたび思ってたの。昴はどうしてこうも、くびれから足首にかけて綺麗なのかしらって」「私もお風呂で昔から思ってた。輝夜さん、一緒に頑張ろう!」「「オオ~~!」」
なんて感じの、思春期男子にはキツ過ぎる会話を二人は食事中に繰り広げたからだ。見かねた翔子姉さんが二人を止めてくれるまで、僕は胸中ずっと泣いていたのだった。
話が脱線したので元に戻そう。
骨盤の上下運動が有利に働く競技は多数あれど、それを意図的に鍛え、競技能力の向上に活かしている人はほぼいなかった。だがこれは裏を返せば、
―― 意図的に鍛えて活かせば凄まじく有利
ということに他ならない。もともと素質があるなら尚更だろう。かくなる次第で、骨盤の上下運動を積極的に鍛える二か月間を僕は過ごしたのである。
そして、今日。
四月十二日の、午前十時半過ぎ。
場所は第一グランドの、100メートル走のゴールライン。
100メートルを走り切り減速する僕の背中に、
「やったぞ眠留!!」
喜びの爆発した猛の声が掛かった。
「自己ベストを0.16秒更新した、11秒41。これは、スパイクを履いて陸上競技場を走ったら、十秒台を狙えるタイムと言える。おめでとう眠留!!」
「ヒャッハ――ッッ!!」
走って来た猛にそう告げられた僕も喜びが爆発した。足腰の弱さと運動音痴に泣いた僕が、中学在学中に100メートルを十秒台で走れるようになったのだから、まあ当然だよね。
しかし、そのハッチャケは長く続かなかった。当時の悲惨な記憶が次々押し寄せてきて、視界が急激に霞んでしまったのだ。
でも、僕はそれを恥じなかった。悲惨な記憶より、自分を誇れる記憶の方が比較にならぬほど多かったからである。その中でも、とりわけ大きな節目を作ってくれた親友に、僕は想いの丈を伝えた。
「猛、二年前の四月に、グラウンドの隅で坂道ダッシュをする僕に声を掛けてくれてありがとう。猛と出会えて、僕は幸せだよ」
「お前なあ、二年前と同じセリフを俺に言わせるなよ」
「ん? なにそれ」
猛は、オチが分かっている時のノリで二年前と同じセリフを繰り返した。
「一応ことわっておくが、俺は普通に女の子が好きだからな」
任せておけ、とばかりに僕は胸をそびやかして応える。
「何を言っているんだ猛、僕は輝夜さんが世界で一番好きに決まってるじゃないか!」
「ギャハハハ、お前ずいぶん成長したな!」「もちろんだよ、猛に負けてられないからさ」「むむっ、俺も同じだ。眠留に負けてなるものか!」「うん、ずっと競い合って行こうね!」「望むところだ!」「「オオォォ――ッッ!!」」
なんて具合に、二年前の四月と同じ空の下、僕と猛はあのとき以上の友情でもって肩を組み、気炎を上げたのだった。
従来の高速ストライド走法には致命的な欠陥があった。それは、腰の旋回力を腕で相殺するには上限がある、という事だった。
仮に人の上半身の筋力が、下半身の筋力より強かったとしよう。この場合、下半身の旋回力をどんなに高めても、上半身の旋回力でそれを相殺できる。脚より腕の方が強いのだから脚力がどう頑張ろうと、腕力で打ち消すことが可能なのだ。
しかし人の体は、それとは逆の構造をしている。地球唯一の完全二足歩行生物の体は、それとは真逆の構造になっている。人の上半身の筋力は、下半身の筋力より弱いのだ。そこに高速ストライド走法の、「下半身の旋回力を走力に上乗せする」という特色が加わると、厄介な事態が発生する。それこそが、
――上半身で相殺可能な範囲しか下半身を旋回できない
という事。そう、従来の高速ストライド走法では、脚力をどんなに鍛えようと腰のデンデン太鼓運動をどんなに極めようと、上半身が相殺できる範囲を超えたら、それは無駄になるしかなかったのである。
もっとも、それはそうそう無駄にならなかった。特に中距離走者の猛は、決して無駄にならないと言えた。猛の筋力及び骨格を精査したところ、100メートルを10秒前半で走って初めてこの問題は発生するが、そんなタイムでラストスパートを走る選手はオリンピックにもいなかったからだ。広背筋の発達した僕は理論上9秒中盤まで大丈夫との結果が出て、かつ僕が青春をかけているのは新忍道だった事もあり、僕と猛は憂いなく高速ストライド走法の研究を続けていた。が、
「喜べ眠留! 新高速ストライド走法の上限は従来の上限を、0.5秒更新したぞ!」
「ヒャッハ――ッッ!!」
限界を打ち破れたことを飛び上がって喜ばない訳がない。ソレとコレとは、全く別なのである。研究者って、そういう生き物だよね。
ただ「有利に働く動作のある競技」のように条件を広げると、驚くほど多くの競技が当てはまった。然るに骨盤の縦運動は、素質を有する場合は特に、鍛える価値が充分あると僕らは考えている。
その観点のもと友人知人に素質の有無調査を呼びかけたところ、意外な人物が浮上した。運動があまり得意ではない芹沢さんに、豊かな素質が認められたのだ。去年の体育祭の幅跳びで芹沢さんが好結果を出した理由の一つは、この素質にあったのである。芹沢さんは俄然やる気を出し、三年時の選択授業を幅跳びに絞ると息巻いている。
