僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十八章

千家先生、1

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 玄関で真山を見送ったのち、僕はちょっぴり長湯をした。千家さんと連絡を取る前に、胸に残るしんみりした想いを、お風呂で洗い流しておきたかったのである。
 そして迎えた約束の午後八時、ハイ子が電話のコール音を響かせた。メールのやり取りを予定していたため誰かが電話を掛けてきたかなと焦るも、月の光を浴びて咲く睡蓮の香りに包まれた気がして、すがる思いで通話を始めた。千家さんは数百年前に戻り、妹を嫁がせる兄の胸中を、家族の心で聴いてくれた。

 
 翌十九日、月曜日の午後十二時半。
「これより、髪飾り制作者の五人が加わったパワーランチを開始します。まずは、塗装の講師を快く引き受けてくれた、千家櫛名さんにご登場願いましょう。皆さん、拍手をお願いします!」
 僕がそう呼びかけるや十五人全員が起立し、3Dの千家さんを迎える準備をした。髪飾り制作者は八人だけど、うち三人は実行委員だから、計十五人なんだね。
 教育AIが気を利かせてくれたのか、千家さんは最高画質の3Dで会議室に現れた。そのとたん「綺麗!」「素敵!」「憧れる!」系の、女の子たちの称賛が溌剌はつらつとこだました。一拍遅れて「・・・見とれてた」「・・・尊い」「・・・マジ女神」系の、野郎どもの無意識の呟きが会議室に広がってゆく。今日の千家さんは、印象を薄くする暗示化粧を、いつもの半分しかしていなかったのである。よって美しさを称えられて当然なのだけど、月下の睡蓮たる櫛名田姫の真の実力を知る身としては複雑だった。嬉しさより「こんなものじゃないんだぞ!」という、歯痒いようなれったいような感覚が胸を占拠したのだ。
 幸いそれは瞬きの時間で収束し、右隣に立つ千家さんを僕は落ち着いて皆に紹介した。会議室で席次が最も高いその場所を、千家さんのためにあらかじめ確保していたんだね。
 当初僕は千家さんの食事時間を確保すべく、挨拶を終えたら塗装の座学及び実習の日取りについて、速やかに話し合う予定を立てていた。けどそれは、良い意味で瓦解する事となる。挨拶を済ませるやみんな予定を無視して「いつお会いできますか!」と千家さんに詰め寄ったのが、瓦解の始まり。それを受け、
「なんなら今日の五限にする?」
 櫛名田姫が素の表情で首を傾げた途端、
「「「ぜひお願いします!」」」
 僕以外の十四人が一斉にお辞儀する事により、瓦解が完了したのである。髪飾り制作に無関係の六人がそこに含まれていたのは場の勢いとして流せても、固定選択授業の出席率は無視できない。僕は議長権限を行使し待ったをかけようとしたがそれより早く、教育AIの2Dメッセージが手元にデカデカと映し出された。
『今日の五限に固定選択授業を取っている生徒はこの場にいません』
 指向性はなく文字も大きかったため当然それは皆の目に入り、ということは各々への確認の必要もなく、というか本音を言うと僕も千家さんにメチャクチャ会いたかったので、体を右に向けて背筋を伸ばした。
「千家さん、唐突ですが一回目の講義を、今日の五限にお願いしてよろしいでしょうか」
 もちろんいいわと、千家さんは後光の差す笑みを浮かべた。それがあまりに女神様すぎて、僕はついつい口走ってしまった。
「櫛名田姫様、ありがとうございます」
 会議室に巨大などよめきが起こった。それは千家さんが湖校を代表する美女の一人として、新忍道部員を除く一般生に認知された、初めての瞬間だったのだった。

 千家さんとの昨夜の電話は、ダメダメな僕の泣言を聞いてもらうために全体の半分近くを費やしてしまった。それにやっと気づき慌てて詫びる僕を「私にも悩みがあるから分かるよ」と千家さんは気遣ってくれたけど、耳に届いたのがくぐもった声だったとくれば、次は僕の番。今度は僕が数百年前の家族に戻り、千家さんの悩みに耳を傾けたのだ。千家さんも胸に秘めた悩みを隠さず話してくれて、僕もそれにあらん限りの誠実さで応えていった。そうこうするうち千家さんの声音は次第に柔らかくなり、いや正確には、
 ――数百年前の母上
 にそっくりになって行ったため、僕は千家さんに呼び掛けるさい「は・・・」と、最初の一文字を不覚にも口にしてしまった。そのとたん千家さんはニマニマし始め、僕はすぐさま「音声のみ電話なのにイジワル顔になっているのが目に見えるようですよ」と反撃するも、時すでに遅し。永遠にも感じられるイジラレ時間が、しばし続く事になった。そのせいで、
「どわっ、千家さんもう五十分経ってますよ!」
「あっ、九時には寝るんだったわね、ごめんなさい!」
 なんて事態に僕らは見舞われてしまった。よって、
「わたし明日の暗示化粧を半分にしようと思うの、どうかな?」
 と本来の相談をようやく始めたのだけど、
「この前の集合写真のように、年下ほど千家さんの素顔を素直に受け入れるはずです」「・・・そうかな」「絶対そうです!」「・・・あの集合写真、楽しくて嬉しくて仕方なかったの」「でしょ、だから絶対大丈夫です!!」「うん、ありがとう」
 みたいな会話をしているうち時刻は九時になり、千家さんは慌てて電話を切ってしまった。そう、僕と千家さんは翌日のパワーランチについて、実質まったく話していなかったのである。でも年下ほど千家さんの美貌に素直な憧れを抱くのは間違いないと確信していた僕は、平気だろうと楽観していたのだけど、それは半ば当たり半ば外れた。外れたのは千家さんの3Dが消えた以降、
「「「「・・・・・」」」」
 と、沈黙がパワーランチを支配した事だった。 

 髪飾り制作者の五人が初めて加わったパワーランチは開始して五分と経たず、 
「「「「・・・・・」」」」
 のように、目的としても字面としても真逆の時間となった。僕以外の全員が打ち沈み、お弁当を黙ってちょびちょび食べるだけの時間になったのである。そうなった理由は、千家さんの不在にあった。なぜか皆、今日は千家さんと一緒にお昼ご飯を食べられるのだと、信じ切っていたらしいのだ。信じ切っていたから、
「お昼休み中に掃除を済ませて、二年生校舎に向かうわね。それじゃあ皆さん、五限に会いましょう」
 そう微笑み千家さんの3Dが消えた反動は、凄まじかった。皆が皆、会議なんてやってられるかコンチクショウ的なオーラを放ち、お弁当を黙々と食べ始めたのである。いつもならこういう場面でちからになってくれる智樹と那須さんと香取さんも、「裏切り者など助けるか」「一言教えてほしかった」「今は話しかけないで」系のジト目で睨む以外は、僕を完全に無視していた。三人は三か月前、新忍道部員を加えたカレーパーティーに参加した際、暗示化粧で地味顔に化けた千家さんと会話していたから、今日の千家さんに驚愕していた。けれども僕に驚きはまったく見られず、それどころか「こんなもんじゃないんだぞ」と歯痒く思っているのが顔に一瞬出たため、裏切られたに類する感情を三人は持ったらしいのだ。そんなの気にならないと言ったら嘘になるけど、三人が僕に抱くマイナスの感情は、千家さんに感じた巨大な好印象の裏返しと思えば耐えられるというもの。ならば今は無駄に騒がず、受け流すのが最善。僕は静かに食事し、潮目が変わるのを待った。
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