僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十章

離乳食

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 翔子姉さんは地球にやって来る前、猫科の大型獣から進化した猫人類として一万年を過ごした。その猫人類たちは食事に関し、
 ――生肉にかぶりつく事こそが始原にして至高
 との絶対的価値観を持っていたそうだ。人口増加に伴い、衛生面から火をどうしても使わねばならない状況が増えると、それへの嫌悪が傲然と沸き起こり、それが機械文明振興の原動力になったというのだから驚くしかない。和食の「鰹のタタキ」に相当する、表面を火で炙っただけの料理を誰もが食べられるよう、生産と流通に科学技術を惜しげもなく注ぎ続けた結果、直径32キロの円盤を宙に浮かせる機械文明に至ったらしいのである。また、最貧層の人々もタタキ料理を常食できるよう努力し続けたことは、社会道徳に優れる文明の礎にもなったそうだ。翔子姉さんにそう教えられた時は、食欲の秘めるポジティブな可能性に心が躍ったものだった。
 その翔子姉さんをもってしても、猫星の一つ前の星に関する記憶はまったく無いと言う。よって猫星に一万年いた翔子姉さんは精神が完全に猫化しており、かつ明瞭に覚えている最後の人生が裕福で生ものばかり食べていたため、地球人の料理文化をまったく理解できないというのが正直なところだそうだ。ただ水晶の助言に従い、味覚神経を人に近づける努力はずっと続けてきて、地球人の食事を正式に頂いた一昨日の夕食ではそれが実り、「美味しい」と感じることが出来た。だが美味しいと感じても、それを作る料理には敗北した。食材を極力加工しないよう努めていた前世の価値観が押し寄せてきて、複数の工程を食材に施してゆく地球の料理法を、精神が拒絶したのである。
 それでも翔子姉さんは頑張ろうとするも、無理だけはしてはならないと祖母に説得され、昨日のお昼は梨の皮をナイフで剥くだけに留めた。白状するとそれも本能が不平を叫びまくっていたが、丁寧に切り揃えられた果物を美鈴がにこにこ頬張る光景を思い出し、どうにかこうにかやり遂げることができたらしい。それを教訓に、夕食は拒絶が少ないよう鮪のタタキを選ぶも、鮪の表面に有害な雑菌が繁殖していないことを本能的に知覚した翔子姉さんは、刺身で充分食べられる鮪を火で炙れず大層苦労したと言う。なまを尊ぶ日本の食文化が、裏目に出てしまったのだ。
 ただ幸運もあり、その筆頭とすべきは昴が隣にいた事だった。昴の家には、肉を熟成させるための専用冷蔵庫がある。その冷蔵庫で一週間熟成させた塩こうじ牛肉をローストビーフにするなら、抵抗を抑えられるのではないか? そう予想した昴は今朝それを自宅から持って来て、そしてまさしくその熟成肉を翔子姉さんは今、調理している真っ最中だったのである。よって僕は帰宅の挨拶を極々軽くするに留め、すぐさま自室へ引き上げて行った。

 着替え等々を済ませ一段落着いた時間と、部活を終えた時間が重なったのだろう。クラスメイトから続々送られてくるメールを、僕はベッドに腰掛けて照れながら読んだ。そのすべてが、僕の蝶ネクタイの出来栄えを褒める内容だったからだ。中心部分の結び目に朱色の鳥居を、左右の羽に茶虎猫と三毛猫をそれぞれ描いた蝶ネクタイは、ウチの神社のお守りが知れ渡っていた事もあり、かなりの高評価を得られたらしい。クラスHPの文化祭掲示板にメールのお礼と、男子委員の五つの蝶ネクタイも期待しててねと書き込み、僕は台所に向かった。
 台所では、翔子姉さん達がシンクに集まっていた。水と氷の音がしているから、加熱を終えたローストビーフを氷水で冷やしていると思われる。僕は音をなるべく立てず椅子に座り、皆の様子を眺めていた。
 そうこうするうち三人娘が帰ってきて、夕飯の時間を迎えた。翔子姉さんの作ったローストビーフは、文句なしに美味しかった。動物性たんぱく質の消化吸収率を上げるべく加熱する事と、加熱による栄養素の消失。この二つに妥協点を見いだすことなら前世の経験を活かせると、ローストビーフが証明したのである。それを自分の舌と、皆の笑顔から知った翔子姉さんの喜びようといったらなく、台所は大いに盛り上がっていた。安堵した僕は機を計り、隣に座る貴子さんに尋ねてみる。
「貴子さんはどうして、料理が苦手じゃないの?」
 すると貴子さんは、
「歳の功さ」
 対応が難しすぎる返答をした。僕は困りまくり、その困りっぷりをネタにして、貴子さんは珍しくはしゃいだ。そんな貴子さんに、不思議な温かさが胸に広がってゆく。それは食事中も入浴中も、男子委員達と蝶ネクタイの出来栄えについて語り合っている最中も消えることは無く、熾火のように胸を温め続けた。
 そして就寝前、ベッドにもぐりこんだ僕は美夜さんに尋ねた。
「ねえ美夜さん、貴子さんは翔子姉さん同様、地球の料理を最初は受け付けなかった? それとも翔子姉さんとは違い、最初から受け付けていた?」
 ベッドの傍らに現れた美夜さんが、亡き母の眼差しで問いかける。
「赤ちゃんが大好きで、赤ちゃんのお世話をいつも買って出ていた人が、空腹を覚えないなんて事、あると思う?」
 なるほど、と僕は納得した。けどその直後、
 ―― それは早とちりもいいとこよ
 との声が心に響いた。驚く僕をよそに、ある光景が脳裏に映し出される。それは台所に母と並んで立ち、僕の離乳食を一緒に作る貴子さんの後ろ姿だった。それは僕に離乳食を食べさせ、同じ離乳食を自分用のスプーンで自分の口に運ぶ、貴子さんの姿だった。その光景に、ふと会話が重なる。
「眠留と同じものを食べなくても」
「だって眠留に変なものを食べさせられないじゃない」
 お約束の会話を幸せ一杯にする目の前の二人に、赤ん坊の僕は手足を盛んに動かす。それを、食事の催促と勘違いした貴子さんは、満面の笑みで僕に離乳食を食べさせてくれた。
 という記憶が、脳裏にまざまざと映し出されたのである。
 僕は掛け布団を引き上げ、布団の中にもぐり込むしかなかった。
 どうにかこうにか普通の声を絞り出し、美夜さんにお休みと告げるまで五分以上かかってしまったことを恥じつつも、僕は無限の感謝に包まれて寝ることができたのだった。
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