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二十三章
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チャイムの余韻が残るうちに届いたことから推測していたとおり、清水のメールには感謝の言葉のみが綴られていた。さっき話した感じでは、清水に口下手の印象はない。にもかかわらずこうも短いのは、廊下で丁寧なお辞儀をしてくれたように、
―― 他者への感謝
を清水がとても大切にしているからなのだろう。僕は嬉しくなり、チャットの招待アイコン付きの返信をすぐ送った。その際の僕の躍る十指が、清水に伝わったのかもしれない。新しい友人が綴る文には、楽しげにスキップしているかのような、そんな感じがした。
今日初めて知ったのだけど、清水はなんと一年四カ月も前から、僕と話したいと思っていたそうだ。遠慮なんてすんじゃねーよ、と男友達特有のノリでキーボードを弾いていた僕の指が、ピタリと止まる。「気づいたようだな」を冒頭とする、こんな文がチャットに書き込まれた。
「一年四カ月前の、一年時のクリスマス会で見た牛若丸の刀術が、忘れられなくてな。部活前にするイメトレで俺がいつも思い描いているのは、あの刀術を駆使して妖魔を次々葬ってゆく、自分の姿なんだよ」
これを話したのはお前だけなんだからバラしたらただじゃおかねーぞ、と慌てて追加された文に、バラすわけ無いじゃん、と僕も大慌てで綴った。牛若丸関連のネタはトラウマまでは行かずとも、それに準じる恥ずかしさを僕にもたらすことを、正直に打ち明けたのである。「わかった、なるべく触れないようにする」「なるべくじゃなくて、できれば一切触れないで欲しいんだけど」「それは無理だ諦めろ」「ええ~~」 なんて具合に、一年時と二年時の友人達と無数に交わしてきたやり取りを三年でもできる幸せに、僕は胸中そっと手を合わせた。
清水はその後も「それは無理だ諦めろ」を貫き、牛若丸関連の話題を中心にチャットを進めた。最初こそそれに恥ずかしさを覚えていたが、剣道理論を基に牛若丸の刀術を分析する清水の話に少しずつ引き込まれ、気づくと夢中で語り合っていた。改めて振り返ると、それは僕にとって初めての経験だった。翔刀術について、翔人同士で語らった事ならあった。翔刀術と他武術の類似性と非類似性を、エイミィと数カ月に渡って研究した事もあった。しかし、他の武道を習う者がその武道理論を土台にして翔刀術を論じ、そしてそこに僕も混ざって大いに語り合うというのは、これが初めてだったのである。翔刀術を外部から客観的に眺めているかのようなその時間は、非常に面白い事に、翔刀術に関する僕の理解度を一段深めてくれたのだった。
とまあそんな次第で僕は夢中になって清水と語らい、そのせいで様々なことを忘れてしまっていたのだけど、清水は違った。
「猫将軍ともっとこうして論じていたいが、時間もないし本題に入っていいか?」
この語らいは五十分しかできない事をすっかり忘れていた僕に代わって、清水は時間管理をしてくれていたのである。そんな頼れるヤツなのに、申し訳なさげにそう書き込んだ清水は、僕にとってもう完全に友人だったのだろう。「そういう遠慮をされると、かえって傷つくんだぞ」「むっ、そうなのか?」「なに言ってんだ清水、友達ってそんなものだろ」「おお、悪い悪いそうだったな」 清水はチャットを始めたころを数倍する、空へ飛び立つようなイメージでこう綴った。
「猫将軍、剣道の選択授業を取ってくれ」と。
三年では、剣道の選択授業を取る。
実を言うと、その可能性が初めて芽生えたのは、去年の四月だった。一年に続き二年でも同じクラスになった香取さんが剣道を選択授業に選んだ時、心の片隅でふと思ったのである。僕も同じ選択授業を取って、香取さんの手伝いがしたいな、と。
ただそれは、現実的に不可能だった。料理の才に乏しい僕が最低限の技術を習得するには家庭料理教室を二年連続で取る必要があったし、またそれに加えて、救命救急の授業にも出なければならなかったからだ。北斗のような超絶頭脳を持っていれば違っただろうが、僕の残念脳ミソにそれを求めるのは無謀というもの。かくなる次第で二年進級時に芽生えた剣道の可能性は、あっという間に潰えたのである。
