僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十三章

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 ガバッッ
 今度こそ反射的に体が動いた。僕はテーブルに飛び乗る勢いで立ち上がり、前方に身を乗り出し、正面に座る輝夜さんの手を両手で包んだ。
「去年のお盆休みに、僕は輝夜さんの部屋に招かれることから逃げた。あのとき逃げなかったら、僕が最後に気絶したのは間違いなく輝夜さんの部屋だった。ですから輝夜さん、僕にチャンスを下さい。今年のお盆休みは、輝夜さんの部屋にぜひ招待してください。お願いします!」
「はい、承りました。今年は、私の部屋でお話ししましょうね」
 天真爛漫に笑った輝夜さんは僕と繋いだ手を持ち上げ、ダンスを踊るかのようにリズミカルに振った。僕が顔をふやけさせまくったのは言うまでもない。そんな僕らに皆は苦笑し、そのまま終わっていれば楽しい時間として記憶に残ったはずだが、そうはならなかった。テーブルの様子を不思議そうに見つめていた末吉が、首を傾げて尋ねたのである。
「チャンスを下さいって、眠留と輝夜さんはもう付き合っているんじゃなかったかにゃ。その次に挑戦するつもりなら、おいらは気を利かせて外にいた方がいいのかにゃ?」
 僕と輝夜さんは光の速さで手を離し、挑戦などしないから末吉も部屋にいて欲しいと訴えるも、末吉の首の傾きが解消されることはなかった。言いようのない危機感を覚えた僕は咄嗟に凛ちゃんを話題にし、すると輝夜さんもすぐそれに飛び付き、「去年のように凛ちゃんも交えて四人でおしゃべりしましょう」と提案してくれた。それは効果覿てき面で傾きは解消され、凛ちゃんの話にしばし盛り上がるも、結局末吉は首を一層傾げて疑問をストレートに訊いた。
「猫と人は発情期が異なるって座学で教わったけど、人の発情期がお盆ならオイラや凛ちゃんは、眠留と輝夜さんの発情を邪魔しちゃいけなんじゃないかにゃ?」
 ガタンッ
 堪らず僕はテーブルに激突した。激突こそしなかったものの輝夜さんも僕と似たり寄ったりだったため、末吉の誤解をとくことは叶わなかった。それは窒息を危ぶむほど笑い転げる祖父母と昴と美鈴も同じで、大吉と中吉も祖父母たちに準じ、唯一小吉だけが顔を引き攣らせて末吉に教えを説いていた。
 という台所の状況を、テーブルに激突しつつも僕は察知できていたのだけど、今日の帰宅中の会話を思い出すや、そんな余裕は消し飛んで行った。
 ―― 僕は来年の松の内に、発情するのか!?
 浄光の源たる太陽に向かって全力疾走する自分を一心に思い描くことで、僕は気絶及びその他諸々を、どうにかやり過ごすことが出来たのだった。

 翌四月十一日、火曜日の午前十一時半過ぎ。
 場所は三年生体育館一階東の、剣道場。
 僕は、人生初の剣道を体験していた。
 湖校にある六つの学年体育館は一階の西半分を薙刀部の道場、東半分を柔道と剣道と合気道の道場にしていた。第一エリアでは、三年生体育館が剣道部の剣道場、二年生体育館が柔道部の柔道場、そして一年生体育館が合気道部の畳の道場といった感じだ。四年生以上の第二エリアの詳細は知らないが、似たようなものとの事だった。それを調べるのは、来年の選択授業も剣道を取ってからでいいかな、と僕は考えている。
 剣道の防具は、選択授業用の学校の備品を借りた。現代の防具は丸洗いでき、かつ優秀な消臭庫に保管されていたため、嫌な臭いはまったくしない。昭和や平成の漫画等によると昔は想像を絶する悪臭を放っていたそうだけど、おそらく僕は前世でも、それを経験していないんだろうな。
 あまり知られていないが、現代の面や胴や竹刀が普及したのは、明治維新以降でしかない。江戸時代以前は手に木刀を持ち、頭に鉢巻を巻いただけで稽古を行っていた。当然ながらそれでは実戦に則した打ち合いなど不可能に近く、それを危惧した千葉周作によって竹刀と防具による稽古が発案され、体系化されたと伝えられている。それはもっともだと思うし、非難するつもりは毛頭ないのだけど、
『戦国時代の合戦に放り込まれたら、生き残るのは1%くらいかな』
 というのが、剣道に抱いた正直な感想だった。僕は前世で、戦国時代の合戦を経験している。合戦は基本的に集団対集団で始まるが、戦力拮抗時は、敵と味方が入り乱れる乱戦に比較的すぐなる。その「乱戦時の要素」を、剣道は一切取り入れていなかったのだ。戦国の世が遠のいた江戸時代の、一対一の仇討ちや果し合いを基に構築されたのが剣道だと、僕は感じたのである。魔想と戦う翔人は、乱戦時の要素を組み込んだ訓練をしないと、すぐ死んでしまうからね。
 とはいえ、合戦を基準に剣道を語るのは著しい間違いと言える。剣道をしている人のほぼ全てが望んでいるのは剣道の試合に勝つことのはずだから、それを土台に考察せねばならないのだ。という前提のもと、四限開始と共に始まった試合稽古を僕は見学していた。
 剣道等の、校舎を移動しかつ準備と片付けに時間のかかる選択授業は、三限と四限の二時間続きで行われることが多い。家庭料理教室がまさにそれだ。しかし週に四授業が必須だった家庭料理教室とは異なり剣道は三授業で単位取得になるため、一時間だけの日を設けるのも可能だった。けど二つの理由により、少なくともこの一年間は週に四授業を剣道に費やそうと僕は考えていた。
 理由の一つは、颯太との約束だった。選択授業には学年が違っても同じ授業を受けられるものが多く、剣道もそれに該当した。つまり今現在、颯太もこの道場にいるという事。剣の手ほどきをすると約束した手前、これくらいはしてあげないと格好がつかなかったんだね。
 ちなみに颯太は、週に十授業を剣道の選択授業に割り振るつもりらしい。国語と理科と社会に二授業ずつ、数学に四授業、プログラミングに五授業、そして剣道の選択授業に十授業という、「ホント大丈夫か?」と問わずにはいられない時間割にしたそうなのだ。いかに前世の記憶があろうと流石に油断し過ぎじゃないかと心配したが、どうも颯太は直前の前世で当時の国内最難関大学を卒業していて、その時の記憶を明瞭に思い出したため、プログラミング以外は六年分の単位をすぐにでも取得できるのだと言う。凡才代表として、本気モードのプロレス技を僕は颯太にかけてあげた。
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