僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十八章

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 おじいさんは途中まで「ごめんなさい本当にごめんなさい」と、頭を連続して下げていた。だが今は、テーブル越しに丸まった背中だけが見える状態に、おじいさんはなっている。土下座したまま、動かなくなってしまったのだ。いや事によると動かないのではなく「動けない」のではないかと本気で案じ始めた僕は、同じ男としておじいさんを救援する決意をした。
 けれどもそれは、僕の役目ではなかった。僕が口を開こうとしたまさに直前、
「ただいまですにゃ~~」
 縁側に現れた末吉の、元気溌剌な声が皆の心を洗ったのである。そうそれは心に直接届くテレパシーだった事もあり、比喩や言葉の綾ではなく、居間にいる四人の心を清々しく洗い流していった。乙女心が切々と綴られた手紙にポイントを付け部員同士で競争するという、同性でも擁護不可能な黒歴史に土下座するしかなかったおじいさんは、特にそうだったのだろう。儂が悪かった儂が間違っていたとオロオロ泣きながら、末吉をひとしきり撫でていた。そのただならぬ様子とおばあさんの眼差しに、おじいさんが何かを失敗したのだと悟った末吉は、必死になっておじいさんを弁護した。
「おばあちゃん、どうかおじいちゃんを許してあげてください。人はどんなに注意しても、失敗してしまいます。猫のおいらも、いつも失敗してばかりです。おいらは、おじいちゃんとおばあちゃんが大好きなんです。どうかおじいちゃんを、許してあげてください」
 おじいさんの隣に正座し幾度も頭を下げる末吉に、僕と輝夜さんは光の速さで完全敗北したが、おばあさんは違った。無意識に末吉を抱きしめようとした両手を押し留め、居住まいを正し真剣勝負の気概を放って、おばあさんは凛として問うたのである。
「末吉、あなたはどうですか。後輩たちに慕われ、褒めそやされ、そして数多あまたの娘たちに恋心を抱かれ、慢心してはいませんか」
 僕は舌を巻いた。
 そして、納得した。
 地球という、自分の星より成長段階が一段低い星に使命を帯びてやって来た輝夜さんが、生まれる家庭に白銀本家を選んだ理由は、母親になる人を母親として慈しみ育てた、この人にこそあったのだと。
 末吉も、それと同種の何かを感じたのだと思う。おじいさんを懸命に弁護する純粋無垢な猫の表情を脱ぎ去り、最上級の強敵を前にした翔猫の気迫を漲らせ、末吉は朗々と答えたのだ。「はい、慢心していません」と。
 僕は末吉のもとに駆け寄りたかった。駆け寄り抱き上げ天に掲げて、末吉を称えたかった。負ければ死ぬ戦いに肩を並べて挑んできたこの戦友がどれほど素晴らしいかを、創造主と世界へ、言葉を尽くし報告したくて堪らなかったのである。
 だが火山から立ち昇る噴煙のように熱く激しいその想いは、末吉の次の言葉が僕にもたらした罪悪感の嵐に消し飛ばされてしまった。慢心していないと断言した末吉が、気迫をいささかも衰えさせず、こう続けたのだ。
「慢心の欠片が心に芽生えるたび、現在の未熟な自分とかつての痛々しい戦友を思い出し、己を戒め続けています」
 居間に一瞬、時が止まったかのような静寂が降りる。
 そしてその一瞬が過ぎ去るなり、おじいさんとおばあさんと輝夜さんの意識がこちらへ向けられるのを、僕ははっきり感じた。
 ラブレター事件を暴露され、ごめんなさいを繰り返していた時のおじいさんの姿勢に、僕はゆっくりゆっくりなってゆく。