豊かな素質までは行かずとも、骨盤の縦運動をいとも容易くやってのけた友人もいた。それは、美容ファッション部の白鳥さんだった。競技ではなくとも、いわゆるモデル歩きに、骨盤のシーソー運動は必須だったのである。この運動が、腰のくびれから足首にかけてのラインを美しくすることは医学的に証明されており、また実際、モデル歩きを熱心に練習して来た美容ファッション部員全員にその傾向が見られた。これが知れ渡ったのだと思う。「階段の昇降に腰の上下運動を取り入れる女子生徒が急に増えたのよ、あなた達のお陰ね」と、僕と猛は教育AIに褒めてもらった。
運動神経万能の輝夜さんと美鈴も、モデル歩きを容易くした。しかし神社の石段で事実上のモデル歩きを長年続けて来た昴に、完成度において一歩も二歩も及ばないことが調査によって判明した。輝夜さんと美鈴は、それを大層悔しがった。いや悔しがったのは完成度の方ではなく、そしてそれは僕を大いに苦しめた。なぜなら、
「お風呂に入るたび思ってたの。昴はどうしてこうも、くびれから足首にかけて綺麗なのかしらって」「私もお風呂で昔から思ってた。輝夜さん、一緒に頑張ろう!」「「オオ~~!」」
なんて感じの、思春期男子にはキツ過ぎる会話を二人は食事中に繰り広げたからだ。見かねた翔子姉さんが二人を止めてくれるまで、僕は胸中ずっと泣いていたのだった。
話が脱線したので元に戻そう。
骨盤の上下運動が有利に働く競技は多数あれど、それを意図的に鍛え、競技能力の向上に活かしている人はほぼいなかった。だがこれは裏を返せば、
―― 意図的に鍛えて活かせば凄まじく有利
ということに他ならない。もともと素質があるなら尚更だろう。かくなる次第で、骨盤の上下運動を積極的に鍛える二か月間を僕は過ごしたのである。
そして、今日。
四月十二日の、午前十時半過ぎ。
場所は第一グランドの、100メートル走のゴールライン。
100メートルを走り切り減速する僕の背中に、
「やったぞ眠留!!」
喜びの爆発した猛の声が掛かった。
「自己ベストを0.16秒更新した、11秒41。これは、スパイクを履いて陸上競技場を走ったら、十秒台を狙えるタイムと言える。おめでとう眠留!!」
「ヒャッハ――ッッ!!」
走って来た猛にそう告げられた僕も喜びが爆発した。足腰の弱さと運動音痴に泣いた僕が、中学在学中に100メートルを十秒台で走れるようになったのだから、まあ当然だよね。
しかし、そのハッチャケは長く続かなかった。当時の悲惨な記憶が次々押し寄せてきて、視界が急激に霞んでしまったのだ。
でも、僕はそれを恥じなかった。悲惨な記憶より、自分を誇れる記憶の方が比較にならぬほど多かったからである。その中でも、とりわけ大きな節目を作ってくれた親友に、僕は想いの丈を伝えた。
「猛、二年前の四月に、グラウンドの隅で坂道ダッシュをする僕に声を掛けてくれてありがとう。猛と出会えて、僕は幸せだよ」
「お前なあ、二年前と同じセリフを俺に言わせるなよ」
「ん? なにそれ」
猛は、オチが分かっている時のノリで二年前と同じセリフを繰り返した。
「一応ことわっておくが、俺は普通に女の子が好きだからな」
任せておけ、とばかりに僕は胸をそびやかして応える。
「何を言っているんだ猛、僕は輝夜さんが世界で一番好きに決まってるじゃないか!」
「ギャハハハ、お前ずいぶん成長したな!」「もちろんだよ、猛に負けてられないからさ」「むむっ、俺も同じだ。眠留に負けてなるものか!」「うん、ずっと競い合って行こうね!」「望むところだ!」「「オオォォ――ッッ!!」」
なんて具合に、二年前の四月と同じ空の下、僕と猛はあのとき以上の友情でもって肩を組み、気炎を上げたのだった。
従来の高速ストライド走法には致命的な欠陥があった。それは、腰の旋回力を腕で相殺するには上限がある、という事だった。
仮に人の上半身の筋力が、下半身の筋力より強かったとしよう。この場合、下半身の旋回力をどんなに高めても、上半身の旋回力でそれを相殺できる。脚より腕の方が強いのだから脚力がどう頑張ろうと、腕力で打ち消すことが可能なのだ。
しかし人の体は、それとは逆の構造をしている。地球唯一の完全二足歩行生物の体は、それとは真逆の構造になっている。人の上半身の筋力は、下半身の筋力より弱いのだ。そこに高速ストライド走法の、「下半身の旋回力を走力に上乗せする」という特色が加わると、厄介な事態が発生する。それこそが、
――上半身で相殺可能な範囲しか下半身を旋回できない
という事。そう、従来の高速ストライド走法では、脚力をどんなに鍛えようと腰のデンデン太鼓運動をどんなに極めようと、上半身が相殺できる範囲を超えたら、それは無駄になるしかなかったのである。
もっとも、それはそうそう無駄にならなかった。特に中距離走者の猛は、決して無駄にならないと言えた。猛の筋力及び骨格を精査したところ、100メートルを10秒前半で走って初めてこの問題は発生するが、そんなタイムでラストスパートを走る選手はオリンピックにもいなかったからだ。広背筋の発達した僕は理論上9秒中盤まで大丈夫との結果が出て、かつ僕が青春をかけているのは新忍道だった事もあり、僕と猛は憂いなく高速ストライド走法の研究を続けていた。が、
「喜べ眠留! 新高速ストライド走法の上限は従来の上限を、0.5秒更新したぞ!」
「ヒャッハ――ッッ!!」
限界を打ち破れたことを飛び上がって喜ばない訳がない。ソレとコレとは、全く別なのである。研究者って、そういう生き物だよね。
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