しかし、今年は事情が大きく異なっていた。その説明として最初に挙げるべきは、可能なら家庭料理教室の枠を、
―― 他の生徒に譲ってもらえないだろうか
と、咲耶さんに頼まれていた事だろう。
僕らの学年における家庭料理教室の評判はすこぶる良く、頭一つ抜き出た倍率になっている。よって二年連続で、正確には四期連続で同授業を履修し、かつ料理関係の専門家を目指していない生徒達へ、咲耶さんは辞を低くしてそう頼んでいるそうなのだ。それだけでも心は大きく揺さぶられたのに、僕が今年も同授業の申請を出したら輝夜さんと白鳥さんのペア解消の可能性が高まるとくれば、揺さぶられるどころの話ではなかった。料理の専門家を目指す白鳥さんにとって、輝夜さんは最高のパートナーだった。無数の超一流料理を舌で覚えている輝夜さんは白鳥さんの料理を的確に評価することができ、しかもそれは料理の工程にも及んだ。あの工程をあんなふうに処理したことがこの味として料理に現れているのねと、一緒に作った料理を食べながら二人は時間を忘れて論じていたのである。そんな二人を目尻を下げまくって一年間見つめ続けた僕に、ペア解消の可能性が高まる行為などできる訳がない。量子AIの専門家を目指す輝夜さんは四期連続で家庭料理教室を履修しているから、白鳥さんと同様の特別措置は適用されない。よって同教室を希望する生徒が定員を超えたら、輝夜さんも抽選の対象になってしまうのだ。他の生徒に枠を譲るお願いをした生徒へ、この件を口外しないよう咲夜さんは頼んでいると言う。そしてもはや枕詞となった「ナイショだからね」の前置きを経て特別に教えてもらったところによると、同教室の枠を他の生徒に譲るお願いを、咲耶さんは輝夜さんにだけはまだしていないらしい。つまり僕がそのナイショを守れば、輝夜さんは最後まで今回の件を知らないはず。そしてその場合、教育AIとしてはほのめかす事すらできないだろうが、輝夜さんと白鳥さんが今後もペアを組めるよう、咲耶さんはきっと便宜を図ってくれるに違いないのだ。
―― 他者への感謝
を清水がとても大切にしているからなのだろう。僕は嬉しくなり、チャットの招待アイコン付きの返信をすぐ送った。その際の僕の躍る十指が、清水に伝わったのかもしれない。新しい友人が綴る文には、楽しげにスキップしているかのような、そんな感じがした。
今日初めて知ったのだけど、清水はなんと一年四カ月も前から、僕と話したいと思っていたそうだ。遠慮なんてすんじゃねーよ、と男友達特有のノリでキーボードを弾いていた僕の指が、ピタリと止まる。「気づいたようだな」を冒頭とする、こんな文がチャットに書き込まれた。
「一年四カ月前の、一年時のクリスマス会で見た牛若丸の刀術が、忘れられなくてな。部活前にするイメトレで俺がいつも思い描いているのは、あの刀術を駆使して妖魔を次々葬ってゆく、自分の姿なんだよ」
これを話したのはお前だけなんだからバラしたらただじゃおかねーぞ、と慌てて追加された文に、バラすわけ無いじゃん、と僕も大慌てで綴った。牛若丸関連のネタはトラウマまでは行かずとも、それに準じる恥ずかしさを僕にもたらすことを、正直に打ち明けたのである。「わかった、なるべく触れないようにする」「なるべくじゃなくて、できれば一切触れないで欲しいんだけど」「それは無理だ諦めろ」「ええ~~」 なんて具合に、一年時と二年時の友人達と無数に交わしてきたやり取りを三年でもできる幸せに、僕は胸中そっと手を合わせた。
清水はその後も「それは無理だ諦めろ」を貫き、牛若丸関連の話題を中心にチャットを進めた。最初こそそれに恥ずかしさを覚えていたが、剣道理論を基に牛若丸の刀術を分析する清水の話に少しずつ引き込まれ、気づくと夢中で語り合っていた。改めて振り返ると、それは僕にとって初めての経験だった。翔刀術について、翔人同士で語らった事ならあった。翔刀術と他武術の類似性と非類似性を、エイミィと数カ月に渡って研究した事もあった。しかし、他の武道を習う者がその武道理論を土台にして翔刀術を論じ、そしてそこに僕も混ざって大いに語り合うというのは、これが初めてだったのである。翔刀術を外部から客観的に眺めているかのようなその時間は、非常に面白い事に、翔刀術に関する僕の理解度を一段深めてくれたのだった。