 それを見かねたおじいさんが末吉に話しかけようとするも、おばあさんが鋭い眼光でひと睨みするや、おじいさんは僕と同じく急速にしぼんで行った。僕はまたもや納得する。ああなるほど、普段は地母神のように優しくても必要とあらば鬼神になれる奥さんの方が、夫と歩調を合わせて成長していけるんだなあ・・・
 なんてことを考えていたら、
「末吉君、かつての痛々しい戦友は、眠留くんのことかな」
 心地よい銀鈴の声が耳に届いた。その、地母神の優しさを受け継いだ愛娘を彷彿とさせる声に、このまま委縮していたら輝夜さんが鬼神になってしまうかもしれないと思い至った僕は、姿勢を正して末吉の返答を待った。鬼神と化した輝夜さんも無限に好きだが、僕の努力でそれを回避できるなら、それを命懸けでしよう。僕はそう、決意したのである。
 そんな僕に安心し気が緩んだのか、末吉はいつものにゃあにゃあ言葉で答えた。
「そうですにゃ。その節は眠留が大変迷惑をお掛けしましたにゃ。パートナーとして、謝罪いたしますにゃ」
 ペコリと頭を下げた末吉に、場が一気に和む。おばあさんも今回はお手上げとばかりにとろとろの笑顔を浮かべていて、そしてそれはおじいさんも同じだった。柔和さを取り戻したお二人に末吉は顔いっぱいで笑ってから、あの日の僕について話した。
「自分が慢心していたと気づいた眠留は、一番弱い魔想にさえ苦労するほど、ひどく落ち込んでいましたにゃ。おいらは本当は気が気じゃなかったけど、心を鬼にして眠留を叱りましたにゃ。でもおいらにできたのは、叱ることで落ち込みを一時的に誤魔化すことだけでしたにゃ。なのに眠留は輝夜さんが命の危険にさらされていると知るや、別人のように勇敢になって、勝てる見込みの薄い強敵に立ち向かって行きましたにゃ。輝夜さん、眠留をどうか、許してあげてくださいですにゃ」
 許すもなにも、最初からこれっぽっちも怒ってなかったよと輝夜さんは応えた。語気を強めるでも、仕草で強調するでもなく、事実を淡々と述べただけの孫娘へ、男の僕にはわからない何かを感じたのだろうか。「輝夜は眠留さんが世界一好きだからね」と、おばあさんは茶々を入れた。突然の茶々に輝夜さんは真っ赤になりつつも、
「おばあちゃんだっておじいちゃんが世界一好きじゃない」
 と応戦したのだけど、今回は相手が悪かったらしい。
「今更そんなこと言われても動揺なんてしないわ。私がこの人を世界一好きになって、半世紀以上経つんですもの。そうよね、あなた」
 おばあさんは、しれっとそう言ってのけたのである。そのしれっと振りに一瞬目を剥くも、
「儂もだ。出会ったころから今までずっと、お前は儂の一番の女性だ」
 同性の僕でも惚れ惚れする程の男振りでそう応えたおじいさんは、やはり流石の一言に尽きるのだ。そんな夫におばあさんは女学生の初々しさをまとい、そんな妻におじいさんも若者の覇気を全身に漲らせた。そこへ、
「おじいちゃんとおばあちゃん、ラブラブですにゃ!」
 末吉が嬉しさ一色のにゃあにゃあ言葉を投下した瞬間、居間は仲良し家族が午後の団欒を楽しむ幸せな場そのものとなった。
 それを確かなものとして感じたかった僕は、輝夜さんに左手を差し出した。
 輝夜さんが僕の手を両手でそっと包む。
 その、柔らかきことこの上ない掌にかつてない高振動を生じさせた松果体が、チベットの寺院で過ごした直前の前世の一コマを心に送り届けた。それは、

  命を代償にせず
  闇の巨星を封印する
  のは可能か

 という、数千万年を費やしても解答を得られていない人類の宿願へ身を捧げ続けた、自分の姿だった。
 僕は目を閉じ、最近やっとできるようになった心の中への翔化、翔々を行う。
 そしてその空間で誓った。
 今生こそ人類の宿願を解き、輝夜さんの命を救ってみせるぞ、と。

     十八巻、了
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