僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十一章

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 伝え聞くところによると今年の五年生には、情熱の向日葵と呼ばれている先輩がいると言う。ただこの話題を新忍道部で、正確には黛さんの前で取り上げることを、僕ら二年生トリオは禁じていた。といっても、黛さんに命令されたとかでは更々ない。恋人の話題を持ち出されることを、黛さんがとても苦手にしていたのだ。普段はクールイケメンを絵に描いたような人なのに、真っ赤になって押し黙り挙動不審になる黛さんを見ていられなかった僕と北斗と京馬が、話し合ってそう決めたのである。僕はとりわけ、それに気を使っていた。情熱の向日葵が一度だけ観覧席にやって来た際、黛さんの能力がほんの僅か低下したのを知覚してからは、場所や状況を問わず絶対口にせぬよう心掛けている。
 話が逸れたので元に戻そう。
 二年生文化祭が午後四時に閉幕し、各賞の発表もすべて終了したのが、その十分後。それから約一時間、クラス展示の後片付けに僕らは励んだ。ただこの「励んだ」には、多少の説明が必要だろう。僕らニ十組の四十二人は有終の美を飾るべく、快活軽快な後片付けを全員が志した。しかし、込み上げて来る寂しさがそれを阻んだ。この一か月半はもう二度とやって来ないという現実が、明るく軽やかな動作をどうしてもさせてくれなかったのだ。それでも僕らは、後片付けを淡々と行った。快活軽快とはとても言えない淡々とした動作であっても、込み上げる寂しさに負けず「励んだ」からこそ、やるべき作業を時間内に終わらせることが出来たのである。そして迎えた、十七時十分。二日ぶりに机を並べた教室に集合した僕ら四十二人は、
「「「ありがとう、楽しかったよ文化祭!!」」」
 元気一杯に声を合わせ、文化祭へ別れを告げたのだった。
 
 文化祭実行委員の皆と一緒に、わいわいやりながら昇降口へ向かう。この十人で集まるのは自然なことなのに、話題がクリスマス会の豪華料理に集中していたのは、非常に不自然なことだった。
 その不自然さが、昇降口を出た場所で極まった。僕ら十人は通学組と寮組に分かれたにもかかわらず、挨拶を交わしてこの場を去る事ができなかったのである。またそれは僕ら十人に限った現象ではなく、まったく同じ状況に陥っている別のクラスの集団が、昇降口の外に幾つも形成されていた。いや、まったく同じとの表現は事実に反するだろう。僕らより先にやって来ていたそれらの集団は、文化祭の話題で盛り上がっていたからだ。その全員が文化祭実行委員であることを会話内容から知った僕らは、最初はおずおずと、しかし十秒と経たず時間を忘れて、文化祭の話題で盛り上がっていった。そして感覚的には数分しか経過していない四十分後、
「気持ちはわかるけど、そろそろ最終下校時刻よ」
 湖校の校章が集団のそれぞれに浮かび上がった。その頃には集団の数はきっちり二十になっていて、確認せずともこの場所に、二年生の文化祭実行委員が一人も漏れず集結していることを全員が把握していた。昇降口の外に、打って変わって沈黙が降りる。それを破り、学年HPで幾度か見かけた実行委員二年代表の女の子が、声を張り上げた。
「みんな、これが本当の有終の美。明日の再会を笑顔で約束し、下校しましょう!」
 賛成、いいぞいいぞのヤジが飛び、極々短い確認作業を経て、全員で声を揃えた。
「「「「せえの、また明日!!」」」」
 笑顔で手を振り合い、通学組は東へ、そして寮組は西へ、それぞれ歩を進めたのだった。