とまあそんな次第で僕は夢中になって清水と語らい、そのせいで様々なことを忘れてしまっていたのだけど、清水は違った。
「猫将軍ともっとこうして論じていたいが、時間もないし本題に入っていいか?」
この語らいは五十分しかできない事をすっかり忘れていた僕に代わって、清水は時間管理をしてくれていたのである。そんな頼れるヤツなのに、申し訳なさげにそう書き込んだ清水は、僕にとってもう完全に友人だったのだろう。「そういう遠慮をされると、かえって傷つくんだぞ」「むっ、そうなのか?」「なに言ってんだ清水、友達ってそんなものだろ」「おお、悪い悪いそうだったな」 清水はチャットを始めたころを数倍する、空へ飛び立つようなイメージでこう綴った。
「猫将軍、剣道の選択授業を取ってくれ」と。
三年では、剣道の選択授業を取る。
実を言うと、その可能性が初めて芽生えたのは、去年の四月だった。一年に続き二年でも同じクラスになった香取さんが剣道を選択授業に選んだ時、心の片隅でふと思ったのである。僕も同じ選択授業を取って、香取さんの手伝いがしたいな、と。
ただそれは、現実的に不可能だった。料理の才に乏しい僕が最低限の技術を習得するには家庭料理教室を二年連続で取る必要があったし、またそれに加えて、救命救急の授業にも出なければならなかったからだ。北斗のような超絶頭脳を持っていれば違っただろうが、僕の残念脳ミソにそれを求めるのは無謀というもの。かくなる次第で二年進級時に芽生えた剣道の可能性は、あっという間に潰えたのである。
しかし、今年は事情が大きく異なっていた。その説明として最初に挙げるべきは、可能なら家庭料理教室の枠を、
―― 他の生徒に譲ってもらえないだろうか
と、咲耶さんに頼まれていた事だろう。
僕らの学年における家庭料理教室の評判はすこぶる良く、頭一つ抜き出た倍率になっている。よって二年連続で、正確には四期連続で同授業を履修し、かつ料理関係の専門家を目指していない生徒達へ、咲耶さんは辞を低くしてそう頼んでいるそうなのだ。それだけでも心は大きく揺さぶられたのに、僕が今年も同授業の申請を出したら輝夜さんと白鳥さんのペア解消の可能性が高まるとくれば、揺さぶられるどころの話ではなかった。料理の専門家を目指す白鳥さんにとって、輝夜さんは最高のパートナーだった。無数の超一流料理を舌で覚えている輝夜さんは白鳥さんの料理を的確に評価することができ、しかもそれは料理の工程にも及んだ。あの工程をあんなふうに処理したことがこの味として料理に現れているのねと、一緒に作った料理を食べながら二人は時間を忘れて論じていたのである。そんな二人を目尻を下げまくって一年間見つめ続けた僕に、ペア解消の可能性が高まる行為などできる訳がない。量子AIの専門家を目指す輝夜さんは四期連続で家庭料理教室を履修しているから、白鳥さんと同様の特別措置は適用されない。よって同教室を希望する生徒が定員を超えたら、輝夜さんも抽選の対象になってしまうのだ。他の生徒に枠を譲るお願いをした生徒へ、この件を口外しないよう咲夜さんは頼んでいると言う。そしてもはや枕詞となった「ナイショだからね」の前置きを経て特別に教えてもらったところによると、同教室の枠を他の生徒に譲るお願いを、咲耶さんは輝夜さんにだけはまだしていないらしい。つまり僕がそのナイショを守れば、輝夜さんは最後まで今回の件を知らないはず。そしてその場合、教育AIとしてはほのめかす事すらできないだろうが、輝夜さんと白鳥さんが今後もペアを組めるよう、咲耶さんはきっと便宜を図ってくれるに違いないのだ。
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