僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十一章

年末年始、1

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 湖校新忍道部は今年の冬休みに、極めて重要な日を迎えることが決定していた。それはあまりにも重要だったため、年末の超多忙期にもかかわらず僕は家族に土下座し、部活に参加させてもらった。といっても部員達は皆が皆、心ここにあらずの見本に陥っており、こんな精神状態で部活をするのは危険ではないかとの話し合いを、午前九時を過ぎても僕らは部室で行っていた。そんな、眉間に皺を寄せてお堅い話をする十三人が集まった場に、
「おじゃまします」
 千家さんが現れた。その直後、部員達の様相は瞬く間に三転した。六年生になってから二つ名を献ぜられるという湖校初の快挙を成した、月下の睡蓮たる千家さんがやって来てくれて、飛び上がって喜んだのが一転。その宙に浮いた足が床に着地するなり「今日はクリスマスなのに何やってるんですか!」と、荒海さんを非難する気持ちになったのが二転。そして最後の三転が、千家さんの斜め後ろにいた荒海さんの、心労極まった表情を目にした瞬間の、
 ―― わかります激しくわかります!
 という共感の噴出だった。そう、冬休み初日となる十二月二十五日の今日こそは、真田さんが杠葉さんの自宅を訪ね、結婚の承諾を正式にいただく日だったのである。真田さんと杠葉さんは相思相愛であり、かつ真田さんは人柄も技術者としての能力もそして現在の預金額も申し分ないから、杠葉さんの御両親が結婚に反対するなど億に一つもないと確信していようと、居ても立ってもいられなくなるのが戦友と言うもの。特に荒海さんは湖校入学以来、真田さんと数多の苦楽を共にしてきたのだから尚更なのだ。僕らは出入口へ殺到し、外は寒いのでとにかく中へお入りくださいとお二人を招き入れた。その間に一年生トリオが収納から座布団を二客取り出し部室の上座に敷き、三枝木さんが神速の手並みで入れた温かいお茶を荒海さんと千家さんの膝元に置く。千家さんは三枝木さんと皆へ笑顔を向け謝意を述べたが、荒海さんは正座した膝を握りしめ、俯いているだけだった。その荒海さんが円の中心になるよう、僕らも弧を描いて床に正座する。弧の後方中央に三枝木さんが腰を下ろし、その隣に嵐丸も正座したところで、荒海さんは俯いたまま口を開いた。
「お前らを叱咤し、部活が安全に行えるよう監督するのが、俺の本来の役目だ。だが今の俺に、それはできない。情けない先輩ですまない」
 荒海さんは一旦顔を上げ居住まいを正したのち、改めて頭を下げた。それに合わせ、隣の千家さんも粛々と腰を折る。そんなお二人の姿に、僕の目頭は急発熱した。荒海さんが婚約者の隣でこうも赤裸々に自分を晒すのも、その荒海さんに千家さんが片方の翼の如く振舞ったのも、揺るぎない愛を構築していないと不可能なこと。新忍道の埼玉予選で千家さんが荒海さんを訪ねた場に立ち会い、千家さんが抱えて来た葛藤を知り、そして二人の恋の手助けを幾度も務めてきた僕は、このままでは自然発火するのではないかと危惧するほどの熱を目頭に感じたのだ。
 そしてそれは、皆も同じだった。十三人の部員達は口を固く結び、それでも足りぬ者は掌で口を覆って、漏れ出ようとする声を抑えていた。それに手いっぱいな余り、それ以外の行動に移れる部員が一人もいなかったのである。
 しかしある光景を目の当たりにした僕は次の瞬間、水晶の言葉を思い出す事となった。水晶の真身しんみの神々しさに先輩翔猫たちが委縮しているさなか、下っ端の末吉だけは真身の神々しさを目標成就の原動力に昇華させ、そしてその末吉へ水晶が掛けた言葉を、僕はありありと思い出したのである。それは、
 ―― 最も小さき者が、天国では最も大きい
 だった。今この時、部室にいる部員の中で能動的行動を取れた者は一人もいなかった。だが、新忍道部の一員として認められていても部員として数えられる事のない、嵐丸だけは違った。嵐丸は放たれた矢のように荒海さんの膝元へ駆けてゆき、そしてその膝に上り荒海さんの顔をペロペロ舐めながら、
「ふくちょう、顔を上げてください、ふくちょう」
 幾度も幾度もそう繰り返したのだ。嵐丸の心の中にも、荒海さんと千家さんが構築した愛への感動があるはず。群で暮らす犬はつがいと強固な絆を結ぶ生き物だから、それをお二人に見た嵐丸も、巨大な感情が心に生じていたと思う。だが嵐丸はその感情より、荒海さんの負担を軽くすることを優先した。部員達が自分の感情の処理に手いっぱいで行動できなかったのに対し、嵐丸は自分の感情を放り投げ、ただただ荒海さんのために動いた。それを成したのは、湖校新忍道部の中で最も地位の低い、嵐丸だけだったのである。僕は顔を心持ち持ち上げ、創造主へ謝意を述べた。
 この世界をこのように創ってくださり、改めてお礼申し上げます、と。
 それを、遠い昔に母だった人が心の耳で聞き取ったのかもしれない。千家さんは嵐丸に向き直り、そのモフモフの背中を、我が子を慈しむように撫でた。
「仁君を第一に行動してくれて、ありがとう嵐丸君」
 その途端、心配の権化になっていたはずの嵐丸が、耳をピンと立て尻尾をブンブン振り始めたと来れば、勘弁してくれと天を仰ぐしかない。声を漏らさぬ戦いにただでさえ苦戦していたのに、笑い声を漏らさぬ戦いも、そこに加わったからである。それを察した千家さんは笑みくずれ、けどその笑みを自分に向けられた笑みと解釈した嵐丸は、元気いっぱい宣言した。
「ふくちょうは、僕がここに連れてこられた時、最初に優しくしてくれた人なんです。そしてふくちょうは、僕に嵐丸という名前を付けてくれました。ふくちょうは僕の、大切な大切な名付け親なんです!」
 今度こそ本当に嵐丸のためだけの笑みを零し、千家さんは言った。
「なら、私にとっても息子同然ね。だって私はこの人の、妻になるんだから」
 嵐丸は、またもや一匹だけの行動をした。ほんの数秒の内に、表情と仕草を三転させたのである。千家さんに息子同然と言ってもらい、目を爛々と輝かせ尻尾をプロペラの如く回し始めたのが一転。しかしその直後ハッとし、お伺いを立てるように荒海さんの顔を見上げたのが二転。その荒海さんに笑顔で頷かれ、プロペラ化した尻尾を使い千家さんの膝へ高速ダイブしたのが、三転だ。千家さんに抱きかかえられ頬ずりされ、嵐丸は母犬に毛繕いしてもらう子犬になって喜んでいる。そんな婚約者と名付け子の様子を満面の笑みで見つめていた荒海さんは、後輩達に向き直るや、闘気をほとばしらせる狼王になって叫んだ。
「テメエらッ、部活するぞッッ!!」
 ほんの数分前なら、いかな狼王の命令であろうと、表面はともかく内面は渋々従ったと思う。だが今は違う。やっと命じてくれましたか待ちくたびれましたよとばかりに、
「「「「ハイッッッ!!!」」」」
 僕らは一斉に応えた。そして全身をバネにして飛び上がり、ゴム鞠と化して一目散に練習場へ駆けてゆく。
 約、二時間半後。
 足腰立たなくなったその一歩先まで自分を追い込んだ僕らは、部活終了を告げるチャイムを聞いてようやく、体を動かすことを止めたのだった。
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