 それから神社に続く路地まで、久保田と木彫りの話題で盛り上がった。それによると、木製台座を担当した内の一人が木彫りの面白さにハマり、今後も趣味として続けてゆくと息巻いているそうだ。嬉しくて仕方なさそうにしている久保田を、もっと嬉しがらせる事にした。
「牛若丸の完成品に、美鈴はニコニコしっぱなしでさ。台所が、最近とても心地いいんだよね。そのお礼として、欅の丸太を追加で一本進呈するよ」
 そう伝えるや、久保田は飛び上がって喜んだ。その跳躍をもって僕らは別れの挨拶を交わし、それぞれの場所へ帰って行った。

 極細の偃月刀えんげつとうとしてささやかな光を放っていた月が、そのささやかさ故に地平線を待たずして消えようとしている、今。
 神社へ続く路地の漆黒の木立から、秋の夜虫の鳴き声がしきりと聞こえてきている。
 つい十秒前まで友と肩を並べていた、街灯の煌々と灯る通学路と変わらぬ足取りを保たせてくれる夜虫達の賑やかさに、僕はそっと感謝を告げた。
 
 石段を登り、石畳の左端を真っすぐ歩く。拝殿に着き手を合わせ、文化祭が無事終了した旨を報告した。何気にこれは湖校入学以来、今日が初めての事。実行委員として学校行事に初めて関わった一年時のプレゼン大会の帰宅時は、普段どおり母屋へ直行し、またそれに疑問を覚えることも無かったけど、今回は違った。複数の超常存在へ報告と謝意を示さねばならぬと、僕は確信していたのだ。特に武蔵野姫様へは、篤くお礼申し上げた。燕尾服の新郎とウエディングドレス姿の新婦の対面に同席する回数が増えるにつれ、武蔵野国の国母たる姫様がそれはそれは喜んでいらっしゃるのを、僕はひしひしと感じるようになって行った。実技棟の写真店に漂っていた神聖な気配は、似合いの夫婦たちに下賜された、武蔵野姫様の恩寵だったのである。水晶と、全長13キロの龍と、そして創造主にも感謝を捧げて、僕はその場を後にした。

 母屋の玄関越しに、文化祭について語り合う三人娘の楽しげな声が聞こえて来た。それに早く加わりたかった僕は小走りになって玄関をまたぐも、断腸の想いで台所に背を向け洗濯室へ歩を進め、大量の洗濯物を洗濯機に放り込んでから台所を目指した。最近ようやく習得した時速8キロの早歩きで廊下をかっ飛ばし、廊下と台所を別つドアに辿り着き、そしてそれを勢いよく開けるや、
「「「「お帰り!!」」」」
 台所にいた全員が顔をこちらに向けて声を揃えてくれた。家族総出のその光景に、僕のテンションは大爆発を・・・・・・
 なぜか起こさなかった。台所を、名状しがたき何かが覆っていたからである。ドアを開けた瞬間に浮かべていた完全無欠の笑顔がその何かに侵食され、引き攣った笑みへ刻一刻と代わってゆく。平坦な床を両足で踏みしめ、かつ右手でドアノブをしっかり握っているという凄まじく安定した状況のはずなのに、グラグラ揺れようとする体を僕はかなり本気で制御せねばならなくなっていた。という状態に僕がいるのを、きっと察知したのだろう。今度は台所にいた全員ではなく、三人娘だけが艶々ホクホクの笑顔をこちらに向けた。予感がして呼吸が止まる。けどそんなのお構いなしに、僕が無かった事として記憶の辺獄リンボに封じたある出来事を、娘達は嬉々として叫んだ。
「「「麗男子コンテスト、九票獲得の第三位、おめでとう!」」」
 無限とも思える二秒が過ぎたのち、
 パタン
 後ずさりして僕はドアを閉める。と同時に、
 シュバッッ
 体育祭の100メートル走における湖校歴代一位の反応速度を二年連続出した実力にものを言わせ、自室へダッシュし鍵をかけた。
 そしてそれからたっぷり三分間、娘達のどんな呼びかけにも応じず、僕は自室に閉じこもったのだった。 
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